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束の間の休息


 大学のカフェテリアで昼食を取っていた時のことだった。隣のテーブルから、女子学生たちの楽しげな声が聞こえてくる。


「ねえねえ、今度デートなんだけど、どんな服着てけばいいかな?」


「『#彼好みコーデ』タグ検索してみたら? めっちゃ参考になるよ」


「あ、それいいね! 私も前にそれで調べて、清楚系のワンピース着てったら、すごく喜んでもらえた」


「いいなぁ。私なんて、ちょっと気を抜いてパンツスタイルで行っちゃって、反応微妙だったもん」


「あー、それは厳しいよ。やっぱり相手が喜ぶ方に寄せてあげないと」


「だよね。次はちゃんと可愛い系で行く! 今度こそ気に入ってもらえるようにする!」


 明るく、前向きな口調。彼女たちにとって、それは義務でも苦痛でもなく、ごく自然な努力のようだった。


 蓮は、その会話を聞き流しながら、この社会の「当たり前」を改めて確認する。女性が男性の好みに合わせることを、誰も強制していない。ただ、それが「気の利く女性」の証とされ、多くの女性が当然のこととして、むしろ楽しみながらそうしている。


(面白い社会だ。誰も命令していないのに、皆が自発的にそう動く)


* * *


 蓮と葵は、以前と変わらぬペースでダンジョン活動を続けていた。レベルが12に到達したこともあり、戦闘にも余裕が生まれ、第二階層の攻略はもはや安定した「作業」となりつつある。


 その日の探索を終え、ゲートタワーから寮へと続く道を歩きながら、蓮は不意に足を止めた。


「葵。次の休日だが、予定は空いているか?」


「特にないけれど。それがどうかしたの?」


 不思議そうに小首を傾げる葵に、蓮は真っ直ぐな視線を向けた。


「気分転換に、どこかへ出かけないか」


 回りくどい言い方は、彼らしくなかった。そのあまりにストレートな誘いに、葵は一瞬、意図を測りかねて目を瞬かせる。そして、少しからかうような色を瞳に浮かべて、口の端を吊り上げた。


「あら、デートのお誘い?」


 試すような問いかけ。普段の蓮であれば、ここで何かと理由をつけてはぐらかすはずだった。しかし。


「そうだ」


 返ってきたのは、迷いのない肯定。その短い一言が、葵の予想を打ち砕く。彼女は「え」と小さく声を漏らし、今度こそ本当に動揺したように頬を微かに赤らめた。


「……仕方ないわね。指揮官殿のコンディション管理も、パートナーの務めだもの。付き合ってあげなくもないわ」


 ぶっきらぼうな許可を与えながらも、その声はわずかに上ずっている。そんな彼女の反応に満足し、蓮が再び歩き出そうとした、その時だった。


「……それで、その、気分転換の件だけど」


 今度は葵が、少しだけ躊躇いがちに蓮を呼び止めた。蓮が視線を向けると、彼女はわずかに顔を逸らし、夕暮れの光に照らされた横顔を見せている。


「あなたの好きな服って、どういうの?」


 そのストレートな問いに、蓮は一瞬、言葉に詰まった。普段の彼女であれば、もっと遠回しな言い方をしたり、軽口に混ぜ込んだりして、本心を煙に巻くはずだ。それが彼女のスタイルであり、彼女なりの処世術なのだと、蓮は理解していた。


 だからこそ、この直球の質問は、彼の胸を小さく突いた。視線を逸らしたままの彼女の耳が、夕日のせいだけではない赤みを帯びていることに気づき、蓮の口元に自然と笑みが浮かぶ。


(なるほど。そういうことか)


 あの夜のキス以来、二人の間には共犯者としての信頼関係に加え、何か別の、もっと甘やかな空気が流れ始めている。その変化を、彼女自身も感じているのだろう。そして、その変化に戸惑いながらも、一歩踏み出そうとしている。


 その健気さが、蓮にはたまらなく愛おしく思えた。彼はわざと少し考えるふりをしてから、口を開く。


「そうだな……。俺は、清楚で上品な服装が好きだ。この社会の男なら、誰もが好むような、ありきたりなスタイルだよ」


「……具体的に言いなさいよ」


 ぶっきらぼうな口調で返すが、その声には隠しきれない期待が滲んでいる。蓮は楽しそうに目を細めた。


「例えば、そうだな。少し華やかなワンピースとか。お前なら、きっと似合うだろ」


「……っ」


 葵が息を呑むのが、隣にいて分かった。彼女は何も言わずに、ぷいと顔をそむけてしまう。その反応だけで、蓮には十分だった。


「参考に、してあげるわ。……勘違いしないでよね。あなたが指揮官なんだから、隣を歩く私がみっともない格好をしていたら、あなたの沽券に関わるでしょ」


 早口でそう付け加える彼女の照れ隠しに、蓮は声を出して笑った。夕暮れの道に、彼の楽しそうな笑い声と、それに紛れるような彼女の小さなため息が溶けていく。それは、戦場での緊張感とは無縁の、穏やかで満たされた時間だった。


* * *


 そして、約束の休日。


 待ち合わせ場所に指定したのは、キャンパスタウンの商業エリアにあるシネマコンプレックス前だった。


 第四防大の敷地は高い防壁で市街地と完全に隔てられており、学生たちの多くは週末をこの管理された箱庭の中で過ごす。映画館、ショッピングモール、レストラン街――娯楽施設は一通り揃っているが、行き交う人々は見知った制服の防大生か、彼らに連れ添う聖アレイアの女子学生ばかりだ。


 綺麗に舗装された道、等間隔に植えられた街路樹、近代的なデザインで統一された建物群。すべてが計画的で、整然としている。


 映画館前の広場には、何組ものカップルがいた。


 ある女性は男性の腕に軽く手を添えて、楽しそうに話しかけている。男性が笑えば、女性も嬉しそうに笑う。別の女性はスマートフォンを取り出して「これ、タイムラインでよく流れてくるんです」と画面を見せている。男性が「じゃあそれにするか」と言うと、女性は満足そうに頷いた。


 そんな光景の中、待ち合わせ場所に葵が現れた。


「お待たせ」


 軽く手を振りながら近づいてくる彼女の姿に、蓮は思わず目を見張った。


 いつもは社会の求める女性らしさに反発するかのように機能的なパンツスタイルを好み、初めてのデートではこちらの覚悟を試すような挑発的なミニスカート姿で現れた彼女が、今日は蓮が言った通りの、淡いブルーのワンピースを身にまとっていた。


(あの時の、全てを見透かしたような挑戦的な瞳とは違う。俺の言葉を素直に受け入れ、少しだけ不安そうにこちらを伺う、無防備な姿――)


 そのギャップが、以前とは比較にならないほど、蓮の心を強く揺さぶった。


 風にふわりと揺れるスカートが、彼女のしなやかな脚のラインを際立たせる。普段は下ろしていることが多い濃青の髪も、今日はサイドで軽く編み込まれており、いつもより少しだけ大人びて見えた。その姿は、蓮の想像をはるかに超えて、魅力的だった。


「……どうかしら。あなたの言った通りにしてみたけど……変じゃない?」


 自分のスカートの裾を落ち着きなく指でいじりながら、少し不安そうな、それでいて挑戦的な光を宿した瞳で、葵が蓮を見つめる。蓮は感嘆のため息を隠さず、素直な言葉を口にした。


「ああ。最高だ」


「そ、それは良かったわね」


 満足そうに頷く蓮を見て、葵は安堵したようにふっと表情を和らげ、嬉しそうに微笑んだ。その笑顔は、普段の彼女が見せる皮肉めいた笑みとは全く違う、年相応の少女の、素直で可愛らしい笑顔だった。


 二人が向かったのは、繁華街にあるシネマコンプレックスだった。最新のアクション映画を観ることにした。ダンジョンでの戦闘とは違う、完全にエンターテイメントとして作り込まれたアクションは、純粋に心を躍らせるものがあった。


 隣に座る葵は、スクリーンに映し出される派手な爆発シーンや、主人公の華麗な体術に、目を輝かせて夢中になっている。時折、驚いたように小さく肩を揺らしたり、ポップコーンを頬張ったりする姿は、普段のクールな彼女からは想像もつかないほど無防備で、愛らしい。


 映画が終わり、外に出ると、すっかり夜の帳が下りていた。並んで歩く帰り道、どちらからともなく、互いの感想を言い合う。


「あの主人公、身体能力が高すぎないかしら」


「まあ、映画だからな。だが、あの状況判断は参考になる部分もあった」


 そんな他愛ない会話を交わしながら、二人の間には穏やかな空気が流れていた。寮の近くまで来たとき、蓮がふと足を止めた。


 不思議そうに振り返る葵に、彼は何も言わない。ただ、そっと手を伸ばすと、今日の日のために編み込まれたサイドの髪に、慈しむように触れた。指先が不意に頬を掠め、葵は小さく息を呑む。頬をほんのりと赤らめると、蓮から視線を逸らして俯いてしまった。


「……なによ」


「……いや、今日は楽しかったなと思って」


「……そう」


 小さな、拗ねたような声。しかし、その横顔には、隠しきれない喜びが垣間見えた。その姿に、蓮は再び、どうしようもないほどの愛おしさを感じる。


 この関係は、どこまでが計算で、どこからが本心なのか。そんな問いは、今はもう、どうでもいいことのように思えた。


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