9 『神人会』と『平和労働者会』
東京タワー。
東京都港区芝公園にある総合電波塔の愛称として、そう呼ばれていた。
しかし、今はそれだけではない。
ユートピアの住民にとって、東京タワーとは超巨大な光玉『コア』を支える、ユートピアの象徴である。
住民達は何度も東京タワーへと目を向けては、飽くなき欲望を胸に、至高の夢を叶える幻想に心躍らせる。
日が暮れ、太陽の光がなくなり、地上は暗い。
赤と白の彩り豊かな色彩と、真っ直ぐ垂直に伸びているタワー。その頂上には超巨大光玉『コア』が鎮座している。『コア』の輝きは地上に出現した、もう一つの太陽ようで、その周辺を照らす。直径百メートル。その大きさは近い分、太陽よりも巨大に感じられる。
今、沖人達はその威容を側面から眺めていた。
「改めて見るとすごいな、この光玉」
「大きいとは聞いていたけど、ここまでとはね」
「きれい……」
咲はガラス窓に張りついて、『コア』を凝視していた。『コア』からは小さな光の粒が大地へと降り注ぎ、光の雨が幻想的な光景を魅せる。
沖人達は東京タワーの隣、光玉が障壁に阻まれるまでなかったはずのビルの中にいた。
つまり、光玉によってつくられた建物である。
ここへ来るまで、拘束されて運ばれてきた沖人達であったが、東京タワーと『コア』に感動してしまい、そのことを忘れてしまっていた。
外装は大きなビルで、内装は絢爛豪華なインテリアに満ちた、高級感ある部屋だった。
「ここは僕ら『神人会』の拠点。東京タワーを挟んでちょうど逆側には『平和労働者会』の拠点があるよ」
ケントはそう言いながら、秀一の隣に並ぶ。
「『神人会』と『平和労働者会』は敵対勢力じゃなかったのか?」
沖人の疑問に、ケントは笑う。
「そうですよ。だから、僕は互いに見張り合い、『コア』を先に奪われないよう、隙があれば先に奪えるように東京タワーを挟んで睨み合っているのさ」
「それに」とケントは続ける。
「見張っていなくても、東京タワーには近づけないよ。ほら、あそこに見て」
ケントが指差した先には、ボロボロの衣服を着た人々がいた。
「君達も知っているだろう。光玉が手にすることができず、徘徊を続けてきた者達だ。ちょうど、今から彼らが東京タワーを登ろうとするだろう」
ケントの言葉通り、人々はふらふらと東京タワーに近づき、真下まで来ると走り出し、東京タワーを登り始めた。
「大丈夫……なんですか?」
秀一が躊躇いながら、聞く。秀一は彼らが『コア』をとってしまうのではないかと不安だった。
「心配いらないよ。入り口は当然塞いである。そして、あの周辺には……」
東京タワーの真下には駐車場がある。そこには多くの観光用のバスがあり……その全てが浮遊し、東京タワーを登る人々へと襲いかかる。
空を飛び、人々へと襲いかかるバスによって、人々は地面へと落ちていく。
「縦横無尽に襲ってくるバス」
そして、発砲音がして、また人が落ちる。
「周辺を見張る『神人会』のメンバー」
残ったのは、たった一人。そこに空から一つ、岩が降り、最後の一人も落ちてしまった。
「空から岩が降る」
光玉を求め、徘徊を続けた人々は、最後に『コア』を欲して、力尽きてしまった。
「これを見て、理解してくれただろう? 『コア』は常に『神人会』と『平和労働者会』の目の前にあり、おそらく僕らか、彼らのどちらかが願いを叶える」
「「「…………」」」
沖人達はその光景に言葉を失った。徘徊を続ける集団。それまでならば、彼らの許容範囲であった。しかし、『コア』を目指した者達の末路は、認めがたいものであった。
「…………死んじゃったの?」
咲はただ、そう呟くだけだった。
「さあね。死んでいるか、しぶとく生き残っているか、どちらも考えられる」
「どうして、そんなこと言えるのよ! 人が死んだかもしれないのよ!」
咲の叫びに、ケントは微笑む。
「彼らはあらゆる願いを叶える、唯一無二の光玉、『コア』を欲した。そして、願いを叶えるために行動した。その結果として、死ぬなら仕方ないんじゃない」
ケントの言葉に、沖人は腹が立った。
「仕方なくねえよ! 死んだら意味ないだろう!」
沖人は奈々を生き返せようとしているのだ。人の死には敏感だった。
「確かに君の言う通り。死んだら願いを叶えられない。だけどね……願いを叶えられるチャンスというのは、そんな甘いものなのかい?」
「なにっ!」
「不条理すら捻じ曲げる『コア』。それに願うなら、命くらい賭けろよ」
ケントは『コア』を見つめる。
「僕はね、僕だけの理想郷が欲しいのさ。僕だけの箱庭。僕だけの楽園。僕だけの世界が欲しい」
ケントは沖人達に問う。
「外から来た君達には、僕が自分勝手なことを言っていると思うことだろう。でもね、ユートピアの住民はみんな自分勝手だよ。『願いは常に自分が叶えるもの』。それがここの当たり前。誰もが自分のために努力して、自分の願いを叶えるんだ」
「させない。願いを叶えるのは俺達だ」
沖人はケントに言い返す。
「なら、頑張るといい。僕は『コア』に願い、神になる。神になれば、世界は僕の理想郷となり、思いのままだ。全てだ……ありとあらゆる、全てが僕の思いのままだ」
「神……ですか?」
秀一が身体を前のめりにして、聞く。秀一は咲へと視線を送り、ケントへと視線を動かす。
「ああ。『コア』ならば可能だろう。僕が神になれば、僕の配下はみな至福の時を過ごすことができる。神には絶対的な力があり、欲しいものは望めば手に入る。あらゆるものが……そして、人間すらもね」
ケントは秀一の耳元で、何か呟き、秀一に紙を手渡した。
「秀一から離れて!」
咲が声を張り上げ、ケントは笑顔で「わかったよ」と言って、距離をとる。
「まあ、君達がいくら努力しようと『コア』は僕らがもらう。それを理解して欲しかっただけさ」
ケントはそう言って、沖人達を解放した。
沖人は『神人会』の拠点から出ていく際、
「俺は願いを叶えるぞ! 東京へはそのために来た!」
と宣戦布告した。
ケントは鼻で笑って、
「君には願いなんて叶えられないよ。ねえ?」
意味ありげに秀一へと視線を送った。
秀一はケントと目を合わせようとせず、
「僕達は沖人の願いを叶えるためについて来ました」
と言うだけだった。
「そうよ、私達が願いを叶えるだから!」
咲が秀一に便乗し、沖人に「そうよね」と確認をとる。
「当たり前だ。俺は願いを叶えるためなら、何でもする。お前達に『コア』を渡したりしない!」
ケントは口を押さえて、笑いを堪えた。
そして、沖人に言い聞かせるように、言った。
「たとえ僕達『神人会』や『平和労働者会』が『コア』を得ることができないとしよう。でも、君だけは……君だけは願いを叶えることはできないよ」
ケントはそう言い残して、拠点の内部へと姿を消した。
東京タワーのすぐ近く。『神人会』の拠点前に残されてしまった沖人達はすぐに動くことができなかった。ケントという、『コア』に最も近い人間から一言は、沖人達にはあまりにも、重かった。
「俺には無理とか……どういうことだよ?」
だから、沖人はそう呟くしかなかった。
秀一と咲は何かを考えているのか、いつもなら沖人を励ますところで、沈黙していた。だが、それはほんの数秒程度のことで、秀一がすぐに、
「沖人、僕らが落ちたところ、あの樹みたいな建物のところに戻ろう。もう日が暮れた。今日はもう、できることはないよ」
「…………そうだな」
沖人達はダン三郎が落下した場所に戻ることになった。咲は口を挟むことなかった。
「『神人会』から見慣れない子どもが出てきたと聞いて来てみれば、本当に知らない奴らかよ」
場所は『神人会』の拠点から、五分ほど歩いて道路だった。
車道に隣接する歩道を歩く沖人達の正面から、声はかけられた。
「いや、顔を知らないのは当然か。あいつらいつもローブで全身覆った奴らばかりだし」
無精髭に、着崩した黒のスーツが男性で、目は真っ直ぐ沖人達を見つめ、何かを探る。
「誰ですか?」
沖人はできるだけ他人行儀で、突き放すように言った。さきほどまで『神人会』の代表と話し、彼から願いを叶えることはできないと言われたことは沖人にとって、相当にショックが大きかったようだ。
「つれないな。俺はお前達に何もしてないだろうに。大方ケントの奴に願いを叶えるのは自分だから諦めろ、とか言われたか?」
「なんで!」
沖人は焦った。彼にケントとのやり取りを見破られたから、ではない。彼がケントのことを親しそうに呼んだからだ。もしかすると、『神人会』が自分達に何かしようと刺客をよこしたのかもしれない。
沖人は根拠もなく、そう思った。それほどには沖人のケントへの敵意は強かった。
「敵のアジトから気落ちした少年少女が出てきたんだ。それくらい思いつく。ちなみに、今のはカマをかけただけだ。お前らとケントのクソガキに何があったかなんて知らないし、知りたくもない」
男は続ける。
「俺が知りたいのはただ一つ。お前らが何の目的でケントのところにいたのか、それだけだ。他はどうでもいい」
沖人からの理解など男は求めていない。ただ、質問に自分の問いに沖人達が答えること。それだけを求めていた。
「あなたは誰ですか? さっきも沖人が聞いたはずですけど?」
そこに秀一が割って入る。彼はじっと男を見つめる。
「お前は頑固そうだな」と男は秀一を見て、言い、
「わかった。俺も名乗るとしようか。『平和労働者会』代表、小平泰造。俺らがさっき会っていた『神人会』の奴らと、敵対する者だ」
小平泰造。そう名乗った男は、スーツの内ポケットから結晶化した光玉を取り出す。
「今度は俺の質問に答えろよ。お前らはどんな目的があって、ケントと会っていた? 返答次第では活かしておけない」
小平は「俺らには時間もないのでな」と呟く。
沖人はうんざりしていた。
ついさっきまで、『神人会』の代表であるケントと相対し、願いを叶えることはできないと断言された。そして、今度は同じく今の東京、ユートピアの大勢力たる『平和労働者会』の代表が現れた。ケントだけでも嫌気が差していたというのに、また面倒が続くのだ。
「俺達はケントとは関係ない。元々東京の人間じゃないし」
沖人は早く話を終わらせるために、東京の人間ではないということを明かした。
「なに? なら、お前らか。今日、ふざけたダンボールで障壁の中に侵入してきた外の人間は……」
「間違えるな、ふざけたダンボールじゃない。ダン三郎だ」
気が立っていても、依然としてダン三郎へのパッションだけは薄れていなかった沖人。
「沖人、今はそれ、どうでもいいから」
味方であるはずの秀一からたしなめられてしまう。
小平は沖人達が外の来たと知り、眉をひそめた。
「ケントと繋がりがないということは幸いだ。繋がっていれば、ただではすまなかっただろう。だがな、外の奴がなぜ今、ここに――――光玉がある、東京に来やがった?」
「願いを叶えるため」
沖人は退かなかった。ケントとの問答で願いを叶えることができないと言われ、意地になっていた。
「願いねえ……なんだ、俺に言ってみろ。その願いが、『コア』を使ってでも叶える価値のあるものだと言うなら、『平和労働者会』はお前らに手を貸してやろう」
小平は沖人から目を逸らさず、返答を待つ。
「沖人、答えなくてもいい。この人が本心を言っているかもわからないんだから」
秀一が忠告する。咲は心ここにあらずといった様子で、地面を見つめていて、話を聞いていなかった。
「言えよ、少年。俺は本気だ。俺には守るべき家族がいる。妻や息子だ。あいつらが幸せに暮らせる将来をつくってやることが俺の使命であり、親の仕事なんだよ」
「親……」
沖人は言う。
「お……俺は――――死んだ恋人を生き返らせたい。あいつとまた会って、何でもない話をして、秀一や咲と一緒に遊んで……。俺はあいつに……上牧奈々にまた会いたい。会って話をしたい! 奈々に好きだって伝えたい! 奈々がいないなら、俺の世界は真っ暗だ。俺はまたあの暗い、独りだけの部屋に戻っちまう! 嫌なんだよ! 前に進めない自分も、奈々に会えない日々も!」
それは上牧奈々という少女が死んでから、少年がはじめて吐き出した胸の内だった。少年は死者を生き返らせることが正しい願いだなんて思ったことはない。願いを叶えたい少年が一番そのことを理解している。
唯一無二の願望成就の光玉、『コア』。それをそんな願いに使っていいはずがない。
自覚している。それが願ってはいけない願いだということくらい。
それでも……。
「俺は間違えてる! そんなこと知ってる! それでもっ、こうでもしないと進めないから! 俺は奈々のことに区切りをつけないと、前に進めないからっ! 奈々を生き返らせたいんだ!」
感情が噴火した。奈々の死からずっと溜まり続けてきた、少年のマグマが。
「沖人?」
その叫びは咲にも響いた。彼女は沖人を見て、呆然としていた。
――――だが、小平にはまったく、響かなかった。
「愛する者との決別か……。これが他人事なら応援してやってもいい。だが、その願いは却下だ。お前一人のために『コア』を使う? 生意気言うなよ、ガキ!」
小平は沖人の胸ぐらを掴み、烈火のごとく怒った。
「お前の事情? 知らねえよ、そんなもん。今の世界情勢、知らないのかお前? オーストラリアは大陸が走り回ってる! ユーラシアは大陸中が無気力状態になって、あのままなら死者も出てるだろうよ! アフリカは逆転現象に悩まされ、南アメリカは増殖現象への対応策を練っている。北アメリカはファンタジーなモンスターや妖怪が日夜問わず、人間に襲いかかってる!」
小平は「わかるか」と言って、続ける。
「日本だっていつ、そんな異常の被害に遭うのかわからない! なら予防が必要だ! そして、その方法は『コア』として存在している。これは絶対に全てを守るために使用するべきだ! ケントのクソガキやお前のような世間知らずが使っていい代物じゃない!」
小平は沖人の胸ぐらから手を離し、殺意を込めて睨む。
「明日、俺達『平和労働者会』は『コア』を確保し、世界の平和を願う。お前らガキ共は『神人会』との戦いに巻き込まれないように、どっかに引っ込んでろ」
小平は歩いて、立ち去った。
「どいつもこいつも……何なんだよ!」
沖人の叫びに、秀一も、咲も何も言えなかった。
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