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男の特権、女の現実


 武具店フロアを一通り見て回った後、蓮と葵はゲートタワーのロビーに戻ってきた。


 ダンジョン活動と、その後の長い散策。さすがに疲労が身体に残っている。蓮は首を軽く回しながら、広いロビーを見渡した。


 その時、視界の隅に重厚な木製のドアが目に入った。間接照明に照らされた落ち着いた雰囲気。その脇には「制圧士リフレッシュルーム」と書かれた案内板が立っている。入口の前には、清楚な制服を着た女性スタッフが一人、姿勢よく立っていた。


「あれ、気になる?」


 蓮の視線を追って、葵が声をかけてきた。


「ああ。防大生でも使えるらしいな」


「残念だけど、私は使えないわよ」


 葵は肩をすくめた。


「あそこは男性専用だから」


 その言葉は、淡々としていた。怒りでも、皮肉でもない。ただ事実を述べただけ、という口調だった。


「試しに寄ってみるか」


 蓮がそう言うと、葵は少しだけ眉を上げた。


「いいわよ。私はそこで待ってる」


 彼女が指差したのは、ロビーの一角にある一般休憩スペースだった。プラスチックのベンチと自販機。リフレッシュルームの入口とは、あまりにも対照的な空間。


 二人はリフレッシュルームの入口へ向かった。スタッフが二人の姿を認めると、深々と頭を下げた。


「いらっしゃいませ。ステータスカードをご提示ください」


 蓮がカードを見せると、スタッフは丁寧に確認し、満面の笑みを浮かべた。


「神谷様、ようこそお越しくださいました。どうぞ中へ」


 そして、葵に視線を移す。その瞬間、スタッフの表情がわずかに変わった。申し訳なさそうな、しかし揺るぎない笑顔。


「恐れ入りますが、こちらの施設は男性制圧士様専用となっております」


「わかってるわ。気にしないで」


 葵は何も言わず、軽く手を振った。そして踵を返し、一般休憩スペースへと歩いていく。


 蓮はその後ろ姿を一瞬だけ見送った。彼女の表情は穏やかだったが、その瞳の奥に、一瞬だけ冷たい光が走ったのを見逃さなかった。


* * *


 施設の中は、外の喧騒とは別世界だった。


 間接照明に照らされた落ち着いた空間。革張りのソファ、無料のコーヒーサーバー、そして待機している数人の女性スタッフ。壁には観葉植物が配置され、ほんのりとアロマの香りが漂っている。


 受付で簡単な説明を受けた後、蓮は奥の個室へと案内された。


「本日担当させていただきます、佐々木と申します」


 蓮の担当は、穏やかな笑顔を浮かべた20代半ばの女性だった。化粧は控えめで、清潔感のある印象。彼女は蓮をリクライニングチェアに案内し、その横に膝をついた。


「ダンジョン活動、お疲れ様でございました。どのあたりがお辛いですか?」


「肩と腰だな」


「かしこまりました」


 彼女の手が蓮の肩に触れる。その手つきは、確かな技術と、長年の訓練を感じさせるものだった。


「神谷様は、防衛大学校の学生さんでいらっしゃるんですね」


「ああ、1年だ」


「まあ……。お若いのに、もうダンジョンに入られているんですね。本当に、頭が下がります」


 その言葉には、純粋な敬意が込められていた。蓮は少し興味を覚え、会話を続けることにした。


「君は、ここで働いて長いのか?」


「はい、3年になります。専門学校を出てすぐに」


「どうしてこの仕事を?」


 佐々木は少し恥ずかしそうに微笑んだ。


「実は、父がダンジョン関連の会社で働いていまして。小さい頃から、制圧士の方々のお話をよく聞いていたんです。私たちの暮らしが守られているのは、あの方々のおかげなんだって」


 彼女の手は、蓮の肩を丁寧にほぐし続けている。


「私には、ダンジョンで戦う力なんてありません。適性検査も、もちろん『なし』でした。まあ、ほとんどの人がそうですから、当たり前なんですけど」


 彼女は淡々とそう言った。そこには「なれなかった」という悔しさは微塵もなかった。最初から、自分はそちら側の人間ではないという、当然の認識。


「でも、戦ってくださる方々を支えることはできる。この仕事を見つけた時、これだって思ったんです。私にもできる、国への貢献の形だって」


「この仕事、楽しいのか?」


 蓮がふと尋ねると、佐々木の顔がぱっと輝いた。


「はい、本当に」


 その返答には、社交辞令ではない熱がこもっていた。


「お客様が、疲れた顔で入ってこられて……。施術が終わった後、すっきりした笑顔で『ありがとう』って言ってくださるんです。あの瞬間が、本当に嬉しくて」


 彼女の手は、蓮の肩を丁寧にほぐし続けている。


「私たち女性には、男性にはできない細やかな気配りができると思うんです。どこが辛いのか、何を求めているのか。言葉にされなくても、察してあげられる。……そういう力で、国を守ってくださっている方々を癒してあげられるのが、何より嬉しいんです」


 蓮は黙って聞いていた。


「男性って、弱音を吐けないじゃないですか。特に制圧士の方は、いつも強くあらなきゃいけない。だから、せめてここでは、肩の力を抜いてほしいんです。私たちに甘えてくださっていいんですよ、って」


 彼女は恥ずかしそうに笑った。


「……すみません、熱くなっちゃって。でも、本当にやりがいがあるんです。お客様に尽くすことで、間接的に国に貢献できている気がして」


(男性に尽くすことが、国への貢献。……見事な価値観の内面化だ)


 蓮は内心で感心しながら、別の角度から問いかけた。


「同期の友達も、似たような仕事に就いているのか?」


「はい。接客サービス科だったので、みんな似たような感じです。ここみたいな施設のスタッフとか、デパートの受付とか、秘書とか。……でも、最近は辞めていく子も多くて」


「辞めるのか」


「はい。結婚したり、彼氏の転勤についていったり。普通ですよね、女性は」


 佐々木は当然のようにそう言った。


(この国では、女性の大半がこうした単純労働に従事している。接客、受付、サービス業。数年働いて、結婚したら辞める。それが「普通」のルートだ)


 蓮は彼女の手の動きを感じながら、冷静に分析を続けた。


(ダンジョンの発生以降、この国は少子化の影響をほとんど受けていない。若い女性はいくらでもいる。だから、彼女たちは安い賃金でこうした仕事をこなし、数年で入れ替わっていく。……労働力として、実に都合のいいシステムだ)


「あなたはどうなんですか?」


 蓮がさりげなく尋ねると、佐々木は少し頬を染めた。


「実は……来年、結婚するんです」


「へえ」


「彼は、普通の会社員なんですけど」


 彼女は照れくさそうに笑った。


「同じ町内で育った幼馴染で。高校を出てから、ずっとお付き合いしていて。……ようやく、って感じです」


 蓮は、彼女の表情を見た。そこには、素朴で穏やかな幸福感があった。


「結婚したら、この仕事は辞めるのか?」


「そうですね……。彼は、続けてもいいって言ってくれてるんですけど。でも、子供ができたら、やっぱりお家にいたいなって思います。彼を支えて、子供を育てて。それが、私の夢なんです」


 彼女の声は、夢見るように柔らかかった。


「母もそうでした。父が仕事から帰ってくると、いつも笑顔で『おかえり』って言って、温かいご飯を用意して。私も、そういう奥さんになりたいなって、ずっと思っていたんです」


 蓮は目を閉じ、彼女の奉仕を受けながら考えていた。


(これが、この世界の「普通の女性」か。男性に尽くすことが喜び。結婚したら家庭に入る。それが「普通の幸せ」。……そして誰も、自分が搾取されているとは思っていない)


「お客様、いかがですか? 力加減は大丈夫でしょうか?」


 佐々木の声が、蓮の思考を中断させた。


「ああ、ちょうどいい」


「よかったです」


 彼女は本当に嬉しそうに微笑んだ。


「神谷様も、これからもお身体に気をつけて。私たちの平和は、あなた方のおかげなんですから」


* * *


 30分ほどして、蓮はリフレッシュルームを後にした。


 肩と腰の疲れはすっかり取れている。確かに、悪くないサービスだった。


(これが、男性制圧士の特権か)


 蓮は満足げに口元を緩めた。


 男であるというだけで、制圧士であるというだけで、女性スタッフが丁寧に奉仕してくれる。葵は入ることすら許されない施設で、自分は快適な時間を過ごした。


(この世界は、実に居心地がいい)


 ロビーを横切り、一般休憩スペースへ向かう。葵は、プラスチックのベンチに座って、スマートフォンを弄っていた。その背後には、蛍光灯の白い光。リフレッシュルームの間接照明とは、あまりにも対照的だった。


「待たせたな」


「別に」


 葵は立ち上がり、軽く伸びをした。


「どうだった?」


「悪くなかった。担当の人と、少し話した」


「どんな話?」


「来年結婚するらしい。幼馴染の会社員と。家庭に入って、夫を支えて、子供を育てる。それが夢だと言っていた」


 葵は一瞬、言葉を失った。


「……そう」


「あと、『男性に尽くすことが喜び』だとも言っていた。疲れた顔で来た客が、笑顔で帰っていくのを見るのが嬉しいんだと」


「……普通の人は、そういうものよ」


 葵の声は、どこか硬かった。


「私たちは、普通じゃないから」


 その言葉には、皮肉とも諦めともつかない響きがあった。


「さ、帰りましょ。明日も早いんだから」


 葵は先に歩き出した。


 蓮はその背中を見ながら、かすかに笑った。


(同じ女性でも、立場が違えば、価値観も生き方も全く違う。……この世界は、実に合理的にできている。そして俺は、その恩恵を受ける側にいる)


 今日、蓮は男性制圧士としての特権を存分に味わった。女性スタッフの丁寧な奉仕。葵が入れない施設での快適な時間。そのすべてが、自分の立場がもたらした当然の権利だ。


(この世界のルールを最大限に利用する。それが、俺の戦略だ)


 蓮は歩調を速め、葵に追いついた。


 二人は並んで、夕暮れのゲートタワーを後にした。



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