Area《2-13》
「それで、あの噂はどこまで本当なのですか?」
工房のリビングに戻り早々に聞くと、セレネはテーブルに両肘をついた姿勢で悩ましげに長いため息を吐いた。
「……概ね本当よ。月に二回以上は手紙を送ってくるし、次節毎に訪れてきてはアピールをしてくるのよ」
「……何か問題でも? 高貴な人格で、そのうえイケメ……整った顔立ちという話でしたが」
コーヒーをいれて二人の前に置きつつ、暗い顔のセレネに訊ねる。間違っても来訪を歓迎しているという顔ではない。
「ええ、周りから見れば誠実で高貴な人柄に見えるでしょう。はじめのうちは私もそう思っていたわ。ただ、手紙をやりとりして、数回会った時点で分かったわ。ガロナ王子は……あの男は私と同じ、分厚い仮面持ちよ」
なるほど、と頷く。王族事情はリリーシアには想像の及ばない世界ではあるが、偽装スキルは同類には通用しなかったということだろうか。
「……まあ、そのこと自体は責められないわ。身分が上の人間には大なり小なり求められる技術だもの。問題はそこじゃなくて、彼の本当の性格がすさまじく高圧的で……かつ粘着質なところ。まったく、新年祭には今まで来ていなかったというのに。何をしに来るのかしら……」
彼女の顔は陰鬱を通り越して、絶望一色である。
「それこそプロポーズとか、そういうのだと面倒そうですね。……いっそ、きっぱりと振ってしまうことはできないのですか?」
「外見は整い、人格性格ともに清廉潔白、国では第一王子として立派に政務をこなし民からの信頼も厚い、そしてバレンス国はバツェンブールと友好関係にある……これだけ白い部分が揃っていて、理由もなく一方的に交流を断るのは体裁が悪すぎるのよ。たぶん、そこまで計算してのことだろうけど……」
「なるほど……それは確かに分の悪そうな話です。ところで、セレネは成人の儀の最中なわけですが、それを理由にしてこの都市にはいないとして、会わないこともできるのでは?」
「……おそらく、彼は私が成人の儀の最中なのを知っているわ。知っていて来訪してくるのだから、いったい何を狙っているのか考えないと……ああ憂鬱だわ……」
セレネはついにテーブルに突っ伏してしまった。リリーシアはどう言葉をかければいいかわからず、考えこんでしまう。
ネトゲーマーの対女性能力(の低さ)をなめてはいけない。コミュニケーションはある程度取れても、落ち込んだ女性を慰める台詞のストックなどありはしないのである。
しかしこの事態には何か対策を考えたほうが良さそうなのも事実だ。かのガロナ王子には実際に会ってみないとなんとも言えないが、セレネがここまで嫌がるということは注意して臨んだほうがよさそうである。
ただ、もし彼がセレネを害するようなことがあれば、リリーシアは自分の手を抑えられるか自信がない。外交問題に発展するのはセレネも望んでいないのだから、自分から事を荒げるのはよくないだろうことは理解している。
自分には交渉能力などないし、さてどうしたものか……とリリーシアが考えていると。
「話は聞かせてもらった、わらわに単純かつ明快な名案があるんじゃが、聞くかえ?」
作業場から戻ったらしいゼラが、なぜか満面の笑みでリリーシアのほうを見ている。狐につままれるという話ではないが、あんな顔をする人間がまともなはずがない。とはいえ行き詰まっていたのも事実なので、出来る限り胡散臭いものを見る目をして振り向く。
「……聞きましょう」
「なんじゃその顔は、失礼な。まあよい、セレネ姫とガロナ王子の縁談を自然かつ穏便に解消する方法――それは、師匠とセレネが結婚してしまうことじゃ」
リリーシアは、コーヒーを飲み下せず盛大にむせた。セレネはというと、目を丸くしてゼラを見ている。
「げほ、げほ……まったく、奇想天外な案を提出してきましたね、ゼラ。その心は?」
「簡単なことじゃ。いかに王族といえど、先に決まってしまった婚約を無効にしてまでプロポーズを迫るような強引な手は取るまい? セレネが既に師匠と結婚したことにしてしまえば、そのガロナ王子とやらも強く出られんのではないか?」
それに、とゼラが続ける。
「それに、新年祭はそう長い期間ではない。誤魔化すだけなら正式な籍でなくても、形だけの婚約でも構わんじゃろ」
……なるほど、とリリーシアは唸った。まったくもって突飛な発案に聞こえるが、効果がないとも言い切れない。
「……相手方が諦めずに無理を通そうとする可能性はありませんか?」
その問いかけに答えたのはセレネだった。
「その時は、面と向かって貴女が彼を叩きのめしてもらっていいわ。――その案、私は乗る価値はあると思う。貴女は?」
「――仕方ありませんね。うまくいくことを祈りましょう」
結局セレネに問われると、リリーシアには否はない。結局のところ、自分はこの少女の力になりたいのである。
ひとまず、一芝居打つことに関して王城に手紙を送り、リリーシアは作業場に戻った。
現実逃避も兼ねて、考えずにできる単純作業に没頭しようと考えたのである。
錬金台のほうにいくと、ポーション棚の中身をリストに起こしていたミコトと目があった。
「さっき、ゼラから話を聞きました。――婚約まで意外と早かった、ですね?」
「……おそらくからかっているのだと思いますが、下手につっこむとこちらが墓穴を掘りそうですね。作業は終わりましたか?」
問うと、ミコトは全く悪びれずに頷いた。とはいえ彼女の表情は読みづらいのだが。
「はい。内容情報読み取りの練習も兼ねたポーション棚のリストアップ、全て完了しました、です」
差し出されたリストを受け取る。リリーシアが元の世界のデザインを真似て作ったクリップボードに、数枚の紙が挟まっている。病院のカルテか何かを髣髴とさせるそのリストを見て、リリーシアは頷いた。
「初級の+7から+9が既に五百本を超えそうなのはいい傾向ですね。組合への納品分と別枠で余剰生産していた甲斐があったというものです。中級も……なるほど、+2まででこの本数なら十二分でしょう。というか、+5と+6が妙に多いのは何でしょうね……?」
首を傾げるリリーシアに、ミコトが小さくため息をつく。
「……師匠、この工房で+5以上の中級ポーションを錬成できるのは師匠一人だけです。つまりその妙に多い在庫は全て師匠が積み上げたもの、です。
最近、師匠は考え事をしていることが多かったように思います。その間に手癖のようにポーションを作っているところをミコトたちが目撃していますし、おそらくその時にできたものでしょう」
「……私、そんなに心ここにあらずな雰囲気でした?」
「積み上げた本数を覚えていないという時点で、お察しください、です。現に今も、現実逃避をするために錬金台に来たように見えましたが?」
二の句も継げずに、リリーシアはがっくりと項垂れてしまう。おざなりな気持ちで売り物を作っていたこともそうだが、そのことの記憶がないことがリリーシアにとってはとてもショックであった。
「師匠も若いのですから、悩み事が多いのはわかります。でも、たまには少し休んでみるのも必要なのではないでしょうか。昼寝でもしてみれば、少しはすっきりするかもしれません、です」
そう告げるミコトの顔には、薄く、柔らかな微笑が浮かんでいた。ゼラとくらべて物静かな印象のあるミコトだが、年の功というべきか、こちらのこともよく見てくれていたらしい。
「……すみません。製作ペースにも余裕はありますし、少し上で昼寝をしてきますね。ミコトもあとは適当にしていてください」
ミコトの言葉に甘えて、二階の自室のベッドに潜り込む。
思えば、この世界に来てから昼寝を取った記憶がない。リリーシアの身体は身体機能が相当に高いらしく、夜遅くに寝ても決まった時間に起きられるのである。
だが、ひきこもりネトゲーマーであったときの自分はかなり不養生をしていたものだ。夜更かしは当然として、朝日とともに眠り、ゲーム内イベントが終わり次第短い昼寝を取って、起きてからはまたネトゲ……そんな生活を十年間続けていたのだ。
自分はリリーシアであると同時に、やはりひきこもりネトゲーマーでもあるのだ。慣れない生活をして、少し無理が溜まっていたのかもしれない。
ネトゲーマーとしての残滓がそうさせたのか、そんなことを考えつつ、ベッドに入ったリリーシアは数分と経たず意識を手放した。




