表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

33/43

見えざる手の縁談


 葵との穏やかな休日を過ごした数日後の夜。蓮は、あのデートの前に届いていた1通のメッセージと、改めて向き合っていた。


 送り主である『内閣府ダンジョン庁 人材育成課 第2係長 北条 麗奈』。適性者として登録した際に1度だけ、オンラインで顔を合わせただけの関係。その時の彼女は、蓮のジョブが「召喚師」であり、さらにユニークスキルまで所有していることを知ると、丁寧な言葉遣いとは裏腹に、獲物を見つけたかのような鋭い光を目に宿らせていた。


 その彼女からの、あまりに唐突な連絡。メッセージの内容は、簡潔ながらも有無を言わせぬものだった。


『神谷蓮様。直近のご活躍、誠に目覚ましいものと拝察しております。つきましては、貴殿の今後のキャリア形成の一助となるであろう、重要なお話がございます。近日中に、面談のお時間をいただけませんでしょうか』


 回りくどい表現だが、要は業務連絡だ。しかも、こちらの都合を尋ねる形を取りながら、拒否するという選択肢を事実上与えていない。蓮は「承知いたしました。つきましては、1週間後の午後はいかがでしょうか」と、簡潔かつ丁寧な文面を返信した。


 すぐに『感謝申し上げます。では、1週間後の土曜日の午後3時、市の中心街にあるホテル・ロイヤルクラシックのラウンジにてお待ちしております』と返信が来た。その即応性の高さと、わざわざ対面での場を設けてきたことから、蓮は北条という官僚の有能さと、今回の用件の重要性を改めて確信する。


(……重要なお話、か)


 葵との関係という安息所を手に入れた今、蓮の心は次なる目標――社会的な地位の確立へと静かに、だが確かに燃え上がっていた。このタイミングでの、国家からの接触。それが何を意味するのか。蓮の口元に、夜の闇に似た、深い笑みが浮かんだ。



 約束の1週間後、蓮は指定された光来市の中心街にあるホテルへと向かっていた。


 第四防大は、学生生活に必要な商業・娯楽施設がすべて敷地内に揃った1種の城塞都市キャンパスタウンだ。月に数度の外出は許可制で認められているものの、ほとんどの学生は広大なキャンパスの中で生活を完結させる。


 だからこそ、こうして外に出ると、空気が違うように感じられた。ダンジョン攻略という非日常を内包する大学とは異なる種類の、きらびやかでどこか浮ついた「日常」の光がそこには満ちていた。


 第四防大と市街地を結ぶ専用モノレールの改札を抜けると、蓮は一瞬にして衆目を集める存在となった。学生証を兼ねたカードをタッチした際に響く、一般客とは異なる硬質な認証音。それが、彼が国家の未来を担うエリート――防衛大学校の学生であることを無言のうちに周囲へ知らしめる。


 向けられる視線は、畏敬と、憧憬と、そしてほんの少しの好奇心。人々は自然と彼のために道を開け、すれ違う若い女性たちは、頬を染めてひそひやかな声を交わす。誰もが、自分たちの平和が彼のような存在の犠牲の上に成り立っていることを知っている。この国では、それが揺るぎない常識だった。


 約束の時間より少し早く着きそうだったため、蓮はホテル近くのカフェで昼食をとることにした。通されたテーブル席でメニューを開くと、その片隅に小さな文字で書かれた案内が目に留まる。


『ダンジョン制圧士の皆様へ。日頃の激務、誠にご苦労様です。資格証のご提示で、お好きなデザートを1品サービスさせていただきます』


 国が主導する優遇制度とは別に、民間レベルでもこうしたサービスが浸透している。それが、この社会における「ダンジョン制圧士」という存在の価値を示していた。


 蓮はパスタとコーヒーを注文し、食後にデザートを頼む際、店員に自らのステータスカードを提示した。


 若い女性店員は、恭しくカードを受け取り確認すると、笑みを浮かべてカードを返却した。


「ご確認いたしました。いつも国家と市民のために、ありがとうございます」


 それは感謝の言葉でありながら、どこか事務的な響きを伴っていた。多くの制圧士がこの街に住み、日常的に店を訪れるのだろう。

 やがて、サービスのアイスクリームが運ばれてきた。その時、店員がふと、興味深そうに蓮に話しかけてきた。


「失礼いたします。お客様は学生さんでいらっしゃいますか? 大変お若く見えましたので……制圧士としてご活躍されているなんて、本当に尊敬します」


「いや。第四防大の学生だ」


 その1言で、店員の雰囲気が明らかに変わった。事務的な笑顔は消え、代わりに、抑えきれない憧憬と興奮が入り混じったような、生身の表情が浮かび上がる。


「えっ、防大生の方だったんですか! すごい……! 未来の日本を背負って立つエリートなんですね! あの、応援してます!」


 先ほどとは比較にならない、熱のこもった賞賛。一般の制圧士と、その中でも選りすぐりのエリートである防大生。その間に存在する、世間の認識の壁。蓮はそれを肌で感じながら、静かにアイスクリームにスプーンを入れた。



 午後3時少し前。蓮は目的の高級ホテルのラウンジを訪れていた。ガラス張りの窓から柔らかな陽光が差し込む、開放的な空間。客層は皆、身なりの良い人間ばかりだ。


 指定された窓際の席で待っていたのは、写真で見た通りの、端正な顔立ちの女性だった。スーツをそつなく着こなし、無駄のない化粧を施したその姿は、いかにも有能な国家公務員といった印象を与えた。北条麗奈だ。


「お待たせいたしました。神谷蓮です」


「お待ちしておりました、神谷様。どうぞ、お掛けください」


 北条は立ち上がって丁寧に頭を下げると、再び席に着くよう促した。ウェイターが静かに近づいてくるのに合わせ、彼女はメニューを蓮の方へ滑らせる。


「お構いなく。もちろん、こちらは経費で落ちますので」


 蓮は軽く会釈してコーヒーを注文した。運ばれてきたカップを手に取り、1口含む。香りの良い、上質な豆だった。


「わざわざお越しいただき、ありがとうございます。大切なお話は、できるだけ直接お会いして、と考えておりましたので」


 席に着くと、北条は柔らかな笑みを浮かべて言った。


「本日はお時間をいただき、ありがとうございます。大学から定期的に提出されるレポートは、すべて拝見しておりますよ。神谷様は、他の学生さんと比べても、非常に順調に成果を上げていらっしゃる。担当として、とても安心いたしました」


 その柔らかな物腰とは裏腹に、彼女の瞳の奥には、蓮という希少な「国家資源」を冷静に査定する、鋭い光が宿っていた。


「いえ、パートナーのサポートが優秀だっただけです」


「ご謙遜を。水谷葵さんについても、もちろん把握しております。『水魔法師』という基本ジョブでありながら、それを感じさせない見事な活躍をされているそうですね。お二人が組むことで、素晴らしい相乗効果が生まれている。我々としても、非常に喜ばしい限りですわ」


 当たり障りのない会話。だが、その裏で探り合いが続いていることを蓮は感じていた。北条は、当たり前のように葵の情報を口にした。それは、2人の活動の全てが監視下にあるという事実を、改めて突きつけるための、無言の圧力だ。


 やがて、北条は「さて」と本題に入る気配を見せた。

「神谷様は、政府が運営している『ダンジョン制圧士専用のお見合いシステム』のことは、もちろんご存知ですよね?」


 唐突な話題転換に、蓮は内心で首を傾げたが、表情には出さない。そのシステムを知らないダンジョン制圧士はいない。国家が提供する、最大の福利厚生。そして、野心ある男にとっては、社会階層を飛び越えるための、最も効率的な梯子だ。


「ええ、もちろん。……先輩方がよく利用している、と聞いています」


「ええ、そうなのです。日々、命懸けで国家のために戦ってくださっている制圧士の皆様に、少しでも報いたい。私生活でも、素敵なパートナーと巡り会い、充実した人生を送っていただきたい。そんな思いから始まった、いわば国からの贈り物のような制度なんですよ」


 北条は、うふふ、と上品に笑う。その仕草は、これまでの無機質な印象とは異なり、どこか人間味を感じさせた。


「ええ。こちらのシステムに登録できるのは、家柄、学歴、そしてもちろん容姿といった国が定めた厳格な基準をクリアされた女性たち、――それも、将来有望な制圧士を支えることこそが国家への貢献に繋がるのだと信じる、高い志をお持ちの方々だけです」


 北条は、そこで一旦言葉を切り、コーヒーカップに口をつけた。


「AIがその方々の中から、貴殿の経歴や将来性などを多角的に分析し、最も相性の良い方をご紹介する仕組み、というわけです。多くの方が、このシステムで素晴らしいご縁に恵まれていますよ」


「……なるほど」


「それで、ですね。今回ご連絡したのは、ぜひ神谷様にも、この素晴らしいシステムに登録していただきたいと思いまして」


 蓮は、北条の言葉の裏にある意図を探りながら、慎重に言葉を選んだ。


「光栄な話ですが……なぜ、今このタイミングで俺に?」


「あら、ご自分ではまだ、その価値に気づいていらっしゃらないのですか?」


 北条は、心底意外だというように、少しだけ目を丸くした。


「神谷様、貴方はただでさえ希少な『召喚師』というジョブをお持ちです。それだけでも素晴らしいことですが、本当の価値はそこではありません」


 北条は身を乗り出すようにして、声のトーンを落とした。


「……貴方だけが持つ、唯一無二の力……ユニークスキル『共鳴の鎖』。ユニークスキルの保有者は、一万人に1人と言われるほど希少です。そして、その多くが、その強力なスキルを活かして、将来的に我が国のダンジョン攻略を牽引する存在へと成長していきます」


 そこで彼女は、人差し指を立て、悪戯っぽく笑った。


「ですから、国が神谷様に大きな期待を寄せている、というのもご理解いただけますよね? ご自身を、普通の学生ダンジョン制圧士と同じだなんて思わないでくださいね?」


 その親しげな態度が、逆に蓮の警戒心を煽った。


「もちろん、このシステムへの登録は、あくまで任意です。無理強いはいたしません」


 北条は一度そう断ってから、ゆっくりと微笑んだ。


「ですが……神谷様ほどの『逸材』であれば、きっと、システムに登録されている中でも、飛び抜けて素晴らしい女性とマッチングされるはず。……貴方のその野心を満たすのに、これ以上ない近道だとは、思いませんか?」


 全てを見透かしたような、最後の1言。それは、甘い蜜のようで、同時に抗いがたい毒のようでもあった。国家からの、拒否権のない圧力。しかし、それは同時に、蓮の野望を叶えるための、またとない好機でもあった。


(……なるほどな)


 蓮は、この理不尽な政治的圧力を、もはや不快とは感じていなかった。むしろ、好機だとすら思っていた。自らの実力だけでこじ開けるには、あまりに時間のかかる扉。それを、国家権力が目の前に用意してくれているのだ。これを利用しない手はない。


「……理解しました。これほどの機会をいただけるのでしたら、謹んでお受けいたします」


 蓮がそう答えると、北条は「ええ、そうこなくっちゃ」と満足げに頷いた。その表情は、先ほどまでの官僚的なものではなく、どこか共犯者のような響きを帯びていた。


「賢明なご判断です。では、早速手続きを進めさせていただきますね。きっと、数日中には、貴殿にふさわしい素晴らしいお知らせができると思いますわ」


 通信が切れた後、蓮はしばらくの間、暗い画面を見つめていた。国家による、巧妙に隠された強制。自由意志などという甘やかな幻想は、この国ではとっくに意味を失っている。だが、そんなことはどうでもよかった。


 重要なのは、システムに支配されるのではなく、システムを支配し、利用することだ。


 蓮は、自らのタブレットを操作し、送られてきた登録フォームに、淡々と、しかし正確に情報を入力していく。それは、社会の駒として登録される行為ではない。新たなゲーム盤に、自らの駒を置くための、儀式だった。


 数日後。大学の講義を終えて寮の自室に戻った蓮のもとに、北条から1通のメッセージが届いた。ファイルが添付されている。


『早速ですが、素晴らしいご縁がありましたので、ご案内いたします』


 蓮は、期待と冷徹な計算をない交ぜにしながら、そのファイルを開いた。


 そこに表示されていたのは、1人の女性のプロフィールだった。


九条院くじょういん みやび

『年齢:18歳』

『所属:鳳華女子大学 1年』


 その名前を見た瞬間、蓮は息を呑んだ。


 九条院家――この九州、特に福岡県内では、時折その名を耳にする旧家の名前だ。戦前の華族制度の名残を今に伝える、地方の名門。蓮が調べた限り、その1族は地元の政財界に深く根を張る旧来の権力者であり、ダンジョン出現後の新興勢力とは1線を画す存在らしかった。


 そういえば、と蓮は思い出す。旧華族や旧財閥といった伝統的支配層は、当初こそダンジョン攻略で成り上がった新興勢力を「品のない成金」と見下していたという。


 だが、賢明な家系はすぐにその重要性を認識した。そして、有望な制圧士と政略結婚を結ぶことで、新たな時代の権力構造にも巧みに食い込んでいるのだと。


(……偶然、か? にしては、あまりに都合が良すぎる)


 単なるAIのマッチングにしては、出来過ぎているように思えた。北条、あるいはその背後にいる国家の、何らかの意図が働いているのかもしれない。俺という「召喚師」の才能を、旧家の権威と結びつけ、より強固な国家の駒として育成しようという狙いだろうか。


 確証はない。


 だが、それがどうしたというのだ。偶然手に入れた『召喚師』というジョブがなければ、決して得られなかったであろう旧家との縁だ。この絶好の機会を最大限に利用しなくては、それこそ才能の無駄遣いというものだろう。


 蓮の口元に、これまでで最も深く、そして最も愉悦に満ちた笑みが刻まれた。


「面白い。実に、面白いじゃないか」


 これは、俺の野望を叶えるための、最高の舞台だ。


 神谷蓮の物語は、今、彼自身の思惑と、国家という巨大なシステムの思惑が交差する、新たなステージへと突入しようとしていた。


 ふと、蓮の脳裏に、数日前の記憶が鮮やかに蘇った。


 慣れないワンピースの裾を気にしながら、はにかんだように笑った葵の顔。映画に夢中になる無防備な横顔。共有キッチンで湯気の立つ焼きうどんを頬張りながら、楽しそうに細められた目。


 どれも、彼が仕掛けたゲームの結果であるはずなのに、その思い出は驚くほど純粋な温かさをもって、胸の奥を満たしていた。その温もりを、これから自らの手で裏切ることになるのか。一瞬、ちくりとした罪悪感が胸を刺す。


 だが、その感傷は、すぐに別の、もっと強烈な欲望の熱によって焼き尽くされた。


(だが、それでも――欲しい)


 九条院雅。その名前が持つ響き、プロフィール写真で見た気品あふれる姿。まだ見ぬその女を、手に入れ、屈服させたい。葵との穏やかな日常では決して満たされることのない、どす黒い渇きが、体の芯から彼を突き動かしていた。


(まったく、俺という男はどうしようもない。1つの温もりを手に入れたそばから、もう次の獲物を欲しがっている。本当に、救いようのない業病だな)


 蓮は自嘲するように、しかし、その口元には愉悦の笑みを浮かべていた。


(まあ、いい。言い訳はいくらでも立つ)


 あの女は、俺との「共犯関係」という名の心地よい檻から、もう逃れることはできないのだから。


 蓮は、これから始まる新たなゲームと、手駒の反応を想像し、再び静かに笑みを深めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ