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契約と船出

 第四国立ダンジョン防衛大学校、通称「第四防大」に入学してから1ヶ月半。神谷蓮が水谷葵と仮初めのパーティを結んだのは、そんな日常の中での、ほんの数日前の出来事だった。


 1年生の時間割は、必修の講義と実習でほとんどが埋め尽くされている。表向きは他の学生と変わらない日常を送りながら、水面下で結成した二人だけのパーティ。


 蓮と葵は、多くの学生が自主訓練や休息に充てる週に数コマの自由な時間――主に火曜と金曜の午後――を利用し、ゲートタワーへと足を運んだ。先日交わした口約束だけの「お試し」の契約を、社会的に正式なものにするためだ。


* * *


 福岡県光来市。ダンジョン出現を機に、かつては過疎地帯だった周辺市町村が合併して生まれた、新しい都市だ。


 今やその面影はなく、人口100万人を数える日本有数のダンジョン都市へと変貌を遂げたこの街は、いわば国家規模で造られた巨大な企業城下町である。


 国防と経済の最前線として、大学や研究機関といった国家の重要施設が中心部に集約され、住民の多くが制圧士やその関連産業に従事している。


 その光来市の象徴が、ゲートタワーだ。40年前、突如発生したダンジョンゲート群を内包するように建てられた、地上30階、地下3階建ての巨大施設である。


 その15階に、「光来市ダンジョン事業支援課」のオフィスはあった。広々としたエントランスやきらびやかな商業フロアとは一線を画す、市役所の出張所のような、落ち着いた雰囲気の空間だ。


「ようこそ、光来市ダンジョン事業支援課へ」


 にこやかな笑顔で二人を迎えたのは、市章の入った制服を身につけた若い男性職員だった。


「防大生の方ですね。当課は、皆さんのような学生ダンジョン制圧士の活動を支援するための専門部署なんですよ」


 ダンジョン制圧士の活動は、国家資格によって厳格に管理されている。


 その資格は、役割に応じて大きく3つ。国家公務員的な役割を担うエリートの『第1種』。各地域のダンジョンを管理する地方公務員的な側面の強い『第2種』。そして、民間での活動を主とする、全ての適性者が最初に取得する『第3種』だ。


 資格を持つ制圧士は、原則として国や自治体もしくは民間企業に所属する『被雇用者』となる。しかし、それには例外も存在する。


「お二人は、既に第三種資格をお持ちですね」


 職員は手元の端末で情報を確認しながら、続けた。


「ご存知かもしれませんが、皆さん防衛大生は、将来の国家戦力を育成するという特例措置のもと、在学中に限り『被雇用者』とならずとも、個人でのダンジョン活動が認められています」


「つまりダンジョンでの活動で利益が発生するに伴い、税務上は『個人事業主』として扱われる、と」


 蓮の的確な補足に、職員は「その通りです」と深く頷いた。


「個人事業主となりますと、収入や経費の管理、そして確定申告など、ご自身で行うべき手続きが多数発生します。いずれ国家や企業に所属すれば、こういった事務手続きは全て組織が代行してくれますが、学生の間は社会勉強だと思って頑張ってください」


 職員は穏やかに続けた。


「我々は、そうした法務・税務面でのご相談から、パーティ運営に関する契約書の雛形提供まで、皆さんの活動を円滑に進めるためのお手伝いをさせていただいております」


「それは心強い」


「口約束だけで始めて、金銭トラブルになるケースが後を絶たないんですよ。ですから、収益の分配ルールは、必ず最初に書面で明確に定めておくことを強くお勧めしています」


 職員はそう言うと、手元の端末の画面をこちらに向けた。


「こちらが標準的な契約書の雛形となります。ええと、メンバーは神谷様と水谷様、お二人のみで間違いありませんか?」


 職員は一瞬、端末から顔を上げて二人を見た。その表情には、純粋な気遣いと、わずかな躊躇(ちゅうちょ)(にじ)んでいる。


「最近は少人数で活動される方も増えていますが……基本は上限の6人1組ですので。万が一、お1人が負傷された場合、もうお1人だけでは撤退も救助要請も困難になります。特に浅層とはいえ、不測の事態は起こり得ますから」


 職員の言葉は慎重だった。


 ダンジョン攻略の基本は、前衛・後衛の役割分担が可能な6人パーティだ。二人きりでの挑戦は、無謀とまでは言わないが、極めて高いリスクを伴う。片方が倒れれば、もう片方も助からない。この男は、そうした事例を何度も見てきたのだろう。


「ええ、二人です」


 蓮が迷いなく答えると、職員は「承知いたしました」と頷き、説明を続けた。


「まず、総売上からダンジョン探索にかかった経費を差し引きます。そして残った利益のうち、30%をパーティの将来のための『内部留保』として共同口座にプールするのが一般的です。残りの70%をメンバーで分配する形ですね」


 職員は続けて言葉を足した。


「ちなみに、男女混合パーティの場合、貢献度に応じて男性側の取り分を少し多めに設定するのが通例ですが、お二人の場合だと40%と30%での分配が適切ではないかと思います。いかがいたしましょうか?」


 その問いに、蓮は一瞥して葵に視線を送った。葵は、わずかに肩をすくめた。その唇には、かすかな笑みが浮かんでいる。まるで、この「通例」という言葉の裏にあるものを、とうに理解しているとでも言うように。蓮はそれを受け、職員に向き直った。


「通例に従います。では、残りの70%のうち、俺が40%、彼女が30%でお願いします」


「承知いたしました。では、その内容で契約書を作成します」

 

 職員は、まるでそれが当然であるかのように、淀みなく端末を操作した。その横で、葵は腕を組み、わずかに首を傾げて蓮を見ている。その視線には、からかうような光が宿っていた。


「経費の範囲についても確認させていただけますか?」


 葵が、何事もなかったかのように滑らかに口を挟んだ。


「良い質問ですね。制圧士の所得は事業所得として扱われますが、国策として様々な優遇措置が設けられています」


 職員は手元の資料を取り出しながら続けた。


「例えば、ダンジョン探索に必要な消耗品費、装備の修理・購入費、交通費などはもちろん、『特別探索経費』として全額が認められます。所得税率も一般よりかなり低く設定されているんですよ。こちらがその一覧です」


 渡されたパンフレットには、詳細な税制優遇のリストが並んでいた。


 職員はさらに言葉を続ける。


「税制だけではありません。ご存知の通り、ダンジョン制圧士は常に生命の危険に晒される、リスクの高い職業です」


 その声は、穏やかだが力強い。


「その代償として、そして国家を守るという尊い任務への敬意として、国は皆さんの生活を全面的に保障します。医療費は関連施設であれば完全無料ですし、低家賃での住宅斡旋なども行っています」


 職員は二人の顔を見渡した。


「お二人は防衛大学校の寮にお住まいなので直接は関係ありませんが、その寮費を含めた学費が全て無償化されているのも、この保障の一環です。これらは全て、皆さんが後顧の憂いなく、ダンジョン攻略という任務に専念できるようにするための、国家からの投資なのです」


「なるほど、合理的だ」


「ええ。国としても、優秀な制圧士は貴重な『国家の財産』ですから。ご希望であれば、制圧士専門の税理士や弁護士を斡旋することも可能ですよ」


「ありがとうございます。とりあえず、契約書はこのテンプレートで進めます」


 蓮が言うと、職員はにこやかに頷き、手続きを進めた。電子署名を済ませ、パーティの共同口座開設も完了する。こうして、二人のパーティは、単なる学生のチームではなく、社会制度に則った1個の「事業体」として、正式に船出した。


 手続きを終え、二人は転移ゲートのあるフロアへと移動した。


 エレベーターの中で、葵が唐突に口を開いた。


「ねえ、神谷君。私の戦闘能力って、あなたの価値より10%も低く見積もられてるってわけ? ずいぶん安く見られたものね」


 その口調は、本気で怒っているというよりは、面白がってからかっているような響きを持っていた。


「世間が決めた貢献度の『通例』というやつだ。いちいち反発するだけ損だろう」


 蓮は、エレベーターの壁に映る自分の顔を見ながら、淡々と答えた。


「俺たちの目的は、このくだらない社会で、誰よりも効率的に成り上がることだ。そのためなら、いちいち反発せずに多少の不合理は飲み込んでもらえると助かるな」


「ふふ、正論ね。分かってるわよ、そんなこと」


 葵はくすくすと笑い、艶のある唇に指を当てた。


「ただ、ちょっと言ってみただけ。あなたが、私をどういう『駒』として評価してるのか、試してみたかったの」


「……試すまでもないだろう。お前はこの俺が認めた最初のパーティメンバーだ。それ以上でも、それ以下でもない」


「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない」


 その言葉に、葵は満足そうに微笑んだ。そして、ふと真顔に戻って続けた。


「それより、本当に私たち二人だけで大丈夫かしね。さっきの職員も心配そうだったじゃない。ダンジョン攻略の基本は6人パーティ。それが常識でしょう?」


「常識は、場合によっては非効率を生むだけだ」


 蓮は即答した。


「確かに、セオリー通りに役割分担すれば安定はするだろう。だが、それは統率の取れていない寄せ集めのパーティの話だ」


 蓮は淡々と言葉を続けた。


「俺たちには〈共鳴の鎖(レゾナンスチェーン)〉がある。意思疎通にかかる時間はゼロだ。それに、俺の召喚獣で頭数も補える」


「なるほど。連携の質と数、両方の問題をスキルでカバーできる、と」


「ああ。それに、今の段階で中途半端な仲間を加えるのはリスクでしかない。意思疎通に齟齬(そご)が生まれれば、それはそのまま連携ミスに繋がる」


 蓮の視線がわずかに鋭さを増した。


「そんなノイズは不要だ」


 蓮は続けた。


「まずは二人で、この連携の練度を極限まで高める。浅い階層で、誰よりも安全かつ効率的に稼ぐための最適解だ」


 蓮の声には、迷いがなかった。


「もちろん、いずれ中層以上を目指す段階になれば、戦力は増やす必要がある。だが、その時は、俺たちの戦術を正確に理解し、実行できる『駒』を厳選して加えればいい」


「……つまり、今は少数精鋭で地盤を固めるのが最も合理的、というわけね」


 葵は納得したように頷き、妖艶な笑みを浮かべた。


「ふふ、了解したわ。そのプラン、確かに悪くはないわね。野心的で、あなたらしいところは評価してあげる、神谷くん」


 蓮は葵の評価を意に介した様子もなく、淡々と続けた。


「当面の目標は、大学の演習と並行して実戦での経験を積み着実にレベルを上げることだ。まずは制圧士としての地力を固める」


 ゲートタワーの喧騒の中、蓮はきっぱりと言った。葵は悪戯っぽく微笑んだ。


「地力を固める、ね。優等生みたいな台詞」


 葵は、蓮の横顔をじっと見つめた。その視線は、まるで何かを確かめるように。


「でも、あなたの目は、もっとずっと先を見ているわね。『当面の目標』の、その先……。ふふ、面白い。その野心、嫌いじゃないわ」


 葵は悪戯っぽく微笑み、蓮の一歩先を歩き出した。


「……付き合ってあげる。あなたが、どこまで行けるか、見せてもらうわ」


 蓮は、転移ゲートの並ぶフロアの奥――淡い光の膜を張ったゲート群に、一瞬だけ視線を向けた。


(あの向こうは、人が死ぬ場所だ)


 蓮の表情は変わらない。


(しかし、死ぬのは準備を怠った者、あるいは戦術を誤った者だ)


 リスクは存在する。だが、それを制御するための準備は整っている。情報収集、戦術構築、葵との連携確認。全て済んでいる。


(俺は、死なないように計算してある)


 冷静に、淡々と。それが、神谷蓮という人間の思考だった。


 フロアを歩きながら、蓮は前方を行く1つのパーティに目を向けた。


 男4人、女二人。前衛に重装備の戦士二人、後衛に軽装の魔法使いと弓使いの男女が二人ずつ。ダンジョン攻略の定石とされる、最大人数の6人構成だ。


 そして、そのパーティから数歩離れて、巨大なフレームザックを背負った小柄な若い女性が1人、黙々とついて歩いている。戦闘員ではない。パーティの枠外で雇用される、支援専門のポーターだ。


(男4、女2の戦闘員に、ポーターが1人。典型的な中層攻略パーティの構成か)


 蓮は内心で分析する。


 ポーターの女性が背負う巨大なザックの中身が、わずかに開いた隙間から見えた。予備の武具、水筒、携帯食料。それだけではない。調理器具、折り畳み式の浄水器、携帯用の洗濯セット。


(ダンジョン内での「家事全般」も彼女の仕事、というわけか)


 危険な戦闘は戦闘員の男たち、過酷な単純労働はポーターの若い女性。蓮は、その光景を淡々と視界に収めた。


 蓮がそう分析していると、ふと視界の端に、壁面の巨大なディスプレイが入った。


 公式の「ダンジョン探索安全啓発キャンペーン」の映像が、音声なしの字幕付きで繰り返し流されている。


 若々しく爽やかな男女のグループが、真新しい推奨装備に身を包み、笑顔で互いの装備を指差し確認している。ベテラン制圧士らしき壮年の男性が、安心したように頷き、若者たちの肩を叩く。


 字幕には、「備えあれば憂いなし」「あなたの安全は、国全体の願い」といった、耳障りの良い言葉が流れている。


 周囲の学生と思しき若者たちが、その映像を真面目な顔で見入っていた。中には、スマートフォンを取り出して、自身の装備と映像の中の推奨装備リストを見比べている者もいる。


 蓮は、その光景を一瞥しただけで視線を戻した。


 その時、ゲートタワーの喧騒(けんそう)の向こうから、深層から帰還したらしい歴戦の雰囲気を(まと)った上級パーティの一団が、彼らの横を通り過ぎていった。


 屈強な男性メンバーたちは疲労困憊で、近くのベンチに次々と座り込む。


 すると、同じく消耗しているはずの女性メンバーたちが、ごく自然な仕草で彼らの武具を受け取って汚れを拭き、携帯用のケースから取り出した高濃度栄養ドリンクの蓋を開けて渡し、甲斐甲斐しくねぎらいの言葉をかけていた。


 ディスプレイが示す「親切な管理」とはまた別の、しかしこの世界では同じくらい当たり前の光景。それが、周囲の誰もが当然のものとして受け止めていた。


 蓮と葵は、その一連の光景に一瞬だけ視線を向けた。


 葵の表情は、相変わらず淡々としていた。その瞳には、驚きも、嫌悪も、共感も浮かんでいない。ただ、ほんのわずかに、唇の端が冷ややかに歪んだだけだった。


 二人は特に言葉を交わすこともなく、まるで興味がないとでも言うようにすぐに前を向いた。そして、目的の転移ゲートへと、まっすぐに歩を進めていった。


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