Area《3-16》
その夜、リリーシアとコルウェは同じ部屋にいた。
辺境の小さな村であるダリア村には宿屋はなかったので、空き家になっていた民家を一つ借してもらい、一階でミコト・ゼラ・セレネ、二階でリリーシア・コルウェが寝る流れになったのである。
ベッドを二つ置くとあとは通路が残る程度の狭い部屋だが、大人数で突然押しかけておいて無償で部屋を貸してもらったのだから、感謝の気持ちはあっても不満など抱くはずもなかった。
その二つおかれたベッドの片方に二人は座り、壁に背を預けて並んでいた。
「ところでリリィ、貴女はメイン技能って変えてみたかしら?」
「メイン技能……ですか? そういえばこの世界に来てからは変えていませんね」
ガルガンチュートでも実感できたことだが、五つ設定できるサブ技能は無意識のうちに切り替えができるようになっていた。だが、思い返すと《最上位聖騎士:水》を設定したままのメイン技能は変更したことがなかった。
そもそも多種多様な能力を内包する最上位技能を装備していて全く不便がなかったため、今まで変更したりはしなかったのだが――
「……あれ?」
サブ技能を変更する要領でメイン技能を変更しようと試みたのだが、自身の内側から全く反応がないのだ。
リリーシアは説明しにくい感覚を味わっていた。確かに自身の中にはしっかりした技能として存在するのに、なんとなくシナプスがつながらない。あるはずのものが手をすり抜けていくような感覚といえばいいのだろうか。
「理解できたかしら」
「……これは、どういうことなんです?」
コルウェは、どう説明しようかと考えている教師のような顔をしている。
「まずはこの世界の理について説明してあげましょう。この世界の人々は私たちと同様にレベルを持ち、同じ成長曲線で能力が上昇していくことは知っていますね?」
「ええ、まあ。個々人のレベルの上がり方には個人差があるようすでしたが」
「そうね、認識は合っているわ。数値化はされないけれど、この世界の人々も経験値を積み、レベルアップすることができる。それは技能にもあてはまります。でも、ゲームのシステムとこの世界の理の違うところは、メイン技能は自由には変更できないというところですわ」
「そんな仕様があったんですね……ゲームじゃないから仕様とは言わないんでしょうけど」
「この世界の人々にとってメイン技能とは、ある程度習熟した技術を身に着けたときに自然に生えてくるものという認識なのですわ。剣道を主に修めた冒険者に自然に《剣士》系技能が登録される、といった様子に。そして、その技能はさらに修練を積むことで上級のものに置き換わっていく。《初級剣士》から《下位剣士》、派生して各種《騎士》技能へといった具合にね」
この世界の人々がどうやって技能を取得しているかという話は、リリーシアには全くの初耳であった。今までは特に気にしていなかったのだが、こちらでの友人もできている以上、知らないでは済まされない物事のように思われる。
「派生していくというのはわかりましたが、全く別の系統には変わらないんです? 例えば聖騎士系技能の取得には騎士系技能と魔術系技能の修熟が必須だったはずですが」
「ええ、そのあたりは、その人の気の持ちようと学習の具合で変化するらしいですわ。今まで《剣士》系の主技能を持っていた者が、必死に魔術の勉強をして実践をくり返すことによって《魔術師》系の主技能に切り替わったり、いきなりその複合技能を修得できたりという感じですわね」
ただし、とコルウェは続ける。
「上位の技能を修めている者は、それが上位であればあるほど魂と強く結びつき、定着するものなのですわ。リリィの場合は各種上位職を下敷きにした更に高位の技能である聖騎士技能ですから、おそらくもう別の系統に変化したりはしないのではないかしら」
なるほど、とリリーシアはつぶやく。たとえ技能があろうとプロ野球選手が突然プロテニス選手に転向できないようなものなのだろうか。
「ここに来てまだ一年経っていないわけですけど、まだまだ知らないことばかりですね、本当に……」
「私が答えられることであればお答えしますわよ、夜は長いのですから」
せっかくだからいろいろ聞いてみないとなあ、と思うリリーシアであった。
そして結局、随分と長くこの世界について様々な質問をして答えてもらった。(その質問数は後から思い返すと正直申し訳なくなるほどに多かった)
「……そういえば、グランデ国での生活はいかがです?」
なんとなくコルウェのことについては触れていなかったのだが、その問いは自然とリリーシアからこぼれた。
「私の生活、ですか? そうですわね……実を言えば、あまり楽しいものではないのですわ」
そう言ったコルウェの横顔は少し悲しげであった。リリーシアは止めようとしたが、その前にコルウェは少しずつ話し始めていた。
「私には、友人ができないのですわ。グランデ国が成立したとき私は既に現人神――星読の女神として崇められていましたから。王女という地位も契約上のものではあるのだけど、実権はあるから下手に国民の方々と交流することもできないですし。それに」
それに、
「もし親しい者が出来たとしても、私が眠りについて次に起きたときには、その者たちは何十歳も年を取っているか、または代替わりしてしまっているのですわ。寝て起きたら周りの皆がいなくなっている感覚……リリィには、想像できるかしら」
「……そんなの、想像できるはずもない、スケールの大きな話です……。定期的に眠りにつくというのは、どういった理由が……?」
「この世界に来てからもう六百から七百年が経っているのだけれど――長く生きていると、過去の記憶が徐々に欠けていくのですわ」
コルウェは膝を抱えてうつむき、長い髪で顔を隠した。
「そんな――」
「おそらく、この世界での人の身体は長大すぎる記憶を抱えていられないのですわ。定期的に眠りにつくのは、記憶の整理をするため。そして、新たな記憶の流入を少しでも抑えて……あの頃の記憶を失わないようにするため。あの頃――ファンタジアの、《しおひがり》での大切な思い出をなくさないために」
コルウェの声は、震えていた。
「それでも……だめなのですわ。ファンタジアでの細々とした物事が、気付けば少しずつ消えていく……ユニオンホームから近かったはずの鉱山エリアの名前、他のユニオンにいた友達のこと、最後に装備していたアクセサリの効果――次々と、消えていく。記録に残しておいても、欠けた記憶はそれを他人事のようにしか認識できない……。次は……《しおひがり》の仲間たちのこと、大切な友人たちのことを忘れてしまうかもしれない。リリィのことを、思い出せなくなるかもしれない……そう考えると、怖くて、たまらなくて――」
リリーシアは、すぐ隣で嗚咽を漏らすコルウェに触れることができなかった。自身の想像のつかないほどの長い年月を、恐怖を抱えて生きてきた彼女を慰める方法をリリーシアは知らなかった。
「コルウェさん――」
「……大丈夫。大丈夫、ですわ。だって、こうして会えたのですもの。一緒に、生きていけるのですから」
「……その通りです。私も、コルウェさんがいれば百人力というか。本当に、心強いです」
リリーシアの言葉を聞いたコルウェは、ゆっくりと顔を上げた。その顔には、涙は残っていなかった。
「苦労もあるでしょうけれど、これからは助け合っていきましょう、リリィ。時間はたくさんあるのだから」
「そうですね、たくさん――たくさん? コルウェさん、もしかして……私たちって……」
ある予感に突き当たったリリーシアは、様々な感情の入り混じった非常に渋い顔でコルウェを正面から見た。
コルウェは当然とでも言うような顔で、
「今までの話から薄々気付いていたと思うけれど――私たちは、少なくとも老衰で死ぬことはないですわ」
そう、答えた。
「え……、ええー……………………………………」
ただの引きこもりネットゲーマーだったはずの自分は気付けばキャラクター自身になっており。
一年前にログインしなくなった友人は知らない間に数百年を生きる女神になっており。
そしてその友人から、自分たちは不老不死だと宣告される。
――いったい、自分はどこで道を踏み外したのだろうか?
道を踏み外したといえばネトゲにハマった時点でアウトだったのかもしれないが――
蒼髪の騎士は、現実逃避気味に頭を抱えて静かに布団に倒れた。




