覆水は盆に返らず
またやっちゃった。私、鎌柄愛流は深々とため息をついた。
今日は大事なお客様を呼んでの企画プレゼン。…なのに書類整理の最中要らない書類と一緒に今日の資料まで全部シュレッダーしちゃった。おかげで時間に余裕がないのに全部刷り直し。
うぅ、みんなの視線が痛いよぉ。
「愛流」
ふと同僚の花織が話しかけてきた。
同期入社で2年目なのだが、凄くやり手。ショートボブの黒髪、白のノースリーブに黒のタイトスカート。私が選びがちなゆるふわ系とは正反対のキリッとした着こなし。そのルックスも合わさって花織のイメージは正にキャリアウーマンのそれだった。そんな花織は実は今回のプロジェクトのサブリーダーであったりする。
「花織ぃ〜ごめんなさいぃ〜」
涙目の私は花織に泣きついた。もうすでにこの光景は日常の一部と化していた。
「もぉ、あんたはしょうがない娘なんだから。だからみんなに破壊王なんて呼ばれるのよ」
うぅ〜、と半泣きの私の頭をポンポンしながら花織はそう言った。本当、同い年とは思えない。まるでお姉ちゃん…いや、何というか男前?ついついそんな事を考えてしまう。
「あんたは優秀なのにどんくさいんだから。まぁ、そこがあんたの可愛い所なんだけどね。ほら、後はこの資料ホッチキスでまとめるだけだから。あんたはお茶の準備でもしてきなさい」
なだめるように花織はわたしを給湯室に促した。きっと、それは花織の優しさには変わりないがそれと同時にさらなる私のやらかしへの対処なのだろう。親友の思惑に気付いてしまった私はしょんぼりしながら給湯室へと向かったのだった。
「よう、破壊王」
給湯室に入ると中にいた市山が話しかけてきた。
「うるさいなぁ。これでも私は今傷心中なんだぞ」
これまた同期の男、市山。いつも私をいじってくるヤなヤツ。ニヤニヤしやがって、ちくしょう。
そういえば破壊王、て渾名市山がつけて来たんだっけ。いつの間にかそれが皆にも定着してうっかりしていたら他の部署の人にまで破壊王って呼ばれる時があるんだ。本当の事とはいえ、大変遺憾だ。
「ふーんだ。どうせ私は破壊王ですよーだ」
「おーおー、膨れてる膨れてる」
ケラケラと笑う。
「まぁ、そんなにしょんぼりしなさんな。お茶の用意は済んでるからお前持っていきな」
「え?」
「野郎がお茶運んでも嬉しくないだろ。じゃあ頼んだぜ」
「あ、ありがとう」
そう言うと市山は手をヒラヒラと振り給湯室を後にした。
もぅ、ズルいヤツ。昔からアイツはそうなんだ。からかったと思ったらそっと手を差し伸べる。だから、憎めない。
「おっと言い忘れてた」
ひょっこり入口から市山が顔を覗かせる。
「こぼすなよ、破壊王」
じゃあな、とイタズラっぽい笑みを浮かべて去ってゆく市山。前言撤回。やっぱりアイツはヤなヤツだ。
ていうか。
「ちょっと、フラグ立てないでよぉ」
こぼしてしまう未来が見えてしまった私と、お茶の乗ったお盆だけが給湯室に取り残されていた。
「わ、私だってやればできる子なんだから!」
口に出して気合を入れてみた。端から見たらシュールなんだろうなぁ…。ただ、今は恥ずかしさよりも緊張のほうが勝っている。
さあ、ミッション開始。ミッション名はお茶運び。どう考えてもミッションにすらならない事なのに、既にやらかした私にとっては本日の最重要任務にレベルアップしてしまっている。
ゆっくりとお盆を持ち上げ、まるで狂言師の如くそろそろと給湯室を後にする。
給湯室を出た所で周りの視線が私に集中するのが分かった。だ、駄目だ。どうしよう、お盆を持つ腕がぷるぷるしだしてきたぁ。会議室は突き当りを左に曲がった所。うぅ〜遠すぎるぅ。
私は既に半泣きだった。
どうにか会議室まで辿り着いた。扉の前には花織が待っている。どこかそわそわ落ち着かないようであった。
そして、その隣にはニヤニヤ顔の市山の姿。あんにゃろう、私が零すの期待してわざわざ見に来たんだ。ふーんだ、期待には沿いませんよぉだ。
「珍しく期待を裏切ったな」
「もう、市山。からかわないの。…お疲れ様、よく零さなかったわね。えらいえらい」
「花織〜私頑張ったよ〜…て、きゃあ!!」
もうすぐゴールなのに。それなのに。足を撚った私はそのままの形で吸い込まれるように床に倒れだした。
またやっちゃった。なんだか近づく床も、溢れるお茶もゆっくり動いているように見えた。なんで私こんなにどんくさいんだろう。気をつければ気をつけるほどそのどんくささには磨きがかかる。床、お茶で汚れちゃうな。またみんなに迷惑かけちゃう。あ、私の服も汚れちゃうかな。お気に入りなのにな。もしかしたらどこか怪我しちゃうかも。
もうすぐ、床にぶつかる。
その時。ピンクとも紫とも言えない光と共に見たこともないような字で描かれた魔方陣が床に現れた!!
え、ちょっと待って。何これ!?一体何が起こってるの!?
「あぁ~~!!」
光は体を包みこみ、倒れこむ形そのままに私を吸い込んでゆく。消えゆく私が最後に見たのは、花織と市山のなんとも言えない驚愕の表情。
後に残るのは零れたお茶と、床で弧を描きながら静止に向かおうとするお盆。そして手を伸ばした形で固まる花織と余りの事態に凍り付く市山。空気が、凝固する。
昔の人は上手く言ったものだ。覆水盆に返らず。起こったことはしょうがない。元にはもう、戻らない。
けど、こんな不思議な事ってあるものなの?日常の消失なんて以外に呆気ない。呆気ないのだ。
こうして私、鎌柄愛流はこの世界から消失したのだった。
初投稿です。お目汚しになるかも知れませんが、楽しんで読んで頂ければ嬉しく思います。
7月29日加筆訂正致しました。