シャーリー 4
初回の冒頭の、シーンです。
――私が王立学園に入学する日。
とうとうこの学園で、婚約者であるマーカス王太子が主人公と出逢う物語の本番が始まる。
私は前世を思い出してから何をしても変わらなかった物語の流れに、もはやこの運命に身を任せるしかないのかと憂鬱な気分で王立学園に向かった。
早く学園に着いたので、周囲には誰も居なかった。
私が王立学園の門をくぐると、その向こうには前世の桜を思い出させるような大木がありたくさんの花が咲いているのが見えた。早めに登校していた私はゆっくりとした足取りでその場所まで行き、暫しその花の美しさに目を奪われていた。
すると、ふと視線を感じたのでそちらを見ると――
そこには1人の男子生徒が立っていた。
藍色の髪の、青年になりきる前のまだ少し華奢な美しい少年。おそらくは高位の貴族だろう彼は……なんだか少し懐かしい感じがした。
――天使かと、思った――
後で聞くと、彼も私のことを同じように思ったそうだ。
大木から花びらが舞い降りる中、私達はお互いから目が離せず暫く見つめ合っていた。少しして、彼は私に近付き声を掛けてきた。
「私は……メイナード。メイナード ブライトンです。貴女のお名前をおうかがいしても?」
彼は、私から目を離せないままに呟くように聞いて来た。
「私はシャーリー……。シャーリー ハミルトンです。……あの、ブライトン公爵家の、メイナード様ですの?」
ブライトン公爵家は我がハミルトン公爵家とは派閥が違う。というか、ロミオとジュリエットのように、完全に対立した関係だ。
……だから、今まで会ったことがなかったのかしら……?
私はそう思いつつ、彼を見つめた。……許されなくても、少しでもこの方を見ていたい。
……私は、一目見てこの方に心惹かれてしまった。不思議な運命のようなものを感じたのだ。おそらくこの方もそうだと思う。
お互いの家は完全対立派閥で私は王太子の婚約者(いずれ婚約破棄されるけど)。この方も高位の貴族でこの年齢ならば婚約者もいらっしゃることだろう。
そして……、物語では彼はマーカス王子の側近になり私を糾弾する側の人だ。
あぁ……。完全に詰んでるわ。
私は切なくて……彼を見て力無く微笑んだ。
どうしようもないことは、仕方がない。
学園に入学しいよいよ物語の本番も始まるのだし、自分の初恋も二の次三の次だわ。
そんな私にメイナード様は言った。
「……私は数年前に兄を亡くしました。母の違う私が急遽公爵家の後継となることになりこちらへ呼ばれましたが、本当は国の官吏となるつもりでした。
ですので、婚約者はおりません。……しかし私は、貴女に一目で心を奪われてしまいました。どうか……どうか私とのこれからを考えてみてはくださいませんか」
彼はとても綺麗な水色の瞳で真っ直ぐに私を見て、答えを待った。
……ああ、彼だ……。あの、孤児院で出逢って、とても気になっていた、あの少年。彼は、あれから貴族として生きてきたのね。きっと、たくさんの苦労をしてきたのだわ……。
私は驚きつつ、2人の想いが通じ合っていることに溢れるほどの喜びを感じた。……けれど……。
「メイナード様。私も貴方様に……、いえ、私には婚約者がいるのです。……私はこの国の王子の、婚約者なのです……。そして貴方と私の家は決して仲が良いとは言えません。こうしてお話しすることさえ、許されませんわ」
ダメだ。自分も心奪われたなんて言えるはずがない。ましてや、昔会った時から気になっていたなんて。
私は婚約者がいることを告げ、彼に向かっていこうとする自分のこの想いをなんとか止めようとした。しかしそう告げながら私の目から涙がこぼれ落ちた。
「泣かないでください、可愛い人。私は……それでも貴女を諦められない。……私がいつまでも貴女を想い、いかなる時も貴女の味方でいる事をお許しください。残念ながら、殿下には良いお話は聞きません。陰ながら私は貴女を……生涯お守りすると誓います」
……それからの私たちは、王子の側近、王子の婚約者、……ただそれだけの関係だった。私たちは想い合いながらもふとした瞬間に密かに見つめ合うことしか出来なかった。けれど王子と他の側近が私に愚かなことを言ったり何かしようとすると、彼は必ずそれを止めてくれていた。
王太子となったマーカス王子は相変わらず傍若無人で、婚約者である私との関係も最悪なまま。私が王妃教育で王宮に通っていても彼は会おうとしなかった。そして、メイナード様は公爵家の嫡男であり成績も優秀なことから、マーカス王子の一番の側近となっていた。
◇ ◇ ◇
そんな日々が1年程過ぎた。
そしてとうとう、一つ年下の物語の主人公マリンが入学してきた。
入学して一月もしない内に、マーカス王子と主人公マリンは出会うことになる。それから更に王子と婚約者である私との関係は悪化していくのだ。
……元から最悪な状態なのだからこれ以上は悪化しようがないとは思うのだけれどね。
マーカス王子とマリン嬢が出会い、いつも一緒にいることが噂になりかけた頃。
私が1人廊下を歩いていると反対側からメイナード様がやって来た。彼はすれ違いざまに私の腕を取り、空き教室へと連れられた。
「……貴女は知っているのか!? 殿下がある女生徒と親密になっていると噂になっていることを」
2人になってすぐに彼は小声でそれを問うてきた。
「……存じ上げておりますわ。けれど、私の立場から何が出来ましょうか。ひたすら殿下の浮ついたお気持ちが収まるの待つしかないのですわ……」
……本当はこのまま彼らは私に婚約破棄をし断罪しにかかるのだけれど。どうやってその断罪を回避したら良いのか、最近はずっと家族と相談し策を練っているのだ。
「……ッ! 私は……私は悔しい。貴女という素晴らしい女性と婚約しておきながら蔑ろにし、別な女性に手を出すなど……! 私は貴女を諦めるしかないというのに……!」
メイナード様は本当に悔しそうに仰った。
私は彼の気持ちがとても嬉しかった。
……そしてそれと同時に、今まで物語通りに進んできた中で彼とのことだけが物語の流れと違っていることに、不意に気が付いた。物語の通りならば彼は殿下の忠実な側近で私を毛嫌いし、断罪に大いに協力するはずだったのだから。
「……メイナード様……。私の、話を聞いてくださいますか……?」
私は恐る恐る彼に、これから私シャーリーとハミルトン公爵家に起こる悲劇を『予知夢』を見たとして話してみることにした。……実は私の家族にもそう説明している。
しかし彼は我がハミルトン公爵家と対立するブライトン公爵家の人間。……最悪我がハミルトン公爵家を潰す絶好のこの機会を利用されるかもしれない。けれどこのまま進めばどちらにしても私は断罪され我が公爵家の未来は無くなるのだ。
……メイナード様は、じっと私の話を聞いてくださった。
そして聞き終わった後、彼は真っ直ぐに私を見て言った。
「シャーリー嬢。……私は貴女を信じます。そして貴女のお話通りになるのなら、私の立場はそれを阻止することが可能である、ということですね。……あと約2年。その卒業パーティーまで私は殿下の忠実な側近であり続けましょう」
「! ……メイナード、様……?」
「……その代わり、約束してください。この婚約を無事に破棄出来たなら、私との未来を考えてくださることを」
彼は先程までの悩みをふっ切り、固く決意をしたそんな目で私を見詰めた。まるで私の心までを鷲掴みにしてしまうかのように――。
――それから約2年。
私達はお互いの家を巻き込みつつ『その時』を待っていた。
横柄な王家に辟易していたのは我が家だけではなかったのだ。対立していたお互いの家は少しずつだがわだかまりを溶かしつつ、敵の敵は味方だとばかりに水面下で手を組み慎重にコトを進めていった。
そしてメイナード様と私はその時が来るまで2人で会わない事を条件に、両家から私達の未来を認められたのだった。
……本当に、長かった。
私はハミルトン公爵家の屋敷を訪ねてくれたメイナード様と、この数年の話をしながら思った。
……まだこれから王家との対決という本番が待ってはいるけれど。私達は殿下との婚約破棄という一番の難題を断罪無しに成し遂げた。
そしてメイナード様と私の間に障害が無くなったことを心から喜んだのだった。
お読みいただき、ありがとうございます!