夜の森
「!?あれはもしや…!!」
気配を消して目視可能な位置までたどり着いたラティスは思わず目を潤ませた。
勇ましくも軍馬に跨り、煌めく甲冑に身を包む、美貌の姫君。
軍を率いるその姿はまるで伝承に聞く戦女神。
そう。彼女がその目に納めたのはゼラハム公が奥方のソフィア王妃。その人の姿だ。
その隣に並ぶのはいずれも例に漏れず、各国の名のある将達。そうそうたる顔ぶれだ。
だが、そんな将達の姿よりも彼女の心を強く揺り動かす存在。
それはソフィアの姿に他ならない。
幼少の頃、王妃はラティスに目をかけ何かと世話を焼いてくれた。
言うなれば、物心ついた時には親の顔など知らなかったラティスにとって母親的な存在。
ソフィアは彼女にとって敬愛すべき主であり、そして何よりも大切に思う相手であった。
ラティスはソフィアの軍勢に近付こうと自らの気配遮断を解いた。
…いや。解こうとして彼女はそれを留めた。
何故か。
それは別の一団の気配を感じ取ったから、だ。
規模はそれ程大きくはない。
しかも感じる魔力の感じからして相当に消耗しているようだった。
ソフィア達とぶつかれば間違いなくこの程度なら難なく下せる。
だが今は極力戦力を温存してかの戦場にソフィア達を導かなければならない。
それが彼女に与えられた下知なのだ。
くるりと踵を返し、ラティスは気配の下へと向かうのであった。
男はただ歩んでいた。見る影もなく無惨にも消耗した部隊を率い、ただ進む。
あれ程自信に溢れた笑みは、既に無い。
そこにあるのは絶望の色。はたまた焦燥の色か。
何れにせよ男の眼は周囲の景色を映していない。
美貌の姫が率いる軍が去って暫し後、よろける様に立ち上がった彼はたった一言「進軍する」と告げ、背後の堆積した土石によじ登りだした。
それは既に壁と呼べる代物だ。軍馬では当然の如く越えられはしなかった。
判断として一つの解ではあった。
眼前の城に既に敵は無し。今ここで攻めても仕方が無い。何より背後を封鎖されたのだ。此方の軍の兵糧にも限りがある。兵力を多分に失い、補給路も絶たれた今の状態での城攻めなど既に結果は見えている。故の撤退だ。
土石を進むか川沿いを進むか。
氾濫したとはいえ川沿いは河原。足場は悪く相当に迂回する羽目にはなるが、それでも徒歩で進める。
そして土石を乗り越える背後の道。
命綱無しによじ登るのは至難の業だ。
だが幸いにも彼らは身体能力に秀でた獣人族。
やってやれない事は無い。
ただ、余りにも無謀。
そして。
無様。
名誉ある部隊だった兵士達の自尊心は岩に手をかける度、酷く傷付く。
やがて、生き残りの兵達は一人、また一人とその場から離れてゆく。
約一日がかりで壁をどうにか越えた頃、兵の数は更に半数まで減っていた。
最早、軍ではない。
それでも男は、進む。
理由は一つ。
逃げたい。
ただ、それだけだった。
生まれて初めての真の絶望。
軍属について初めての真の敗北。
遊びであった。
ただの遊びだ。
娯楽程度の事だった。
遊戯盤と変わらない。
そして、敗北などあり得なかった。
だが。
負けた。
負けたんだ。
男の中に渦巻く“負け”の二文字。
敗北の意味する所。
それ即ち自身の“死”。
覇王は決して許さない。
許されない。
だが男とて軍属の端くれ。
覇王の咎めは覚悟の上だ。
既に分かっている事なのだ。
だから、そこでは無い。
男は“負けた”事から逃げたいだけなのだ。
だから、何としてでもあの姫騎士を討伐しなければ。
それだけだった。
それしか男は考えていない。
そこに軍略も何も無い。
だから最短ルートたる壁を登った。
それが悪手と気付きもせずに。
それが男の死出への選択とも知らずに。
「大佐殿」
背後より声がかかる。
何も言わず、是迄のように付き従った者。
男の側で、男のやり方を全て見てきた者。
男の副官。
憑き物に取り憑かれたように歩みを進める男の耳が其れを受け入れる。
そして振り向いた。
ザ…ンっ……。
赤い物が飛沫を上げる。
何があったか男は理解出来ない。
否。
吹き上がる鮮血とその向こうにある双眸を見て男は理解した。
そうであった。これは俺のやり方だ。
自身が叩き込んだ、自身の生き様。
敗北と絶望で見失った、男の本来の姿。
まるで鏡を覗き込むが如く、凝視する。
次第に視界が霞むのもお構い無しに。
汚物を見るように冷めた瞳と薄っすら開く繊月の微笑。
それでいい。
俺の全てをくれてやる。
そうやって、生きるがいい。
だが惜しむべきはかの姫騎士を討てなかった事か。
それだけが、遺恨。
しかしながらそれも最早これまで。
まあ、浮世の戯言だ。
だが、もうしくじらん。
良い教訓となった。
地獄で今一度遊戯にでも興じようではないか。
あぁ、愉しみだ………。
「仲間割れ…か?」
辿り着いたその先、突如として繰り広げられた斬殺の現場。
気配を絶ったまま、ラティスはその一部始終を観察していた。
斬り殺されたのは指揮官らしき男。その顔は見覚えがある。
あぁ、そうだ。あれは確かウィアヘルムの大佐、ボルダフだ。
ボルダフの悪名はラティスも良く知っている。
戦を遊戯と称し、覇王の元で功名を立てた男。
ボルダフの部隊はウィアヘルム軍内において先鋭の部隊であった筈。
それがどうだ。この場にいるのは数十名。
これは軍ではない。
…いや、違うな。
ラティスの気配探知に別の一団が引っかかる。
どうやらこちらに向かっているようだ。
「漸く到着か。予定より五分遅い。…まぁ良い。その汚い物を片付けておけ」
「は」
「集結を待つ。暫し休んでおけ」
「御意に。副官殿…、いや。フランディス様」
ボルダフであった物の顔を蹴った後、男は興味を失ったかのように踵を返す。
フランディス。ボルダフの副官だった男。
成る程。混乱に乗じて上官に成り代わったか。
戦国乱世の常。下剋上。
位置や状況から察するにソフィア王妃と対峙したのはこのボルダフ隊だ。
恐らく王妃は奇策を用いてボルダフ隊を退けたのであろう。そしてこの行軍はそれの追撃。
で、この謀反劇。
策を講じてボルダフを廃したか。
元々そうするつもりであったか現状を考えそうしたか。
何れにしても血腥い。
あの男は危険だ。
ボルダフのやり方を受け継いだ男。
そしてあの眼。
ボルダフより恐らく冷酷。
今、別働隊が来る前にこの場で舞台より退場させる。
ラティスが消えた。
否、それはただの移動。
ありったけの魔力を脚に込め、そして爆発させる。
たったの一歩だ。
たったの一歩でラティスは兵達の前に躍り出た。
「!…なっ…!?」
言葉が紡がれる事は無かった。流れる様な動きでラティスは次々と兵を屠ってゆく。
音も立てず立ち止まった後、兵が崩れ落ちた。
「…何者だ?」
ブランディスは然程焦りを見せず剣を抜いた。
まるで最初からこの事態を想定していたかの様な落ち着きぶり。
いや、想定していたのだろう。
で、あれば自身の所属はある程度はばれている。
然しラティスは忍。影に潜み、影に生きる者。
自らを明かす時は、主の命があった時以外はあり得ない。
故に、彼女は応える。
「死にゆく者に…名乗りなど無用!!」
ラティスは低く屈み、そして高速でフランディスの懐に潜り込む。
手に持つ二本の苦無が、その喉笛目掛けて鋭く翻る。
カァァァ…ン!!
喉を掻き切る寸前、甲高い音を立て交差する二本の苦無が剣によって防がれた。
だがラティスは動揺しない。
そのまま切っ先まで苦無を移動させ、次いで勢いよく両の腕を開き、剣を弾く。
両人、無防備な姿になる。
フランディスは素早く構えを戻し、鋭い突きを繰り出した。
突きはラティスの心臓を的確に狙っていた。
あと少しでその切っ先が届こうとするその刹那、ラティスの姿が霞む。
高速の歩法による瞬間的な後退。
フランディスの動きが僅かに止まる。
ラティスはその好機を逃さない。素早く剣を蹴り上げ、次いで空いた胴に追撃の蹴りを入れる。
バシュッ、と空を切る音が響く。ラティスが片方の苦無を投げ放った音だ。
しかしながらフランディスはそれを身を屈めて避けてみせた。
僅か数秒の攻防。お互い、一歩も譲らない。
「…驚いたな。ガキ風情かと思えばその動き、その装束。そうか。貴様、コルフォーナの“速攻の女豹”だな?…と、すれば何かしらの密命を受けてここに来たか。大方あの王妃にでも伝える事があるのだろう?」
「…よく回る口な事だ。忍が口を割る訳が無いだろう」
「やはりガキか。それを肯定と言うんだ…よ!!」
不意にフランディスが動く。地面を蹴り、抉った土と石をラティス目掛けて勢いよく飛ばしかける。
「ははっ、もらったぁ!!」
ザン…!!
叩きつけるような、大振りの一撃。
ラティスの体が二つに裂ける。
幻影だった。
「…一つだけ口を割るとすれば、あの時既に片はついていた」
フランディスの背後の空間。
何も無い、薄ら闇。
そこに深々と刺さるは、一振りの苦無。
苦無の直ぐ側の空間から細い腕と小さな手が伸びる。
ゆっくりとした動きで、逆手に握る。
「魔霊神器・“夜喰”。私の得物だ。秘めたる力は、使用者の認識した空間への作用。そして」
ズブ。
「片割れたる“鵺丸”を使用者ごと引き寄せる。…ただ、それだけだ。もっとも既に」
死人には、もう何も届かない。
ただ、虚空を見つめるのみなのだから。
何とか仕上がりました。
最新話更新です。
誤字脱字はあるでしょう。追々直します。
さて、この後どうなる事か。
書いてる本人が一番解らない(笑)
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
これからも魔女の〜を宜しくお願い致します。




