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Area《3-19》


 その日の午後。

 アリアは教会の一室で、神と対面していた。


「えっと、その……よろしく、おねがいします!」

 緊張を通り越してガチガチに固まったアリアが思い切り頭を下げる。

「ええ、よろしくおねがいします。ところで、そんなに緊張せずともよいですから、リラックスしてください。ほら、深呼吸をして――」

 対するコルウェは、苦笑い気味の微笑。

「深呼吸、深呼吸……」

 アリアは数度深呼吸する。

 相手は、実在はしていても天上の存在で、一生見ることもかなわないだろうと思っていた現人神。

 ダリア村のみならず、このあたりの村ではそのほとんどがコルウェを信仰しているのだ。

 そんな相手がすぐ隣に座り、自身が記した魔術教本を開いている。

 ――緊張しないはずがないのである。

(今朝、コルウェ様から譲り受けたという教本をおじいちゃんからもらったときもすごく驚いたけれど……まさか、女神様本人から直々に指導を受けられるなんて……。夢でも見ているみたい)

「それでは落ち着いたところで、基礎の基礎から始めましょう。どの属性の魔術も、はじめは自身の内に流れる魔力を意識するところから始まります。それは神の力を借りる信仰系魔術でも例外ではありませんわ」

「自分の中の、魔力……」

 目を閉じ集中するアリア。

「貴女は他人の魔力を感じる感覚センスがとても鋭いから、それと同じように自身の内側に意識を向けるのです」

「……、……ぁ――!」

 しばらく意識を集中していたアリアが、ついに魔力の流れを掴む。

 それは非物質的存在でありながら、確かに自身の内に流れるもの。

 身体の内にあるようでいて、大きな海が広がっているような、不思議な感覚。

「本当に、筋がいいといいますか……才能がある、と言ったほうがいいでしょうか。並の才能の者が初めて流れを掴むには数日かけることもありますのよ」

「さ、才能だなんて……私など」

「ふふ、謙遜しなくてもいいのですわよ。それでは次に進みましょうか」


 コルウェに導かれながら、アリアは自身の内側に集中していた。

 まず、自身の周囲に漂う魔素を自身の中へ取り込む。

 それを、魔力と混ぜ合わせ、練り上げる。

 世界を改変する力は魔素に宿り、自身の意志は魔力に宿る。

 それを混ぜ合わせるということはつまり、自身の意志で外の世界を改変する力を作るということである。

 その混ぜ合わされた塊を、呪文という祝詞で整形し、それがどういう力なのかを規定する。

 今回は、コルウェによると難易度の極めて低い、空中の一点に灯りを灯す魔術。

 そして呪文の最後を、魔術の名前で締めくくる。


聖光系詠唱魔術ホーリースペル:《光球ホーリーライト》」


 目の前に掲げたアリアの右手の先に、片手で包めるような小さな灯りが出現する。

 それは僅かではあるが神の力を借りた、暖かな聖なる光。


「私……できました……!」

 ゆっくりと目を開けたアリアは、自身で生み出したその光を目にして表情を輝かせる。

「……驚きましたわ。私はただ感覚を示しただけだというのに、一回目で成功させるなんて……」

 コルウェの驚きは演技ではなく、本物であった。

 実際、最下級の光球を出すだけの魔術ではあるが、はじめからここまで上手くいく者はほとんどいない。

 初回に発動させることができても、大抵は大きさや光量が不安定だったり、一瞬しか点灯しなかったりするものなのである。

「そんな……! コルウェ様のお言葉がすごくわかりやすかったからです!」

 感動した面持ちで、コルウェと光球を交互に見るアリア。

「ふふふ、才能ある若者の助けになれたなら、私も永く生きた甲斐があるというものですわ。本当に、将来が楽しみです」

「いえ、私なんて、そんな……あっ、その、この魔術を解除するにはどうすれば……?」

「ええ、それならば……自身の内に集中して、自身と魔術にある繋がりを切れば解除できますわよ。最下級の光球ですから、ほうっておいても次第に薄れていくものですけれど」

 ありがとうございます、と告げつつアリアは再び目を閉じる。今度はすぐに繋がりを辿れたらしく、数秒もかからずに光球は静かに姿を消した。

「私にこんなすごいことができるなんて……」

「その教本を読み精進していけば、そのうちにもっとすごいことができるようになりますわ。それは、貴女のためになるだけでなく、貴女の周りの人々を幸せにできる力」

「本当ですか……!?」

「ええ。女神のお墨付きなんて、こんなサービスめったにしないのですわよ? 貴女は、きっと善い方向にその力を使ってくださると信じています」

 片目を閉じ、悪戯ぽく微笑むコルウェ。

「……はい! コルウェ様に誓って必ず……!」

 強く宣言するアリアに、それは本人がいるところで使う台詞なのだろうかと少しおかしくなったコルウェであった。



 一方その頃、リリーシアはコルウェが女神めいた教えを説いているとは知らずに、調理台へ向かっていた。

 まな板の上にあるのは赤い肉。

 血抜きされていないとか赤身だとかそういう話ではなく、実際に肉が”赤い”のだ。

 それは、火竜の肉であった。

 魔力が抜けてしばらく置いてあった火竜の肉は、いまや非常に柔らかくかつ弾力のある、最高級の輝きを放つ食材と化していた。

「……ミコトたちが殺されかけた相手の肉だとは思えない、です」

「……ですねえ。どう見ても最高に美味しそうなんですが、さてどう調理したものか」

 ミコトが納得できない顔で呟く。リリーシアもその意見には同意するものの、とりあえずは現実を見なければならない。

 自身と生き死にのやりとりをした高レベルの魔物だという事実を一旦意識の外に追いやり、目の前の食材を眺める。

「とりあえず、焼いてみますか」

「……賛成、です」

 ちなみにここにいるのはリリーシアとミコトのみである。ゼラとセレネは村の広場で若者たちに武器の稽古をつけているらしいと聞いている。

「じゃあまずは単純に塩胡椒で、と――」

 ゆえに、試食する権利はこの二人のみが持つわけであるが――


「…………これは」

「……おいしすぎる、です」

 試食したのは、塩と胡椒を振り油(これも火竜の竜脂?である)を引いたフライパンで焼いた火竜のステーキ。

 元が火竜というだけあって熱に抵抗があり、火が通るのが遅いという欠点はあったが、その美味しさは二人の表情が物語っている。

 美味しすぎるのである。

 牛とも豚ともこちらの世界特有の食肉とも違う、独特かつ濃厚な風味に、噛んだ先からとろけていくような肉質。

 リリーシアは今まで食べた肉の中で、最も美味と断言することができるほどに、それは美味しかった。

「まさか、あんな鉱山ダンジョンの地下深くのダンジョンボスが、こんなに美味しいなんて……」

「秘宝は奥に眠るとは、よく言ったもの、です」

「そういえば、あのダンジョンはボス部屋に宝物が置かれたりしていませんでしたよね。この火竜の遺体が唯一の戦利品だったわけですけど……まさか」

「……かもしれない、です」

 しかしまあ、とリリーシアは考える。

「調理技能の要求値が非常に高そうなんですよね。肉質が異常に繊細で、ただの牛肉を調理するのとはわけが違う感じで」

「……ミコトも試してみていい、です?」

「そうですね、おそらくミコトやゼラあたりなら十分調理できると思いますよ。今日の夕飯は火竜づくしを作って、村の皆さんにもおすそわけ、ですね」

 気合を入れて肉と対峙するミコトを見ながら、そうつぶやいたリリーシアであった。

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