公爵夫人の想い
番外編です。メイナードの義母、ブライトン公爵夫人目線です。
辛い場面がありますので、苦手な方はとばしてください。
少し長いお話です。
……私が、幼馴染で5歳年上のブライトン公爵と結婚したのは20歳の時。公爵家と侯爵家との完全なる政略結婚だった。
しかしながら貴族ではよくあること。そして相手は幼い頃から交流がある素敵な方、私にとっては初恋でもありとても幸せだった。
結婚してからの私達の悩みといえば、なかなか子供に恵まれなかったこと。特にそういうことは女性側に責任があるように言われる。夫は優しく私を庇ってくれてはいたけれど、とても苦しい時期だった。
そんな私達は結婚7年目にしてやっと待望の嫡男チャールズを授かった。夫が32歳の時で、貴族としては少し遅めに出来た我が子を私達はとても可愛がった。
その後は子供が出来なかったが、私達はたった1人の息子を愛し大切に育てていた。
あれは、チャールズが8歳の時。我が家に入ったばかりの侍女が1人消えた。若い娘がすぐに辞めるのは偶にあること。その時の私はそう気にしていなかったが、後から思えばその頃から夫の様子はおかしくなっていたのだ。
我が子チャールズは成長し、王立学園を優秀な成績で卒業した。公爵である夫の仕事の手伝いも始めており、あとは婚約者と結婚するだけ……。今思えば幸せの絶頂だった。
ところがある日、突然息子チャールズが倒れた。
それ以来息子は寝付く事が多くなり、とうとう医師に不治の病だと告げられた。
私達は必死で看病をしたし、夫も国中から名医と呼ばれる方にお願いした。
――けれど……、愛する息子チャールズはたった20歳で、この世を去った。
……もう、その頃のことはよく覚えていない。我が子の葬儀を終え、私は暫く屋敷に篭もるようになった。私は毎日、泣き暮らしていた。
どうして、こんなことに……。こんな酷い不幸はもう決してありはしない……。
そう、思っていたのに。
……ある日、夫に告げられたその話に、私は更に絶望の淵に追いやられることになった。
「……なん、ですって?」
私はカラカラになった口からやっとのことで言葉を紡ぎ出す。
「……息子が、いるのだ。今は12歳になる。民間の学校に通っているのだがなかなか優秀な子だ。きっとこの公爵家の立派な跡継ぎとなれるだろう。今、遠縁の者達が我が家の跡取りの座を狙ってあれこれと画策しているようだ。ここはあの子を我が家の跡取りとして……」
夫は初めこそ私を気遣うような口振りだったが、その息子の話をするにつれて何やら自慢げに語り出していた。
私は、身体中の血が引くような感覚だった。やっとの思いで言葉を絞り出す。
「何を……、何を言っているのです!? 貴方は……貴方には隠し子がいたということ!? 私やあの子を、裏切っていたというの!?」
「……済まない。……しかし今はそのような事を言っていられないのだ。我が公爵家の跡目を周りは虎視眈々と狙っている。もう我が公爵家の正統な血を唯一引くあの子を跡取りとするしか……」
「……許しませんわ。……私は絶対に許さない!! 貴方もその子も、絶対に許さないわ!」
そうして私は心を閉ざし、私達夫婦は会えば言い争うようになった。私は愛する子を亡くし、……そして愛する夫に裏切られたのだ。
――そして『ブライトン公爵家』の後継者の座は一年程宙に浮く事になった。
◇ ◇ ◇
「姉上も大変でございましたな。チャールズほどの立派な後継を亡くして、次の事を考えられないのは致し方のないこと。心中お察し申し上げます」
私の実家の侯爵家の弟。……私はチャールズを亡くしてから喪に服し、社交の場に全くと言っていいほど出なくなっていた。久しぶりの姉弟の団欒のはずだったのだが、結局はそのような話題が出てきた事に不快感を覚える。
「お前までそのような事を言い出すのですね。お見舞いに来てくれたのではなかったのですか」
不快だという事を分かりやすく顔に出してやったというのに、弟の話は止まらない。
「何を仰いますか。貴族にとって跡継ぎの問題は一大事ですぞ! ……とはいっても、義兄上も姉上ももう子供は望めますまい。……どうでしょう。我が家の三男を跡継ぎとされては。4代前にはブライトン公爵家の姪が我が家に嫁いでおりますし、全く関係ないことはないでしょう? 是非、義兄上に……」
「……黙りなさい! …………お前とは仲の良い姉弟と思っていたけれど、そうではなかったようね。二度と私の前に顔を出すことを許しません!」
私は執事を呼び、早急にこの愚かな弟を下がらせた。
そうして、私はますます気鬱になり、人を信じられなくなっていた。
ある日、夫は帰るなりいつもより更に深刻な顔で私に話をしてきた。
「……今日、陛下よりお呼び出しを受けた。我が公爵家の跡取りを早急に定めるように、と。……もし良き者が居ないのならば、国王預かりとしても良い、と……」
私はヒュッと息を呑んだ。
『国王預かり』。この『ブライトン公爵家』の全てを国王が預かる。……つまりは……。
「まさか……、そんなものは王家による我が公爵家の乗っ取りではありませんか……!」
「……そうだ……! あの強欲な王は我が家のこの不幸に付け込んで自分達の財を増やし権力を更に強くしようと、この歴史あるブライトン公爵家を我が物にしようと企んでおるのだ……!」
私達はそのまま言葉を発する事が出来なかった。……もう、猶予はない。
誰かを、このブライトン公爵家の後継に指名しなければならない。
『誰か』……。分かっている。私がどれだけ嫌がっても、どうすることが一番良いのかなど……。分かっては、いたのだ。
顔も知らぬ遠縁や我が弟の三男にも、ましてや王家になどに我が公爵家を渡してやる訳にはいかない!
「……貴方。その平民の子とやらを、お呼びくださいませ。……けれど、それはあくまでも我が公爵家の緊急事態だからです! この公爵家で偉そうに我が物顔で暮らす事など決して許しません。そしてこの私に関わる事も……!
せいぜいこの公爵家の跡取りとして恥ずかしくないよう厳しく教育される事ですわ」
私は夫にそう言い捨てて彼から視線を外した。
夫は涙を流しながら、「済まない……」と言って頭を下げたあと、早速にその子の元へ出掛けて行った。
その後ろ姿は、この一年の間に随分と痩せて小さく見えた。
◇ ◇ ◇
それから暫くして、我が公爵家に夫の子がやってきた。
我が公爵家の色である藍色の髪。顔立ちは夫に……そしてチャールズに少し似ていた。しかし、瞳の色は水色。おそらくはその母の瞳の色なのだろう。
彼は行儀良く挨拶をして来たが、私は素気なく返事をしさっさと部屋に戻った。……あの子を見ているのが、辛かった。
あの子はこの公爵家に入るのは、『好きになった貴族令嬢』と釣り合う身分となる為、と言ったらしい。
……随分と、可愛らしいこと。……好きだ愛してるなどと言ってはいても、月日が経てば消えて無くなるというのに。あの子もきっと『好きになった令嬢』以外の娘に目がいくことだろう。あの子の父も、そうだったのだから。
けれどその後あの子は、『好きになった貴族令嬢』とやらの為にそれは厳しい貴族教育を耐え抜いた。そしてその2年後にはどこからどう見ても生まれながらの生粋の貴族であったかのような、立派な貴族令息となった。
一方あの子がこの公爵家に来た頃から、私は社交界に戻ることになった。
……しかし、社交界とは魔窟。この一年に我がブライトン公爵家にあったイザコザはそれは大袈裟に人々に伝わり、面白おかしく噂されていた。
……覚悟して社交界に戻ってはきたものの、やはり好奇の目に晒されるのは、……私の最も触れられたくない部分に触れられるのは辛かった。
しかし私は公爵夫人。表面上は全く動じず過ごしていた。
『……聞きまして? ブライトン公爵家では愛人の子が跡継ぎとなっているらしいですわよ。1人息子を亡くし夫にも裏切られるなんて、夫人も哀れなものですわよね。……なんてお可哀想なのかしら』
およそ本当に可哀想だなどと思っていない話し声が聞こえてきた。
私は自分の心を凍らせて、やり過ごそうとしたのだが……。
「んまあ! 噂をすれば、ブライトン公爵夫人ではありませんか! 私達、夫人をとてもお気の毒だとお話ししておりましたのよ?」
「そうですわ。夫が愛人を作り、しかもその愛人の子が家の跡継ぎとなるなど……。妻としてはそれは屈辱ですわよね」
我がブライトン公爵家と対立する、ハミルトン公爵家の腰巾着の貴族たち。
我がブライトン公爵家に連なる貴族たちも私の側で向かい合い、一触即発の雰囲気となったのだが……。
「……まあ。何をなさっておりますの?」
聞こえてきたのは、まだ幼さが残るがよく通る美しい声。プラチナブロンドの美しい13、4の少女。そして、向こうの派閥の貴族達を年齢なりの可愛らしさで顔を傾けて見る。
「ッ! ハミルトン公爵令嬢……。ご機嫌麗しく……。……ええ。これは……。ご子息を亡くされたブライトン公爵夫人をお慰めしておりましたの」
失礼な貴婦人たちはその少女の機嫌を取るように言った。
……この少女が、ハミルトン公爵令嬢! こんな近くで見るのは初めてだわ。
そして彼女はこちらをふわりと見た。その紫の大きな瞳は澄んでいて、優しげであるのにおそらくは意志は強い。
「まあ……。ブライトン公爵夫人。……この度は、ご子息様のこと、心よりお悔やみ申し上げます」
そう言って、彼女は私に最上級の礼をした。
自分達の派閥のNo. 1といえる、王子の婚約者でもある公爵令嬢が最上級の礼をしたのだ。周囲は驚きながらも後ろにいた失礼な貴婦人たちも含め、表情は渋々ながらもこちらに公爵令嬢と同じように最上級の礼をした。
それを見たハミルトン公爵令嬢は、ニコリと笑いながら派閥の貴族たちに話しかけた。
「……皆様。流石ですわ。女性として辛いとき、こうして派閥を越え夫人の支えになって差し上げようとなさるなんて! 私は感動いたしました。これから私も皆様を見習って相手の方の心を思いやり、精進して参りたいと存じます!」
将来尊い立場になる自分達の派閥の主である少女から、キラキラした目で見てそう言われてはその失礼な貴婦人たちもひとたまりも無かった。
「え、ええ、勿論でございます。私達は勿論いつも相手の方のお気持ちを慮ることを常としておりますの」
「ええ。それに殿方というものは身勝手なものでございますからね。いつも迷惑を被るのは女性なのですから! ブライトン公爵夫人。何か困った事がございましたら、是非私たちにお声かけくださいませ! 家同士の派閥は違えど、女同士は勝手な男どもに対しての共同戦線を張るべきですわ!」
最初はハミルトン公爵令嬢に対しての言葉だったが、ご自分もご主人にお困りの事が多々あるのだろう、その内に何やら真剣にこちらに共感を覚えて来られたようだった。
とにかく一時張り詰めた派閥の対立の緊張状態は、ハミルトン公爵令嬢の介入でお互いに事なきを得た。
ハミルトン公爵令嬢はその派閥の方々とこちらに笑顔で挨拶をして去って行かれたが、私はかの令嬢の見事さに感心し、そして……感謝をしていた。
……彼女は、私の傷を抉る事なくことを解決してくれた。そして息子を悼んでくれたあの挨拶も、心からの言葉と感じて嬉しかったのだ。
――それ以来、私は対立関係にあるあのハミルトン公爵令嬢が気になって、彼女の様子を窺うようになっていた。
そしてあの残念な殿下の婚約者として苦労されている彼女を見ていて、あの時の派閥の争いの仲裁は決して偶然などではなく、彼女が自ら考え私を助けてくれたのだと確信した。
そしてまだ幼いながらに相当な気苦労をしている少女を見て、私もこのまま落ち込んだままではいられないと、そう思えるようになったのだ。
◇ ◇ ◇
「……ハミルトン公爵令嬢だけはムリだ」
ブライトン公爵である夫が、苦々しげにそう言った。
夫の子の初恋の相手があのハミルトン公爵令嬢だと分かった時だった。……しかし私は初めてこの夫の子に対して見る目がある、と感心し見直したのだった。
そして、つい口出しをしてしまった。
「貴方はこの子の恋を叶えると、そう約束したのではないのですか」と――。
そしてその約1年後、対立するハミルトン公爵家との協力体制を若い2人から申し出られた時……、私は迷うことなく賛成した。
何故なら彼らの目は、とても澄んでいたから――。
◇ ◇ ◇
「――それでは、お義母様はあの時から私の事を見てくださっていたのですか」
シャーリーがその美しい紫の瞳を大きく見開き、驚いた様子で私を見て言った。
私達は、ブライトン公爵邸の居間でお茶をいただいている。
「……そうよ。私が一番辛かった時、立ち直れたのはあの時貴女が私を庇ってくれたから。そしてあの王子の婚約者として苦労しながらも頑張る貴女の姿を見てきたからなのよ。
そうして、今私が幸せなのも……」
「お義母様……」
そこまで話をした時、小さな藍色の髪の男の子が私の足元に飛び込んでいた。
「おばーさまッ! くふふ……。コレ、見て! スゴいでしょ? 僕が見つけたの!」
そう言って私に飛び付いて来たのは、シャーリーの子。私の顔を見て嬉しそうに笑い、小さな手を突き出した。その小さな手から出てきたのは、大きなドングリ。
「まあ、凄いわね、チャールズ! どこで見つけたの?」
私が驚いた顔をしたのを見て、満足そうににぱっと笑った。
「とーさまとおじーさまと一緒にね? 庭の奥で……僕が一番に見つけたんだよ! くふふ、おばーさまとおかーさまに早く見せたくて、2人を置いて来ちゃった!」
「――まあ。貴方に出し抜かれるなんて、ダメなお祖父様ね。まだ幼いチャールズのお世話も出来ないなんて……」
「おばーさま」
私が夫に対して怒りを感じていると、急にチャールズがジッと私を見てきて言った。
「……あのね。おじーさまを叱るのは僕がやるの。だから、おばーさまは、おじーさまとケンカしちゃ、だめなの」
ドクン……。
――『父上はいつも仕事でお忙しいのですから、私がきちんと言っておきますよ。母上はいつも笑顔で父上と仲良くして差し上げてください』
……少し困ったような笑顔で、こちらを思いやる優しい言葉で語りかけてくれた、我が子チャールズ。
私はこの幼いチャールズに一瞬あの頃の我が子チャールズの姿を見た、そんな気がした……。
……ええ。そうね、チャールズ。決して許した訳ではない……許すことは出来ないとは思うけれど……。私はいつまでも心を閉ざしていてはいけない。
「ありがとう、チャールズ。……うんと、お祖父様を叱っておいてね」
チャールズは、にぱっと笑って「うん!」と元気に返事をした。
そうすると、夫と義息子が部屋に入って来た。
「チャールズ。私達を置いていくなんて酷いな」
「そうだよ……。私は、もう息がきれてしまった……」
そう言って部屋に入って来たのは、義息子と夫。
「ごめんなさい、おとーさま。……おじーさま! アレは?」
「あ、あぁ……。イヤ、しかし……」
「おじーさま、早く!」
何やら急かすチャールズに、夫は困った顔をしながら私の方を見た。
「コレを……、君に」
そう言ってこちらに差し出したのは、今我が家の庭に咲き出した早咲きの一輪の薔薇。
私はなんとも言えず夫を見た。
「庭に出たらとても美しく咲いていたから……」
「おじーさまっ! おばーさまみたいって思って持って来たんだよねっ!」
「うっ……。……ああ。おばあさまは、若い頃から薔薇のように美しいからね。本当は花束で渡したかったのだが……」
そう照れながら言う夫だが、おそらくはチャールズと息子に言われて花を摘んだのだろう。
……許している訳ではない。けれどいつまでも心を閉ざしていては、自分も周りも不幸にしてしまうから。……ただそれだけ。
私は、無言でその薔薇を受け取った。
途端に夫が、そしてチャールズや息子夫婦も笑顔になった。
「……いただいておきましょう。ただし、これからはチャールズを使わず、ご自分で考えて行動なさるのね」
私はそんな皆の雰囲気に少し照れながら、それと気付かれぬようフイと向こうを向いた。
私は向こうを向いたので、それからの皆の様子が見えなかったけれど。
「くふふ……」
チャールズのそんな笑い声が聞こえて来たので、おそらくは皆ずっと笑顔なのだろう。
……そう考えて、私も知らず笑顔になっていた。
そしてこれから、こんな笑顔が増えていくのだろうと、そんな予感がしたのだった。
最後、シャーリーと夫人のところにチャールズが入って話をしている時、実は部屋の外では前公爵とメイナードが来ていて話を聞いていました。前公爵も、おそらくは何か感じるものがあったと思います。
今回分けると悲しい部分で途中終わりそうでしたので、長いお話となってしまいました。
お読みいただき、ありがとうございました。
あと一話、お付き合いください!