Area《1-7》
倒れた馬車を囲み、大森林の近くに面した街道には重く沈鬱な空気が流れていた。
戦闘のあと、森には深く入らずこの辺りを検分していたが、禍ガブリンの活動の痕跡は一切見当たらなかった。
残念ながら、禍ガブリンの死骸にも普通のガブリンとの違いは見つけられなかった。
こうなると怪しいのは森の中――ということになるのだが。
「……この中を調べるのは今の我々には不可能だろうな。平地でさえあれほど戦力差があるというのに、森の中では奴らの奇襲を受ければ敵を見る前に全滅しちまいそうだ」
討伐隊の一人がつぶやく。
「おそらくその通りっスね。それに禍ガブリン以外の種がいないとも限らない、っスか。……こうなれば、事前の打ち合わせに従って、この件は王都冒険者組合に依頼として処理してもらう他ないっスね」
総隊長もその意見に頷いて答える。村長たちと、脅威が対処不可能な規模だった場合について話をしていたらしい。
冒険者組合というのは各都市に存在する冒険者たちの依頼斡旋所で、持ち込まれた依頼を冒険者に紹介する機能が主らしい。ここまではリリーシアがファンタジア内で訪れたことのある組合の役割と同じだ。加えて王都の冒険者組合は道具・装備の販売所、相談所、訓練場などが複合されたかなり大きな施設であるという。
「なるほど。それでは……ひとまずこのまま王都へ、ということですか」
リリーシアがそう聞くと、総隊長は考えながら、
「ここから王都まで2週間弱。村へ戻って報告する必要もあるっスから、部隊を二分するのがよさそうっスね」
人数を減らす危険はあるが、それよりもこの脅威を報告するのが遅れるほうが村の不利益に繋がるだろう。そう説明しながら、総隊長は、部隊のほとんどを村々へ引き返させ、自身を含む少数を王都へ向かわせるよう編成した。
「王都への道はリリの姐さんがいてくれるっスから安心っス。帰還部隊はくれぐれも警戒を緩めず必ず生還するんスよ」
そうして打ち合わせを済ませ、王都へ向かう少数は再び西へ進む。
――リリーシアは緊張を強いられながら、ファンタジアでの索敵について思い出していた。
ファンタジアには基本的に遠距離索敵系の技能や魔法が存在しない。遠距離を見る技能や敵性反応を察知する技能が存在しないことについてはプレイヤーとしても意外に思っていたのだが、10年付き合った身としては、きっとゲームとしての緊張感が削がれることをデザイナーが嫌ったのだろうと考えている。対モンスターのほか、PVPやそれを大規模にしたユニオン対抗の攻城戦等が存在するファンタジアにおいて、肉眼で見えるものしか存在がわからない戦場の緊張感というのは、多大なリアリティを演出していたように思う。
「そうはいっても、これが現実になると……本当に嫌になる。魔法は万能じゃないってことよね」
その緊張をあざ笑うように、その後の道中は平穏そのものであった。
精神的な疲労はほとんど限界の状態であったが、リリーシアたちは予定通りに王都が見える位置まで到達していた。
「見えてきたっスね。あれが王都ラツェンルールっス。……といっても俺も数えるくらいしか入ったことないっスけど」
それは、石造りの高い塀で囲まれた、非常に大きな都市であった。外からでは外壁と、奥にそびえる王城の頂点しか見えないが、そのいかにもファンタジー世界然とした様子に、リリーシアは疲労を忘れて感動していた。
「ここが……ラツェンルール」
しばらく歩いていると、街道がいくつかの他の街道と合流し、それとともに馬車や徒歩で移動している人間が増えてきた。リリーシアの想像するところの西洋風な服装の中にも文化の差が現れていて、中にはゆったりとした着物のような服装の人間も見かけられ、興味をそそられる。
それよりもリリーシアが驚かされたのは、亜人種の存在であった。猫の耳としっぽを備え、顔にも猫らしき特徴の見える種族、トカゲが二足歩行しているようにしか見えない種族、岩のようなごつごつした肌を持つ体格のいい種族、その他様々な種族の者たちが荷物を背負い歩いている。その光景を物珍しそうに眺めていると、
「この国じゃ亜人種は普通にみかけるっスよ。俺らの住んでる東にゃほとんどいないスけど。それに、ラツェンルールは自由の都市でして。審査は簡単だし中で物を売るのも容易だってんで、外の商人や冒険者なんかが大量に流入して経済が回ってんスよ」
総隊長が説明してくれる。王都には数回しか入ったことがないとはいうものの、それなりに事情に通じているらしい。
「そんなにザル……適当だと、治安は大丈夫なのですか? 犯罪の温床になってしまいそうですが」
「それが不思議なことに治安はかなりいいんスよ。金の回りもいいから騎士団とかの警備組織も充実する、ってことらしいっス」
「なるほど……?」
そう単純にこれほどの大きさの都市が円滑に回るものだろうか。疑問は残ったが、組織や都市の運営について全く知識のないリリーシアは、とりあえず納得しておくことにする。
そんな話をしながら進んでいると、入場門の目の前に到着する。総隊長の言葉通りラツェンルールは賑わっているようで、入都審査を待つ者たちの列もかなりのものだ。審査に必要な証明や書類は総隊長が持っているというので、リリーシアは塀や門を観察していた。
近付いてみてわかったのだが、都市を囲む塀の手前に、かなりの深さの掘が整備されている。門の前にかかった大きな橋を上げると、かなり強固な籠城体勢が築けるだろう。塀のあちこちには防衛用らしき物見穴がいくつも開いているし、王都ラツェンルールはかなり大規模な戦争に対応した城塞都市であるらしい、と彼女は王都に対する印象を更新した。
「もしかして、バツェンブールはよく戦争をする国なのですか?」
なんとなく小声で総隊長に聞いてみると、
「ん、戦争? ああ、この塀と堀っすか? この国は逆に滅多に戦争をやらずに国力を蓄えているんスよ。むしろ対魔物の備えのほうが進んでいるくらいっスね。で、この塀と堀は結構有名な話なんスけど、3代前のバツェンブール王が凄まじく臆病な性格で、王都の守りは絶対にしろ、との一声で整備されたらしいっスね。そしてそれが言い伝えられて今まで管理され続けられている、と。実戦使用されたことはないんスよ」
「臆病さでこんな立派なものを作ってしまうなんて……臆病なのか大胆なのか」
感嘆しながらつぶやいていると、入都審査がリリーシアたちの番になっていた。
総隊長が門兵と2,3言葉を交わし、書類を見せて色をつけた税金とともに渡す。審査は本当にこれだけだったらしい。通してくれた門兵に会釈をしつつ、リリーシアは不思議な気分になっていた。