Area《2-22》
「――――あっ!」
追の月三十日――大晦日の昼を過ぎようかという時間に、書庫の陰鬱な空気を振り払うような声が発された。
「ミコト、何か見つかりましたか?」
とりあえず様子を見に行ってみようと、リリーシアは数列離れたミコトの元へ向かう。
「師匠、これなんですが」
そう言って手渡されたのは、古そうな黒い皮のカバーの書籍。タイトルも何も書いていないため、一見するとただの真っ黒い本に見える。ただし、手に持つと微かに魔力のうねりを感じることができる。とはいえこの書庫には魔力の残留物を感じる書物も数多くあったわけだが――
「……中のページまで黒いなんて、よほど重度の中二病を患っていたんですかね……しかも青いインクで絶妙に読みにくいですし……内容は、と……」
「そのあたりはしばらく自伝というか日記というか、筆者の個人的なことらしい、です。それで、そのあたりから――」
中二病? とミコトが首を傾げつつも続ける。
「――『時空魔術の研究と秘伝』」
そう冠した章が始まっていたのである。
章の冒頭では、時空魔術の概要と考え方、開発された魔法の一覧が書かれていた。
・向いた方角を知る魔術
・時を正確に知る魔術
・体感時間を伸縮する魔術
・離れた相手の場所を知る魔術
・離れた相手に声を届ける魔術
・離れた場所に物を転移させる魔術
・離れた場所に生命を転移させる魔術
・限られた範囲の時間を操作する魔術
……その他、こまごまとしたものを含めるとその数は二十に及んだ。
「……これが、中二病患者の巨大な妄想でなければこの本は大本命ということになりますね」
「……です。その先の魔術理論については、ミコトが読んでも理解できなかったので、真偽は師匠にお願いしようと」
どうやら、先に書かれているものほど難易度が低いものらしい。とはいえ、ファンタジアでは時空魔術などというジャンルは存在しなかったし、それを操る技能もまた存在しなかった。もしこの本が本物で、かつリリーシアにその適正があれば新規の技能を取得することになるのだろうか。
多少緊張しながらページをめくる。ところどころ古めかしい表現が入っているのは、この書物自体が相当に古いもののためなのだろう。思えば、この都市では方角を知りたければ普通に方位磁石が売られていたし、時を知るだけならば魔晶石を仕込んだ時計が実用化されている。そのあたりが全く文章に出てこないのは、それらの技術が存在しない時代に書かれた書物だからなのかもしれない。
「まず一つ目、向いた方角を知る魔術――の前に何かありますね。……『覚悟ある者よ、汝の資質を試せ』。技能適正の診断、かな……?」
そのページには、紙いっぱいの青い魔法陣が描かれていた。円の中には六芒星や見たこともない図形が組み合わされたものが配置され、それぞれの周囲には極めて細かく文字列が刻まれている。
「血を数滴垂らし、その上から手のひらを押し付けろ、と。……なんかコテコテの使い古された、様式美のようなものすら感じますね」
「師匠、進めても大丈夫、です? 何か呪いを押し付けるタイプの罠かもしれない、です。それに、適正がなかった場合の副作用なども記載がありませんし……」
「……おそらく大丈夫でしょう。私の魔法抵抗を抜けるほどのものなら、もっと濃い魔力を感じるはずですから」
漫画やアニメでは指を噛んで血を出すシーンをしばしば見た気がするが、リリーシアにその技術も度胸もなく。結局、荷物に入れていた小さなナイフで恐る恐る自分の指に傷を付け、その黒いページに血を垂らした。
「……この時点では、何も変化はなし。では、本番ですね」
小さく息を飲んでから、リリーシアは魔法陣の中心に右手をぴたりと当てる。
すると、魔法陣を構成する青いインクが一瞬強い光を発し――
「――――っ!」
リリーシアは頭に強い衝撃を覚え、バッとページから手を離した。
これは――
「膨大な情報が、頭のなかに――? 情報、いや、これは基礎理論と魔術回路の改変・適応……? 理論……応用…… ……つっ、頭が……」
「師匠、師匠!? 大丈夫です!?」
頭を押さえてふらりと姿勢を崩すリリーシアをミコトが支える。酷い立ちくらみのような状態になったリリーシアはしばらく立っていられなかったが、ミコトの回復魔術を受けて少しずつ意識が戻ってくるのを感じた。
「ありがとうございます、ミコト。もう、大丈夫です」
頭を軽く一振りすると、めまいは完全に消えていった。
「その……本から何か悪影響を受けたの、です?」
「……いえ、どうやら逆のようです。そしておそらくこの本は――」
そう言いつつリリーシアは自分の冒険者証明書を取り出す。そのサブ技能欄には――
「本物の、ようですね」
《時空魔術師》の文字が刻まれていた。




