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Area《2-12》


 ぎゅっ、と音がして、細い指が黒い手袋に収められる。

 しっかりと付け心地を確認してから、その手は満足そうに握られた。


「ありがとう、リリーシア。昨日の今日で制服を用意してもらえるなんて」

 そう言ったセレネはワンピースになったスカートの端をつかみ、対面のリリーシアへ優雅に一礼した。

 奔放な性格を備えてはいるが、目の前の彼女はきっと自身で思っている以上にお嬢様なのだろうなあ、と考えつつリリーシアは頷いた。無論、顔には全く出さないようにしながら。

「必要になるものですし、早めに作っておくに越したことはないでしょう。今日から本格的に作業に入ってもらいますし」

 時刻は早朝。今日から修練に加わるセレネに、濃い紺色の制服を渡して着替えてもらったところである。

「そうね。――ねえ、どう?」

 誰にそんな技を教わったのか、一歩近寄り、少し腰をかがめて上目遣いに聞いてくるセレネ。それが巧妙な技だと分かっていても、その不意打ちを受け損なったリリーシアは赤面してしまった。

「ええ、似合っていますよ。なので、わざわざそんな芝居じみた真似は……」

 説教臭くセレネを咎めようとしたのだが、彼女はふふっと笑うと軽やかな動きで作業場のほうへ消えてしまった。現在の立場はリリーシアのほうが一応上のはずなのだが、どうにも彼女には敵う気がしない。


 ミコトやゼラもそうだが、女性という生き物は服装について特に気にするようにできているものらしい。リリーシア自身もプレイヤーとしてアバターと装備の見た目についてはこだわっていたが、それとはまた別種のこだわりを感じる一面である。

 実際、濃紺の制服は彼女によく似合っていたけれど――と、そんなことを考えながら作業場に行くと、中央には既に制服を着て準備を整えたミコトとゼラが待っていた。

「全く、朝から何をしていたかと思えば、かように仲睦まじくしておったとはのう」

「ぜ、ゼラ、覗いていたのですか?」

 嫌な汗をかきつつ尋ねると、「どうじゃろうな」と笑顔でごまかされてしまった。口をつぐんだゼラの代わりにミコトが歩み出る。

「……では、本日の業務は黒板のリストにある通りで問題ない、です?」

 表情に乏しいミコトの強引すぎる方向転換に、リリーシアはなんとか意識を立て直した。作業場に備え付けられた黒板には、全員分の今日の予定と、端の欄に一週間分の予定表が白線で記されている。

「――そうですね。炉の作業に入るゼラは予定通りに。錬金台担当だったミコトは当初の予定を若干変更して、セレネの初級治癒ポーション+1の指導に当たってください。……そして私は、新年祭用の屋台作成を行いつつミコトのサポートを行う、という感じで。何か質問はありますか?」

 頷くゼラとセレネ。ミコトは小さく挙手をして、

「今日はもともと新年祭用の中級ポーション作成にあてる予定でしたが、その……製作ペースは大丈夫、です?」

 控えめに聞いたのは隣のセレネを気遣ってのことだろうか。リリーシアは、ポーション棚の中身を思い出しつつ答える。

「今まで作りためてきた分量を考えれば、屋台に並べるものとしては十分な品数を確保できていると考えていますので、全く問題ないですよ。……まあ、私は新年祭自体初めてなので、どの程度用意すれば十分なのかもあまりよくわからないところではありますが」

 それを聞いたゼラも笑みを作る。

「我らとて、今までの新年祭は全て一般客として楽しんでいたのでな。需要はともかく供給についてはわからぬことばかりじゃから、それはお互い様じゃの」

「人手も増えたことですし、店番も分担できるでしょう。商品が足りなくなればその間に作ることも可能かと。――では、作業開始!」



 屋台を出せるスペースの大きさは、およそ幅三メートルに、奥行き一メートルまでといったところである。

 材料の木材や鉄材を眺めつつ、完成図を想像する。現実では見たことはないが、この都市に来てからとても多くの屋台を見ることになった。基本はあの形状を参考にすればよさそうだ。

「商品は武具と、ポーション類、あと料理はアレを……だいたい想像できましたね。図面を起こしますか」


 その作業を始めてから半日、昼過ぎには屋台が完成した。両脇に小規模な武具立てと鍋置きを備え、中央には広いポーション置き(試験管立てを並べたようなものである)を配置したデザインだ。パーツ毎に分解が可能な構造にして、四人で分担して持ち運びができるようにしてある。

 飾り気はないが、商品を置けば十分に屋台として目立つだろう。

「――お祭りといえば、あっち以来、か……ゼリュークの年越しは見事なものだったけど、現実リアルじゃ外にも出ずに過ごしてたし……」

 ファンタジア内最大規模の都市、ゼリュークの年越し祭イベントの様子を思い浮かべながら屋台の柱を撫でていると、いつのまにかカウンターの向こう側にセレネが立っていた。

「……故郷の思い出?」

「ええ、まあ……そんなところです。ところでセレネ、そちらの作業も一段落したようですし、夕食の買い物にでも行きませんか」

「道中で思い出話でも聞かせてもらおうかしらね」

 笑顔を見せるゼラに対して、この世界の地理もろくに知らないのであまりヘタな嘘を言うことは出来ないなあ、とリリーシアは思った。



 二人は行きつけの市場で、店番の若い男と雑談をしながら食材を買い揃えていく。すでにこの生活にも慣れたもので、リリーシアは市場の人間とはだいたい顔見知りである。

「まいど、ちょうどだね。あれ、リリ嬢、後ろの女性は紹介してくれないのかい?」

「ああ、そういえば初めてでしたね。こちらは新しく工房に入ったセレ――、セリカです」

 迂闊なことに今まで全く打ち合わせをしていなかったのだが、流石にセレネの名前をそのまま出すのはまずい。髪色と髪型を変えているとはいえ、彼女はこの都で顔が売れている。本名を名乗れば、声と顔立ち、特徴的な碧色の瞳でバレて面倒なことになりかねない。

 嫌な汗を浮かべながら誤魔化しの笑顔でセレネを振り向くと、セレネは一歩踏み出して優雅に礼をした。

「初めまして。ピルグリム工房で働かせていただくことになったセリカといいます。以後お見知り置きを」

 自己紹介を受けて、男は「どうもどうも」と頭を下げつつ破顔した。この外見ならば、口を開いて一発目で正体が露見するといった事態にはならないことが証明された形である。

「いやあ、あの冒険者の二人組といい、リリ嬢の周りには美人が集まってくるんだねえ。羨ましい限りだよ」

「偶然ですよ。……実際、今更男性を雇いたいかと言われれば難しいですが」

 苦笑してリリーシアが正直に言うと、男もはっはっはと笑いを返してから、話題を新年祭のことに移していく。しばらく三人で談笑していたのだが、ふと男が思い出したように両手を叩いた。


「――そうだ。新年祭といえば、バレンスのガロナ王子が公式にラツェンルールに来るらしいな」

 見知らぬ固有名詞が続いたので首を傾げるリリーシアの隣で、セレネが思い切り吹き出した。唐突なリアクションにも驚くが、まずはわからないことを聞いてみるしかない。

「ええと、すみません。その、バレンスというのは……?」

 そう聞くと、男はお馴染みの「なんだこの常識知らずの田舎者は……」の顔を浮かべてから、仕方がないといった感じの苦笑で説明してくれた。


 バレンスというのは、このバツェンブールの隣国で、正式名称は『バレンス・ド・マホン』。バツェンブールもかなりの国土を誇る大国なのだが、バレンスはそれより若干広い領土を持つ国なのだそうだ。

 国土に山脈を多く擁しており、得意な産業は鉱物や木材と、その加工品である。バツェンブールとはそれらの資材と食糧を取引する間柄で、友好関係にある。

 そして本題の王子ガロナ・バレンスは、バレンス・ド・マホン第一王子である。話に聞くところによると、ブロンドの髪に同系色の瞳を持つ文句なしのイケメンで、国内外での人気は非常に高いらしい。

 また、両国の間でまことしやかにうわさされているのが、ガロナ・バレンス王子はセレネ・バツェンブール第二王女にご執心だという噂である。なんでも、結構な頻度で手紙を送っていたり、外交という名目でアピールを試みている、といった様子らしい。

 そのガロナ王子が、普段は訪れない新年祭の時期にラツェンルールを訪れるというので、王都ではすわプロポーズか、という騒ぎになっているのだという。


 ――噂といっても、隣のセレネの反応から察するに大筋はだいたい事実なのだろう。王族同士の縁談なんて私には縁のない話だとは考えつつも、当人がすぐ側にいるので気にしないわけにもいけない。

 買い出しが終わって工房のリビングに戻ってから、リリーシアはあらためて話を聞くことにした。



ゆったり更新ペース。

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