表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/20

召喚師という希少な才能

 適性が発現したその日の放課後、蓮は担任教師に呼び出され、西日で温められた埃と古い紙の匂いが混じり合う進路指導室にいた。


 名目は「適性発現に伴う特別進路面談」だ。


「やあ神谷、待っていたよ。まあ、座りなさい」


 担任は、人の良さそうな笑顔で蓮を迎えた。


 昼間の喧騒の中とは違う、親身な指導者の顔だ。


「改めて、適性発現おめでとう。先生も自分のことのように嬉しいよ」


 担任は一度微笑むと、続けた。


「さて、今後の進路だが……もちろん、最終的にどうするかは君自身が決めることだ」


 担任はそう前置きすると、一度言葉を切って、諭すように続けた。


「ごく稀にだが、適性者の中には、ダンジョン制圧士とは全く別の道を選ぶ者もいる。もちろん、それも一つの生き方だ」


 担任は一度視線を落とし、少し言葉を選ぶように続けた。


「……まあ、国家への貢献を期待される立場でありながら、その責務を放棄した者として、社会から厳しい目で見られることは覚悟しなければならないがね」


 担任は「ははは」と軽く笑うと、安心させるように蓮の顔を見た。


 その笑顔には、教え子を慮る温かさがあった。


「だが、君のようなやつが、わざわざそんな(いばら)の道を選ぶことはないと先生は信じているよ。君の力は、多くの人々を守るために使ってこそ輝くものだからな」


 担任は一度視線を落とすと、わずかに声のトーンを落とした。


「もちろん、ダンジョン制圧士という職業が、決して楽なものではないことも理解している。昨年も、全国で約1000名の制圧士が殉職(じゅんしょく)されたと聞く」


 担任は重い事実を述べた後、すぐに前向きな言葉で続けた。


「だが、40年前に比べれば、死亡率は大幅に低下している。マニュアルも整備され、安全管理体制も確立されている。正しい訓練を受け、慎重に行動すれば、大きなリスクは避けられるはずだ」


 担任は再び顔を上げ、蓮を真っ直ぐに見た。


「君なら、きっと大丈夫だ。先生は信じているよ」


 彼はそう言うと、テーブルの上にいくつかのパンフレットを広げた。


 それは『国立ダンジョン防衛大学校(ぼうえいだいがっこう)』を筆頭に、適性者のための教育機関のものばかりだった。


「というわけで、こちらが制圧士としての主なキャリアパスになる」


 担任は並べたパンフレットを指でなぞりながら説明した。


「国家の中枢を担うエリートを目指す防衛大。現場の即戦力を育成する専門学校。あるいは、進学せずに民間企業で腕を磨く道もある。君なら、どの道を選んでもきっと大成できるだろう」


 説明を終えると、担任は穏やかな口調で締めくくった。


「まあ、今ここで焦って決める必要はないさ。まずは市の行政施設で、専門のカウンセラーに相談してみるといい。君にとって最善の道が自ずと見えてくるはずだから」


* * *


 後日、蓮は一人で市の行政施設へ赴いた。


 消毒液の匂いがわずかに残る、無機質な白で統一された廊下。いかにも役所といった、個人の感情が入り込む隙を与えない空間で、全ての適性者が義務付けられている「適性者登録」に臨んだ。


 受付を済ませると、蓮は奥の個室スペースと案内された。


 そこで待っていたのは、白衣を着た理知的な雰囲気の女性だった。胸元のプレートには「カウンセラー」と記されている。


「はじめまして、神谷蓮さん。ここでカウンセラーをしています、佐藤と申します。どうぞ、お座りください」


 女性は柔らかな、しかし感情の読めない声で蓮を促した。


 蓮が着席するのを確認すると、彼女は続けた。


「今日はまず、あなたの適性者情報を正式に登録する手続きを行います」


 女性は丁寧に説明を続けた。


「急に適性が発現して、戸惑うことも多いでしょう。手続きが済みましたら、改めてカウンセラーとして、あなたのジョブや今後の進路についてなど、いろいろと相談にも乗らせていただきますので、この場をうまく使ってくださいね」


 女性は一度、視線を柔らかくすると、付け加えた。


「それと……ダンジョン活動は、決して侮れるものではありません。毎年、全国で1000名ほどの制圧士が殉職されています」


 女性の声には、わずかに心配の響きが滲んだ。


「ですから、これから教習所に通われる際は、どうか真剣に取り組んでくださいね」


 事務的でありながらも、どこか母親のような心配の響きを含んだ一言だった。


「では、まずはあなたの適性者としての正式な登録手続きを済ませましょう。最初に、こちらにご署名をいただけますか?」


 彼女はそう説明すると、『能力に関する真実申告の誓約書』という物々しい表題が記された書類を蓮の前に差し出した。


 その下には、国家への虚偽申告が反逆行為に準ずる重罪であることが、冷たい明朝体で記されていた。


 蓮はそれに臆することなくサインを終えると、カウンセラーが口を開いた。


「ありがとうございます。では続いて、ご自身のステータスカードを、こちらの認証プレートの上にご提示ください」


 蓮は無言で頷くと、右手を軽く掲げ、意識を集中させた。


 何もない空間に、淡い光の粒子が集まり、一枚の半透明なカードの形を成していく。


 カードには、彼の名前『神谷 蓮』と共に、いくつかの情報が記されていた。


 蓮がそのステータスカードをプレートの上に置くと、カウンセラーの目の前にあるモニターに、その情報が即座に表示された。


 カウンセラーは、モニターに目を落とした。


 最初の数秒は、いつも通りの事務的な確認作業のはずだった。だが、『ジョブ』の欄に目が行った瞬間、彼女の動きが止まった。


 目を細め、もう一度その文字列を確認する。


 まるで自分の目を疑うように。そして、わずかに息を呑む音が聞こえた。


 カウンセラーは、そこに表示された文字列に目を通した瞬間、プロフェッショナルな表情を崩さないまま、ほんのわずかに目を見開いた。


 彼女の手が、無意識にペンを握りしめている。


「……ジョブ、『召喚師』……」


 その呟きは、ほとんど吐息に近かった。


 彼女は一度、ごくりと喉を鳴らすと、すぐに冷静さを取り戻し、努めて事務的な声を作って蓮に告げた。


「神谷さん……これは、適性者の9割以上が発現する『基本30種』にはない、レアジョブですね」


 彼女は冷静を装いながらも、微かに声を震わせて続けた。


「規定により、このような希少(・・)ジョブが確認された場合、全適正者情報を保持しているデータベースの記録と照合するとともに、責任者への報告が義務付けられております。大変申し訳ありませんが、責任者を呼んでまいりますので、少々お待ちいただけますか」


 そう言うと、彼女は足早に席を立ち、セキュリティゲートの奥へと消えていった。


 ――聞き覚えのないジョブだと思っていたが、やはりレアジョブだったか


 蓮は、待合用の硬い椅子に深く腰掛け、まるで高級レストランで前菜を待つかのように、落ち着き払ってその時を待っていた。


 待合室の壁に目を向けると、適性者向けの啓発ポスターが何枚も貼られていた。


『ダンジョン活動 五つの鉄則』

『装備点検は命を守る 出発前の確認を怠るな』

『撤退基準を明確に 無理な行動が死を招く』


 その隣には、殉職した制圧士たちの追悼プレートが掲げられていた。年度ごとに刻まれた名前の数は、数百を超える。蓮はそれを無表情で眺めた。


(――年間1000人か。統計上は、交通事故死よりやや多い程度。40年前の10分の1以下だ。だが、それでも死ぬやつは死ぬ。運と準備、そして実力。それが全てを分ける)


 数分後、戻ってきたカウンセラーの様子は、明らかに変わっていた。


 彼女の後ろには、いかにも管理職といった風情の、50代ほどの落ち着いた男性が立っている。


 カウンセラーは蓮の前に立つと、深々と頭を下げた。その動きは、先ほどまでの彼女にはなかった、硬質な緊張に満ちていた。


「お待たせいたしました、神谷さん。確認が、取れました」


 その声は、微かに震えている。


 彼女に代わり、後ろに控えていた上司と思しき男性が、穏やかながらも重みのある声で口を開いた。


「神谷蓮君だね。私がここの責任者をしている、課長の三島(みしま)だ」


 三島は蓮の顔をじっと見つめた。


 その視線は、まるで骨董品を鑑定する専門家のように、値踏みするような色を帯びていた。


 数秒の沈黙の後、彼はゆっくりと口を開いた。


「……単刀直入に言おう。君が持つジョブ『召喚師』は、日本において、過去に7例しか確認されていない、極めて希少なものだ」


 三島と名乗った男の目は、探るように、そして値踏みするように、蓮を真っ直ぐに見つめている。


「そして、その7名は例外なく、現在も第一線で活躍している。……君は、8人目(・・・)になるかもしれん」


 その言葉には、過剰な賛辞はない。だが、事実だけが持つ重みが、静かに空間を支配していた。


「国としても、君のような希少な才能を持つ若者には、大きな期待を寄せている。今後の君の成長に、我々も注目していくことになるだろう」


 その言葉を受け、課長の三島は、今度はリクルーターのような熱意を込めた目で蓮を見た。


「そこで、だ、神谷君。君のような希少な才能を国家として最大限に支援するため、我々としては、ダンジョン防衛大学校への進学を強く推奨したい。特にこの地域からであれば、第四防大(だいよんぼうだい)が最も現実的な選択肢となるだろう。あそこには、希少ジョブを持つ学生の育成データが、他の機関とは比較にならないほど集積されている。君の才能を伸ばす上で、最も合理的な環境だと考えている」


 その言葉に、蓮は僅かに口の端を上げた。まるで、その提案をずっと待っていたかのように。


(――やはりな。希少ジョブとなれば、国家が放っておくはずがない。彼らの期待は、俺にとっては最高の追い風だ。この『召喚師』というレアリティは、単なる戦闘能力以上の価値を持つ。社会的な信用、期待、そして優遇。全てが、俺の望む道を後押ししてくれる)


「お話、感謝します。やはり、それが最善の道だと確信しました。第四防衛大学校、受験させていただきます」


 蓮の迷いのない言葉に、課長の三島は満足げに頷いた。


「賢明な判断だ。だが、勘違いしないでくれたまえ。我々ができるのはあくまで『推奨』までだ。大学への推薦制度は存在しない。君自身の実力で、入学試験を突破してもらう必要がある」


「承知しています」


「試験は筆記、実技、そして面接だ。君の『召喚師』というジョブは、実技試験や面接において有利に働くことは間違いないだろう。だが、合格を保証するものではない。毎年、全国から君のような才能が集まってくるからな」


 三島の言葉は、期待と同時に、現実の厳しさを伝えるものだった。しかし、蓮の表情は変わらない。


「問題ありません。必ず、合格してみせます」


 その自信に満ちた答えに、三島は感心したように、それでいて面白いものを見るような笑みを浮かべた。


「その意気だ。期待している。健闘を祈っているよ」


* * *


 決意を固めた彼は、まず全ての適性者が通る道である「第三種(だいさんしゅ)ダンジョン制圧士」の資格――それはダンジョンでの活動許可証であると同時に、国家への奉仕という名の義務(・・)を課せられる、ある種の呪われた資格でもあった――を取得するため、指定の教習所に通い始めた。


 そこには、国家が管理する特殊なシミュレーションルームが備え付けられている。本来、ダンジョン外ではほとんど発現しない適性者の能力を、限定的に行使できる空間だ。蓮もそこで初めて、自らのジョブ『召喚師』としての戦いの基礎と、その本質的な能力の一端に触れることになった。


 初めてシミュレーションルームに入った時、教官に促され、蓮は意識を集中させた。左手の紋章が淡く光を放つ。召喚――。その瞬間、空間が(ゆが)み、淡い光の粒子が集まって形を成す。黒い毛並みを持つ小型の狼、スモールウルフ。召喚獣が、蓮の意思に応じて現れた。


「……召喚師、か」


 教官が、わずかに目を見開いた。その視線は、召喚獣から蓮へと移る。


「噂には聞いていたが……まさか、本当にこの教習所に来るとはな」


 教官は感心したように息を吐くと、蓮に向き直った。


「よし、神谷。その召喚獣で、このゴブリンを相手にしてもらう。どう戦うか、見せてみろ」


 その声には、明らかな期待が込められていた。


 教習所のカリキュラムは、実際のダンジョンに入る前に最低限の技能と知識を身につけるためのものである。


 座学では、過去の事故事例を基にした安全管理講習が繰り返され、装備の点検方法、撤退基準の設定、パーティ内での連携の重要性が叩き込まれた。


 実技では、シミュレーションルーム内で低ランクのモンスターを相手に、基本的な戦闘技術を習得する。教官たちは口を酸っぱくして「準備を怠った者から死ぬ」「無理をした者から死ぬ」と繰り返した。


 「第三種ダンジョン制圧士」の資格は、運転免許のように定められた課程を修了すれば誰でも取得できる程度のものだ。


 だが、それは「誰でも簡単に取れる」という意味ではなく、「国家が定めた最低限の基準を満たせば」という意味だった。


 その基準は、ダンジョンでの生存率を高めるために、40年の歴史の中で洗練され続けてきたものだ。蓮にとって、そのカリキュラムは特段難しいものではなかったが、教官たちが繰り返す警告の数々は、この資格が単なる形式的なものではないことを物語っていた。


 だが当然、蓮がその資格を取り損なうはずもなかった。


 そして迎えた防大入学試験。筆記は危なげなく通過した。


 実技試験は、教習所と同じくシミュレーションルームでの模擬戦闘形式で行われた。


 受験生は一度に5人ずつ入室し、それぞれ個別のエリアで与えられた課題に挑む。


 蓮の番が回ってきたとき、試験官たちが控える観察室のモニターには、既に数名の受験生の戦闘が映し出されていた。


「では、開始してください」


 淡々とした試験官の声と共に、蓮の前に1体のゴブリンが出現した。カテゴリ1の、最も基本的なモンスター。教習所で何度も相手にした敵だ。


 蓮は左手を軽く掲げ、意識を集中させた。召喚――。


 空間が歪み、淡い光の粒子が形を成す。黒い毛並みを持つ小型の狼、スモールウルフが一体、蓮の前に現れた。


 ゴブリンが棍棒を振り上げて突進してくる。だが、スモールウルフは蓮の指示を待たず、その動きを見切って一瞬で間合いを詰めると、鋭い牙でゴブリンの喉元に食いついた。ゴブリンが霧散(むさん)する。


 戦闘終了から数秒。次の課題が告げられる間もなく、2体目のゴブリンが出現した。


 今度は蓮が右手を掲げる。別の光の粒子が集まり、鈍重な土色の人形、クレイゴーレムが姿を現した。今度は二体の召喚獣を同時に従える形だ。


 ゴブリンが再び棍棒を振り上げて突進してくるが、クレイゴーレムが前に出て壁となり、その攻撃を正面から受け止める。ゴブリンの棍棒がクレイゴーレムの肩を砕くが、それで動きが止まる。その隙にスモールウルフが背後に回り込み、2体目にとどめを刺した。


 そして3体目。今度は最初からスモールウルフとクレイゴーレムの二体が、まるで手足のように連携して動く。クレイゴーレムがゴブリンの注意を引きつけ、その脇をスモールウルフが駆け抜けて急所を喰い破る。


 試験開始から1分足らずで、3体全てが消滅した。蓮自身は一歩も動いていない。


 観察室では、試験官の一人が思わず身を乗り出していた。


「……召喚師。噂には聞いていたが、実物を見るのは初めてだ。しかも……」


 別の試験官が、モニターを凝視しながら続ける。


「指示を出していない。召喚獣が自律的に連携している。これは……」


「他の受験生と比較してみろ」


 モニターを切り替えると、別のエリアで戦う受験生の姿が映し出された。剣士ジョブの男子学生が、1体のゴブリンを相手に必死で剣を振るっている。動きは悪くない。だが、まだ1体目を倒し終えたばかりで、息を整えているところだ。


「……戦術眼だな。召喚獣をどう配置し、どう動かすか。全体を俯瞰(ふかん)する視点がある」


 年配の試験官が、静かに呟いた。


「希少ジョブの所有者というだけではない。こいつは……」


 蓮は、自分が観察されていることなど気にする素振りもなく、次の課題を待っていた。二体の召喚獣を従え、涼しい顔で立つその姿が、かえって彼の自信を物語っていた。


 合格は、当然の結果だった。合格票に記された評価は満点ではなかったが、彼の野望の入口に立つための切符としては、それで十分すぎるほどだった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ