Area《2-23》
「……時空、魔術師」
単純かつ明瞭な名前だ、と混乱した思考の中でリリーシアは思った。シンプルなのはいいことだが、ファンタジアにあったような《初級》《上級》といった区分すらついていないので、この時点では底が浅いのか深いのかも判別できない。この冒険者組合発行のカードでは技能修練値がわからないため、どれだけ上達したのかといったことも判断が難しそうである。
「おそらく完全に技能修練値が0の状態なのでしょうが、私にはどの魔術が使えるのでしょう」
とりあえずは、最初に書かれていた《向いた方角を知る魔術》を使ってみようと考えた。内容から考えても最も簡単そうに思えたし、手元に方位磁石を持っているので確認も容易である。
意識を集中すると、全身を巡る実体のない魔法回路に、新しい流れが加わっているのを感じる。これが時空魔術を使うために必要な魔法回路なのだろうということは直感でわかったが、今までになかったものを移植されたような感覚で少し違和感がある。
「回路に接続――んっ、自身の相対位置を星の現在位置とリンク、確立――演算、開始。時空系詠唱魔術:《方角認識》!」
この世界の詠唱魔術は、その名の通り詠唱が存在する。リリーシアをはじめとした実力のある魔術詠唱者はパッシブスキルとして詠唱短縮技能を備えている(当然、習熟度合いによって短縮できる魔術のランクは変わってくる)。そのためこの《方角認識》についてもおそらく詠唱は短縮できると思われるが、今回は初めてということもあり、丁寧に全て詠唱している。ただ、詠唱というには他の属性の魔術とくらべてかなりシステマチックなものという印象だが――
「……来ました。この方角は北北西、の更に若干だけ北寄りとのことですが」
取り出した方位磁石を見ると、確かにそれは魔術の結果通りの方角を示していた。つまり、この魔術は本物で、かつ発動に成功したということになる。消費した魔力量はリリーシアの自然回復量を上回らない程度の少量である。
その様子を見てミコトは神妙な顔で、
「……驚いた、です。この王都で誰も知らないであろう魔術が、こんなところに眠っていたとは」
「そうですね。とはいえ、他のものも使ってみないことにはこの書自体の確証は得られませんが……」
リリーシアが他のページをめくりながら考えていると、いつのまにかセレネとゼラが近くにやってきていた。
「それなら、しばらくその本は借りて行くといいわ。私の権限で何も問題なく許可できるから」
「見ておったぞ、なかなか愉快なことになっておるではないか」
リリーシアは未だに半信半疑な顔で時空魔術の書(仮称)を持った手をひらひらと振りながら、
「では、そうさせてもらいましょう。ここで試すのは司書長にも迷惑をかけますから」
帰り際、「何か見つかったのですかー」と声をかけてきた司書長に「今度会った時に成果を見せる」と約束をして、リリーシアたちは工房に帰ってきていた。あの書庫にはまだ半分以上の魔術関連書(とおぼしき書物)が残っていたが、目的を達した以上は無駄な精神的疲労を被る必要もないだろうと切り上げてきた次第である。
「この本のことも気になりますけど、私は先に蕎麦の準備をしてきます」
「……ソバ? あの不思議な風味の麺料理を何かに使うの?」
セレネに聞き返されて、なるほど、という顔をするリリーシア。蕎麦自体はそれらしき材料からそれらしいものを作ることには成功し、一度昼食にも出している。だが、当然ながらこの世界には年越し蕎麦などという文化は存在しないのであった。
「ええと、私の故郷では、一年最後の日に蕎麦を食べる風習があった……ような記憶がありまして」
一応、ダリア村以前のことはほとんど忘れているという前提で話を通しているので、ぼんやりと思い出したような様子で返す。
「ふうん、不思議な風習があるのね。あのワシツといいコタツといい、リリーシアの故郷の文化にはとても興味が湧くわ」
興味津々といったセレネの視線を曖昧にかわしつつ、リリーシアはとあることを思い出した。
「そういえば、あの黒い時空魔術の書の適正試練、少なくともうちの従業員は行わないように徹底しておいてください」
「……そのときの様子は見ていないのだけど、血を垂らして手のひらを魔法陣に――っていうあれのこと? 何か問題でもあったの?」
「……私はあの適正試練の結果、時空魔術についての知識や基礎理論、魔法回路を得ましたが、その知識の中に適正試練失敗時の副作用について書かれていまして……」
「やっぱり失敗して何もなしというおいしい話ではなかったわけなのね。それで、その副作用って?」
リリーシアは得た知識を整理するように考えながら、
「――失敗したからといって、すぐに死ぬだとかそういうことは起こらないみたいなんですが……。どうやら、対象の魔術回路を破壊する可能性があるようです。おそらく、魔術回路改変の過程で元の魔術回路と相性が悪かった場合、競合して双方を壊し合うということなのだと思われます」
ミコトやゼラは第一線で魔術と武術を併用する冒険者である。もし魔術が使えなくなってしまうようなことがあれば、彼女たちの未来は閉ざされると言ってしまっても過言ではない。リリーシアが適合したことが必然だったのか偶然だったのかわからないが、そんな危険な橋を他人に渡らせるわけにはいかないのだ。
「そんな大きなリスクがあったなんて……リリーシア、貴女が無事で本当によかったわ」
「……ありがとうございます。そのリスクに見合うものであることを祈っておいてください」
話しておくべきことは話したので、リリーシアは蕎麦の準備をしにキッチンへ向かう。しばらくすれば、今晩の(徹夜用の)豪華な料理を準備するためにミコトとゼラも自室からやってくるだろう。
リリーシアは実際には現実世界で年越し蕎麦を食べたことはない。ただしそういう文化があるのは知っていたし、再現できるとなれば是非とも再現したいと考えたのだ。食に貪欲なリリーシアは気合を入れ、調理台と対面した。




