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Area《3-9》


 その日の夜、探索を続けた一行はダンジョンの最深部と思われる地点に到達していた。

「……まだある程度脇道や小部屋が残されているとはいえ、本当にここまで来てしまうとはのう」

 眼前には、かなり重量のありそうな黒ずんだ金属の扉。高さは三メートルといったところだろうか。

「師匠の執念には呆れる、です」

 ミコトがつぶやく。

 未知の領域、未知の魔物、未知のドロップアイテムといった欲望に駆られたリリーシアのはりきりぶりは豹変と言っても過言ではなかった。

 自分たちの安全は十分確保しつつも、より大胆に探索を進めるようになった。そして戦闘時はどちらかというと後方で見守っている側だったポジションから、積極的に前へ出て魔物を殲滅するスタイルに変化していた。

 普段は冷静に見えるのだが、時折こういった前のめりな姿勢や子供のような好奇心をのぞかせるどこかちぐはぐな人物。これがミコトのリリーシアに対する最近の印象である。

「いいんじゃない? リリーシアも楽しんでるみたいだし」

 セレネはノリノリである。全く王族にしておくのがもったいない豪胆さだ、とゼラとミコトは思わざるをえない。

「……では、とりあえず手はず通り、中の様子だけ見て今日は終わりにしましょうか」

 三人の同意を得て、リリーシアは扉に手をかける。

 古めかしい重厚な扉は、その見た目を裏切らない重々しさで開かれていった。


 開かれた扉の先。

 その空間は、天井にある巨大な魔晶石からもたらされる光によって照らされていた。

 幅、高さともに先に通過した中ボス部屋よりも遥かに大きい。

 身体の大きいボス格のフレイムリザードマンでさえこんな巨大な空間は必要ないだろう。

 つまり、この部屋の主は――


「あれは――」

 ゼラが息を呑む。

 それは、物語に語られる魔物でも最大の脅威として描かれる。

 それは、強大な力を以ってかつて文明を滅ぼしたという。

 それは、何者をも通さぬ強靭な鱗と、無尽蔵の魔力を持つという――


竜種ドラゴン――!!」


 部屋の中央に尾を巻いて座っているのは、まごうことなき竜種、ドラゴンそのものであった。

 金属のきらめきを宿す赤黒い鱗に包まれ、その周囲では発散される膨大な魔力によって陽炎が揺らめいている。

 周りに比較対象がないので大きさは正確にはわからないが、人間が相手をするにはあまりにも巨大な魔物だということはわかる。

「まだ、気付かれてはいないみたいですね……? 今回は今のうちに撤退を――」


 リリーシアが提案した瞬間、地面を大きな揺れが襲った。

『――夢見を妨げるは汝らか』

「魔法による念話テレパス……!」

 その発生源は、この状況では火を見るよりも明らかである。

『異界を広げ、現世を侵食するは我が天命。ガヌトゥ・リ・デトゥールの眠りを妨げるは汝らか』

 リリーシアが見た先で、ガヌトゥと名乗るドラゴンが瞼を開ける。

 見ただけでも理解できる、強大な力の宿る赤い瞳。

「……その通りです。まさかダンジョンの主と意思疎通ができるとは思っていませんでしたが」

『我ら竜種の智は汝らを遥かに凌駕する。当然のことを知らぬ小娘よ、自身の浅薄さを思い知り、地の底で果てるが良い』

 ドラゴンの周囲に渦巻いていた魔力が活性化し、一気に存在感の密度が高まる。ゲームでは感じたことのない迫力である。

 立ち上がり、翼を広げたその姿は、完全に戦闘態勢であった。


 正直、よくない。

 リリーシアは状況をそう判断する。

 そもそも、今回は偵察が主目的で戦うことではない。自分も仲間も、ここまでの探索で少なからずリソースを消耗している。

 そのうえ、敵の能力もわからない状態で対策もせずにボス部屋に乗り込むなど、ゲーム時代にはしたことがないレベルの無謀な行為である。

 そして、この世界で負けるということは、経験値やアイテムを失うことではない。死ぬのだ。

 本当は今からでも脇目を振らず逃げ出したほうがいい。しかし、敵が逃してくれる保証はない――というか、絶対に逃してはくれないだろう。背後の狭い通路に逃げ込んだところで魔術で飽和攻撃されるのが目に見えている。

 今自分が取るべき行動は。取れる手はないのか。

 どうする、どうする、どうする――


「やってやりましょう、リリーシア」

 内心で冷や汗を流すリリーシアの肩をセレネが叩く。

「でも――」

「大丈夫、貴女なら、私達なら――どんな相手だって!」

 凛々しく剣を取るセレネ。

「まあ、逃してくれるわけもないじゃろ。ここまで来たらやるしかあるまい?」

 苦笑いで長槍を構えるゼラ。

「その通り、です。師匠のこと、ミコトは信じてます、から」

 短槍を手に、控えめに笑うミコト。


「――、わかりました! 《蒼の旅団》は、これより竜種を討伐します!」



 戦闘を開始してから数時間。

 炎の竜ガヌトゥが膨大な魔力を使用し無数の炎魔術を放ち、リリーシアがそれを相殺し続ける。

 その攻防を縫うようにゼラ、ミコト、セレネが水属性を乗せた武器でガヌトゥに攻め込むが、非常に硬い鱗や爪、尻尾の質量攻撃に対して攻めきれない。


 現状では戦力は均衡しているが、それでは足りない。その思いがリリーシアを焦らせる。

 敵が巨大な個であるのに対し、自分たちは脆弱な人間の集団である。長時間の戦闘で疲労すれば集中力は落ち、一撃を受け戦線が瓦解すれば全体が敗れることになる。

 あと一手――あと一手が必要なのだ。

 攻撃の合間を縫って行った準備はもうすぐ終わる。だが、これで届くのかは未知数。

 あとは、自分と仲間を信じるしかない。


『小娘どもが、意味もなく粘るものだ』

 無数の魔術を放ちながら、ガヌトゥが大きく吠える。

「意味もなく、ですか。《しおひがり》では戦術担当、《蒼の旅団》ではリーダーを務める私が、意味のないことをするとでも……!」

『戯言を――』


「竜種の叡智を有すると言いながら、人間を劣等種とみなし、注意を払うことをしなかったあなたの傲慢、後悔させます! あなたの魔術を無詠唱魔術で迎撃していた裏で私が何をしていたのか、あなたは考えなかったでしょう?」

 詠唱の終わったリリーシアの魔術が、形になる。

「――時空系詠唱魔術クロノスペル:《時間超越》」

 そして、時間が止まる。

 以前にも使った通り、この魔術は時間を止めるものではない。自身の体感感覚を引き伸ばし、思考を加速させる魔術。

 旅の間にも練習を重ね、習熟度を上げていたリリーシアの時間超越は、その思考を百倍に加速した。

 脳や魔術回路が悲鳴を上げて擦り切れそうだが、今は完全に無視する。

 その時間の中で紡ぐのは、リリーシアが現在使用できる魔術のなかでも最高峰の水属性魔術群。

 本来であれば、それぞれ長大な詠唱を必要とする大規模魔術を、延びた時の中で詠唱していく。

 魔力の続く限り詠唱し、それらを三重に重ねて折り合わせる。

「発動待機状態へ遷移、術式の融合を確認――時間超越、解除」

 時が動き出す。


「三重合成リリーシア固有魔術、起動――《勝利へ導くは我が蒼の剣》!」


 リリーシアの持つ白銀の刀身に、蒼い魔力が宿る。それは空間を歪め、強制的に世界に侵食するほどの魔力密度の蒼い刃。

 巨大な空間の温度が急激に下がる。刀身に込められた対領域魔術が、ガヌトゥの作り出した異界化空間を作り変え始める。

『なんだ、その魔力――その力は――!』

 蒼の剣を携えたリリーシアが駆けると、足元から水とも氷ともつかない蒼い花が咲く。

 ガヌトゥが魔術の炎の刃や槍を無数に投擲するが、それらはすべて剣を振るうごとにかき消されていく。

「セレネ、ゼラ、ミコト――お願いします!」


 それぞれの武器に、同じ蒼の力が宿る。それはリリーシアの詠唱した、攻撃能力に圧倒的な向上バフを分け与える三つ目の魔術。

「任されたわ!――王剣、秘剣飛鷹東風!」

 堅実で隙のない王剣技能の中では珍しく大振りで相手に突進する奥義がガヌトゥの尾の付け根を駆け抜ける。

 一陣の風と化したセレネが通り過ぎたあと、ガヌトゥの尾は根元から綺麗に断ち切られた。


『馬鹿な――』


「ゆくぞ、ミコト」

「うん、行くよ、ゼラ」

 ガヌトゥ咆哮を上げ、周囲に力任せの魔力放出を行いゼラとミコトを吹き飛ばそうとするも、蒼の輝きを宿した長槍と短槍は容易く道を切り拓く。

「「ソウリエ流奥義、対竜舞踊・双牙――!」」

 対竜舞踊とは、「どんな大きな相手も倒せる槍術」という意味で名付けられたゼラの家に伝わる奥義。それをミコトと一対の動きとすることでその効果は何倍にも跳ね上がる。舞うように変幻自在に繰り出される二人の連続攻撃は、竜種をもってしても翻弄され、二人の姿を捉えることができない。

 加えて圧倒的な攻撃能力を付与された二人の槍が、金属以上の硬度を誇る竜種の鱗や表皮を容易く切り裂き、全身を刻み続ける。

「――終局」

 ゼラとミコトは軽々と飛び上がり、最後の一振りを見舞う。その軌跡はガヌトゥの両翼を走り抜け、切り落とした。


『こんな、馬鹿なことが――』


「さあ、あとは頼んだぞ、師匠」


「――はい! 術式封印開放、改変空間固定、魔力回路オーバーロード! これで……終わりです!」


 その異界化空間の法則をも書き換える一撃は、ガヌトゥの頭部を正面から両断した。

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