代わる立場
どの位時間がたっただろうか。仄暗い森の中、大きな木の根本に腰掛けていたレイチェルは空を見上げた。見上げた所で視界に入るのは木々の枝葉だけなのだが、何故か見上げずにはいられなかったのだ。
落ち着かない。
「お嬢、心配要りませんよ。我らにはエル様がついておられます」
隣に座るバースが微笑んだ。思えば母が死んだあの日から、忙しく飛び回る父に代わり、いつもバースは私の側に居てくれた。
あの冒険の日もそうだ。エル様の封印を解く為、一人で村を飛び出しそうとした私を止める訳でなく、寄り添い共に旅に出てくれた。
「ありがとう、バース。そうだよね、きっと大丈夫」
だけど、これで良いのか。エル様に頼り切り。勿論、私が戦に出た所できっと何の役にも立ちやしない。
…何も出来ない自分がもどかしい。
「…待っている事が役割という事もあるのですぞ、お嬢」
「バース…」
「私達はエル様にアウベルスを守って欲しいと頼んだでしょう?それはつまりエル様にとっては私達も守る対象なのです。だからこそ信じて待つのです。そうする事が私達の責任ですぞ」
…そうだ。私がエル様に守って欲しいと頼んだんだ。だから私が一番誰よりも皆を、エル様を信じなければならないんだ。
少し気分が晴れたような気がした。私、信じて待つよ。何も出来ない訳じゃないんだ。もう一度空を見上げる。木々の枝葉で相変わらず空は見えないが、ほんの少しだけ光が見えた気がした。
皆どうか無事に帰ってきてね。
「…はぁ、はぁ、はぁ」
静寂の香り立ち込める白と青の支配する丘の上で、霞む吐息が立ち上る。
ウルミだ。肩を揺らし、呼吸を整える。
上級魔術の行使など、生まれて初めての経験だった。里を焼かれたあの日、二度とこんな思いをすまいと…いや、違う。想いを寄せる―――二度と傷付いて欲しくなかった。
だから私は死に物狂いでこの術を習得した。守る為に、側にいる為に。
だが、やはり少し無理があった。本来のフローズンメイデン・アブソリュートゼロの威力はこんな物ではない。消費魔力を意図的に抑える事で威力を限定したのだ。完全なものだと恐らくこの丘自体が消滅している。
勿論、そこまで威力を求めていなかったのも事実だが、実際には魔力が足らなさ過ぎたのだ。
魔力とは精神力と同意義。上級魔術を行使できるほど、ウルミは術師として成熟しきっていない。魔力を底上げする方法もあるにはあるが、それを私は…きっとしない。
とはいえ、随分と魔力を消費した。もう立っているのがやっとの状態で、さっきから上がった息を整えようとしてはいるが、なかなか思うようにいかない。
「ウルミ、大事無いか」
「…えぇ、ツル。でもちょっと疲れたかな…」
「よくやった。後は休んでおけ。…アイツは俺が片付ける」
「…え?」
「生きているのだろう?シコン」
地面に刺さり、倒れて折り重なった氷柱の作った氷の山が不意に揺れた。ガラガラと音を立てそれは現れた。
「…良く分かったな、ツル」
立ち上がったのは全身血塗れの鎧武者。翼は千切れ、身体の彼方此方に氷柱が刺さる満身創痍の姿。だが、その姿からは考えられない程に迸る闘気。まだ、その心は折れてなどいなかった。
「分かるさ。弟だからな」
「まさか貴様の口からそんな言葉を聞くことになろうとはな」
「忌々しい義理の血だ。お前と片方でも同じ血が流れていると思うと吐き気がする。今因縁にけりをつけるさ」
「出来るか?貴様のような出来損ないに」
「すぐに分かる」
ツルバミは既にシコンの前にいた。右手で逆手に持ったナイフの切っ先がシコンの腹部の甲冑の隙間を狙い押し迫る!!
「甘いわ!!」
後ろに下がり攻撃を避けたシコンは上段に構えを取り袈裟斬りにツルバミに斬りかかった。
ギィイ…ン!!
刃のぶつかる音が響く。ツルバミがシコンの一撃を右腰に差していた刀で弾き返したのだ。そのまま両手の得物を持ち替え今度はツルバミの刃がシコンを襲う。
「ぐっ…!!」
シコンの胸に入った一撃は甲冑を破壊し、獣の爪痕のような傷口が走らせた。だが、まだ浅い。
胸元を押さえながら中腰で後退したシコンだが、その直後後頭部に衝撃が走る。回り込んだツルバミの肘打ちが入ったのだ。反射的に振り向きざまに横に薙ぐ。しかし、刃は空を切り裂くのみ。
「この…下郎がぁ!!」
距離をとったツルバミに向けて渾身の力で脇差しを投擲する。しかし、それもまたツルバミに刺さる事は無かった。
「いつかと逆だな、シコン」
いつの間にか槍に持ち替えていたツルバミの高速の突きが投擲直後の無防備な姿勢のシコンの眉間を狙い襲いかかる。
「終わりだ!!」
シコンの脳裏にかつての光景が鮮やかに蘇った。それは幼き日、故郷の道場での事。
何時ものように下賤な者たるツルバミに勝利した俺はそこで初めて殿とトキワを直に目にした。
『強いな。少年』
それまで聞いたどの声よりも低く、そして優しい声。俺の心はその瞬間、鷲掴みにされた。
その後、俺は殿と試合をした。だが当然勝てる筈もなく、俺はツルバミの目の前で完膚なきまでに打ちのめされた。
俺は諦めきれなかった。圧倒的強者を目の前にして、勝利したい気持ちの方が恐怖や畏敬の念よりも勝っていたのだ。何より、ツルバミの前で膝を屈する理由にはいかなかった。
殿は俺を認めてくれた。あの日より、俺は殿に仕える事になった。
誰よりも弱いツルバミの目の前で誰よりも強い殿に認められたのだ。
俺の方が血も、強さも、何もかも全てにおいて勝っている。
勝っているはず。証明されたはず。だが、今。
俺は負けている!!
俺は負けたのだ。
無念…極まりない!!
シコンに直撃する寸前、ツルバミの刃の動きが止まった。
突然訪れた、静寂。
「…なぜ殺さん」
「やめだ」
槍の穂先を降ろし、侮蔑の目で見やる。興味を無くした、冷酷な眼。
「お前、今諦めただろう。刃が迫る瞬間、お前の目から闘気が消え失せた。そんな奴を討ったとて俺に何の得もない」
「な…!」
「…俺は確かに弱かった。どんな武器をも扱えても結局それだけだった。そんな俺に先生は…シャクジョ様は教えてくれた。それで良いと。だからこそ戦闘中に瞬時に武器を切り替えられるよう俺は鍛錬した。基本だけを鍛え抜いた。二度と殿にあのような光景を見せぬ為、大切な物を守るため。…今心の折れたお前にこれ以上やっても俺は負ける気がしない。故に殺さん」
事実、シコンの戦意はすでに失われていた。絶対的強者にすら勝ちたいと願ったシコンが、だ。
格下だと、思っていた。腹違いで身分も卑しい、弟と認めるのも憚れる存在。
今迄この男に一度たりとて負けた事などなかった。どんな武器でかかってこようがどれも必殺の技たりえない。いずれの武器も極められなかった浅く、中途半端な男。そのはずだった。
それに負けたのだ。殿に認められたこの俺が。屈辱に次ぐ屈辱。絶対的に信じていた自分の強さが崩壊してゆく。
「ははははっ!!」
笑いが、込み上げる。それは乾いた笑い。笑う事しか最早出来ない。
「…気でもふれたか、シコン」
「よもや貴様の様な痴れ者にこの俺がこうも容易く敗北を喫するとはな!!無念を通り越して愉快で…………滑稽だ!!」
止まらない笑いを消す為なのか、何かを押し止める為なのか、天を仰ぎ見てそしてその場にどかっと座り込む。
「恥は、ここに捨ててゆく」
ゆったりとした動作で自身に向けられる刃。その動きに躊躇いは、ない。
切っ先が鈍く煌めく。
教会の鐘が風に揺られて音色を響かせた。
それは葬送の、諸行無常の響き。
結局はこの男の上で在りたいだけであった。
認めたくなかったのだ。この俺と血が繋がっている事を。
下とは言っても然程変わらぬ身分であった事を。
全く、ちっぽけな人生であった。
既に空に雲は無く、元通りの青すぎる空。
白銀が煌めいて翻る。
純白と透き通る蒼の輝きに彩られ、紅が大地に広がった。
「…戻るぞ、ウルミ」
「…うん、ツル」
因縁が一つ、片付いた。
最近更新遅くて申し訳御座いません…最新話更新です。
このお話の主人公は誰だ!?てなりそうですが間違いなくエル様です(笑)
いよいよアウベルス編最終段階です。次回でトキワくん決着つけられるよう…頑張ります(笑)
8月18日加筆修正致しました。




