探求は珈琲の薫りとともに
穏やかなオルゴールの音色が、心地よい音量で流れる落ち着いた空間。快適な温度に設定された空調の微かな音と時を刻む音が、その音色を更に優しいものにする。
他の客はいない。
鼻孔をくすぐる珈琲の芳醇な薫りが、極上の空間を演出していた。
花織と市山は待っていた。待ち合わせ。そう、あの名刺の女性とである。ここは彼女の指定した喫茶店・蘆屋堂。会社近くのお店は色々愛流と共に回って来た花織だったが、路地裏を更に進んだ所にこんなお洒落な喫茶店があるのは知らなかった。
隠れ家的な、そんな場所。
「なぁ、露草。アポ取ったときどんな感じだった?」
市山が珈琲を一口啜り、花織に問うた。カチャン、とカップを置く小気味良い音が穏やかな空間に鳴り響く。初めて会う相手だ。少しでも情報が欲しいのだろう。
「うーん。なんて言うか、感情の起伏が感じられない喋り方…、だったかな」
手帳を眺めていた花織は顔をあげ視線を市山に移した。因みにこの手帳は今回の異動にあたり新調した物だ。勿論、それまで使っていた物は十分に余白があり、今年もまだまだ終わらない為勿体ない事をしているのは分かっているのだが、何分社長室付きの特別業務なのだ。愛流捜索、という花織にとっては何としても成し遂げたい内容だけに新しい物を用意したのだ。それだけ気合が入っている、と言えば分かって貰えるだろうか。
「まぁ電話の声って実際とは少し違うもんだけどなぁ。はぁ、まいったよ。俺までアイツの捜査班になるなんてな。まるで警察か探偵になった気分だよ」
「文句ばっかり言わないの。あんたもあの現場にいたんだから。それに愛流の事、気にしてるんでしょ?」
「な、そっそんな事、ない、ぞ?」
分かりやすい男だ。途端にどもりだした。すぐ態度や顔に出るから、コイツが愛流の事を好きな事など皆承知の上だ。子供みたいな構い方するし。周りが知っているなんて思ってないのは当の本人と市山の気持ちに全く気付かない愛流だけという、なんとも言えない状況だ。見ていてなんか青臭い…というか、お前らはラブコメの主役とヒロインかっ、と心の中でいつもツッコんでいる花織であった。
「そ、それにしても遅いな。10時にここで、ていう話なんだろ?もうすぐ10時だぞ?」
慌てながら市山は話を変えてきた。愛流の前ではあんなに自信満々なのに、このカッコつけめ…と思いながらも確かに約束の時間に近付いている事に気付く。
てっきり刑事というから時間厳守で我々より早く来ているかと思って、普段よりも早く社を出たのだが、到着してみればこの通り。どうやら取り越し苦労だったようだ。
そんな事を考えていると扉が開く音が唐突に店内に鳴り響いた。
そこに立っていたのは長い黒髪を無造作にまとめた一人の女性。化粧も薄く、身に纏うパンツスーツもきっと動きやすさを重視しているのだろう、おおよそ飾り気というものには程遠い出で立ち。だがその目鼻立ち、スタイル、どこをとっても完璧で、美人。そんな言葉が本当にピッタリな人物だった。
「露草さんと市山さんで宜しかったですか?遅れて申し訳ない、私が小鳥遊静奈です」
「いえ、時間通りなので問題ありません。あ、どうぞお掛け下さい」
すいません、と言いながら向かいの席に彼女は腰掛けた。注文を取りにきたマスターに何時ものを、と短く答える。
何時ものような、営業のようなやり取りを簡潔に済ませ、花織は本題を切り出す事にした。
「さっそくですが、小鳥遊さんは不可解な失踪事件を専門とされていると伺っているのですが、今回の件についての見解をお聞かせ頂けますか?」
「ええ。率直に申し上げると今回の失踪事件、…信じられないかもしれませんが異世界が絡んでるでしょう」
「異世界ぃ?また突拍子もない」
市山が素っ頓狂な声をあげる。公務員たる刑事の口から異世界なるファンタジーな単語が飛び出したのだ。しかも大真面目な顔で。無理もあるまい。
「あら、ではあの魔方陣についてどう説明がつきます?」
言い返されて市山は黙ってしまう。確かにあの状況を説明しろと言われても市山でなくとも黙る他はない。それだけ異常な事態なのだ。
「異世界の者は魔術を使いますから、私は今迄関わった事件で何度か目にしたことがあるんです。ですが」
そこで彼女は言葉を止めた。異世界の者が魔術とやらを使って愛流を攫った。そういうことではないのだろうか?
「今迄の通例では魔術は使う本人がそこに居て、何かしらの口上を述べた後魔方陣が出現し術が発動していた…。しかし今回は突然魔方陣が現れ、鎌柄さんが消えている。誰かしらが誘拐目的で魔術を使った、とは少し考えづらいんです」
どういう事なんだろうか。少し混乱してきたので花織は頭の中で一度情報を整理する事にした。
まず、いきなり飛び出した異世界なる言葉。言葉通り解釈するなら読んで字の如く私達のいるこの世界とは別の異なる世界。そしてその世界にいる者は魔術を扱うという。その魔術を発動するとどうやら魔方陣が現れる、という事らしい。
でもちょっと待って。
彼女は『異世界の者は魔術を使う』と言った。それはつまり『異世界の者がこの世界にいる』という事だ。となれば、仮に愛流が異世界に行ってしまったのであれば同じように異世界に行き連れ戻す事も可能なのではないか?
「露草さん、半分正解で半分外れです」
花織の心の中を読んだかのように小鳥遊が言葉を発した。
「異世界から来た者達は自分の意志でこちら側に来たわけではなく、大きな力に巻き込まれた、と皆口を揃えて言うのです。そして、元の世界に戻る事も出来ない…と」
「…それはつまり、世界の行き来は不可能、と?」
ようやく少しだけ見えた希望の光が陰り始める。これではどうする事も出来ない。
「お待たせしました、静奈さん」
突然、淹れたての珈琲の香りと共に低く渋い男性の声が降り注ぐ。マスターが彼女の注文した珈琲を運んで来たのだ。
「また、あの世界絡みの事件ですかな?」
映画俳優のような整ったその顔に微笑みを浮かべ、マスターは殆ど音を立てずしてカップを置いた。
「ええ。マスター、今回はどうも厄介な事になってるみたい。なので捜査に協力願いたいのですが」
「ふふふ、今回『も』の間違いでしょう。それで…おっと、クライアントの方々に失礼でしたね」
置いてけぼりにされる花織と市山に気付き、マスターは私たちの方を向く。
「私、蘆屋満武と申します。ここのマスターをしながら異世界について少々研究をしておりまして。以後お見知り置きを」
「マスターには異世界絡みの事件でお世話になっていてね、今日の待ち合わせをここに指定したのもマスターに貴方達を会わせるためなの」
暖かそうな湯気の上がる珈琲を口に、小鳥遊は微笑んだ。
「皆様にはまず魔術という物をご覧に入れましょう。魔方陣を一度見たとは言ってもまだこの状況を理解出来てはおられないでしょうしね」
徐ろに人差し指で空中にマスターは何かを描いた。
「…冷徹に、怒りのままに欲するは、光の産まれる紅き揺らめき。望むその時叫びを捧げん」
マスターの指先にあの時見たものとよく似た小さな魔方陣が現れた。花織と市山の驚愕の表情をよそにさらにマスターは小さく叫ぶ。
「…イグナイト…!!」
ボウッと音を立て、指先の魔方陣からゆらゆらと揺れる炎が現れる。
「これが魔術です。如何でしたか?」
「凄い…。まるで映画かゲームみたい…」
「マジックのたぐい…じゃないよな」
「勿論、マジックなどでは有りませんよ。最も、マジシャンの中には極稀に魔術を使っている方もいらっしゃるようですが」
指先の炎をふっと吐息で掻き消して、マスターが笑う。
「私は正真正銘、この世界の住人。なのに魔術を使えた…。この意味、お分かりですかな?」
『異世界の者は魔術を使う』
小鳥遊は確かにそう言った。しかし、たった今炎を出したマスターは『この世界の住人』と言い切った。
勿論、マスターが嘘をついている可能性は否めない。異世界から来たという事実を隠したい、そう考えていても不思議ではないのだから。だが、魔術を我々に見せておいて、それを隠すメリットはあるのだろうか?そもそも隠しておきたいのであれば最初から魔術の披露などする必要がない。
ここはマスターが『この世界の住人』として考えて見る事にする。
仮定した上でまとめると、魔術とは『どちらの世界にいても』知識と技術さえあれば、異世界の者であろうがなかろうが使う事が出来る、という事になる。
とすれば異世界なる存在は私達のいる『この世界』と全くの別物という訳ではない、とは考えられないだろうか。
「…異世界とこの世界には繋がりが存在する…」
「貴女は聡明なお方なようだ。仰る通り、二つの世界は繋がっている。いえ、どちらかと言えばコインのように裏表のような関係性という方が良いのかも知れません」
マスターは花織と市山の空いたカップにおかわりの珈琲を注いだ。私の奢りですよ、と微笑む。
「私の家系は退魔業を生業としておりましてね。古来より異世界の者との交流があるのです。そして、沢山の知識が一族にもたらされた」
「…知識、というと?」
市山が問う。
「かつてこの世界は一つであった…というより我々が『異世界』と呼ぶ方が本来有るべき世界であり、そこに住む人間達が魔族に支配されない『人間』が主導権を握る世界を望んだ結果生まれたのがこの世界なのだと」
人類の謎をさらっと解き明かしてくれる。世の歴史学者が聞いたらどうなる事だろうか。少々頭痛を覚えた花織は蟀谷に手を当てた。
「…俄に信じ難いですがこうも有り得ない事を立て続けに目にしているので信じる事にします。それで異世界の『人間』は誰に望んでこの世界を作って貰ったのですか?」
「…私も散々調べましたがそこまではどの文献にも記述がありませんでした…。ですが、今重要なのはそこではなくこの世界と異世界が元々は同じ世界であった、という点です。元々同じだったからこそこの世界にも古くは魔術を使う者がいた。しかし、『人間』に仇なす存在の魔族がいない、もしくは絶対数が少ないこの世界において魔術は存在価値を失いその技術は歴史に埋もれ、やがて科学が発展したのです」
なるほど。だから今この世界でも異世界と同じように魔術が使えるのか。
先程小鳥遊はこう言った。大きな力に巻き込まれ魔族はやってきた、と。
だがあちらで大きな力が働くのを待つのは非現実的だ。何しろ向こうの状況が分からないのだから。
だとすればこちら側から大きな力が働けば、もしかすると魔族がこちらに来たように私達も異世界に行く事は可能なのではないのか?
「小鳥遊さんから先程伺ったのですが、魔族は大きな力に巻き込まれこちらに来た、と。具体的に大きな力とはどのようなものだとお考えですか?」
市山も同じ考えに至ったようだ。
「お二人は混乱せず話を飲み込んで下さるので実に有り難い。…大きな力とは恐らく魔術同士のぶつかり合い。それも先程見せた魔術よりももっと威力の高いもの同士でしょう。戦争が起こった、とも言えるかもしれません」
そういう事か。戦争となればより威力の高い魔術を使う可能性がある。恐らくそこにいた兵士である魔族が巻き込まれ、偶発的に世界をまたいでしまった。それがこの世界に魔族が存在する理由なのだろう。
しかし、ここからが問題だ。同じように威力の高い兵器がぶつかる戦闘地域に赴くか魔術同士をぶつけるか二つの選択肢が出て来た訳だが、戦闘地域という選択肢は流石に無理がある。まずそんな場所に行っては異世界に行く前に死んでしまうのがオチだろう。とすれば自ずと魔術同士の一択になる訳だがまず私達は魔術を使えない。これから覚えるという手も無くないが時間がかかり過ぎる。それにそもそも覚えられるかどうかすら分からない。
「…マスターは威力の高い魔術の使用が可能なのてすか?」
マスターは首を横に振った。
「ですが、使用できる人物を二名知っております。そこで貴女方にお願いしたいのですが、その二名をここに連れて頂きたいのです」
「その二名というのはまさか…」
小鳥遊が俄に表情を曇らせた。心当たりがあるのだろう。
「そう、静奈さんのよく知っているあの方々ですよ」
マスターは、にっこりと笑った。
今年の終わりがけにこんばんわ。
いつも有難うございます。最新話更新です。
ちょいちょい花織サイドを挟むスタイルで行こうと思います。
今年は私にとって作品を初めて投稿するという特別な年となりました。
来年もどうぞ宜しくお願いいたします。
8月8日加筆修正致しました。




