Area《4-1》
「これは、かすかな潮の香り……!」
《蒼の旅団》(とコルウェ)は、バレンス国国境に向けて馬車を進めていた。
それに際して選んだルートは、北の端、海岸線を通るルートであった。
このルートはミコトとゼラが提案したものだ。なんでも、国境に設置してある検問所は内陸部の街道に集中しており、逆に海岸沿いは若干手薄なのだという。
バツェンブール国とバレンス国は少なくとも外面は友好国であり、普通に行商や冒険者として国境を越える分にはどこを通っても全く問題はない。
そもそも実際には検問をしているのはバレンス国側だけなのである。バレンス国は風土として、余所者に厳しいところがあるらしい。
検問所ではかなり詳しく個人情報を調べられるらしく、あまりそういうことを好まない者たちがこっそりと利用するのが海岸沿いの森林内を抜けるルートというわけだ。
出発から一週間弱で、リリーシアたちは既に国境付近までやってきていた。
「しっかし、コルウェ様のおかげで更に快適な旅になったのう」
「こんなに荷物を積めるとは驚き、です。国境まで一週間足らずで到着するとは……」
ゼラとミコトが車内を見回してつぶやく。荷馬車は前回の旅より若干前後に長くなり、後部に荷物を積む大型のコンテナが増設されている。
コルウェのおかげというのは、荷物が満載された大型の荷馬車を引く二頭の馬のことである。
正確には、今この荷馬車を引いているのは馬ではない。
体格は一般的な馬より一回り以上大きく、黒い毛皮の下は溢れんばかりの筋肉に満ちている。その頭には後ろ向きに伸びる立派な黒い角が二本備わっている。
軍馬というよりも魔獣といった雰囲気のそれは、コルウェが召喚した《アンヴァル》。陸と海に対して地形適正を持ち、周囲の味方に防御補正をかけるという特殊能力を備えるレベル五百台後半の召喚獣である。
コルウェの召喚術の付随効果によって他人からは体格のいい馬に見えるような幻術がかかっているが、馬車に乗る者からはその勇姿を見ることができる。
「いえいえ、このくらいならお安い御用ですわ。リリィは召喚術納めていなかったですものねえ」
「……低級のものならばともかく、そうそうに降霊術とかあのへんが混ざってくるから取れるわけないじゃないですかー……」
そもそもファンタジア時代は、召喚術技能が使えなくても乗り物用の魔獣程度ならマジックアイテムで呼び出すことができたのだ。
この世界に来てから(というよりコルウェに出会ってから)縛りなど設けずにゲームをしていればと思うことも少なくないが、それこそ今更というものである。それに日常生活には全く困っていないのだから、自身のできる範囲のことだけ考えていれば大丈夫だろう、と思い始めていた。
「しかしまあ、平和ですね。私も少し昼寝をしてきます」
リリーシアが先程から昼寝をしているセレネの隣の布団に潜り込むと、想定外に強い眠気が襲ってきた。馬車での旅は同じような景色を見ている割合が高く、正直に言えばなかなかに暇なのである。
「わかりましたわ。操縦はこちらに任せて、国境までの時間は寝ていていいですわよ、リリィ」
「それではお言葉に甘えて……」
この荷馬車に御者がいないのは、コルウェがアンヴァルと感覚を共有しているためだ。そのため、軽い指示を出したあとは室内でコルウェが前方を見ることができるのである。
「リリィ、起きてください、リリィ」
軽く揺すられたリリーシアが目を覚ますと、目の前に大きくコルウェの顔が映った。
「うわっ、と、もう目的地ですか?」
「ええ。ここはもうバツェンブール・バレンス間国境まで数分ですわ。念のため、確実に検問をすり抜けるために道から逸れますわよ」
「すり抜ける……? 可能なんですか?」
リリーシアがそう聞くと、コルウェは可愛らしく人差し指で唇を押さえる仕草を取った。
「このあたりはまばらに森林が広がっているうえ、大きな街道もありませんので。木々の中に入って少し幻術をかけてやればノータッチ、というわけですわ」
「それはなんというか……なるほど、わかりました」
明らかな違法行為なのでは、と喉まで出かかったものの、隠密性の重要度を思い出して口をつぐむ。
バツェンブールからの依頼で秘密裏に他国の内偵に来たリリーシアたちもそうだが、セレネが身分を明かさずに極秘の越境をするというのが問題になるのだという。リリーシアにはそういった外交上の問題はあまりよくわからないのだが、コルウェやセレネ自身が言うことなのでひとまず納得することにしている。
「では、馬車全体に幻術をかけますので、極力音は出さぬようよろしくお願いしますね」
そう断ってから、コルウェはカドゥケウス・リリィ(リリーシアの作ったコルウェの杖。コルウェ命名)を構えると、術式を詠唱する。
コルウェが発動したのは、認識を阻害する魔術。透明になるわけではなく、周りから「何もなかった」と思われるようになる魔術である。目の前に立ったり、接触してしまうと効果は切れてしまうが、少し遠くから姿を見た程度では何も異常を感じ取ることは出来ないという高度な幻術だ。
「コルウェさんがこういうことに慣れてるの様子なのって、つまりそういう……」
「私、名実ともに現人神ですので……さあ、国境を越えますわよ」
リリーシアのつぶやきは、コルウェの全く悪びれないごまかし笑いに弾かれる。
そうして何も見咎められることなく、《蒼の旅団》一行はバレンス国への密入国を果たしたのであった。




