Area《2-15》
午前十時前。大通りから少し離れた大きめの通り《大鷲通り》に、リリーシアたち四人は集まっていた。
「屋台の設営はこれで終わり……ですね。あとは十時の鐘を待つのみですか」
新年祭の始まりは朝十時となっている。とはいっても――
「なんというか、既にいつもより人が多いですよね」
「そういうものじゃからな。大通りのほうはもう身動きが取れんじゃろうなあ」
当然といった様子のゼラの答えに、げえ……と唸る。この街の性質は理解していたつもりではあったが、あの広い大通りが人でいっぱいになるところを想像すると絶句するしかない。
祭りの開始――それが何を意味しているのかというと、普段検問が行われている王都南門が開放され、誰でも自由に出入りできるようになるのである。もちろん脇の門兵が目を光らせているわけではあるが、いつもとは比べ物にならない人の流入があるだろうことは想像に難くない。
「……と、改めて今日の予定を確認しましょう。ひとまず最初の二時間ほどは、全員で店番にあたって流れに慣れます。そこから先は、事前に配布した当番表に従って店番を交代しつつ、空きの人員は祭りを自由に楽しむ、と。衛生面と、お金の管理には十分に気をつけること。あとは……臨機応変に。……口にしてみると、随分雑な予定ですが……」
「初めてなんだし、何か足りなかったら明日以降に活かせばいいわよ」
「まあ、そうですね。前向きに行きましょう」
リリーシアが心配しなくても、この国の人間は基本的におおらかなのだ。加えてこの工房の人間はみな真面目なので、そうそう問題は起こらないだろう。
「そういえば、私がいない時に連絡を取る手段があるといいのですが……そういう魔法に心当たりはありませんし……」
他の三人に聞いてみても、その手の手段については知らないようである。
遠くの人と連絡を取ったり遠い距離を一瞬で移動したりするような、いかにも魔法といったようなものはリリーシアの知識にはない。それも当然で、ファンタジアの魔法は戦闘に特化していて、そんな魔法は存在しなかったからだ。
だが、リリーシア自身は可能性は残されていると考えている。自分の知らない未知の魔法を彼女は既に地下下水道で目にしている。
全ての防御を貫くという恐ろしい性質をもったあの魔法は生け贄を必要とする特殊なものであったが、未知の魔法が存在する以上は、この世界にはまだ多くの魔法が散らばっているのだろうと考えるのが自然だ。
図書館のようなものがあればそういったものも探しやすいのかもしれないが、この都市には存在するのだろうか。
もしくは、魔法的な感覚を以って自分で編み出すことも可能なのかもしれない。今はそれどころではないが、これは今後の課題にしておこう。
そんなことを考えていると――
ごぉん、ごぉん――と王城の方から鐘の音が聞こえてきた。
続いて、歓声。街全体のいたるところから拍手や喝采が聞こえる。
「いよいよ――ですね!」
「今年も賑やかで、良いお祭りになりそうね!」
「はい!」
「うむ。祭りの始まりじゃ!」
こうして、四週間に渡る新年祭が幕を開けたのであった。
祭りが始まって二時間。屋台を構えた《大鷲通り》には、多種多様な人間がひしめきあっていた。
そしてピルグリム工房の屋台の様子はというと――
「各種ポーション類もそれなりに出ていますね、やはり治癒系統の需要は多いようで。セリカ、カレーはどんな感じですか?」
外行きの名前を呼ぶと、
「……驚いた、もう半分くらいなくなってるわね……。この国の人たちの好みに合うとは思ってたけど、予想以上ね」
驚いて覗きに行くと、確かにもう大鍋の半分が空になっている。
「なるほど、冒険者以外の一般の方にも買ってもらっているようですね。工房にも材料は残していませんし、今日はなくなった時点で打ち止めにしましょう」
そう話をしている間にも、匂いにつられた男の集団がやってきてカレー皿を購入していった。国内外問わず珍しい物が集まるらしいこの祭りでは、一つくらい異世界のものが混ざっていても「見たことないものがあるな」程度の認識なのだろうか。かの地の先人たちの知恵と研究の結晶を無断で使っているようで少し気が引けるが、未知の土地に文化を広げるということできっと彼らも許してくれるだろうと勝手に納得しておく。
「では時間になりましたので、ミコト、ゼラ、休憩してきてください」
「はい、行こうか、ゼラ」
「うむ、ではしばらく頼むぞ」
声をかけると、二人は並んで何やら親しげに話しながら人の波に混ざっていった。その様子を見ていたセレネがしみじみとつぶやく。
「……実際に戦っているのは見たことないけど、あの二人も冒険者らしい風格があるわよね……なんとなく」
「ああしているのを見ると、私のようななんちゃって冒険者よりよほどそれらしく見えますよね……」
「え? いえ、そう言いたいわけではなかったのだけど……」
いいんです、と遠い目をして店番に戻る。実際のところ冒険者に求められる戦闘以外の経験――野営、交渉、その他――は彼女らのほうが圧倒的に豊富なのも確かなので、それらしく見えるのもむべなるかな。旅に出てから彼女らに学ぶことは多そうである。
その後もそれなりに忙しく店番をしていると、屋台の前に見知った顔が現れた。
「あれ、メルさんじゃないですか」
笑顔のメルランデはこちらに手を上げてから、
「やあ、繁盛してる?」
「ええまあ、それなりに。カレーが物珍しいということで買って行かれる方が多いですね。メルさんも食べます?」
「お、じゃあもらおうかな。ぶっちゃけ見た目はちょっとアレだけど……これは堪らない匂いだね」
セレネがカレーを皿に盛るところを見ながら匂いをかぐメルランデ。
「どうぞ」
「ありがとね……っと、初めて見る顔だね。彼女は?」
そういえば、メルランデはセレネのことを(正体や儀式のことも含めて)知らないはずだ。
「彼女はセリカ、工房の従業員です」
「セリカといいます、よろしくお願いしますね」
頭を下げるセレネ(セリカ)をまじまじと見つめるメルランデ。
「よろしくね、私はメルランデ。メルでいいよ……と、うーん……この顔、声、髪……なるほど」
「め、メルさん、どうかしました?」
背中に冷たい汗を感じながらリリーシアが問うと、
「はっはっは、メルお姉さんの目と情報網を誤魔化そうったってそうはいかないよリリーシア。この嬢ちゃんがセレネ王女なんだろう?」
聞かれた瞬間、幾つかの選択肢がリリーシアの頭上に灯った気がした。その中から、咄嗟に最良の選択肢を探す。
「えーと……まず答えですが、肯定です。どうして知っているのかお聞きしても?」
メルランデはヒュウと小さく口笛を吹いてから、小声で話し始める。
「いやあ、髪型と髪色を変えただけだってのにこれほどわかんなくなるとはね、お姉さんもびっくりしたよ。と、それはおいといて……ちょっと前にあるところで噂を聞いてさ。『セレネ王女が奥まった場所の工房らしき建物に入っていった』って。
ここの王家の人たちがわりとよく外出してるのは知られてるし、噂してた彼らはそこで興味をなくしたみたいだけど、その場所まで聞いて私はピンと来てね。確かそのへんにリリーシアの新居があったはず、と。ま、忙しいだろうと思って押しかけたりはシなかったんだけどさ」
「その噂……あまり広まっていませんよね?」
その問に首肯するメルランデ。それならば、ここにいるセレネの正体がバレて周知されてしまうのはまだ避けられるだろう。バレること自体は致命的ではないが、面倒に巻き込まれないとも限らないので出来る限りそういう事態は回避したいところである。
「あの……他人には言わないでくださいよ? あと別に工房に遊びに来られるのは構いませんので、お待ちしてます」
「わかったわかった」
短剣の恩もあるしね、とメルランデは愉快そうに腰の短剣を叩いて、
「じゃあ今後ともよろしくね、セリカちゃん」
「え、ええ、よろしくお願いします、メルランデさん」
その後、中級治癒ポーションを十本ほどまとめて買ったメルランデは颯爽と消えてしまった。
「……嵐のような方だったわね、メルランデさん」
「まったく、敵う気がしませんね……あの人の情報網がどんなところに伸びているか検討もつきませんし」
とはいえ今までの付き合いから、メルランデが悪人ではないだろうことはわかっているのが幸いか(愉快犯的なところはあるが)。
結局それ以外の事件も起きず、新年祭の一日目は平和に終了したのであった。




