6 夢落ち
「沖人、一緒にキャッチボールをしよう!」
久しぶりに聞く父親の声。
「あなた、沖人はまだ小さいんだからまずは投げ方から教えてあげないと」
久しぶりの母の声。
高校生になってから聞いてない、声。沖人が中学生のときに一生聞くことができなくなったはずの声がする。
「ダイドーブ。パパとキャッチー、する」
たどたどしい声がした。意識を向けると、そこには小さい男の子がいて、子ども用の、小さいグローブと野球ボールを手に、父と母に言う。
沖人はこの男の子を知っている。
「そうか、そうか。こんなに小さくたって、沖人はキャッチボールできるもんな。将来はプロ野球選手になるんじゃないか? なあ、母さん」
「また、親バカなことを言って……」
父と母、そして、男の子。懐かしい。あのときは身体も小さくて、ボールを投げても全然前に飛ばなくて、悔しくなって、泣いたのだ。
わかった。これは夢なんだ。
あのとき、父は慌てふためいて、母に「どうすればいい! 沖人が泣いてしまった! 大変だ! どうすればいい!」と何度も聞いて、母はそんな父を見て、優しく微笑んで、俺の頭をそっと撫でてくれた。なんでもない休日のこと。でも……俺にとっては宝物だ。
景色が変わる。
次はどんな夢だろう。
煙の匂い。黒いスーツを着た人達が立ち並び、手には数珠を持ち、順番に父と母に拝んでいく。俺は彼らがいなくなっても父と母だけを見ている。
ああ、これは嫌な夢だ。悪夢だ。
父と母がひき逃げ事件で死んだ、葬式の日だ。
また、景色が変わる。
次は横断歩道と信号、前には父と母がいて、青信号を渡る。俺は新品の、まだ汚れのない野球ボールに夢中で、横断歩道を渡らない。
嫌だ! 見たくない!
沖人は目を塞ぐ。だが、見える。これは夢だから。
一台の軽自動車が横断歩道にノンストップで通過。
両親は骸となった。
景色の中の少年は中学校の制服を着ていた。少年は動かなくなった両親を見て、夢中だった野球ボールを落とし、次の瞬間、ひたすらに両親の名を叫ぶ。
嫌だ! 見たくない! わかってる! もういないことはわかってる!
だから、もう見たくない!
また、景色が変わる。
教室。それをまだ記憶に新しい教室。高校の教室だ。大勢の生徒が立ち上がり、いくつかのグループに分かれて、思い思いに話している。
「ねねっ、沖人はさ、もしも世界が滅ぶとして、一つだけ願いを叶えられるとしたら何を願う?」
太陽のように元気な声、言葉を紡ぐ度に距離を詰める少女。
上牧奈々。俺の愛しい人だ。
「なんだよ、世界が滅ぶって。その前提からして嫌だな」
「いいから答えてよ。男の子でしょ!」
「男の子かどうかは関係ないと思うけど……」
少女の質問に、少年は頭を掻きながら面倒そうに答える。
「うーん。思い浮かばない」
「えー、つまんないなあ。……私はね、ずっと沖人と一緒にいたいな!」
恥じる様子もなく、満面の笑みで言う少女。その声は太陽のように元気で、教室中を駆け巡り、女子からは「あらあらー」という視線を、男子からは「爆発しろ!」という視線を受けることになった。
「そんな恥ずかしい願いは今すぐにやめろ!」
「絶対に嫌だ! うおー! 私は世界が滅ぶそのときまで、沖人と一緒にいてやるぞー!」
少年は言葉に機嫌を悪くした少女は、一層大きな声で言った。
「だから、やめろー!」
「嫌だー! 好きだー! 私は沖人が大好きだー!」
「頼むから……やめてくれー!」
改めて夢で見ると、恥ずかしい思い出だ。それでも、両親の死を思い出すよりはずっといい。
それに。今の、奈々が死んで、彼女を生き返らせるなんて馬鹿なことを考えている俺なら、あの程度の愛情表現に屈しはしない。
それと、今なら世界が滅ぶとして、一つだけ願いを叶えられるとすれば。
俺も奈々と一緒にいたい。
***
「いい加減、起きろ!」
頬に衝撃。それで沖人は奈々のことを思い、幸福感に満ちていた夢から醒めた。
「なんだ? 敵か?」
「失礼ね、私よ」
今度は額にデコピンをくらう。
「やっぱり敵か?」
「だから、違うわよ!」
敵は咲だった。そして、その隣には秀一がいて、ほっとした様子だった。
沖人はベッドに寝かされていた。白いベッドに、白い壁、シーツも白。
「病院?」
沖人は咄嗟に思いついた場所を言ってみる。
「違うよ、沖人。ここはもう東京なんだ」
状況が読めない沖人に、秀一が告げる。
東京? ……確か石見一美と名乗るおじさんと一緒にダン三郎に乗って、追手をかいくぐって、東京の覆う障壁の中に……あれ? そのあとはどうしたんだ?
「まあ、無理もないよ」
そう言って、秀一は今に至るまでの経緯を簡潔に語ってくれた。
「障壁を抜けて、無事に東京に入ることができた僕達はあの後――――あの上空から地面に向かって一直線に、落下したんだよ」
「は? 落ちた? なんで?」
秀一が説明を省いて告げたせいで、要領を得ない沖人。
「僕と咲もあのときは焦ったよ。今、沖人だけが気を失っていたのだって、少しでも運が悪ければ僕らも同じようになっていただろうね」
秀一は「じゃあ、ダン三郎が障壁を抜けたところから話そうか」と言って何が起きたのか教えてくれた。
***
ダン三郎は障壁を抜け、東京の上空へと躍り出る。
「やった! 東京に入れた!」
「そうだ! これがダン三郎の力だ! そうですよね、石見さん!」
依然として、ダン三郎への熱が冷めていない沖人。
「そうなのかもしれないけどさ……」
そんな沖人に秀一は呆れていた。しかしながら、彼も無事に東京に到着できたことに喜んでいた。
「えー、みなさん」
だが、石見さんだけ無理に笑顔をつくった。
「言い忘れてましたが――――」
途端に内蔵が浮くような、不快感が沖人達を襲う。
「東京には光玉があれば入れます。ですが、入ってからは一度全ての願いが無効化されてしまうんです」
エレベーターで下の階に行くとき感覚。それがドンドンと強くなる。
「つまりは、これ、落ちます」
あっさりと言われた衝撃の事実に、沖人達はパニックになる。
「はあっ! ならまた光玉使って浮かせてください!」
「それが……光玉は東京に入るときにですね……」
「全部使ったんだろ! さっきそう言ってたもんな!」
「ええ、まあ、何と言いますか……」
「あんたやっぱり私達に願いを叶えさせる気ないでしょう! ここで殺す気だったんでしょう! そうよね!」
「いえ! そんなことは!」
「なら、どうにかしてよ!」
沖人達が一斉に石見に文句のコンボを積み上げるが、それでダン三郎の落下が止まるわけはなく、その落下速度は増していく。
「みなさん、ここからは一度、別行動となります。私はこれからみなさんが願いを叶えるための準備をしなければなりません! 集合場所は明日の朝。みなさんがどこにいようと私があなた達のところへと駆けつけます! それまでみなさん、光玉について理解を深めてください! そうすれば願いが叶う確率も確実に上がるはずです!」
一方的にそれだけ言い残して、石見はダン三郎の出入口から飛び降り、東京のどこかに姿を消した。
そして、残された沖人達はパニックが鎮まるはずもなく。
「逃げられた!」
「生き残れたら、絶対に許さないからね!」
「やばい、やばい、やばい! 願いを叶える前に落下の衝撃で死ぬ!」
***
「そこまでが、沖人が意識を失うまでの話」
秀一は「そして、ここは」と言って、天井を指差した。
「僕らがたまたま落ちてきた建物らしきものの中」
秀一の指差した先には、穴があった。秀一の指がそこから地面を指し、そこには潰れたダンボールがあった。
「つまり、僕らは奇跡的にもこの建物らしきものの中に落ちたことで助かったんだ」
「そうだったのか」
沖人は秀一の説明を聞いていて、言い方が気になるところがあった。
「ところで、どうしてさっきから建物らしきものって言ってるんだ? どう見てもここは建物の中だろ?」
沖人の疑問に、咲と秀一は言葉を選びながら、
「なんて言えばいいのかな……」
「うーん、ここが東京だから? 日本でも異変が起きていたんだって実感したというか……」
「そうだよね。こう……今までの常識を粉々になるまで、壊されたというか……」
沖人は二人が何を言いたいのか、さっぱりわからない。
「まったくわからないんだが……」
沖人の態度に、咲は「ああー、もう」と言って、沖人の手を掴んで、強引にベッドから引っ張り出して、部屋の出口へと歩いて行く。
「おい、いきなりどうしたんだよ?」
「……黙ってついて来て!」
咲は力強く歩く。
「まあ、見た方が早いよね。それで我が目を疑ってもらった方が説明も楽だし」
秀一はそう言って、咲と沖人の後を歩く。
部屋を出る。
正面には、逆さまになった状態で浮遊する二階建ての一軒家。
「は?」
「驚いた。じゃあ、次は後ろを見てみて」
咲に言われるままに、沖人は後ろを見る。
そこには。
とぐろを巻くようにして空へと伸びる、歪な成長をした樹があった。
「これが、建物らしきもの」
「一見すれば、歪な木にしか見えないのに、中は普通の部屋になっている。だから、建物らしきもの。わかってくれた?」
秀一の言葉に頷くしかない沖人。
「僕らもまだ少し外に出てみただけ。沖人の目が覚めるまでに軽く見ただけなんだ」
沖人は衝撃的な現実に思わず、
「東京ってスゲー」
と言った。
その言葉に咲と秀一が笑う。
「いや、それは今、使う言葉じゃないでしょ」
「凄いのは本当だけどね」
次話は6時です。