Area《2-18》
午後3時前。外からは遠く新年祭の喧騒が聞こえてくる。
場所は王城のとある応接室。数ある部屋の中でも最高級のこの部屋は、主に王族同士の会合などに使われるのだという。
そんな説明を思い出しつつ、リリーシアはセレネとその相手を待っていた。
一時的に戻したセレネの髪は、久々に見ると輝くように美しい金髪だなあ、とリリーシアはしみじみ観察していた。
「このお城の紅茶も久しぶりにいただきますね。……しかし、こういう場所でセレネが率先して紅茶を用意するのは不用意ではありませんか?」
「誰も見ていないからいいのよ、リリーシア」
「私の気のせいでしょうか、入り口に控える警備の方々がどことなく所在なさげに見えますがー……」
彼らは特別よ、と軽く微笑んで流すセレネ。まあ、この城の兵も騎士もこの国の風土で育った者たちばかりだから大丈夫なのだろう、たぶん。
そしてそろそろ予定の時刻だということで、護衛役のリリーシアは壁際に下がることにする。
時刻3時丁度――ドアが三回叩かれた。
「どうぞ」
そう返事をしたセレネの声は完全に引き締まっていて、王女モードである。
そしてドアは開かれ――
「お会いできて光栄です、セレネ姫。実に久しぶりだね」
優雅で親しげな挨拶とともに現れたのは、噂に違わぬ美青年であった。
さらさらとしたブロンドの髪と同色の瞳に、絵に描いたような美形の顔立ち。服装は豪奢で、リリーシアの想像する「ファンタジー世界の王子様」像がそこにあった。ただ、少しだけ瞳に冷ややかなものを感じるというか、上からものを見ているような目線を感じる。王族ともなれば当たり前なのだろうか。
意外性がなさすぎて逆に意外というか――普通ならもう少しそれらしい特徴を備えていたりとか――なんとも作り物のような印象を覚える人物である。
「お久しぶりです、ガロナ様。ようこそいらっしゃいました」
セレネが立ち上がって挨拶をしている間に、その後ろでガロナの様子を観察する。セレネと同等かそれ以上の仮面使い(仮称)であるならば自分に見破れるはずもないが、不審なところはないか確認はしておこうという算段である。
二人の王族はまず当り障りのない時節の世間話――それはそれでリリーシアにとっては難易度の高いもので、この世界の一般常識が広く試される話題である――をして雰囲気を探り合っていた。
その様子を見ていたリリーシアにとっては、ここが《戦場》なのだと気付くタイミングでもあった。現在は互いににらみ合い、仕掛けるタイミングを測っているのだ。あわよくば互いの手を盗み見て、戦力を知っておこうという魂胆も含まれているのだろう。
「それで、ガロナ様が我が王都の新年祭にいらっしゃったご用向きをお聞きしても?」
そんなリリーシアにとって胃の痛くなりそうなやりとりをさらりと収めて、セレネが最初の一撃を放つ。
その攻撃を、ガロナは微笑を強くしながら受け止める。
「貴女のその美しい姿を見たかったから……では理由にならないかな?」
「バレンス国もこの時期は盛大に年末の祭りを催しているのは有名ですわ。こちらに来られたということは、特別な理由があるのかと思いまして」
リリーシアからしてみると白々しい褒め言葉を、涼しい顔で受け流すセレネ。このあたりは慣れたものといった雰囲気である。
「そう問いつめられてしまっては致し方ない――予定ではもう数日先だったのだが。私の目的は」
それは、
「それは……貴女に結婚を申し込むことだよ。セレネ・バツェンブール」
(全く意外性がないなあ……!!)
と逆に感動しているリリーシアは表情筋が不自然に動かないように努めた。決して吹き出しそうになったとかそういう話ではない。決して。
そんなことを考えていると、セレネは一際背筋を伸ばし、
「お気持ちは嬉しいですが、残念ながらお受けすることはできません」
そう、はっきりと言い切った。
「なぜかな?」
問うガロナの顔は、全く意外感を伴っていなかった。この時点では断られることがわかっていて、その上で話を進めているかのような態度である。
「セレネ王女――、私は貴女を本当に欲している。貴女は、この世に二人といない貴重な方なのです。その才能を、価値を、私ならあるべき地へと示し導くことができる。さあ――」
テーブルの向こうで、ガロナは大仰に両腕を広げて言った。その手振りは、ガロナの隠された野心の現れのように見える。
そしてそれを聞いたセレネは、ほんのわずかだけ肩を震わせる。恐らく、リリーシアの想起したものと同じものを想像しているのだろう。
――《終末》という組織を名乗った女、ニグル・ヘルヘイム。あの女がセレネを《我々に必要な資格を持つ道具》だと呼んでいた。この男の言葉には、あの女と同じものを直感で感じたのである。
ただし、同じ組織の人間だという証拠はまったくないし、もしかするともっと別の――
そんなリリーシアの思考を断ち切るように、セレネが咳払いをした。
「お答えします」
姿勢を正したセレネが、凛とした声で告げる。
「私は、後ろにおります彼女――《蒼》のリリーシア・ピルグリムと既に婚姻を結んでいるためです」
ガロナは、きっちり3秒間目を見開いて固まっていた。この不意打ちは、彼にとって仮面を剥がしてしまうほどのインパクトがあったらしい。
「なんと……これは驚いた。この国では同性婚が認められているとは聞いていたけど、まさか王族である貴女までもがその選択肢を取ることができるとは」
自然に元の微笑に移行したガロナが問う。動揺から立ち直っていないのか、台詞の内容にはすでに怪しい色が見え隠れしていた。リリーシアとしては、仮面の本性見たり――といった感じである。
「何か、問題でもございまして?」
「いや――しかし」
ガロナが食い下がる気配を見せ、
「ガロナ・バレンス王子。噂に聞いていたより”小さな”男ですね」
壁に控えていたリリーシアが、冷たい目でガロナを見ながら前に出た。
「……今、なんと?」
その言葉に、ガロナが振り向く。
「”小さな”男だと言ったのですよ。――初めまして。リリーシア・ピルグリムと申します」
流石に隣国にまではリリーシアの顔は知れていなかったらしい。名を聞いたガロナの顔が、少しずつ暗い微笑へと変化していく。
「……初対面で私にそんな言葉をかけるとは、セレネ王女の婚約相手殿は礼儀をわきませていないらしい」
「いえ。セレネを困らせ、しつこく粘着するような者に払うような礼儀は持ちあわせておりませんもので。そろそろ諦めてお帰り頂いてもいいのでは?」
「な……」
「それとも、しつこい男性はそちらの国では好かれますか?――お帰りください、ガロナ・バレンス王子」
その暗い微笑を真正面から受け止め、静かに告げるリリーシア。一分も入り込む余地のない冷たい表情に、ガロナは物理的な寒気さえ感じているかもしれない。
「――ぶ、無礼を通り越して、君は随分と大胆で無謀なようだな。冒険者上がりに相応しい蛮勇であることだ。……このことは忘れはしない。我が国に来た時には相応しい歓迎をして差し上げよう!」
そう言ってガロナは乱暴に席を立つと、マントを翻して応接室から出て行ってしまった。
「……これで、よかったのでしょうか」
大きく開け放たれた扉を門付きの兵が慌てて閉めるのを見ながら、リリーシアは多少申し訳無さそうにセレネに話しかける。
「ええ。……ガロナ王子の本性があの様子では、私が彼に気を許すことは絶対にないということも確信できたのだし。今はこれで十分よ、リリーシア。……座って? お茶を入れなおしましょう」
セレネのすぐ隣に座りつつ、リリーシアはガロナ王子のことを思い出していた。
「これで国同士の関係が悪くなってしまったら……私はセレネにも、この国の人たちにもお詫びする方法が見当たりません」
「――いいのよ、これで。これは元より定められた結果であって、リリーシアが責任を感じる必要なんてないわ。……それに、この程度のことで戦争を起こせるほど、どの国も独立できているわけじゃないし、複雑なバランスの上に成り立っているのだから。しばらくは、様子見というところかしらね」
リリーシアにカップを差し出してから、目を閉じて深くため息をつくセレネ。
「……ここ数年分の疲れを凝縮したような顔ですね」
苦笑混じりにリリーシアが言うと、セレネは緩く首を横に振って、
「……逆。ここ数年の面倒事がやっと片付いて、疲れが抜けていってるのよ」
そう言って、隣に座るリリーシアにゆっくりともたれかかり、身体を預けたのであった。
(生活の都合もあり、二週間近く開いてしまいました。
いろいろと小物っぽいガロナ王子、とりあえずは引き下がりましたが、このくらいで諦めるようなタマではなさそうですね…!)




