Area《2-26》
そんなこんなで再びわいわいがやがやと飲み会が再開され、ゼラとミコト渾身のおつまみ盛りの大皿も披露されながら酒をすすめていると、場の全員が完全に時間を失念していたタイミングで大きく鐘が鳴った。
「あっ……今のはもしかして」
音自体は既に聞き慣れた王城の大鐘である。その大鐘が鳴ったということはつまり――
「あら、誰も気付かないまま新年を迎えてしまったわね」
事前には聞いていたが、この国には除夜の鐘のような新年の前に予め鐘をつく文化はなく、新年を迎えたタイミングで大きく一つ鐘を鳴らすのだという。日本人の文化を知るリリーシアとしてはなんともあっけないような感じがした。
「ふむ、せっかくじゃ。話のキリもいいところであるし、さっそく初の月の予定を決めてはどうかね、師匠」
「そうですね。時間はありますし、今のうちにきっちり決めてしまうのがモチベーションの面でも良いかもしれません」
ふとリリーシアが横を見ると、セレネの意識が少し怪しいように見える。純粋な眠気ではなくアルコールによるものだろうと考え、初級の状態異常回復魔術を行使する。
「ありがとう、リリーシア。予定を立てるという話だったわね?」
「そうですね。メルさんには関係ない話になってしまいますが、構いませんか?」
そう問うと、メルランデは持っていたグラスごと手を軽く振った。
「大丈夫大丈夫。お姉さんはお酒が飲めればそこが楽園なのさ。それに、私も君たちの行動に興味があるし、ね」
この面子の中でも圧倒的な量の酒を摂取しているはずのメルランデは、それでも外見上はほろ酔い程度にしか見えなかった。
相変わらず不思議生物だなあ、などと失礼なことを考えながらミコトとゼラを見ると、彼女たちもたいして酔っ払っている気配はない。
年の功だとか一流冒険者だとかそういう以前に、彼女らは単純に飲兵衛の遺伝子を備えているような気がする。ゼラはともかく、ミコトも見かけによらず結構な量の酒を飲むのである。
そしてリリーシアはと言えば、アルコールに対して全くと言っていいほどに耐性を持っていなかった。もちろん純粋な高能力値からもたらされる耐毒耐性があるので強く意識すればアルコールも解毒できる。しかし不思議な事に、自分の意志で飲んだ酒に対しては驚くほど無抵抗になってしまうのである。
そんな理由もあって、この世界にきてから飲む酒は少量をちびちびと、という摂取方法を心がけていた。……のだが、流石に今日は少し飲み過ぎたような感じがしている。
明日に響かなければいいけれど、とつぶやいてから、こたつを出て荷物から小型のホワイトボードを取り出した。
「それではまず、直近の日の予定を立てていこうかと思います。まず、今日……初の月一日は、当初から完全に休息日としていましたね」
ホワイトボードにとりあえず二週間分程度の枠を書き、一日の枠に”休”と記入する。
「私としては三日あたりまでは休息日でもいいかと思うんですが、この国ではどうするのが普通なんでしょう?」
問うと、ミコトが少し考える動きを取ってから答える。
「この国では、特にどの日までを休みにする、という風習はない、です。王都の新年祭に合わせて、各都市も慌ただしくなっています。なので、この時期は誰彼なく忙しいもの、なのです」
そう言われて、新年祭の様子を思い出して納得するリリーシア。王都の四週間にも渡る祭の規模は圧倒的であり、毎日商人その他の人間が往来する。周辺の都市への影響は想像するまでもないところである。
「それでは……二日、三日も同じく休息日兼準備日ということにして、四日に出発、というところでどうでしょう」
「ミコトはそれがいいと思います」
「ま、妥当じゃな。わらわはその数日で試していた術を形にしてみるとするかのう」
「いいんじゃないかしら? 楽しみね」
「わかりました。それでは次に、当面の行き先と必要な装備、道具類についてですが――」
その後の会議(という名の飲み会)では、以下のことが決まった。
・最初の目的地はバツェンブール最東端地域の村、ダリア村。
・移動には荷馬車を使う。馬は王都で借りることになるが、荷車部分は買い切りのものを改装し、快適性を高める(馬車というものはとにかく揺れの激しい乗り物らしい)。
・野宿に備えて、野営道具や保存食糧についても入念に準備すること。
・あとは臨機応変に。王都でやり残したことがないようにすべし。
いつものごとく大雑把な計画ではあるが、最近は「細部まで詰めないほうが後からの変更に対応しやすい」などと理由をつけて自分の中で完全に正当化しているリリーシアである。
「その後はどこへ向かう予定なの?」
醤油とマヨネーズ(両方ともリリーシア謹製)を和えたソースにスルメイカ(のような魚介類)の天日干しをつけながらセレネが聞く。
「セレネ、それ好きですよねー……とそれは置いといて。そのあとは一度王都を経由してから、バツェンブールの他の都市を見ていきたいと考えています」
リリーシアはこたつの上にバツェンブール周辺地図を広げる。地図と言っても地形情報等は現代人が想像するような正確なものではないし、記入されているのは主な都市だけである。その間に存在するであろう村落についてはある程度規模の大きい地名のみが記されているようだ。
バツェンブールはひとことで言うと《大国》である。リリーシアの現世の記憶と照らしてみてもかなり広大な国であると言えたし、その認識はこの世界の人間にも共通しているらしい。
この国は横に若干広い楕円状の国土を持ち、北西にバレンス国、南西にゲルデ国という二国に接している。そして東の方面は海に面しており、外敵の侵入してこない比較的平和な地域になっている。
ただし国土全体が人間の住まう土地というわけではなく、国土の中にはモンスターの跋扈する大山脈なども存在している。
国外の遠征も考えたが、バレンス国は第一王子ガロナ・バレンスに喧嘩を売って久しいので出来る限り近付きたくない。そしてもう一方のゲルデ国だが、こちらはこちらで異民族問題による小さな内乱が頻発しているらしく、進んで乗り込みたい状況とは言えないのである。
「その二国さえ越えられれば、まだ見ぬ発見もできそうなのですが……ミコトやゼラの故郷ももっと遠くでしたよね?」
「そう、です。ゼラの故郷よりも更に遠い、ですが」
「わらわの故郷はずっと北西じゃな。まあ、正直なところあまり近寄りたくはないんじゃが……」
珍しく苦い顔をするゼラを見て、事情が少し気にはなるもののあまり触れないほうがよさそうだ、と心に収めておくことにする。
「まあ、そのあたりはまた今度決めていきましょう。そういえば、国内で言えば鉱山都市という話のガルガンチュートあたりに興味がありますね。珍しい素材が産出しているかも……」
「リリーシアって、欲求の方向性がわりと物欲に寄ってるとこあるわよねえ」
「なっ、そんなことは――」
そんなことを話していると、知らない間にセレネがこたつに潜り込んで寝てしまっていた。
「……もうこんな時間ですか」
「そろそろ朝日が上りそうだねえ。……新年早々十二分に飲み明かしたし、お姉さんはそろそろ御暇しようかな。それじゃリリーシア、また出発前に来ることにするよ」
「わかりました。今日はお酒類とかありがとうございました」
結局数えきれない数の酒瓶を空にしたメルランデは、全く姿勢を崩さずに立ち上がると、リリーシアの肩をぽんと叩いて帰っていった。
「師匠はお姫様を部屋まで運んでやってくれ、わらわとミコトで片付けはやっておくからの」
「任せて下さい、です」
「すみません、それではお任せしますね。……セレネ、セレネー……? 完全に寝てますね」
引っぱり出すしか無いか、とこたつからズルズルセレネを引っこ抜き、迷った末に俗にいうお姫様抱っこの体勢で彼女を抱えた。
「――ミコト、ゼラ、今日は料理を何から何までありがとうございました。おかげでとても楽しい時間が過ごせました」
振り向き際にそう言うと、視界の端に照れた感じのミコトと、気にしなくていい、と視線で答えたゼラが見えた。
工房二階のセレネの部屋に入り、ベッドに彼女を寝かせてからリリーシアは小さく息をついた。
「セレネ、今年もよろしくお願いします。願わくばこれからの旅が、貴女の大切なものになりますように」
そう言葉をかけると、起きてはいないだろうベッドの中のセレネが、小さく微笑んだような気がした。




