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35体の衝撃

 三時間に及ぶ実習終了の合図が告げられ、蓮たちのパーティはダンジョンゲートタワーへと帰還した。


 ゲートを潜り抜け、ゲートタワーのホールに足を踏み入れた瞬間、相良が大きく息を吐いた。その肩から、緊張が抜けていくのが見て取れた。


「……戻れた」


 誰に言うでもなく、彼は呟く。その声には、深い安堵が滲んでいた。


 他のメンバーも同様だった。犬井は剣を下ろし、壁に背を預けて天井を仰いだ。二木は深く息を吐いて、静かに目を閉じている。小野寺は膝に手をついて、荒い息を整えていた。


 3時間に及ぶ実戦は、想像以上に体力を消耗していた。相良の腕は棍棒の衝撃で痺れが残り、犬井の足は緊張で力が入りすぎたせいか、わずかに震えている。小野寺は何度も回復魔法を使ったせいで、魔力の消耗が激しく、顔色が優れない。


 だが、彼らの表情には、疲労以上のものがあった。初めての本物のダンジョンから、無事に生還できたという、確かな達成感だ。


 集合場所に戻ってきた各班が、引率教官に討伐数を報告していく。「11体です」「9体……すみません、ノルマに1体足りませんでした」「13体です!」そんな報告が続く中、鬼塚が蓮に視線を向けた。


「神谷班、報告しろ」


「35体です」


 蓮の淡々とした報告に、周囲の空気が一瞬止まった。近くにいた別の班の学生たちが、信じられないという表情で振り返る。隣の班を担当していた教官が、思わず鬼塚に確認の視線を送る。


「……記録を確認した。間違いない。35体だ」


 鬼塚の言葉に、ざわめきが広がった。他の班が、ノルマである10体をようやく達成した、あるいは少し上回る程度で終わっている中、その数字はまさに異常だった。初回実習での標準的な討伐数は8体から12体程度。優秀な班でも15体がせいぜいだ。それが、3倍以上。


 周囲の学生たちの視線が、蓮たちの班に集中する。その視線には、驚嘆と、わずかな畏怖が混じっていた。



 その後、鬼塚が班員全員を集めて簡単な講評を行った。各メンバーの良かった点、改善点を簡潔に述べた後、「今日の経験を次に活かせ」と短く告げ、その場を締めくくる。


「解散!」


 鬼塚の号令とともに、学生たちはそれぞれ疲れた足取りで散っていく。


 リニアシャトルへと続く通路を歩きながら、パーティは興奮と戸惑いが入り混じった、奇妙な静けさに包まれていた。リーダーの相良が、自分の装備についたモンスターの体液を拭いながら、ぽつりと言った。


「さっきの戦い……あれが召喚師の戦い方なのか。いや、神谷の実力、か。俺たちが一体に手間取っている間に、もう次の戦いは終わっていた。戦いの『質』が、根本的に違う」


 その言葉に、誰もが静かに頷いた。


 班のメンバーたちも、口々に蓮と葵の連携について語り始めた。


「神谷のおかげで、俺も思い切って攻撃できたよ。マジで助かった」


 犬井が明るく言うと、二木も冷静な口調で続けた。


「召喚獣の配置が理にかなっていた。あれなら、魔法も狙いやすい」


 蓮はそれらを軽く受け流し、葵と一瞬だけ、視線を交わした。


 一方、少し離れた場所を歩く引率教官の鬼塚は、今日の実習を振り返りながら、内心で静かに思考を巡らせていた。


(神谷蓮……あの男は単にパーティを『率いている』という次元ではなかったな。各メンバーの能力を最大限に引き出し、戦場全体を最適化していた。まるで、駒を自在に動かすように。しかも、それをほとんど目立つことなく、ごく自然にやってのけていた)


 鬼塚は、自身の20年を超える制圧士としてのキャリアの中で、数多くの新人を見てきた。才能ある者、努力する者、運に恵まれた者。だが、神谷蓮という学生は、そのどのカテゴリーにも当てはまらない。


(俺が初めて第一階層に潜った時は、手が震えて盾を落としそうになった。5年目でようやく、戦場全体を見る余裕ができた。10年目で、部下の能力を見抜けるようになった。……だが、あの男は初日で、それを全てやってのけていた。シミュレーターの記録は見ていたが、実戦でこれほどの精度を、それも初日で……。迷いも、無駄も、見当たらなかった)


 鬼塚の脳裏に、かつて「天才」と呼ばれた同期の姿が浮かぶ。彼は第三階層で命を落とした。才能があっても、判断を誤れば死ぬこともある。


(あれが、希少ジョブの『格』というものか……。いや、それだけではないな。あの冷静さ、あの判断力。初陣でこれほどの冷静さを保てる者など、俺が見てきた中で一人もいなかった。ジョブの力だけでは、あそこまでは……)


 他の学生たちが三々五々散っていく中、鬼塚は立ち去ろうとする蓮だけを、低い声で呼び止めた。


「神谷」


 振り返った蓮に向けられたのは、厳しさの中に、確かな評価の色を宿した鬼塚の視線だった。


「お前の指揮、見させてもらった。他の班が目の前の敵に集中していた中、お前だけが戦場全体を俯瞰していた。個々の能力を引き出すだけでなく、パーティという『戦力』を最大化する動き。あれは、単に召喚師というジョブの特性だけでは説明できん。お前自身の戦術眼だ」


 鬼塚からの率直な評価に、蓮は表情を変えずに応える。


「お褒めいただき光栄です。俺は、俺にできることをしただけですので」


「……フン。その力を過信するなよ」


 鬼塚はそれだけ言うと、蓮に背を向けて去っていった。一人になった蓮に、少し離れた場所で待っていたらしい葵が追いついてきた。


「教官、神谷君のこと、すごく買ってるみたいだったじゃない。なんて言われたの?」


「さあな。それより、初陣にしては随分と落ち着いていたな、お前」


 蓮が話を逸らすと、葵は楽しそうに目を細めた。


「あら、観察されてた? でも、あなたも随分と楽しそうだったじゃない。まるで、私たちを駒にしてチェスでも指しているみたいに」


 その挑発的な言葉に、蓮は初めて心の底から笑みを浮かべた。


「よく鳴く猫は嫌いじゃない。躾けるのが楽しみだ」


「あら、面白いことを言うのね。せいぜい噛みつかれないように、気をつけることね」


 葵はそう言って悪戯っぽく笑うと、先に歩き出した。蓮は、その背中を見送りながら、口の端に微かな笑みを浮かべた。


(ただの駒だと思っていたが……)


 予想外の言葉を返す、気まぐれな駒。それは、この盤上において初めて出会う種類のものだった。


 蓮の胸に、熱を帯びた独占欲が静かに芽生える。この掴みどころのない美しい猫をいかにして手懐け、心も体も自分だけのものにするか。そのための、甘く、冷徹なゲームの盤面が、今、静かに立ち上がっていくのを彼は感じていた。




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