7 ユートピア
十一月二日。正午。
逆さになって、宙に浮かぶ家。
外から見ると、歪な形の樹にしか見えない、建物らしきもの。
比喩ではなく、光を放つ人。
車が車道を通るような自然さで、いくつものUFOが空を飛び交う。
大きな建物もあった。物語やテレビでしか見たことのない、大きな、西洋の城。日本では見慣れた殿様が住まうような城。全ての窓から眩い照明の光がこぼれ、屋上では水着を着た女性の映像が投影されている高層ビル。それら三つの大きな建物が三つ、並んでいた。
ここはユートピア。
願いが叶う光玉の魔力に魅せられた人間達が生み出し、欲でつくり変えられた、混沌に満ちた、新たな東京である。
「石見さんの言葉でわかった気になっていた自分が恥ずかしいよ。……願いが叶う光玉。それがあるだけでこうも人は街を変えられるんだね」
沖人達はとりあえず、東京を見物することにした。落下した建物から一歩外に出ただけで、目を疑う光景があった。ならば、もっと先に進めば、もっと常識を粉々に壊されてしまうだろう。
だが、三人は外に出た。今の内に外を体験しておいて慣れておこう。それが三人の出した結論だ。
「こんなところに俺達を置いていくなんて、石見さんもやってくれる」
「本気で今度会ったときは許さないから、私」
三人とも姿を消した石見さんへの怒りは鎮まっていなかった。むしろ、東京の異常を目にする度、彼への怒りは増す一方である。
「俺達が死んだら、石見さんの前に化けて出るようにしろって、光玉に願うのもいいかもな」
「賛成! それくらいは覚悟してもらわないと」
「まあ、石見さんについて、今、考えることはやめておこう。今はそれよりも優先すべきことがある」
秀一に言われて、沖人は「そうだった」と呟く。
沖人達は今、ユートピアという街にいるらしい。なぜ、ユートピアかと言うと、
『ここは願いが叶う理想郷、ユートピア!』
ご丁寧にも、街の至るところに、看板があり、そこに書いてあるのだ。
「ユートピアねえ。西洋の城に、高層ビル、日本では見慣れた城が並んで建っている街が理想郷。俺には到底、思えないな」
「むしろ、混沌としているよね。おそらく、誰も彼もが自分勝手に光玉に願って、街を変えていったんだと思うけど」
秀一は溜め息を吐く。彼もまたユートピアというネーミングには納得のいかない一人だった。
沖人達はユートピアを歩いて回った。ここは東京を囲う障壁の中。その外から来た三人は、どうしても東京の住民達が隔離され、不自由をしているのではないかと思っていた。
だが、違った。むしろ、住民達はこの街で、光玉を用いて、自由を満喫していた。
途中で子ども達が遊ぶ光景があった。彼らは当然のように、各々に光玉を手にして、巨大な水風船をつくって、砂場に小規模な池をつくって、そこに葉っぱを浮かべ、それを船に見立て、またも光玉をつかって船で競争していた。
また、人形に願いをかけ、三国志などの名将の名をつけ、シミュレーションをして、遊ぶ子ども達もいた。
宅配便の制服を着た若い男性が、荷物に願いをかけ、荷物を運ぶことを光玉で行っていた。
路上ライブをするバンドマンがいて、その演出に光玉が利用されていた。
マッサージチェアに座りながら、お菓子を食べつつ、買い物する客がいた。
今日、沖人は確信したことがあった。
東京の住民は光玉に願いを叶えてもらうことを当然にように受け入れていた。奇跡ように願いが叶うことが日常になっていた。
沖人にはそのことが恐ろしくて仕方なかった。ほんの少し前までは、自分と同様に、叶えられない願いが叶うことに一々驚き、喜び、その奇跡を特別なことだと思っていたはず。その人達が今では願いは叶うもの、そう考えている。
沖人は自分もここで過ごしていけば、同じようになるのではないかと思ってしまったのだ。
「願いが叶うって、恐いことなんだな」
ふと心の声がこぼれた沖人。
「なんで沖人が気落ちしてるのよ。あなたは奈々を生き返らせるためにここに来たんでしょ? 願いが叶うことが恐いなんて、言うんじゃないわよ」
そう言って、デコピンをしようとする咲に、沖人は反射的に逃げる。
「なんで逃げるのよ!」
「俺は不当な暴力には屈しないからだ」
「なんですって!」
一々突っかかってくる咲に、沖人は目で秀一に救いを求める。
だが。
「沖人も咲も今の状況を考えてくれ。ふざけている場合がじゃないだろ」
秀一の言葉は冷たかった。
確かにふざけている場合ではないと二人も思ったのか、そこからは三人の会話はなくなった。
建物の少ない開けた場所に出た。
ユートピアが東京だということは知っている三人だったが、ここが具体的にどこなのかはわからなかった。目印の東京タワーも、光玉に思い思いに建てられた建築物によって遮られ、見えない。
そこには人気はなく、空き地のようだった。建物が所狭しと立ち並ぶ中で、その一帯だけが不自然に孤立している。
「見ろ。あそこに光玉がある」
沖人が指差した先には確かに光玉があった。数は一つ。ぽつんと一つの光玉が地面に落ちている。
「へー、光玉って普通に落ちてるんだ」
秀一が答える。
「まあ、それくらいじゃないと住民が自由に使えるほどの量の説明がつかないのかもね」
「拾っておくか? ここには『神人会』や『平和労働者会』なんていう物騒な連中もいるらしいし」
無警戒に光玉へと足を進めようとする沖人に、秀一は眉をひそめ、荒々しく手を掴んで、止める。
「やめておいた方がいい。光玉を拾うにしても、あんな風に一つだけしかないところでもいいだろう。もっと光玉がある場所があるはずだから、そこを見つけよう。ここは不自然だしね」
「でも、不自然ってここはさっきから不自然だらけじゃないか。なら、できるだけ早く光玉は持っておいて損はない。放してくれ」
「ダメだ。沖人に独断で僕らが危険に遭うわけにはいかない。そもそもこれは沖人の願いを叶えるためのことだろう。あまり我儘がばかり言うな」
「別に俺は頼んでないだろう? 勝手について来て、我儘? 今日の秀一はどうかしてる」
「僕は僕らの安全のために言ってるんだ!」
「ああ、そうか。俺の願いを叶えるために、勝手について来て心配までしてくれるなんて……ありがとよ」
言葉を裏腹に沖人は秀一を睨んでいた。
「この分からず屋……」
「なんだと……」
「二人ともやめてよ!」
沖人と秀一の言い争いがピークに達したそのとき。
「光玉はっ、俺がいただく! 誰にも渡すかあああっ!」
「いいや、俺んだ!」
「うるさい! 誰にも渡すかよ!」
突如として、空き地に大勢の人が押し寄せ、光玉へ向けて、駆け出していく。途中、転ぶ者がいても、誰も目もくれず、互いに押しのけ合い、踏み台にし、邪魔者は殴ってでも光玉へと手を伸ばす。
光玉へと殺到した人々は男女の割合が男性八、女性二といった具合。全員が衣服には泥などの汚れが目立ち、痩せ細り、目は獣のようにギラギラとしていた。
「なんだ!」
「咲! こっち!」
沖人は呆然として、秀一は咲の安全を確保するため、彼女の肩を掴んで、引き寄せる。
一人の男が光玉を掴み、光玉は結晶化する。
その光景を集まった人々は見て、崩れ落ち……そして、すぐに幽鬼のように立ち上がり、
「光玉……探さないと」
「このままじゃ……願いが叶えられない。生きていけない!」
「次だ! 次こそは!」
立ち去って行く。
「なんなんだ……あいつら」
沖人はあまりの衝撃に、秀一への怒りなど忘れていた。
「ちょっと、秀一っ、もう……もう大丈夫だから。あと、痛い」
咲が顔を赤くして、沖人のことをちらちらと見ながら、慌てて秀一から離れようとする。
「ご……ごめん!」
秀一が咲を放す。
沖人は思う。
今、起きたことはなんだったのだろう。これまで見てきたユートピアでは、大人から子どもまで、誰もが自由気ままに光玉を使っており、数に限りがあるようには見えなかった。
だが、今の人々はたった一つの光玉を求めて、死にもの狂いで争っていた。
その動きはユートピアの住民のあの豊かな、誰もが思い思いに願いを叶えて生活する、混沌とした生活とは、まったく結びつかない。
自分があそこにいたら、間違いなく、光玉を求める人々に襲われていただろう。
「秀一……俺が悪かった。あの光玉は取りに行くべきじゃなかった」
沖人は秀一に頭を下げた。
「あと、俺の願いを叶えるために咲と秀一はついて来てくれたのに、酷い言い方してごめん」
「…………」
沖人は反省していた。そもそも上牧奈々を生き返らせたいのは、願いを叶えたいのは、沖人の願いである。二人は別に同行する必要はないのだ。
秀一は気まずそうに眼をそらす。彼もまた、あのように光玉を求める人がいるとは思いもしなかったのだ。だから、沖人に謝られることに罪悪感があった。
それに秀一があのとき。沖人の行動を止めたとき……秀一もまた冷静ではなかったのだ。
「なんで黙ってるの! 沖人が謝ったんだから秀一も早く許して!」
咲はそう言ってから、
「そして、許された沖人は早く私にも謝りなさい!」
と言った。
咲の言葉に秀一と沖人は笑い合い、
「なあ、秀一。この一件は……」
「うん。なかったことにしようか」
咲を置いて、仲直りを果たした。
「納得いかないわよ! なんで仲直りは良いことだけど、私に謝ってからにしなさいよ!」
「嫌だ」
「咲、友達に謝罪させようなんて、そんな酷いことはしてはいけないよ」
「あんた達、さては私をはめたわね! さっきの喧嘩も芝居だったんでしょ!」
「さあな」
「それは咲が考えてくれるかい」
「腹の立つ男共めー!」
咲が落ち着きを取り戻してから、秀一は空き地から離れるように提案し、沖人も咲もそれに賛成した。
三人は歩きながら話す。
「沖人には酷い言い方しちゃったけど、僕も光玉を持っておいた方がいいと思ったよ」
唐突に意見を変える秀一。
「さっきの光玉を探す人々を見て、考えが変わった。どうも街で見た人達のように、自由に光玉を使える人は一部だけなのかもしれない」
「誰かが光玉を独占してるってことか?」
沖人の質問に、「そうだよ」と答える秀一。
「石見さんは、追手は『神人会』か『平和労働者会』だと言っていた。東京の外部に人間を派遣できるだけの組織力のある人達なら、光玉の独占くらい平気でやってそうだ」
秀一は続ける。
「まあ、これは推測だから実際はどうなのかは知らない。……でも、独占されているとしたら、東京タワーの『コア』を獲得することが、僕らは圧倒的に不利になる」
秀一は「だから」と言い、
「今の内から多少の無理をしてでも、光玉を所持しておきたい」
と、付け加えた。
「まあ、残っていたら……だけどな」
沖人が苦笑する。
「大丈夫よ。あのおじさんでもいっぱい持っていたんだから!」
咲の言葉に沖人と秀一は自信をつけた。
「そうだな。あの石見さんが所持できたんだ」
「石見さんを比較に出されると、無理とは言えないね」
沖人達は一度、立ち止まる。
場所はちょうど西洋の城の正面だった。よく見れば、城壁には所々に穴があり、そこから大砲の口が覗いていた。
「あれって、大砲?」
「秀一、これは至急光玉を所持するべきだ」
「そうだね。光玉があるからって、ここまでする人もいるみたいだし」
三人は光玉を探すことを決心し、肩を組んで、円陣をつくる。
「それじゃあ、いっちょ光玉探すか!」
「「おお!」」
円陣を解いてから、秀一は溜め息を吐く。
「つい勢いで恥ずかしいことやっちゃった」
「心配するなよ、秀一。ユートピアはもっと変だから、誰も気にしない」
沖人の言葉通り、ユートピアの住民達は見向きもしなかった。流石は自分の願いを叶えて好き勝手やっている人達である。若者が円陣を組んで、叫ぼうがそれくらい、驚くほどのことでもないのだろう。
次話は7時です。