Area《4-3》
顔の一部にも及んでいるその紋様からは、先に《終末》から感じた邪悪な魔力の波動と同じものを感じる。
「気を失っているようだけど……どうする?」
「こんな小さな女の子が《終末》の一員とは思いたくありませんが……。用心して、私が助けようと思います」
仮にこの少女に以前出会ったニグル・ヘルヘイムほどの力があった場合、セレネが近くにいては危険である。
そう判断したリリーシアはセレネを少し下がらせて、一人で檻の中の少女と対面する。
「鍵は持っていませんし……力技で」
リリーシアが剣を抜く。赤から紫、紫から蒼へと美しいグラデーションを見せるそれは、リリーシアが合金と火竜の素材で鍛え上げた新装備――片手用長剣《女神の祝福》である。
鉄格子の前に歩み寄ると、リリーシアは剣を一閃。格子の素材は鉄よりも丈夫な金属だったようだが、何の抵抗もなく斬り飛ばされる。
それなりに大きな音がしたが、中の少女が起きる様子はない。
リリーシアはわずかに緊張しながら、磔台の器具と鎖の拘束を一つずつ外していった。
「リリーシア、その子……」
「ええ、まだ起きていませんね」
自分たちの荷馬車の中央に敷いた布団に少女が横たわっている。
子供服は持っていなかったが、ひとまず予備の服を着せている状態だ。
完全に意識はないようだが、普通に呼吸をしているので命に別状はなさそうである。
もし何らかの魔術や薬で眠らせられている場合でも、リリーシアの魔術で解除可能なはずだ。
「国境の者たちに戦闘音を聞かれたかもしれません。ひとまず幻術を再展開して、走りますわよ」
「それもそうですね。コルウェさん、お願いします。ひとまずは……街に入って宿を探しましょうか」
そして数時間後、蒼の旅団一行はバレンス国東端の街アルミアに入っていた。
街の入り口近くに荷馬車を止め、部屋を借りるべく女の子を抱えたリリーシアたちが宿屋へ入った――のだが。
「いらっしゃ――こ、こいつ、《忌み子》を連れてやがる! 衛兵! 来てくれ!」
「な――」
少女を見て突然叫んだ店主にリリーシアが驚いている間に、店の外から数人の足音が聞こえてくる。
「何がなんだがわからぬが、一旦引くぞ師匠!」
「……わかりました!」
ゼラに声をかけられて我に返ったリリーシアは、脇目もふらず宿屋から飛び出る。
周りを見れば、遠くに衛兵と思われる鎧を来た集団がこちらに走ってきているところであった。
何が起こっているのかは全くわからないものの、あの衛兵たちに捕まってしまうのはよくないということはわかる。
その考えで一致した《蒼の旅団》一行は路地裏に逃げ込み、何回か角を曲がったあたりで、かろうじて逃げ切ることに成功した。
「幻術を張りました。気休めですが、今この路地に乗り込んできても、壁があるように見えるはずですわよ」
「ありがとうございます、コルウェさん。しかし……あの店主さんの反応は一体……」
「《忌み子》……と言っていた、です。その子の紋様と……関係があるのでは、と」
ミコトが少女の服の隙間から走る紋様を見て、苦い口調で答える。
「一度、馬車へ戻りましょう。顔は記憶されていないはずですが……どのみち、この街ではもう下手に動けません」
コルウェの幻術を使用しつつ路地から路地へと進み、なんとか何者にも見つからずに馬車へ戻ってこられた一行は、ひっそりと馬車を動かし、街から離れて走っていた。目的地は、アルミアからさらに西に進んだ場所にある街である。
「……これは、調査の必要がありますね」
車内には暗い雰囲気が流れていたが、それを断ち切るようにリリーシアがつぶやく。
「……そうね。この子のことと、本来の依頼。なんだか……繋がっているような気がする」
少女の頭を優しくなでていたセレネが同意する。
「賛成ですわね。《忌み子》という言葉がこんな国の端まで広まっている以上、そう呼ばれている子どもたちはまだいるのでしょうから。……ところでリリィ、宿は借りられなかったのですから、もうこの馬車内で解呪を試してみてもよいのでは?」
「そう、ですね。これが普通の呪いの類であれば私が解呪できるはず。もしそうでないなら……もっと急いで行動する必要も出てきます」
精密な魔法の使用には精神の集中が必要である。
万が一の事態を避けるべく、リリーシアたちは馬車を森の中に止め、精神を研ぎ澄ませていた。
「今回は私の宗派であるアルストロメリア神とともに、コルウェさんも力を貸してくれている……これで解呪できない呪いなど、ありはしない……! はじめます!」
強く宣言したリリーシアが、呪文を詠唱していく。聖属性の大魔術である最大級の解呪の術法は、呪文というよりも神に祈りを捧げる祝詞といったほうが正しい内容である。
リリーシアの背中に両手を置いたコルウェがリリーシアに魔力を注ぐ。現人神たるコルウェの魔力がリリーシアのそれと混ざり合い、大魔術にさらなる力を与えていく。
間違いなく、現時点で行える最大級の魔術が形になっていき――
「彼の者に、神の奇跡を――! 《聖光系超越詠唱魔術:《神祝福解癒》!」
瞬間、光が舞い降りた。
ゲーム内ではあらゆるデバフ・不利効果を解除し、最高強度の呪いをも強制的に解呪する。さらにはたとえHPがゼロからでも完全に回復し、一時的に全能力に強力なバフが掛かる。いずれかの神を信仰する聖職者クラスの最高位で習得し、長い詠唱時間を短縮することも不可能だが、圧倒的に強力な回復魔術である。
その一切の不浄を許さない光を浴びた少女は――
「まさか……」
黒ずんだ紋様は健在であり。
「――効か、ない?」
あろうことか、状態に変化は見られなかったのである。
「でも。目覚め、ます!」
人一倍真剣に少女を見ていたミコトが、変化に気付く。まぶたが少し動いた。目を開けようとしているのだ。
黒い紋様には効果のなかった解呪の術法だが、今まで一度も戻らなかった少女の意識を取り戻すことに成功したのである。
「――、」
薄く開かれた金色の瞳が、リリーシアと交わる。
「――あなた、が」
まだ安定しない呼吸を繰り返して。
「あなたが――わたしを、ころして、くれるひと?」
そう、言った。




