名前とメモ紙
僕はその時、静止していた。寝起きだからじゃない。問題は寝ぼけていたことではなく、僕を起こしてくれた人が誰かという問題だ。
(えっ?金髪?なんで、ここに。まさか、そんなことって。)
ということは彼女の名前は「吉田 あきか」ってことになるのか。
あきか、どんな漢字を書くのだろう。
「おーい、お隣さん。苗字なんて読むのあれ。」
ヤバイ。ヤバイ。さっきは気づかなかったけど近くで見ると唇がプルってしてるところとか、金髪の
中に少しブラウンが混じってるなんてことに気付く。自分がまるで変態みたいだ。それに小声で話してるせいでまるでこの空間には二人きりなんて妄想に陥りそうになる。
「ふしまち。」
小声で自分の苗字を言っただけなのに、手にはじんわりと汗をかいているのを感じた。
「ふしまち君ね。名前は何ていうの?あっ、ごめん。質問ばかりで私はね…。」
「吉田 あきか…さん?」
思わず口走ってしまった。やばい。やばい。引かれる。完全にやらかした。
「えっ。知ってるの?私の名前。」
ガチトーンで(えっ。)はやめて。ここは、うまく対応しないと不審がられる。それだけは絶対やだ。
「さっき、校門の近くで君の友達が君を呼んでるのを聞いたんだ。それと僕の名前はカゲだよ。」
「そうゆうことね。ねぇ、カゲってどんな漢字書くの?陰陽のカゲ?それとも影絵のカゲ?」
彼女は意外と積極的だった。
「僕のカゲは月だよ。」
「へぇ、月でカゲか〜。」数秒間が空いて
「あんま見ないけど、月って書いてカゲってかっこいいね。」
ありがとう。お父さん、お母さん。今までカゲは陰キャって言われてあんま好きじゃなかったけど、今日からこの名前大切にします。
「あっ。ちょっと待って。」
と彼女はメモ紙に「吉田 秋麗」と書いて見せた。
「これが私の名前の漢字だよ。これからよろしくね!」
彼女は笑顔でそう言ってくれた。
思っていたより彼女は接しやすく、仲良くなれそうだと感じていた。
ガラガラガラ
教室の戸が開き先生が入ってきた。急だったので会話はそのまま終わってしまった。
でも、僕の手の中にはさっきのメモ紙が残っていた。
それから彼女とは話すことなく入学式の会場である。体育館にクラス単位で向かった。
入学式では校長挨拶、理事長である祖父の歓迎の言葉を右耳から左耳に止めることなく、聞き流していた。
そして、最後には上級生の歓迎の言葉と新入生代表の言葉があった。
「上級生代表、常盤 凱。」
僕には、その名前に聞き覚えがあった。だが、思い出せない。それにあまり良い記憶も、で出てくる気配は全くないので、脳の作業にブレーキをかけた。
(関わらない方が吉だ。)
「新入生代表、吉田 秋麗。」
やはり彼女は只者ではなかったのだ。代表の言葉は学年でもトップの成績の生徒が担当するものだ。ということは…。
ずばり、彼女は容姿だけでなく勉学においてもずば抜けているのだ。SZコースの生徒を差し置いての新入生代表。
僕は、彼女に敬意と共に恐怖心を抱いた。それはきっと自分の未熟さからだろう。
(彼女の側にいたら、迷惑をかけてしまう。それだけじゃない。自分は明らかにクラスで浮いてしまう。
僕は、どうしたら…。)
その後、教室に戻ってからはすぐ放課だったので、誰よりも早く、早く…。
昇降口あたりでポケットに違和感を感じた。中には、あのメモ紙が入っていた。
「これを持っていても…。」
こんなメモ紙には意味なんてない。そうだ、意味なんて存在する訳が…。持っていてもただ虚しさだけが確かにそこにある。
昇降口近くの自販機横のゴミ箱が目に入る。
メモ紙と共に鉛のような重い何かとそこに置いて、マンションへ向かう道へ足取りを動かした。