Area《1-8》
バツェンブール王国の王都ラツェンルールは、非常に賑やかな都市だった。
入った門からまっすぐに伸びる大通りには商店や出店が立ち並び、多種多様な人間が行き交う。
その光景を目の当たりにしたリリーシアは、祭かイベントでもやっているのかと思ってしまう。
そう口にすると、俺が来た時はいつもこのくらい賑やかでしたよ、と総隊長が笑う。
ひきこもりではあったが人が怖いわけではないリリーシアは、その祭のような空気に乗せられてきょろきょろと周りを見ながら歩いていた。その姿はまさにおのぼりさんを絵に描いたようではあったが。
一行は冒険者組合の前にやってきていた。
「じゃあ、ここらでリリの姐さんとはお別れっすかね。名残惜しいっスけど、姐さんは宿を探さにゃならんだろうし」
彼らは組合への依頼をしたり、帰りの護衛を探したりしつつ一泊してから帰るらしい。
リリーシアは宿を決めてから行動を始めるつもりだったため、ここで別れる予定にしていたのである。
「そうですね。冒険者組合にも興味はありますが、私は先に宿を探しに行こうと思います。道中、地理や都市について教えて頂いて助かりました。ありがとうございます」
「姐さんがいなけりゃ俺たちみんな死んでたかもしれないんスから、そう頭を下げんでくださいよ。じゃあ、また会いましょうっス!」
そう言って、リリーシアに手を振りつつ冒険者組合に入っていく数人の仲間たち。ダリア村にはいつか帰るつもりではあるので、また会うことはできるだろう。
一人になったリリーシアは、宿を探すという名目でラツェンルールを散策することにした。
ところで彼女の持っている資金は、討伐隊の護衛費として村長から渡された1週間分程度の宿泊費が全てである。そのため近いうちに仕事を見つける必要もあるのだが、初めてのファンタジー都市観光に浮かれた彼女の頭はそんなことは忘れてしまっている。
都市内の道は石畳で整備されていて歩きやすい。そのところどころに現在地を示す地図もあるくらいなのだからこの街の繁栄のほどが伺える。その地図によると、この都市はほぼ円形らしい。外周から、先ほど抜けた塀、今いる一般居住区と組合区、貴族居住区、行政区、そして中心に王城といった構成になっているようだ。都市内の北側には大きな決闘場などもあるらしい。
特にリリーシアを感動させたのが、街に張られた運河である。いたるところに大小様々な水路が張り巡らされていて、小舟で移動する人々も多く見かけられる。彼女はその光景に、前世紀に水没して映像資料しか残っていないヨーロッパの都市、水の都ヴェネツィアを思い出していた。
どこからこの運河の水がもたらされているのかは不明だが、どこかにファンタジー特有の魔法装置でもあるのだろうか、と想像する。
そしてところどころに金属製の外灯が立っていて、中にはクリスタルのようなものが配置されている。夜になれば、魔力が通って明かりが付くのだろう。
町並みの特徴はというと、大通り同様商店や出店が数多くあるのだが、それに負けない頻度で宿泊施設が姿を見せる。そのどれもが食事処を兼ねて運営されているらしい。大量の流入者にあわせて宿を整え、商売の機会を逃すまいとする街全体の気概を感じる。
その中でリリーシアが目をつけ入ったのが、入り組んだ路地の中にある「ウンディーネの泉」という名前の宿だった。というのも偶然見かけた、その少し古めかしくこじんまりとした歴史を感じる佇まいに惹かれただけではあるのだが。店先には、小さく「1泊2食:3ブール」とある。
バツェンブールの通貨はブールという。その下には、カブールという単位も存在して、1ブール=1000カブールとなる。物価はリリーシアの常識とやや異なる物品もあったが、見たところ宿屋1泊が3ブールというのは概ねこの辺りの平均価格であるようだ。
扉を開けると、その外見に相応しく落ち着いた内装のロビー兼食堂に出る。食堂にはいくつかのグループが座って談笑をしているが、騒がしい印象はない。
その様子を横目に見ながら、受付に向かう。受付には、初老の男性が静かに座って本を読んでいた。
「おや、いらっしゃい。ウンディーネの泉へようこそ」
「3泊お願いしたいのですが」
「3泊かね、それなら9ブールだよ」
リリーシアが銀色の硬貨を9枚渡すと、男性がカウンターの中から部屋の鍵を渡してくれた。
「ありがとうございます。いい雰囲気のところですね」
「ふふ、ありがとう。君のように本物のウンディーネのような美しい女性にそう言ってもらえると、この泉の主としても鼻が高い」
彼自身が店主だったらしい。目を細めて本当に嬉しそうに言うので、こちらが照れてしまう。
「店主さんはお世辞がお上手で」
「いいや、世辞ではないよ。……しかし、この街に来る者は様々だが、これほど見事な蒼の髪と蒼の瞳は記憶にない。ここへ来るまでに随分注目されたのではないかな?」
リリーシアとしては特に注意していなかったのであまり記憶にはなかったが、そう言われればすれ違う人が時々こちらを見ていたような気もする。そして確かに、結構な時間歩きまわってみたが、瞳はともかく青系統の鮮やかな色彩を持つ髪色の人間には出会っていないような気がする。だいたいが黒から紺、焦げ茶から金くらいの範囲で収まっている。
「確かに、少しだけ心当たりが……無駄に注目されるのもあまり本意ではないのですが。フードでも買ったほうがいいのでしょうか」
「私はその美しい髪を隠さないほうが素敵だとは思うが……しかし、下手な貴族に目をつけられんとも限らない。その雰囲気から察するに、あまり女好きの貴族は好きではなさそうであるし」
苦笑して言う店主に同じく苦笑して頷きつつ、気をつけます、と返事をしてカウンターを離れる。とても話しやすくて気さくな感じの店主であった。夜には食堂はバーのようなものになるらしいので、行って話をしてみるのもいいかもしれない、と彼女は考える。
部屋は3階の一人部屋。部屋の内装は小さなデスクとベッドがあるだけの簡素なものだが、店主の人柄を思わせる落ち着いた雰囲気の部屋であった。背負っていた旅の荷物を降ろし、結局道中で一度も使わなかった剣と盾も壁にたてかける。
鎧戸のついた窓を開けると遠くの喧騒とともに爽やかな空気が入ってきて、静かに精神が癒されるのを感じる。
「……結局、何も考えずに言われるままにここまで来ちゃったけど……自分のこと、もう一度よく整理したほうがいい、よな」
何もわからないままこの異世界に飛ばされてきてしまった新海 竜は、自分の身の振り方について、考え始めていた。
まず、元いた世界――日本に帰りたいのか?
否。いろいろな事情で現実で居場所を失い、ひきこもりになってしまったのだ。自分を待つ人もいなければ、自分から会いたいと思う友人もいない。強いて言えば、ファンタジア内のフレンドたちだろうか。そして、自分の理想とする外見(性別は真逆だが)と能力まで授けてもらっているのだ。日本に帰るという選択肢は既に彼の中で完全に却下されている。
そもそも自分はこの世界でなにをすべきなのか?
……わからない。ファンタジー小説のように神に啓示を受けたわけでもなければ、山の奥の仙人に世界を救えと言われたわけでもない。自分がこの世界に来た意味というものがそもそも存在するのかも分からない。
ならば自分は何がしたいのか?
これははっきりしている。この不思議な世界を見て回る冒険をしたい。自分の宿命が決められていないこの世界で、自分の思うままに。
――自らの望むままに。結局のところ、何を自問しても返ってくる答えはこれしかない。
――そして。
「リリーシアは自分で、自分がリリーシアなんだ。騎士の真似事をして、人助けをしてみるのもいいかもしれないな」
ふと口にしてみた言葉は、とても自然に自分の中に染みこんでいったのであった。