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Area《2-27》


 リリーシアの身体から青白いオーラ――余剰魔力が可視化したものである――が溢れていく。

 その目は細められ、視線は目の前のテーブルに置かれた鋼鉄のインゴットに固定されている。


「対象物の正確な把握が重要……その状態にとらわれず、一個体として認識する……」


 初の月一日の午前中、リリーシアが始めたのは時空魔術の試行である。

 《時空魔術師》なる技能を修得こそいていたものの、今まで発動したのは『向いた方角を正確に知る魔術』というある意味地味なものだけだ。

 そのため、現在の自身の限界を知るためにも、使ったことのない魔術を試しているのであった。

 今リリーシアが行使している術式は――


「――対象物状態固定、完了。転移先座標”裏庭中央”をロード……転移っ!」


 それは、『物体を転移させる魔術』。

 彼女の魔術は周囲に余剰魔力を散乱させつつも、鋼鉄のインゴットに作用した感触があり――


 その瞬間、視界から消失した。


「……成功した……?」

 今までに感じたことのない未知の時空魔術の手応えに戸惑いつつ、裏庭へ向かう。

 するとそこには、裏庭のきっちり中央に、先ほどの鋼鉄のインゴットが鎮座していた。


「……すごい、まるで魔法みたい――」

 思わずつぶやいてから、この世界に存在する立派な魔術の一つだということを思い出し、小さく笑ってしまった。

 七百レベル級の魔術詠唱者マジックキャスターたる彼女には攻撃魔術のストックならばいくらでもあったが、このように非戦闘目的でかつ応用範囲の広そうな魔術には心当たりがなかったのだ。

「手応えから考えると、消費魔力を決定するファクターは……」

・転移対象物の体積・質量・内包する魔力量・物理エネルギー量。

・転移対象物の定義しやすさ。個体であれば問題ないが、液体に近付くほど対象物の定義・状態固定に演算を必要とし、結果的に消費魔力量が増大する。対象物が気体になると、並の魔力量の人間では不可能に近いほどに消費魔力量は増大すると予想される。また同時に、対象物の構造が精密かつ複雑になるほど定義が難しくなる傾向があるようだ。

・転移先までの距離。この実験で実証された通り肉眼で目視できない空間にも転移させられるが、距離が離れれば離れるほど消費魔力量は増大する。また、自分で見たことのない、または訪れたことのない場所を転移先に指定するとエラーを起こし不発に終わる確率が非常に高い。

「肝心の消費魔力量は、この鋼鉄のインゴット一個を十五メートル転移させるのに、私の最大魔力量の十パーセント。……割にあいませんね。おそらく、技能修練値を積めば効率が格段に上昇していくパターンでしょう。……だといいなあ」

 ふと自身に意識を向けてみると、少しだけ成長したような実感がある。言葉で説明するのは難しい感覚なのだが、魔法技能というのは個人の内にしっかり根付いたものであり、その技能が成熟するとその感覚がなんとなくわかるのである。


 もう一回試してみようかなと考えていると、玄関の方でカランと金属音が鳴った。 

 これは来客を告げるものではなく、郵便物がポストに届いた合図である。(この都市の郵便はある程度発達していて、郵便ギルド(郵便局のようなものだ)に渡すと都市内であれば二日後には届く。他にも国内の都市間であれば郵便物を送ることもできる)

 リリーシアがリビングまで出てみると、昼食の準備をしていたらしいセレネが郵便物を持ってきているところだった。

「ああ、ありがとうございます」

「新年の初日ということかわからないけど、いつもより随分と多いわね」

 セレネがリビングのテーブルに置いたのは手紙と思われる封筒の束。

 それらの送り主を見てみると――

「……個人宛てのもの若干数。おそらく商人からのもの多数。そして確かこれは、貴族の名前でしたよね……?のものが一通。あとは王城からのもの一通。王城のものはともかく、商人や貴族からのものが気になりますね」

「私も気になるし、今開けて確認しておかない?」

「そうですね。取引の話だったら断らなくてはいけないのが心苦しいですが……」


 そうして一つずつ封を開けていく。とりあえずは商人らしき名前の人物のものからだ。

「……全て、新年の挨拶と独占契約のお誘いですね。目的の交渉相手は屋台で売ったポーションを作ったミコトとゼラに対するもののようですが」

 その手紙は全て、言葉を飾って工房の技術力を褒め称え、是非ともうちと独占契約を、というものであった。

 なぜみんな独占契約にこだわっているような文面なのだろうか……? そう考えて首をひねっていると、疑問を察したらしいセレネが思い出しつつ口を開く。

「これは王城やギルドで聞いたのだけど……錬金術士さんって、中級のポーションを大量には作らないものなんだって。というより、自分の魔力が大量に持っていかれるから大量生産ができないのだそうよ。だから独占契約して数を確保したいということじゃないかしら」

「そういえば……初級と中級では消費する魔力量が桁違いに高くなりますね。ミコトとゼラは戦闘系の魔術職も修練しているから魔力には余裕がありますが、生産職を主に修めている方々はそうはいかないのでしょう」

 なるほど、数が出まわらない稀少で高価なものならば、欲を張って運良く独占契約が結べれば大儲けの機会を得られるだろう。

 彼らの考えを鑑みると、あわよくばという気持ちもわからないではない。

「なんじゃ、我らの話をしておったのか」

 納得していると、話を聞いていたらしいゼラとミコトが和室から出てきた。

 工房の制服に半纏を羽織って、完全にこたつでまったりモードだったようだ。和室や半纏を作ったのはリリーシアだが、この様子を見ていると異世界感が途端に薄れてくるので微妙な心境である。というかミコトはともかく、狐耳に尻尾を備えたゼラが半纏を着ていると非常に似合う。思わずお稲荷様という単語が頭をよぎる程度には。

「まあ、錬金術士たちの間では独占契約というのは珍しい話でもないらしいのう。冒険者が長期の依頼を受けるような感覚じゃろうかな」

「なるほど……そういうものなんですね。それで、返事はどうします?」

「どうするもなにも、既に旅が決まっておろう? もし旅の予定がなくとも、修行中の身で独占契約などおこがましいと思うておるがの」

「ミコトも、同じくです。……それに、余計な関係で身を縛られてしまうのはあまり好きではないので」

「わかりました。一応、出発前に返事を用意して私の方で投函しておきます」

 果たして闘技大会で目立ちすぎたことが嫌な思い出になっているのか、またはリリーシアに影響を受けているのかわからないが、出会った当初よりもミコトとゼラの世捨て人ランクが上がっているような気がする。達観、と表現するのが適切なのだろうか。


「じゃあ、あとは貴族からのものと、王城からのものですが……とりあえず王城のものを開けますか」

「とりあえず、でおそらく王家の方からの手紙を開けてしまえるあたり師匠はさすが、です」

 少し呆れ顔のミコトにそう言われても、長い間身近に王女がいる身としては、そのあたりの階級の隔たりといったものは実感が薄いのである。もっともその王女たるセレネの性格がこんな風でなければ、彼らとのつきあい方も異なっていたに違いないが。

 その手紙は例の厳格な雰囲気の端正な文字で綴られていた。いわずもがなルミナ王直筆である。

 内容はといえば新年の挨拶から始まり――

「『きみたちの旅に、幸多からんことを』ですって。王様というよりも優しいお父さんという感じですね、セレネ」

「ふふ、私にとっては予想通りの文面ね。勘は鋭い人だし、私達が近々王都を発つということも予想して書いたのではないかしら」

 そういえば、王家のほうには詳細な予定を告げていなかった。もともとそういう契約だったので何も不備はないのだが、リリーシアとしては一国の王女の扱いとしてどうなのかとは思うところである。

 ともあれ王城――を装った王家――からの手紙はそれだけの内容であったので、安心して封筒に戻し脇に置く。


「さて、最後に貴族からの封筒が一通……セレネ、内容はなんだと思います?」

 リリーシア個人はこれまでに貴族とのつながりは全く持っていなかったので、この唐突とも言える便りの内容について全く予想がつかなかった。かといって特に急いでいるわけでもないので、せっかくなら手紙の中身を予想して遊ぼうと考えての極めて適当な振りである。

「うーん、私宛てというわけでもなさそうだし、よくわからないわね。案外、リリーシア個人宛てなのかもしれないわよ?」

 なるほど……? と思いつつ宛先を見ると、確かに『リリーシア・ピルグリム殿』とのみ記されている。ただ、この貴族からの封筒に限らず商人からの手紙にも宛先は『ピルグリム工房』ではなく、おおよそが『工房長リリーシア・ピルグリム』と記されているので、誤差の範囲内のような気がしないでもない。

「貴族からのお抱えの申し出とかじゃったりしてな」

「商人にかぎらず、貴族からの独占契約という話も聞かないわけではありません、です」

 ゼラとミコトの意見は至極真っ当だった。やはりこの程度のネタでは面白みのある解答は出てこないかな、と自分のことは棚に上げつつ封を切る。


 その内容は――

「ええと……えっ?」

 困惑から何度も文面を読みなおしていると、どれどれとセレネが寄ってくる。


「なになに――『リリーシア・ピルグリム殿をパーティに招待したい』?」

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