3 誘い
石見一美。そう名乗ったサンタクロースの格好をした、薄毛で小さい、メタボな中年。彼が言った、『沖人たちが願いを叶える手伝いをしたい』という言葉に三人は黙ってしまった。
「あれ、聞こえませんでした? 若い内から難聴ですか? 仕方ないですね。もう一度だけ言いますよ。私はお礼としてあなた達が願いを叶える手伝いをしたい……」
「いや、聞こえてるから」
沖人はそう言ってから溜め息を吐く。
沖人は思う。このサンタクロースの格好をした不審者は何を言っているのだろうか。言葉の意味がわからないということではなくて、会って間もない人間の沖人達。その願いを叶える手伝いをしたい? サンタクロースのコスプレをしているからと言っても、彼は自分が本物のサンタクロースではないという現実を理解しているのだろうか。
沖人は「そもそも」と言って、
「どうしてあんたはサンタクロースの格好なんだ? そういう服を着るのが趣味なのか?」
「とんでもない」
石見はサンタクロースの帽子を頭部から手に取り、地面に叩きつける。
「私をサンタクロースという世界を股にかけておきながら、依然として逮捕されていない不法侵入者と同じなんて、酷いことを言う」
酷いのはあんたの帽子の扱いだという不満を吐き出すことなく、沖人は言う。
「じゃあ何でそんな格好なんだ? そんな格好したおじさんの言葉を鵜吞みにはできないぞ」
石見は「なんだ、そういうことですか」と納得したようで、
「この格好はね、来月からクリスマスの短期バイトで、子ども達に風船を配るときの衣装なんです。実は私は貧乏でね、無料で服を貸し出してもらったので、私服として利用させてもらっているというわけです。もちろん、君達は真似してはいけないよ」
と言って、帽子を拾って被りなおした。
「誰がするか」
「そうだよね。咲もしちゃ駄目だよ」
「しないわよ!」
ともあれ、石見という不審者が貧乏な不審者という位置づけになったところで、秀一が挙手して、「質問いいですか?」と言った。
石見は人懐っこい笑みで許可を出す。
「石見さんはさっき僕たちが願いを叶える手伝いをしたいと言っていましたが、具体的な方法を教えてもらえませんか? それがわからないままだと、考える以前の話です」
「当然の質問ですね」
石見は一枚の写真を取り出す。
「これを見ていただけますか」
そこに映っているのは世界で数々の異常が起きた中で、日本で異常が発生した場所の写真であった。
つまり。
東京都の写真であった。
そこには眩い輝きを放つ光の玉が降り注ぎ、神々しい都市の姿があった。上空から見下ろすように撮ったものなのか、都市の全貌がはっきりと見える。
「えっ、でも東京って人も物も入れないんじゃあ……」
咲の言葉に石見は首を振る。
「いいえ、入れますよ。――――ただし、入るには東京周辺で生活する、あの繋がりを断つ障壁の中で生活する住人の協力が不可欠ですがね」
「ということは、石見さんは東京の住人ということですか?」
「ええ。そして、あなた達が願いを叶える手伝いをしたいという言葉は決して嘘ではありません。ここを見ていただけますか」
石見は手に持った東京の写真。その中央にそびえ立つ東京タワーを指差す。
「東京タワー。一々説明しなくてもわかりますね。ここの頂上に願いを叶える光玉があります」
三人は東京タワーの写真にデカデカと映る光玉を見て、驚いた。というのもその光玉は他の光玉と比べて段違いの巨大さで、太陽と見紛うほど大きかったのだ。
「石見さん、わざわざこんな大きな光玉でなくとも願いを叶えることはできないんですか?」
秀一の質問に石見は思い出したように返事する。
「ああ、東京にいたもので忘れていました。あなた達はあの光玉が願いを叶えるものとしか知らないのでしたね」
石見は続ける。
「光玉は叶える願いに限度があります。たとえば「不死身になりたい!」のような願いをしても願いが叶いませんし、光玉も消滅します。直接的に人や生物の生死に関わることや作用する願いは原則叶いません。ただし、物体の形状や重量など既存の物理法則の変更は意外と簡単に叶います。最後に無から有を生み出すことは可能ですが少量しか生み出すことはできません。食糧なら一食分といったところでしょうか」
石見のその後、光玉自体についてもう一度、簡単にまとめる。
光玉は十五センチメートル。
人が一度でも触れると所有者が決定し、五センチメートルの結晶となる。
光玉は願いを叶えると消滅する。また、願いが叶わなくとも使用すれば消滅する。
「願いが全て叶うわけじゃあないのか」
残念そうな沖人。本人に自覚はないが実は何でも願いが叶う光玉に沖人は期待していた。既に死んでしまった恋人。彼女を生き返らせるなんて無茶な願いを叶うかもしれない。そんな期待があったのだ。
咲は沖人に声をかけようか迷ったけれど、それよりも先に石見が、
「しかし、光玉にも例外があります!」
と声を張り上げた。
「それがこの写真にある大きな光玉というわけですか?」
秀一は冷静に聞く。
「そうです! 『コア』と呼ばれる直径百メートルの超巨大な光玉です! 東京の住人は光玉が降り注いでからずっとその性質を調べてきました。そして、ある考えに行き着きました。それが光玉のサイズと叶える願いが比例するのではないか、というものです。実際、東京を覆う障壁を生み出した光玉は通常の光玉よりも大きかった! そして、その効力は何度でも発動し、なくなることはなかった! それが根拠です!」
石見は沖人、咲、秀一に順に目を向けていく。
「今あなた達の目の前にはどんな願いでも一つだけ、叶えることができる光玉。それを掴み取るチャンスがあります。説明を終えた上で改めて言います。私、石見一美にあなた達が願いを叶える手伝いをさせてくれませんか?」
「急にそんなこと言われても……」
「そうだね。まさかこんな突然、願いを叶える機会が巡ってくるなんてね。……すぐには思いつかないな」
「…………」
戸惑う咲と秀一に対して、沖人は緊張で唾を飲み込む。
願っても叶わないと思っていた愛しい彼女、上牧奈々との日々。だが、願いを叶える機会が不審者とともにやって来た。そう思うと沖人は嬉しさや焦りでどうしていいのかわからなくなった。
「まあ、今すぐに決めろとは言いません。……ただし、これだけは覚えていてほしい。君達の願いがたとえどのようなものであろうと、自分では願うことすら躊躇ってしまいそうな願いだとしても――――きっとその願いは尊いものだ」
石見はその場でサンタクロースの帽子を取る。さっきような乱暴に投げつけるのではなく、今度はそっと地面に置く。
「一日、考えてください。そして、何としても叶えたい願いがある人だけ、明日の朝七時にこの帽子のあるところに集まってください。願いがない方は別に来なくても構いませんが、お礼はできないので先に謝罪しておきます。すみません」
石見は三人に背を向けて去っていく。
沖人はそれを見て、呼び止める。
「俺はもう……俺の願いは……」
決まっているという言葉を言う前に、石見が振り返り、手を突き出してその言葉を遮る。
「あなたも一日考えてください。それが約束です」
石見の姿が見えなくなってから、咲は沖人に言う。
「願いって奈々のこと?」
「それ以外にあると思うか? 俺は誰が止めようと、一人でも東京に行くぞ。そして、奈々を生き返らせる」
「「…………」」
沖人の言葉に咲も秀一も黙る。二人は沖人が上牧奈々という少女の死で、どれほど悲しんだか知っている。だからこそ、このまま沖人を一人で東京に行かせることはしてはいけないと思った。
「なに言ってるの! 別に私は行かないなんて一言も言ってないじゃない!」
「そうだね。沖人のように恋人ってわけじゃあなかったけれど、僕らだって奈々とは友達なんだ。一人で行こうなんて許さないよ」
二人は沖人の前に歩いて、沖人にはばれないように目を合わせ、小さく頷き合う。
「なっ……でも、叶えることができる願いは一つだけだって……」
「だ・か・らっ! 奈々を生き返らせるのが三人の願いでいいじゃない! 頭の固い男ね!」
「野球ばかりして勉強しないから頭が働いてないね。今日は家で勉強してするといいよ」
「お前ら……」
沖人は涙をこらえて、走り出す。
「俺は先に帰る! また、明日な!」
あっと言う間に帰ってしまった沖人に、咲と秀一は笑い合う。
「帰ろうか」
「うん」
***
十一月一日。夜。咲の部屋。
芦屋咲はベッドにその身を投げ出していた。両手には寝るときには欠かせないクマのぬいぐるみを抱きしめている。
「明日、奈々を生き返らせるために東京に行くんだよね、私」
上牧奈々が生きていたときは私と沖人と奈々と秀一で毎日のように学校で何でもないようなことを話し合って、楽しかった。
しかし、奈々が死んでから沖人は家に引きこもり、咲や秀一に頼ることもなく、一人で奈々の死を悲しみ続けた。ようやく学校に来るようになっても数日は人形のような無口と無表情で、言葉をかけても機械的な返事しかしてくれず、心の傷が癒えていないことがわかった。
「あんな沖人……もう見たくない」
だから、咲は決めたのだ。もう死んでしまった奈々を生き返らせることを。そうしないと、沖人が前に進めないから。
「奈々は私達が生き返らせる」
決意を確かめるように咲は言葉にする。しかし、モヤモヤとした気持ちが晴れることはない。
「生き返ってほしいはずなのに……どうして私は奈々を生き返らせたくないんだろう」
少女は悩み続ける。
***
同日。夜。秀一の部屋。
「奈々を生き返らせる。そうすればまた昔みたいに四人でいられる」
松原秀一は奈々を生き返らせることに悩んではいなかった。
むしろ、今の秀一の考えていたのは咲のことだった。彼女は沖人が奈々を生き返らせると言ったとき、どんな表情をしていたのかわかっていたのだろうか。今にも泣き出してしまいそうだった。きっと咲は奈々を生き返らせることに賛成なんかじゃあない。
それでも、沖人が前に進むために耐えているのだ。
「まあ、沖人はいつも周りのことが見えていないからね」
気がつくと、いつの間にか秀一は拳を力いっぱい握りしめていた。
「ああ、石見さんがサンタクロースの格好なんかするから鬱憤が溜まっていたのかな」
秀一は自分が何に怒りを感じているのか、わからなかった。だから、咄嗟に思いついた石見というおじさんのせいということにしておいた。
「明日寝坊するわけにもいかないし、もう寝ようかな」
少年は悩まない。
少年は気づかない。
***
同日。夜。沖人の部屋。
上牧奈々を生き返らせる。
茅打沖人は石見の提案に二つ返事で答えようとした。それは既に自分の中で願いなど決まっていたということもあるけれど、それ以上にあのときを逃せばチャンスが巡ってこないと危惧したという理由もあった。
しかし、今になって沖人は本当に奈々を生き返らせることが正しいことなのかと思い始めていた。
そもそも生き返ったとしてその上牧奈々は茅打沖人が愛した彼女と同一人物と言えるだろうか。どれほど姿形が似ていようと別人なのではないか。別人と会って自分は前に進めることができるだろうか。
沖人は悩む。
「うじうじと情けない! 沖人は男でしょう! そこは胸張ってやればいいの! 沖人が何やったって私が女神のような大らかな心で許してあげる!」
「他人がどうとか知らない! 私はね、世界が自分のために回ってるんじゃないかと思うのよ」
「昨日テレビでね、ペットボトルロケットを飛ばしてたの! あれ、うちの学校でも飛ばしましょう! ペットボトルがロケットになるの! さあ、やりましょう!」
少女は元気溌剌で、他人のことなど気にせずにやりたいようにやっていた。あまりに自由すぎて過去に何度も諫めたことを思い出し、笑ってしまう。
「そうだった。男なら胸張って、やればいいんだった」
少年は悩み――――悩むことをやめた。
次話は3時です。