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メビウスなふたり

作者: 天野井 倫

※軽い気持ちで読み流してください


それはいつもの日常であるはずだった。

料理人達が丹精込めて作ってくれた軽食をつまみながら、本題に入る前に客人と軽く世間話をする。それで心が少しでも解れてくれればいいのだけれど、と思いつつ、私はつい先日に起きたらしい信じがたい話を切り出した。……いや、起きたことは知っている。私がそれを信じたくないだけなのだが。


「率直に訪ねます、フィー……いえ、フェオドラ・リヴァルタ子爵令嬢。あなたは、婚約しているデバル侯爵のご子息から婚約を破棄されたのね?」

「ええ、まあ」


否定することもなく素直に頷いた彼女を見て、あの侯爵のドラ息子はなんてことをしたんだと怒りが渦巻く。

私とリヴァルタ子爵家(正確にはそこの女主人、ルジアンナとだが)は仲が良い。それは学生時代に仲良くしていたこともあるだろうが、それ以降も良好な関係を築けていることが大きい。


「大丈夫? 落ち込んでなどない?」

「不躾なことを言うようで申し訳ないのですが、正直彼とは上手くやっていける自信がなかったもので……」

「…………ええ、それは分かっていたわ」


それに好みではなかったですし、と小声で続いたフェオドラの言葉を私は黙殺した。ええ、あなたの好みは知ってるからね。

この婚約は王家が取り持ったものであるが、それに私は一切関わっていない。私が外務で不在の間に、大臣が旦那を──国王を唆し、決まったものだ。故に私が不当な婚約である、と後から取りやめることさえも出来ず、王家からの縁とあれば些細なことで破棄など出来ようもない。……そのはずだった。

そもそもこれは、領地経営が破綻しそうなデバル侯爵からの必死の懇願により、王家がその援助のためにと取り持った婚約である。

それを懇願した側が破棄を言い出すなど前代未聞だった。


「まさか彼も子供を作るなどという手段で破棄するなんて……」


フェオドラは、ゆるやかに首を振る。馬鹿なことを、と続いたであろう言葉尻は飲み込んだらしい。

この国では婚前交渉などもっての外だ。したければ妊娠しないように気を配る必要があるのは当然、もし「気がそぞろ」になった結果、婚約相手以外との間に子供が出来てしまえばそれを理由に婚約を破棄することは可能にはなる……のだが。


「ここ数年はいなかったわよね」

「…………、そう……ですね、もう少し前まで遡っても」


身分が高い相手が仲介人として成立した婚約を破棄するためには、前述した方法しか──別の相手を妊娠させるしかない。

それは言い換えれば「私は婚約者を蔑ろにし、別の女性の元へと通った挙句そこで子供を作りました。その責任を取るため、現婚約者とは別れ浮気相手と結婚します」と大声で叫んで回るようなものである。

この国では別に妾を取ることを否定している訳ではないので、賢い連中は正妻と政略結婚をした後に、別の本命女性を妾として娶るということをする。それは悪ではないのだ。……ないのだが、今回の場合ドラ息子の相手は公爵令嬢である。しかも腹には赤子がいるという。これがかなりまずかった。


既婚男性が妾として娶ることが出来るのは、自分よりも身分の低い女性に限られる。この場合、関係を持ったとされる令嬢はまだ未婚なので親の身分である公爵として見做される。それ故に、身分が一つ下の侯爵子息である男の妾には出来ない。ならば、侯爵令息が入婿として公爵家に入れば……と考えても、現(元、になったが)婚約は既に王家の取り持ちで成立しており、その前提条件として彼が次期当主として後を継ぐことが決められているため、それも不可能だ。

最適解は現段階で子をつくらず、お互いに世帯を持ってからの再接触のち現公爵令嬢が父親を偽って出産する、だったのだが……若い二人だ、そこまで待てなかったのだろう。考えも及ばなかったのかもしれない。その結果がこれでは怒るどころか嘆きも出てこない。


領地の経営も順調であり、パトロンとして援助している商会なども勢いに乗っているリヴァルタ子爵家。上位貴族とはいえ領地経営に困っていたデバル侯爵家。そして、至って普通の資金状況の──そう、他家に資金援助などするほどの余裕はない──令嬢の実家、公爵家。

いくらドラ息子が目の前に転がっている利益や、何も知らない公爵令嬢から注がれる愛にしか興味がなくても、そのあたりのパワーバランスは見極めていただきたいものだと、もう国にとっても利用価値の無くなった男についての評価を終えた。それくらい出来なくては貴族として失格である。


「それでフェオドラ、次のご縁は……」


そう言いかけて口を噤んだ。彼女が婚約破棄を宣言された場所が悪かったのを思い出したからだ。

年に数回ある、時季の変わり目での舞踏会。その開会直後であった。


先程フェオドラと口頭で確認し合ったように、ここ数年は結婚前の不貞行為で婚約を破棄した貴族はいなかった。

それは即ち、そういった機微を学ぶ前の「気もそぞろ」になりやすい貴族子息達に、どちらが悪かを判断する術がないことを意味する。学園で大手を振って不倫や婚約関係について学ばせる訳にもいかないが、図書室の入口に「読めよ!」と言わんばかりに置かれている編集済の小冊子がある。それはそういう類の一例と対処法がまとめて あるから、気付いて読めるなら分かるはずなのだ。だがしかし世間というのは物分りの悪い者の声が大きく聞こえる。そうなると当然、冊子すら読まない元学生達の声が大きくなり、読んだ良識のある者たちの声は排除されてしまう。

本来であれば子を成した侯爵子息及び公爵令嬢側が悪いのに、侯爵子息を自らの元に留められなかった子爵令嬢の方が悪いのだ、と認識してしまっても、おかしくはない。……おかしくはあるのだが、それを咎められるのはごく一握りにすぎず、また咎められるような知識のある貴族は、大概婚約が成立している。

あと数年で成人の間際に婚約者がいないというのは、家系的に問題があるか、それとも当人に問題があるか……である。


そしてリヴァルタ子爵は、そういった所謂「売れ残った」輩とでもいいから、と無理に愛娘の再婚約を推し進めるような貴族ではなかった。そもそも早急に婚約を推し進めずとも、デバル侯爵家ほど資金繰りに困っていないのだ。……デバル侯爵家ほど困っている家があっても、国家側としては困るのだが。

なお、私の息子──王子は、3人中1人は既婚で、残り2人は婚約者がいる。フェオドラは確かに可愛いけれど、婚約して何年も経つ2人を引き裂いて、妻に彼女を据えるほど、私は常識知らずではない。


「……そうでした、もう見所のある同年代は皆婚約済でしたね」

「いえ、何件かはあったようなんですが……あの方が舞踏会で婚約破棄を宣言してしまったので、どこも取り合ってはくれないだろうと父とも相談しまして」

「まだ宣言された場所が子爵家か侯爵家の私的なお茶会などであれば、対応は出来たかもしれないわね……」

「私も人目の有無に関わらず、素直に婚約破棄を受け入れようとは思っていたんですけどね……」

「人目がないとあなたがもみ消すとでも思ったのか……それとも、孕ませた相手と早く結婚したかったのかしらね」


推測はとどまるところを知らない。しかしこれ以上何を考えても先には進まないため、私はそれについての思案をやめた。

もっと建設的な事に時間を割くべきだ。


「フェオドラ。どなたか懸想している方はいるの?」

「……………………いません」

「いるのね」


彼女が幼い頃から知っているが、この分かりにくいようで分かりやすい態度は変わっていないし、いつ見ても大変可愛らしい。このまま健やかに育ってくれれば、とも思う。

それにしても、この国で軍事の中でも力仕事に関わるような体型の男が好きなのは過ごしにくかろう。私も嫌いではないが、 より見目のいい方に目が向いてしまうので、やはり相容れない。


「もう、素直になりなさい? アンナとも話しているんだから、あなたの好みは私にも分かっているのよ? それなりに鍛えられていて、ある程度頭も回って、独身で……そうね……」


大体彼女が物憂げな顔をしながら視線をそれとなく向けているのは軍部の方だ。その中で問題も特になく、婚約者もいないとなると……。


「ロードリック・ベ──」

「はうっ」

「──イリア副将軍」


フェオドラは手元にあったクッションに顔を埋めた。

一番()から言っていくつもりのようだったが、どうやら当たりのようだ。


「ここまできたら取り繕わなくてもいいのよ?」

「…………いえ、やめておきます」

「そう。で? どうなの?」

「畏れ多すぎます……ただ私はあの方を眺めているだけで、」

「ふーん……」

「王妃様、お願いですから私の話を聞いてください」

「大丈夫よ、フィー。時期を見て紹介してあげるから。あなたの好みが変わってなくて本当に良かったわ」

「そういうことではなくてですね!?」

「ではどういうことなの? ベイリア副将軍の他に、別にこれという殿方でも? あなたも例のご令嬢のようにどなたかと励んだりしていたの?」

「そ、そんな人などいません!」

「なら大丈夫ね! 子爵にも声をかけておくわ!」

「あっ、その……おっ、王妃様、それとこれとは違うんですぅ……」



  ★★★



王宮より少し離れた、王国軍の居留地にて。

王妃とその友人の娘がしていた話と似たような話は、ここでも繰り広げられていた。

……ここ数日は、件の話が聞こえないことは無いだろう。


「おい聞いたか? リヴァルタ子爵令嬢の話」

「俺さ、アレどう考えても侯爵子息の方が駄目だと思うんだけど……」

「マジ? 俺は子爵令嬢かなー」


ふと足が止まった。情操教育も出来ていない新人が軍に来たことに若干の危機感を覚えながら、ロードリック・ベイリアは口を開いた。


「いいことを教えてやろう。17年前に起こったアレな、元はといえば男側が別の女を孕ませたことによる婚約破棄だぞ」


17年前の騒動……西方反乱の裏事情を持ち出せば、反応しない軍人は居ない。それ程に、あれは意味の分からない発端の反乱だったからだ。


「えっマジっす……か……」

「ふふふ副将軍!?」

「如何なる悪法にも、制定されたからには理由がある。如何なる騒乱も、下らないものに思えても起きるだけの理由がある。……少しは学んでおくように」


目線を切り、詰所へと戻る。それにしても今回の婚約破棄は長く噂されているな、くらいの感想しかロードリックは抱いていなかった。



  ★★★



「……で? ベイリア副将軍、あなたはどちらを支持するの?」

「悪いのは全面的に男の方でしょう」

「なぜ?」

「婚前交渉の禁止、17年前のあの事件……更にリヴァルタ子爵令嬢、でしたか? 彼女の方にはこれといって浮いた噂も無く、また彼女が奔放だったという話も聞かないので」

「ふふ、そう。……なら、その子の婚約者になりなさいと言われたら?」

「えっ」

「貴方もそろそろ、所帯を持つべきでしょう?」

「……王妃様も冗談がお上手で……」

「あら、私が冗談でそんなことを副将軍たるあなたに言うと?」

「……」



  ★★★



3日後くらいのある日。王城に呼び出された俺は目を丸くするしかなかった。


「……王妃様も意地が悪い」

「嫌だわ、ベイリア副将軍。私はただ意趣返しをしているだけなのに……」


扉が開いた。目に飛び込んできた少女に、俺は釘付けになる他なかった。


噂では派手な赤色の髪を耳のあたりで結び、巻いていたようだが……柔らかそうな真紅の髪は結われることもなく、首元へと流されていた。少し垂れ目の蜂蜜色の瞳と、髪の色があわさって戦女神のようだ。困り果てた顔も可愛い。

体つきは……ドレスに隠れて分からないが、細すぎるということはないだろう。

彼女自身の身長がそれなりにあるせいか、履いている靴の踵は貴族令嬢が好んで履くような細く高いものではなく、歩きやすさを考慮したようなものであったことも、自分の中の評価が鰻登りになった原因かもしれない。

これが、件の彼女──フェオドラ・リヴァルタ子爵令嬢だろう。


目が離せないとは、今の俺のことを言う以外にない。

子爵令嬢というには少し庶民的すぎるような気もしたが──第二の母と慕う王妃様から気楽に、と言われていたのかもしれない。そのセンスも好みだった。

……つまるところ、一目惚れを、したのだ。



「じゃフィーちゃん、あとはよろしくね♪」

「えっ王妃様本気で……王妃様!?」

「じゃーねー♪」


二人が何かを話していたらしいが、俺の耳には入ってこなかった。それどころか身体全てが稼働を拒否している。ようやく元通りの自分を繕えたのは、王妃様が部屋のドアを閉めてから少し経ってからだった。


「……あの……、ベイリア副将軍……」

「リヴァルタ子爵令嬢、俺と結婚してくれませんか」


俺の口から出てきたのは、儀礼的挨拶を何段階かすっ飛ばした末の、直接的な求婚の言葉だった。


「ひゃい!?」

「……君が根も葉もない噂に悩まされているのもわかっている、それを隣で解決する手伝いが出来ればと思うのだが」

「えええいやでも、その……」


フェオドラ嬢の口から聞けたのが完全な拒否ではないことで、自分の中の暴走度合いが増していく。……ああ、ここまで脳筋な自覚はなかったのだが。

彼女の前で膝を付き、宙ぶらりんになっていたフェオドラ嬢の手を傷つけないようにそっと握る。


「俺のことは嫌い、ですか?」

「そんなことは……ないんですけど、あの、」

「ん? どうした?」

「…………て、手……は、ずかしい、です……」

「別に手を握ることが不埒なことでもあるまいし……まさか……」


……年は重ねてきている。そこまで俺も色恋沙汰に関して鈍感ではないと思いたいし、自意識過剰でもないつもりだが……これは、俺の事を好いているということで良いだろう。

飛び上がって彼女を抱きしめたい気持ちを堪え、なるべく優しげな声で問いかける。敬語も、使わずとも良さそうだ。


「……リヴァルタ嬢、自惚れているように聞こえたら申し訳ないが……何故俺のことを?」

「ええと、フェオドラで構いません。喋り方も、普段のままで……最初は外見でしたけれど……あなたが同僚を殺さないために、何度も作戦を立案した、とか」

「……ああ。彼らが死ぬことで仕事が増えるのが嫌だったから」

「出世欲もないのに軍の指揮を取った、と」

「いいや? やるやつが居なかっただけだ」

「……ごほん。お話を漏れ聞くうちに、こういう方となら、より良い国を目指して歩んでいけるのではと」

「物は言いよう、という熟語が俺の頭を過ぎるんだが」

「あと武官でいらっしゃるのに、考え方がたん……一辺倒ではないようですし……」

「元は書類仕事要員として軍に入ったからな」

「あっ……あと、所作や仕草が乱雑ではなく、ずっと見ていられますし」


見ていられる。誰を? 俺を?


「…………俺を、か?」

「私にはどストラ──と、とても、この、好ましい、のですが」

「一目惚れした相手に言われると破壊力が違い……違うな」

「はうっ」


つい笑ってしまったが、可愛らしい反応をしてくる彼女が悪いのだ。


「どうした? ベッドに行くか?」

「せっ、せめてソファに……お見合い当日にそんなことしたら王妃様に…………は歓迎されますわね……」


確かに、あの王妃なら「意気投合が早いのね! ならこっちも大手を振って旦那を叩きのめせるわ!」と言ってくれそうだ。


「ああ、愛らしいな……」

「そ、そういうことをいきなり言わないでくれます!?」

「……フェオドラ」


立ち上がり、彼女の肩をそっと抱き寄せる。

ああ、見上げてくる顔も、ほんのりと赤くなった耳の形すら可愛らしい。会ってみる前は、年の差もあることだし妹とまでしか思えないだろう、と思っていたが、そんなことはなさそうだ。

ゆっくりと、ソファへと彼女を誘う。


「好きだ、フェオドラ」

「ほ、本物の破壊力ぅ……」

「君にとっては不愉快かもしれないが、君が婚約破棄されてくれて良かった」


よく沈む座面に身体を預け、彼女を隣へ座るようにエスコートする。

ぽすん、と俺の右隣に収まるフェオドラ。あああ、と顔を手で覆っているのも見てて飽きない。夢? と小声で聞こえてくるのがなんとも可愛らしい、夢ではないと教えてやりたくなる。

……なるほど、この感情か。


「……フェオドラ、返事は?」

「へ、んじ?」

「婚約の。……結婚でもいいがね?」

「…………了承以外に返す言葉がありまして?」

「抱いていいかな」

「……キスまでなら」


このあとめちゃくちゃ子作りに励みかけて怒られた。


フェオドラ・リヴァルタ(17)

異世界転生したけど魔法とかもない世界だったので知識チートとかは特にしてない。というか両親が「出来る」ので、やったことといえば幼少期に無邪気な子供を装って一言二言かけたくらい。


ロードリック・ベイリア(29)

元は文官。仕事を押し付ける先が居なくなるのが嫌で策略を練ったりした結果、副将軍にまでなってしまった。獲物は槍。

将軍になる気はないし派閥的にもなれそうにない。

マッチョになったのは階級が上がるごとに周囲から「あれ文官?」「あんなヒョロくて大丈夫かよ」とか言われるのが面倒だったから。ストレス発散にもピッタリだった。


ルジアンナ・リヴァルタ(??)

フェオドラの母。王妃様とは愛称で呼び合う仲。


デバル侯爵子息(18)&ドコゾ公爵令嬢(18)

王妃様に目をつけられて無事でいられる訳もなかった。


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