第四幕「呪われた子」
「会わせたい人がいるの」
ロゼが告げたその矢先、ラボの気密スライドドアが開く。
睦は慌てて診療台の上で身体を起こした。
濃紺のチャイナドレスの上に長い白衣を羽織ったその人物を、睦は以前インターネットのニュース記事で目にしたことがある。
「ロゼ、お疲れ。そろそろエネルギー空っぽでしょ?
休憩してきていいよ。ドロシーが起きたら微調整してもらわなきゃだし」
「やりぃ。先生、愛してるわっ」
「はいはい、おやすみなさい」
白衣の女性とすれ違いに、ロゼはご機嫌にラボを後にする。
「やっほー。緒丘睦ちゃん。
うんうん。私の顔に見覚えある、って顔してるね?
ま、私ほどの超有名天才美少女ともなれば、当然だけど〜」
「アラフォーが少女を名乗るのは遵法精神に反するのであります」
「うっさいスズリ。勝手に所有権移したの、私まだ許してないんだからね」
水城遊離情報工学博士。
オートマタと見紛う完璧な美貌の彼女は、第四世代オートマタの生みの親。
そして現在はとある組織の長としてその名を知られている。
数字上の年齢が40近いということは睦も知っていたが、目の前の女性は少女と言えないまでも、どう高く見積もっても20代半ばより年上には見えなかった。
「ねぇ、ねぇ、見てこれ。なんだか分かる?」
遊離は同級生のような気安さで睦の隣に腰掛け、タブレットの画面を見せる。
そこに映し出されてされていたのは、スズリとカスパールの戦いだった。
その再生数は――
「140万再生!!? 嘘でしょ……」
「これは私たちが見つけた4つ目のコピーだよ。ミドルアース社が何度削除要請しても、
無数のミラー動画が作られて、ありとあらゆる投稿サイトにポストされる。いたちごっこだ。
それもそう、なにせグランギニョールレベルの最高級オートマタ同士の戦い。
しかも双方、今までいかなるメディアにも露出してこなかった極秘モデルだよ。
この動画を見た人間は、じきに一千万じゃきかなくなる。
……やってくれたねぇ、睦ちゃん?」
毒々しく甘い猫なで声に、睦は身震いをする。
丸腰のはずのこの女性博士が、カスパールに匹敵するほど恐ろしかった。
「キミのせいでスズリはもう、アヴァロンの影としては戦えない。
……まったく、大損害だよ」
「あ、あの、水城博士」
「遊離、って、呼んで? キミと私の仲じゃない」
遊離は睦の肩にしなだれかかり、肘を乗せる。こわい。
「……遊離さん、ひとつ質問が」
「どうぞ」
「“アヴァロンの影” って、何なんです?
カスパールもスズリのこと、そう呼んでましたけど」
「《特異点の守護者》は知ってるよね?」
睦はうなずく。
《特異点の守護者》。
人工知能に携わるトップクラスの科学技術者たちによって組織される自浄組織。
民間軍事会社やその他の勢力により、人工知能が悪用されないよう監視し、時に取り締まる自警団のようなものだ。
そして水城遊離は現在そのトップ、筆頭騎士として知られている。
「PMCミドルアースは私たち特異点の守護者から業務委託を請け、その実力行使を担ってる。
ドロシーがブラーを拘束したのも、私たちが彼女に依頼したから。
特異点の守護者は学者集団だから、荒事に関しては外部委託に頼らざるを得ない」
「知ってます。だからアヴァロンは子どもたちに人気があるんですよね。
ドロシーはよくニュース番組にも出てますし、ヒーローみたいに扱われてて。
でも、スズリは一度も見たこと無いな……」
「見られては困るのでありますよ。
特異点の守護者とアヴァロンが正義の味方であるためには」
スズリがぽつりと口を開いた。
「……どういうこと?」
「綺麗事だけで、この薄氷の平和を保つことはできない、ということであります。
特異点の守護者は警察ではない故、我々に与えられた権限は
現行犯逮捕、ないし既に逮捕状の出ている者に対する捕縛の代行に限られる。
これにあたるのが、我らがクイーン、ドロシーであります」
「じゃあ、スズリは……」
「これから犯罪に手を染めようとする者。
犯罪を影から支援する者。
状況証拠ばかりで、法の裁きが及ばない者。
罪に対して軽すぎる罰で許されてしまった者。
そういった者を人知れず斬って捨てるのが自分の役目。
正義を名乗る者には決して許されぬ悪逆の道であります」
「あの時ビルの屋上にいたのって……」
「自分に課された役目は、仕損じた襲撃者に “二度目” のチャンスを与えないこと。
ドロシーに退けられ逃亡を図る者を、必ず再起不能にするのが
本来の任務でありました。つまりトドメを刺さないであろうドロシーの代わりに、自分がサードキィを破壊する手筈だったのであります。ドロシーは預かり知らぬことでありますが。
しかし狙撃の瞬間、偶然あの場から、“殺気” を感じて。
あとは睦殿も知っての通りの顛末あります」
「殺気……そういうのって、オートマタにも分かるものなの?」
「スズリはそのへん特別製なの。
部外者の睦ちゃんには、知る由もないことだけどね」
遊離の言葉に含まれるトゲに、睦はかちんとする。
「……スズリのオーナーは今、ボクです。
知る権利があるんじゃないですか」
「そう。問題はまさにそれなの。
睦ちゃん。いくら欲しい?
一桁億円までなら私の権限で融通できる」
「……っ!?」
遊離の言葉の意図を察して、睦は怒りに青ざめる。
眼の前の権力者は、結んだばかりのスズリとの絆を金で売り渡せと要求しているのだ。
震える唇を開こうとすると、
「ああ、そうだ。感情的になる前に、言葉をよく選びなよ。
ここはプロの戦争屋の拠点で、
私たちは平和のためなら人殺しも厭わない正義の味方。
キミがスズリを所有しているように、私は今、キミの命を所有している」
睦は開きかけた口をつぐみ、考え込む。
スズリの所有権を握ったままなら、あわよくばスタッフとしてアヴァロンに潜り込み、
グランギニョールに関われるのではないかと踏んでいた。
並大抵の相手なら、言いくるめる自信もあった。
だけど、こんなの聞いてない。いきなりボスが出てくるなんて。
睦はもどかしさにほぞを噛んだ。
「何か目的があってこの件に首を突っ込んだんだよね?
だけど睦ちゃんにとってはこれが唯一のチャンスでも、
私たちにとっては正直、キミなんてどうでもいい。
まずは礼儀としてビジネスの提案をしてみたけれど――
大事な手駒についた悪い虫は、切除しちゃうのが一番だと思わない?」
鍔鳴りの音がした。
スズリが刀の柄に手をかけていた。
遊離は愉快そうに片眉を上げる。
「あら、スズリ。私を斬るの?
ずいぶんこの子に入れ込んでるんだね。
私に脅されたくらいで震えちゃってる、可哀想な子猫ちゃんなんかに」
あからさまな挑発が、かえって睦の心を冷静にした。
……大丈夫、ボクはまだ、負けてない。
「スズリ、剣を納めて。
……遊離さん、あなたは嘘つきだ」
「不思議なことに、皆口を揃えてそう言うんだよね。
私ほど正直な人間、他にいないと思うんだけど」
「遊離さん。いくら積まれようと、どんなに脅されようと、
ボクはスズリを手放さない。
あなたはボクがそう答えることを予想し、期待してたはずだ」
「……その根拠は」
「動画で正体を暴かれ、スズリはもう影としては戦えない。
でもスズリが影にならなきゃいけなかったのは、架橋の相手がいなかったからでしょう?
世間に顔と名前とが売れ、パートナーが見つかった今、スズリを暗闇に閉じ込める理由は何もない。
スズリは強い。お蔵入りにするより運用方法を変えるのが合理的な判断だ。
そうなればボクは、特異点の守護者にとっても、必要な“付属品”。
まともなビジネスをしようと思うなら、手放せるはずがない」
ぱち、ぱち、ぱち。
遊離は大きく三つ手を打った。
「合格。大正解だよ。案外やるね、睦ちゃん。
絆だの友情だのうすら寒い感情論持ち出しても、
素直にスズリを売り渡そうとしても、どっちにしろキミは殺すつもりだった。
だけど……うん。これならそこそこ、使えそうだ。
一ヶ月後のグランギニョール、スズリにはアヴァロンのルークを務めてもらう」
「そうなのでありますか!? 初耳ですが!?」
スズリは驚きに目を丸くする。
「当たり前じゃない。今初めて言ったもの」
「し、しかし、遊離殿。
アヴァロンには既に新しいマスターとルークが内定していたはずでは……」
「こないだ死んじゃった。パートナーのルークと、仲良くね。
だからアヴァロンてば、今すっごくピンチなの」
「そうなのでありますか!? 初耳ですが!?」
「当たり前じゃない。今初めて言ったもの」
スズリは部屋の角にしゃがみこんで膝を抱えた。
「自分って……一体……」
「あらら、いじけちゃった」
遊離は肩をすくめる。
「死んだって……どうして」
睦の問いかけに、遊離はニィ、と唇を歪めた。
「心中。“呪われた子” 特有の、悪い病気だよ。
嫌になっちゃったのさ、誰かの道具として生きることが。
キミにだって、分かるでしょ? なぜなら私たちは、同じ生き物だから。
動画には、キミの声も入ってる。
これまでうまくやってきたみたいだけど、もう、隠し通せないよ、
キミが《エディテッド》だってことは」
《エディテッド》とは、
遺伝子を理想的に編集されたデザイナーズベビーの総称だ。
人間より優れた能力、人間より優れた容姿。
根本的に人間とは別種族だと言ってもいいほど、かけ離れたスペックを持つ存在。
しかしその優越はしばしば周囲との軋轢を生み、
恵まれた心身に関わらず、その多くが成人前に命を落とす。
故に彼らは“呪われた子”と呼ばれ、睦が生まれた時には既に、
その作成は法によって禁じられていた。
「単刀直入に言うよ、睦ちゃん。
キミにはこれから一ヶ月で、アヴァロンのマスターになってもらいたいの。
素人のキミを今から使い物にするには、
血のおしっこが出るほど苦しんでもらうことになる。
もしかしたら死んだほうがマシって思うかも。
それでも……引き受けてくれる?」
「やります」
睦は即答した。
スタッフの一人としてアヴァロンに潜り込めば、いずれグランギニョールに関われるのではないかと期待していた。
遊離の提案は、その段階を一足飛びに踏み越えるものだ。
第一エディテッドであることが明るみに出れば、元より帰る場所はない。
たとえそこが地獄のような場所でも進み続けるほか無かった。
海凪の手がかりが、待っている方向へと。
睦は新しい役を、演じ始めた。