制圧士の現実
蓮は、狩りを続けながらふと考えていた。
なぜ、俺たちは――そして、この国に200万人もいる制圧士たちは、こうして命の危険を冒してまで、ダンジョンに潜り続けるのか。
答えは単純だ。潜らなければ、国が滅ぶからだ。
モンスターの大規模溢出現象――スタンピート。ダンジョン内に満ちる純粋なエネルギー量、すなわち「活性値」の総量が、一定の閾値を超えた時、それは起こる。
1度発生すれば、都市の1つや2つが容易に壊滅する。それは過去、何度も証明されてきた事実だ。
そして、この悲劇を防ぐ手段は、ただ1つ。ダンジョン内のモンスターを絶えず狩り続け、活性値の総量を閾値以下に抑え続けること。それだけだ。
ダンジョン内に跋扈するモンスターを「制圧」し、活性値を下げる。その重責を担うべくして生まれたのが、「ダンジョン制圧士」という国家資格であり、職業である。
ダンジョンへの適性は、17歳になると国民の約10人に1人という割合で、ある日突然発現する。国はその適性者1人ひとりを厳密にデータで管理し、彼らをダンジョンへと向かわせる。
全国に約60存在するダンジョンでは、今日こうしている間にも無数のモンスターが生まれ、活性値は上昇を続けている。それを抑制するため、現役の制圧士たちは日夜戦い続けているのだ。
20代から30代を中心に約200万人とも言われる制圧士の数は、それでもまだ足りないと国家は考えている。常に数の維持と拡大に余念がなく、そのための仕組みづくりは徹底している。
最も特異な点は、17歳で適性が判明した者のうち、約95%という極めて高い割合で、彼らがダンジョン制圧士としての道を選ぶという事実だろう。
各人、様々な思いはあろうと、死の危険が伴う職業への、この異常なまでの志願率。それは、政府による幼少期からの徹底した思想教育、メディアを動員したプロパガンダによる空気づくり、そして制圧士への手厚い優遇制度という飴。それらが複雑に絡み合った、必然の結果であった。
だが、志願制とはいえ、一度資格を取得すればそこで終わりではない。制圧士には、国家によって厳格な義務が課される。
週20時間以上のダンジョン活動、月間の討伐ノルマ――これらは、スタンピートという脅威から国民を守るための、絶対的な責務として定められている。
そして、この義務を怠った者に対する罰則は、容赦がない。まず優遇措置の全てが剥奪され、次に所得の大半を徴収する懲罰的な税が課される。
それでも従わなければ、最終的には無報酬での強制的な討伐任務への参加命令が下される。拒否すれば国家反逆罪。つまり、一度この資格を手にした者は、自らの意思で降りることは、事実上不可能なのだ。
彼らの活動が国家経済を圧迫しないのかという疑問も、答えはダンジョンの中にある。
魔石を始めとするダンジョンからのドロップアイテムが、新たな産業と巨大な富を生み出し、この歪な社会構造を支えているのだ。だからこそ、アイテムを持ち帰ることもまた、制圧士の重要な仕事の一つとされている。
数時間の狩りを終え、葵が満杯になったバックパックを背負い直しながら言った。
「……物理的な限界、ってところかしら」
蓮のバックパックも同様に、ずしりと重い。
蓮は頷き、周囲に散らばる未回収の素材に名残惜しそうな視線を向けた。倒したモンスターは光の粒子となって消え、剥ぎ取りの手間はかからない。
しかし、残された素材を運搬する手段は、己の体力だけだ。この「運搬問題」こそが、ポーターという専門職の存在意義を何よりも雄弁に物語っていた。
「ああ、ここまでだな。引き上げよう」
ゲートタワーに戻った2人は、光来市管轄の換金所へと向かった。
銀行の窓口のようなカウンターはいくつか並んでいたが、利用者の姿はまばらだった。企業や自治体に所属する制圧士は組織内で直接精算されるため、ここを訪れるのは、ほとんどが蓮たちのような学生だけなのだ。
「お疲れ様です。本日の換金ですね」
にこやかに迎えた若い女性職員に、蓮は頷いた。身分証明として自身の『第3種ダンジョン制圧士資格証』を提示する。
「ありがとうございます。……神谷蓮様ですね」
職員は資格証を認証端末に通し、本人情報に間違いがないことを確認すると、親しみやすい笑顔で問いかけた。
「この換金所を利用される方はほとんどが防衛大学校の学生さんなのですが、もしかして、お二人もそうですか?」
「はい、今年入学しました」
蓮が人当たりの良い笑みで応じると、職員は「あら、1年生なんですね」と納得したように頷いた。
「道理で、初めてお見かけするはずですね。本日は、パーティを代表して、お二人で?」
「いえ、パーティは、この2人だけです」
葵が答えると、職員は一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに笑顔で「承知いたしました」と頷き、カウンターの下からコンテナを差し出した。
「では、こちらのコンテナに本日のドロップアイテムをお願いします」
蓮と葵が、バックパックから次々と魔石や素材をコンテナに移していく。ゴブリンの皮、コボルトの牙、そして夥しい数の魔石。
一年生、しかも二人組。その前提で目の前の光景を見ていた職員は、それまでの笑顔を驚きに変え、思わずといった様子で声を上げた。
「……失礼ですが、この量は……本当に、1年生のお二人が?」
「はい。何か不備でもありましたか?」
蓮が少し首を傾げて問い返すと、職員は慌てて首を横に振った。
「いえ、とんでもないです! ただ、あまりにも見事でしたので……。これだけの成果を上げられるとは、将来が本当に楽しみですね」
「ありがとうございます。そう言っていただけると励みになります」
蓮が優等生らしい謙虚さで応じると、隣で楽しそうに聞いていた葵が、悪戯っぽく言葉を添えた。
「ええ、本当に。この人、本当にすごいんですよ。私なんて、ただついていくだけで精一杯でしたから」
男性を立てて1歩下がる、この世界の女性に求められる理想的な姿をそつなく演じてみせる。そんな2人の様子に、職員は「いえいえ、素晴らしいチームですね」と顔をほころばせた。コンテナがベルトコンベアに乗って壁の向こうへと消えていく。
「お預かりした魔石とドロップ素材は、全て国の規定価格で買い取らせていただきます。査定結果の通知は、早ければ翌日にはご登録の連絡先に届きます。お振込みは月末にまとめて行われますので、ご了承ください」
「分かった。……さて、どうする? 今日の成果が分かるのは明日以降だが」
「そうね……」
葵は少し考えるそぶりを見せ、そして悪戯っぽく片目を瞑った。
「ねえ、神谷君」
換金所を出て、ゲートタワーのエントランスへと向かう途中、葵が足を止めた。その唇には、いつもの悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。
「この記念すべき初勝利と、私たちのパーティの船出を祝して、景気づけに食事でもどう? もちろん、経費で」
蓮は一瞬考え、そして――珍しく、素直に口元を緩めた。
「……認めよう。事業の成功には、適切な福利厚生も必要だ。それも、次への投資の1環だな」
葵は満足そうに微笑み、蓮の一歩先を歩き出す。その背中を見ながら、蓮はふと思った。
(悪くない)
バックパックの重み。換金所での職員の驚き。周囲の学生たちの視線。そして、隣を歩く、この信頼できる共犯者。
全てが、確かな手応えとして、蓮の中に残っていた。
まだ始まったばかりだ。だが、この一歩は、確実に前へ進んでいる。
* * *
翌日の昼休み。大学のカフェテリアでランチを取っていた蓮のスマートフォンが、静かに1度だけ震えた。ディスプレイには、換金公社の紋章と共に「査定完了通知」の文字が浮かんでいる。
蓮がアプリを開くと、昨日の成果がリストとなって表示されていた。
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【魔石・ドロップ素材査定結果報告】
・カテゴリ1魔石 x 53個: 13,250円 (単価: 250円)
・ゴブリンの皮 x 3枚: 900円 (単価: 300円)
・コボルトの牙 x 2本: 800円 (単価: 400円)
・合計金額: 14,950円
(月末に指定口座へ振込予定)
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「……なるほどな」
蓮は声に出さずに呟いた。魔石の売上が、わずか1万3000円。ドロップ素材の売却益を足しても、1万5000円にも満たない。
単純に2人で折半すれば、1人あたり7500円弱。もしこれが標準的な6人パーティであれば、1人あたりの取り分は2500円にも満たず、経費を支払えばほとんど手元には残らないだろう。1階層とはいえ、数時間に及ぶ命懸けの労働の対価がこれでは、割に合うとは到底言えない。
だが、この安すぎる買い取り価格こそが、国家によるダンジョン管理システムの核心なのだろう。
石油に代わる主要エネルギー源として、魔石が社会を支えるようになって久しい。その安定供給が国家の至上命題であることは間違いない。
しかし、それだけが理由ならば、この買い叩きのような価格設定は不自然だ。これは、より大きな国家の意図を反映している。
国家は、ダンジョン制圧士という危険な職業を社会的に優遇する一方で、彼らが過剰な富を手にし、コントロール不能な存在になることを極度に警戒している。そのため、ダンジョンから生まれる富は、巧みに国家の管理下に置かれているのだ。
特に、エネルギーの根幹である魔石の売買は、法によって国家による独占的な買い上げが定められている。市場原理が働かないため、買取価格は常に低く抑えられている。
結果として、企業や役所に所属する正規の制圧士たちは、世間一般から見れば高給取りではあるものの、あくまで国家システムに組み込まれた「雇用者」に過ぎない。年収1億といった個人でのし上がる道は、構造的に閉ざされている。
ましてや、学生の個人活動など、本格活動前の猶予期間に許されたいわば特例措置。ましてそれが1年生による1階層のお遊びともいえる活動であれば大きく稼げるはずもなかった。
稼ぎではなく、あくまで『実績』を積むための期間と割り切らねば、やってられない。
「どうだった?」
向かいの席でサラダを口に運んでいた葵が、蓮の視線に気づいて尋ねる。蓮は黙ってスマホの画面を彼女に向けた。
葵はそこに表示された数字を一瞥すると、フォークを置いた。そして、呆れたように、しかしどこか面白そうに口元を歪める。
「ふぅん。これが命をかけたお仕事の対価、ね」
彼女の声には、皮肉と諦念が混じっていた。
「まだコンビニのアルバイトの方がマシじゃないかしら? 時給換算したら、最低賃金以下よ、これ」
その言葉には、わずかな苛立ちが滲んでいる。葵とて、あの数時間のダンジョンでの緊張と疲労を、身をもって知っている。それに対して、この対価。
だが、次の瞬間、彼女は小さく息をついて、いつもの妖艶な笑みを浮かべた。
「……でも、分かってるわよ。そんなこと」
「その通りだ」
蓮が即答する。
「学生の個人活動なんて、所詮はこの程度だということさ」
蓮は続けて言葉を重ねる。
「世間で言われる制圧士の高給取りというのは、あくまで国家や企業に飼われている『上級な従業員』のことだ。安定はしているが、個人でのし上がる道は、この学生という猶予期間を過ぎ去れば、完全に閉ざされる」
蓮は、葵の目をまっすぐに見据えた。
「だから、このはした金に一喜一憂しても意味はない」
蓮の声は、静かで確信に満ちていた。
「俺たちが今やるべきことは、圧倒的な『実績』と『レベル』を積み上げること。それだけが、閉ざされた社会のルールを、俺たちのために利用するための、唯一の武器になる」
葵は、蓮の言葉を静かに受け止めた。そして、ゆっくりと頷く。
「……ええ。あなたの言う通りね」
その瞳には、蓮と同じ、静かで燃えるような闘志が宿っていた。
2人は、互いに何も言わず、ただ視線を交わした。言葉はいらない。この共犯者は、自分と同じ場所を見ている。それだけで、十分だった。




