刃を抱く黒き森
セイラの平原を北西に二時間程度歩いた頃、私達は黒霧の森に到着した。
鬱蒼と生い茂る手付かずの森は、日の光を遮り、昼間だと言うのに少し薄暗く、森といえば神社のそれをイメージしていた私は軽くショックを受けた。神秘的には程遠い、一言で言えばオバケが出そうな、そんな感じ。
オバケと言えばレイちゃんとバースさんが魔獣の巣だと言ってたっけ。確かに、そこかしこから何かの視線を感じた。
だが二人の言う通りこちらを襲って来る訳でもなく、ただジッと見ているだけ。それはそれで不気味なのだが、不要な戦闘を避けられると考えると多少の居心地の悪さは我慢出来そうな気がした。
「さぁ、もうすぐアウベルスですよ、エル様」
前を行くレイちゃんが笑顔で私にそう言った。旅の仲間が増えた事で本当にそろそろ食料がヤバい。ここに来れば食料問題は解決すると踏んでいたが、森に着いて考えが少し変わる。
鑑定魔術、アプレイザル・アイ(いつかみたいに新しく編み出したんだ)で食べられそうな物は把握済みだが、それでもやっぱりここに長居はしたくない。
「ようやく着くか~。こんなに歩いたの本当に久しぶりだよ。着いたら取り敢えず、お風呂に入りたいな」
夜、皆が寝静まってから下着だけはドレッシングドールで新しい物を作っていたが、日本人たるものやっぱりお風呂に入りたい。
「お風呂、とは何でしょうか…?」
ウルミちゃんが不思議そうな顔をする。その一言で時が止まったような錯覚を覚える。
「え…も、もしかして…この世界ってお風呂ないの!?」
衝撃の事実。ど、どうしよう。お風呂が無いのは想定外だった。私、嫁入り前なのにお風呂に入れないのは耐えられない!!…でもそうだよね。ここは異世界。蛇口を捻ればお湯の出てくる世界ではないのだ。とすれば、皆体の汚れって一体どうしてるのだろう。
「お風呂ってお湯を張った桶に浸かったり身体を洗ったりするものだよ。レイちゃんももしかして分からない?」
「?体なら夜お湯で温めた布で拭く位ですよ?ねぇバース。お風呂って聞いた事ある?」
「遠い地の人族が治める大国ではそういう習慣があるとは以前聞いた事はありますな」
「トキワくんもツルバミくんもウルミちゃんも皆里ではどうしてたの?」
「水浴だ(です)」
三人は声を揃えてそう言った。
…だ、ダメだ。これはいけない。私、お風呂大好きなのに。またやる事が一つ増えてしまった。絶対にお風呂作ってやる。
「殿、エル様」
和やかな雰囲気が一気に緊迫したものに変わった。
何か来る。私にも分かった。皆武器を構えて身構えた。
因みにレイちゃんとバースさんはいつものように物陰にすでに隠れていた。こういう時の二人の行動はとても早い。
「懐かしいその魔力…。やはり私の予知夢は正解だった…!!」
現れたのは、体から鬣に至るまで全て純白の、この世のものとは思えない程とても綺麗な白馬だった。
ただ一つ、異様に感じたのはその額には金色の角が生えている事。神々しくも禍々しい、これが魔獣というものなの?
…しかし、懐かしいとはどういう事だろう。事実、目の前の白馬からは敵意らしいものは全く感じられない。堂々とした佇まいで、何処かその瞳は嬉しそうに穏やかなものだった。
「千年の悠久の時をこのトゥランヌス、貴方様の…エル様のご帰還をお待ち申し上げておりました。…あぁ、こんなに嬉しいことはない!!」
トゥランヌスと名乗ったその白馬は(白馬が喋っているのはもはやノータッチだ)跪くように私の前で恭しくその頭を垂れた。
「ちょ、ちょっと待って!!そんな事されたら恥ずかしいよ。取り敢えず頭上げて、ね?」
「おぉ…、下僕に対して何とお優しい…。あの頃と変わらない、紛れもなくエル様だ…」
うぅ、何か調子狂うなぁ。こっちに来てから会う人会う人皆に頭を下げられてる気がする。前世の私ってホントどういう存在だったんだろう。
「エル様の仰せの通り、この森にて風尽の守護、見事果たして見せました!!」
褒めて欲しい、そう言わんばかりの瞳で私を上目遣いで見上げてくる。
不覚にもかわいい、と思ってしまった。
「あ、ありがとう。ところでふうじん…?て何かな?」
疑問に感じた単語について質問してみる。
ふうじん…ふうじん…?だがどんなに考えても頭に思い浮かんだのは風邪薬のアレだった。しかしあの風神が出てくる私の想像力って一体…。
だが、一人自分の想像に悶える私以外の周りの皆は一様に驚愕の表情を浮かべていた。
「あ、あれ?皆どうしたの?」
「まさかあれが実在したとは…しかもこんな近くの森に…」
ツルバミくんだけは何故か嬉しそうな顔をした。一体ふうじんってなんなんだろう。
「な、何と…!?風尽をお忘れか?…そうか、エル様は転生なさったのでしたな。無理もございません。風尽とはエル様が千年前の騒乱で振るわれた最強と名高き魔霊神器。…おっと、実際にご覧頂くのが早いでしょう。さ、どうぞ我が背中へ。ご案内致しましょう。お連れの方々もついてくるが宜しい」
遠慮したのに、私はトゥランヌスの背に半ば強引に乗せられて森の中を更に進んだ。
乗馬なんてした事なかったけど、視界は高くなるし、心地よい一定のリズムはなかなかの快適具合だ。何よりここ最近は歩いてばかりだったからうっかりしていたらそのまま眠ってしまいそうになってしまう。
因みに、森の中の魔獣が襲って来なかったのはトゥランヌスが魔獣に指示を出していたからなのだそうだ。レイちゃんとバースさんがここを通った時襲われなかったのも二人が私を呼び出すのを予知夢で見たから、との事だ。
魔獣に指示を出せるのは自分とエル様だけ、故に自分は魔獣王と呼ばれている、とどこかトゥランヌスは誇らしげに語った。
突然トゥランヌスは木々の生い茂った行き止まりのような場所で立ち止まった。一体どうしたのだろう。
「森の精ドリュアデス達よ」
トゥランヌスが言葉を発したその直後、何処からともなく風が吹き私は思わず目を瞑った。
次に目を開いた時、そこには綺麗なエメラルドグリーンの髪と瞳の可愛らしい二人の少女が立っていた。
今まで双子には何度か会ったことがあるが、そのどれよりも違いを見つける方が難しいくらい。背格好も服装もどれも全て同じで見分けが全くつかないほど二人はそっくりだった。
『お呼びでしょうか。魔獣王様』
微笑みながら少女達は優雅に会釈する。まるで合せ鏡を見ているかのように同時に発する声もその動きも一切の狂いが見られない。
「我らが王、宵闇の魔女の帰還だ。畏まって結界の中に我らを通せ」
「とうとうこの時が来たのですね」
「我らの希望、この世の誉れ。魔女様、お待ち申し上げておりました」
左右に並んだ少女達はお互いの片方の掌を合わせあい目を瞑った。同時に緑色の光が彼女達を包み込む。
「数多に煌めく恵みの雫よ」
「育む枝葉の深緑よ」
二人の言霊が足元に魔方陣を形成してゆく。
『彼は望み、彼は願う。悠久の風を抱きし緑の賢者、蠢く大地の白き門。四方の精は祝福を与えん。…レイバノス・フィスベルテ・クルスニハ・ゼニオン・フェギレイ・セイスフェイ…』
言霊の言語が途中から変わる。これは古代精霊語だ。古代精霊語は失われた言語。それを詠唱に用いるのは精霊魔術しかない。
勿論今の今まで古代精霊語の存在なんて知らなかったけど、耳にした途端に知識が頭の中に溢れ出したのだ。
これは魔女としての前世の記憶。最近、こうして前世の記憶が呼び戻される事が増えたような気がする。
「開け」
「そして我らを導け」
『…エーテルコリドール』
空気の色が変わった。
精霊魔術は通常の魔術のように大地の気脈を使わない。大気中に存在する精霊の力を借り受けるのだ。そもそもの大前提からして別物なのである。
だが、これだけ理解出来ているのに関わらず私の記憶には精霊魔術の知識はあるにはあるがスペックウインドウには一言【使用不能】とだけ記載されていた。
どうやら魔女といえど魔術なら何でも使える、という訳ではないようだ。
緑の光が収まる頃、少女達の間に白く楕円形の裂け目が現れた。一体これは何なんだろう。
「お待たせ致しました、魔女様」
「これはこの森の聖域に繋がる回廊。どうぞお通りを」
二人の少女に誘われ、私達は光の裂け目に足を踏み入れた。
光の回廊を抜けると、そこは陽光差し込む拓けた場所だった。
魔獣はおろか、動物の気配すら感じない。どこまでも静かで、そしてどこか神々しい。
空気が違う。きっとそれは気の所為ではないだろう。
広場のようになっているこの場所の真ん中に綺麗な水を湛えた、小さな泉が湧いていた。そしてその泉の上にあるもの。
それは、静かに宙に浮いていた。
タロットカードの死神が持つような、大鎌。だけどその刃はとても綺麗で、吸い込まれそうなほどにプラチナ色に輝いている。
刃を止める部分も、その柄もとてもこの世の物とは思えない繊細な細工が施され、見るものを圧倒する気品を放っていた。
だがこの大鎌の凄さは見た目などではなく、魔力だ。そこにあるだけなのに大鎌は引き裂くように鋭い、凄まじい魔力を放っていた。手にする事はおろかこの場より一歩でも近づくだけで命を刈り取られかねない、といえばその凄さが分かるかも知れない。
「あれが、風尽にございます。エル様」
突然、記憶の奥から何かが溢れ出す。
そうだ。これは風尽。
私の魔霊神器。相棒と呼ぶに相応しい私の半身。
トゥランヌスの背から降り、恐れずにそっと近づく。するとどうだろう。あれだけ周囲を威嚇するように激しい魔力を溢れさせて宙に浮いていた風尽は独りでに私の手に滑り込んだ。
久しぶり。ごめんね。いっぱい待ってくれたね。
ドクンッ!
心の中で呟くと風尽から脈動を感じた。力の奔流が私の中に流れ込む。
あぁ、そうだった。
私はトゥランヌスの背に乗り、風尽を手にこの世界を駆け抜けたんだ。アルバムの中の写真を頭の中でばら撒いたかのように、断片的な記憶が頭の中に溢れる。それはまるで未完成のパズルを組んでいるかのような感覚。そのピース達が私の記憶の隙間を埋めてゆく。
「なんとゆう力だ…。これが風尽か」
トキワくんが神妙な顔付きでこちらを見つめる。
「…伝説通り、凄まじい得物ですね。…一度振るってみたいものです」
ツルバミくんは子供のように目を輝かせた。いっぱい武器を持ってるのってきっと武器が好きだからなのもあるのだろう。
「こぉら、ツル。あなたはまた。エル様、これで完全に復活で御座いますね」
ツルバミくんを諌めながらもウルミちゃんも何処か嬉しそうだった。
「でもね、この子まだちょっと眠たそうなんだ…。ずっとここで待っていてくれたんだもん、仕方無いよね…」
「なんと!これ程凄まじい力を発しながらまだ本調子ではないと?」
「ホントの風尽ってもっと凄いの!?」
レイちゃんとバースさんが吃驚していた。二人だけじゃない。トゥランヌスとドリュアデス達以外は皆驚愕の表情を浮かべていた。
「本調子でなくともこの時代、風尽に並ぶ魔霊神器などありますまいて」
そう言うとトゥランヌスは再び私の前で頭を垂れた。それに続きドリュアデス達も私の前で跪く。
「改めて申し上げます。宵闇の魔女、エル様。この度のご帰還、誠にめでたい限りにございます。…このトゥランヌス並びに我が配下の魔獣、そして森の精たるドリュアデスらは今一度、あなた様に永久の忠誠を。どうか、我らにお導きを!!」
私はエル。宵闇の魔女。
今まで魔術を使ったりして感じきた漠然とした実感じゃない。
私は魔女だ。紛れもなく。
恐い訳じゃない。人でありたい気持ちは今もある。だけど、今私はすんなりとこの事実を受け入れられる。
この世界に戻って来たのはきっと私自身の意思なのだ。
少しだけ前世の記憶が戻った瞬間、私の中で何かが変わったのを感じた。
「トゥランヌスにドリュアデスらよ、汝らに命ずる。我の手足となり、再び我に従え」
跪く彼らに片手をかざし、私は命じた。
「御意に、エル様」
「再びお仕えできる事」
「嬉しく思います」
……………………………。
………て、やっぱやめやめっ!!こんなの私のキャラじゃない!!
「…ちょっとカッコつきすぎちゃったね。昔の私とは違うかもしれないけど、皆私の事助けてくれたら嬉しいなっ」
照れ隠しに頭を掻きながらトゥランヌス達に微笑んだ。
…少し意識し過ぎちゃったみたい。
そうだよね。例え前世の記憶が戻ったとしても私であることには変わりないよ。
「エル様、今凄いかっこよかった…。急に喋り方変わるんだもん。吃驚しちゃった!!」
皆も同じ感想なのだろう。啞然とした表情を浮かべていた。それを見て途端に耳と頬が熱くなるのを感じた。
…やってしまったかもしれない。
「待って、今のナシ!!もう一回やらせて〜!!」
「何でですか?かっこよかったよね、ウルミちゃん?」
「ええ。歴史的な場面に遭遇したかと私、感動しました!!」
「や〜め〜て〜!!恥ずかしすぎる〜!!」
恥ずかしがる私をよそに皆口々に称賛の声をあげる。
まいったなぁ。もっと考えて喋らないと。すぐ調子に乗っちゃう私の悪い癖だ。
ま、まぁそれはそれとして。
もうすぐアウベルス。前世の私の仲間のトゥランヌス…呼びにくいな。トゥラちゃんて呼ぼっか。それにあの二人は…どうしよう。うーん、確か二人でドリュアデスって言ってたから…。ドリちゃんとリュアちゃん?…うん、そうしよう。アデスじゃちょっと可愛くないし。どっちがどっちかはまた二人と相談するかな。
昔の仲間も増えて、何だか本当に賑やかになってきた。やっぱり魔女にはなかなかなりきれないけど、私がアウベルスを…皆を守るよ。
だから私の事助けてね、風尽。
またこれから宜しくね!
いつも有難うございます。
エル様意識しすぎて変な喋り方をしてしまう(笑)
感想頂けたら嬉しく思います。ガラスのハートなのでお手柔らかに(笑)
8月4日加筆修正致しました。




