Area《2-9》
「え、セレネ……えっ?」
リリーシアが頭上に大量の疑問符を浮かべてぽかんとしていると、セレネが吹き出した。
「第一目標、驚かすことは達成ね。リリーシア、とりあえず案内してくださる?」
「ああ、はい、そうですね。ではひとまずこちらへ。ええと、靴は脱いでください」
珍しい規則なのね、と言いつつブーツを脱いだセレネとリビングに向かう。
「このテーブルにどうぞ。従業員も呼んできますので」
椅子を勧めてから作業場に向かおうとすると、来客の鈴に気付いたらしいミコトとゼラはすでにリビングに入ってくるところだった。
「師匠、来客です? ってその方は……!?」
「来る用事のあるような客はそうそうおらん気がするが――と、その御仁は?」
目を丸くした二人に、立ち上がったセレネは優雅に一礼した。
「初めまして、セレネ・バツェンブールといいます。お会いできて嬉しいですわ、ミコト・ディオールさん、ゼラ・ソウリエさん」
「は、はじめまして、です! ミコト・ディオールです。ってミコトの名前を?」
「お初にお目に掛かる、ゼラ・ソウリエじゃ。師匠の御友人という噂だったが、下調べもばっちりというわけじゃな」
驚いたままのミコトと、意味深な笑みを浮かべたゼラ。そのゼラの言葉にセレネは苦笑いで、
「ええ、そういうことになりますわね。まあ下調べといっても、リリーシアが工房を立ち上げたと聞いて少し調べただけですわ。そういえば最近組合に並び始めたという低品質中級治癒ポーション、ミコトさんとゼラさんの作と書かれていましたね。その若さで、見事です」
腰のバッグから黄緑色のポーション瓶二本を取り出して見せるセレネ。それは紛れもなくピルグリム工房の印が刻まれた中級治癒ポーションであった。
「あっ、はい! 見ていただいていたとは……」
焦るミコトの様子を見て満足そうに笑うセレネ。リリーシアは小さくため息をついて、
「セレネ、うちの従業員をからかうのはいいですが、その前にちゃんと事情を聞かせてくださいよ。ミコト、ゼラ、あなたがたも座ってください」
セレネは、しまったとでも言わんばかりの顔で優雅に座り直した。
「それで、今日はお一人で来られたのですか?」
全員が席についたので、リリーシアが改めて切りだす。
「ええ、今日は私一人……といいたいのだけど、密偵が一人ついてきて影で監視中よ。リリーシアは知らないかもしれないけど、私もお兄様たちも、普段は護衛の兵を連れていたりはしないものなのよ」
「なんというか、意外……でもないですね、あの方々の為人を考えれば。それで、今日の用件はなんですか? 一国のお姫様が、様子を見に来ただけという話ではないのでしょう?」
「友人の様子を見に行くというのは立派な用事ではなくて? というのは横に置いて。今日からしばらくここに泊まらせていただけないかしら――というのが今日の用件よ」
セレネの無茶には慣れていた(つもりの)リリーシアも、これにはきっちり数秒固まってしまった。
「……泊まる? ここに? ……何がどうしてそういう話になったのです?」
「これが、お父様からの手紙。中に要件が書かれているわ」
お父様ってことはつまりこの国の王様からの手紙ってことですよね、と神妙な顔のミコトがゼラと小さく話し合っている。リリーシアにも気持ちは分かるのだが、そちらのフォローをする余裕がまだないので、素直に手紙を受け取る。
封を切って中身を取り出すと、そこには非常に整った筆跡の文書が入っていた。時に豪胆な性格のルミナ王だが、この厳格なまでに端正な文字は彼のイメージと非常に合致している。
要約すると――
セレネの『成人の儀』にあたり、リリーシア・ピルグリムにその身を預けるのが最も適していると王家で判断した。了承するのであれば、これから一年の間、セレネと一緒に行動してほしい。その間特別扱いは不要であり、リリーシアが予定していた旅に同行させてもらって構わない。報酬は十万ブールで、三割を前金として支払い、七割を成功報酬として後日支払う。
「……とありますが、さすがに突飛な話すぎて書状が説明になっていませんよ、セレネ。まず、『成人の儀』ってなんですか?」
ルミナ王からの手紙を読み終えたリリーシアは、呆れ顔でセレネに向き直った。
「バツェンブール王家では王家の者が十六歳になるとき、成人した一人の大人としてこの国を背負っていけるように、一人で一年間旅をするという儀式があるの。この『旅』の内容はその個人によって様々だし、一人でといってもだいたいは王家とつながりのある冒険者のもとに依頼をする場合がほとんどね。セレスティアお姉様の時は、王城騎士隊の者が所属していたパーティを紹介されてそこにいたらしいわ」
「この国の自由な風土はそれなりに理解したつもりでしたが、それはまた大胆な話ですね……。あと、一年間という期間は『しばらく』の範疇ですか?」
違うの? とセレネに視線で聞き返されると、こちらの認識が間違っているのかとつい疑ってしまう。寿命が長い種族も存在するこの世界だが、セレネはれっきとした人間種だったはずである。
話を聞いていたゼラが、そういえば、と口を開く。
「その儀式の噂は、冒険者の仲間内で聞いたことがあるのう。わらわが聞いたのはルーン王子の時のものだが、あの御仁は冒険者に負けぬ武勇を持っていて、邪魔になるどころか有能なパーティメンバーとして活躍した、とかなんとか」
「ゼラさんの聞いた噂というのはおおむね正解ね。実際、お兄様は剣の才にも富んだ人だから」
ルーン王子が訓練場で剣を振るっているところも何回か目にしたが、確かにあれほどの腕があればそうそう冒険者に遅れを取ることはないだろう、とリリーシアは納得する。
「で、それで今回私が適任だということですか……。私達は新年祭が終わるまで王都から動かない予定だったんですが、それでもいいのですか?」
「ええ。旅というのはたとえ話のようなもので、言い伝えによれば『自身の体験を通してこの地の実状を知ること』が目的らしいの。だから、私のことを過度に意識して予定を変える必要は全くないわ。……だめかしら?」
上目遣いで聞いてくるセレネに思わずうめき声を漏らしそうになりつつ、冷静に考える。
今回の儀式にリリーシアのもとを選んだというのはセレネの意思が主だろう。友人の頼みを無碍に断ることはしたくない。
考えられるデメリットとしてはこの街で派手に目立ってしまう点だが、王都にいる間だけは軽く変装でもしてもらえばいいかもしれない。そもそも、自分の蒼の髪と目だけでも十分に目立ってしまっているので今更である。
王族を身近に置く緊張感はもちろんあるだろうが、自分の手の届く範囲では誰にも手を出させない自信はある。
「……唐突すぎて混乱していましたが、よく考えれば特に断る理由もないような気がしてきました。ぶっちゃけ私にデメリットないですし。……ミコトとゼラはどう思いますか?」
「あの、正直話についていけてませんが、師匠がいいというのであればミコトからは何も」
「うむ、わらわにも異論はないぞ、師匠を勢いで圧倒できる愉快そうな御仁であるしな」
控えめに答えるミコトと、赤い狐耳を揺らして笑うゼラ。二人には特に迷惑そうな様子は見えない。
「わかりました。セレネのことは、ピルグリム工房が責任持ってお預かりします」
そう言うと、セレネは花の咲いたような笑顔で微笑んだ。
「これからよろしく、リリーシア」
「全く、また無茶を聞かされることになるとは思いませんでしたが――歓迎しますよ、セレネ」
新年祭一週間前の唐突な来客は、ピルグリム工房の一員となったのであった。
セレネ、来訪。感想でも想像頂いていた展開ですが、案の定決定事項です!
工房も一段と賑やかになりました。




