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Area《2-8》


 新年祭の始まりまで一週間。王都ラツェンルールは既に祭りのような盛り上がりを見せていた。

 祭りに向けて準備する者が増えれば、物流が加速し商人の流入も増える。

 さらには街が活気付いているので一緒に冒険者たちも増えるといった様子で、大通りは人がごった返している。


 その人の波を縫ってなんとか脇道に入り、リリーシアは小さく溜息をつく。

 時刻は昼前。午後の作業に必要な素材類を探すべく外に出たリリーシアは、慣れない人波に揉まれて見た目以上に疲労していた。

「全く、祭りはまだ先だというのにこの様子では……本番が思いやられますね」

 この雰囲気も嫌いではないけれど、と付け加えて再び歩き出す。


 その工房、ピルグリム工房は喧騒とは少し離れた場所に建っていた。

 外見にも手が加えられたため、荒れていた玄関前も綺麗にされ、レンガ造りの前面に多少の蔦の張った小奇麗な工房といった印象である。

「ただいま戻りました」

 リリーシアは玄関で靴を脱ぎながら、食事のいい香りが漂ってくるのを感じる。

 (余談ながら、この国の文化では屋内も基本的に靴履きである。ただリリーシアは慣れなかったので日本式の建築を貫き通した。ミコトとゼラにも説明してある)

「師匠、おかえりなさい、です。ちょうど昼食ができるところです」

 キッチンのほうから、エプロン姿のミコトが出てくる。昼食は一緒だったり別だったりとまちまちなピルグリム工房だが、工房で食べるときには基本的に時間が空いた人間が率先して用意することになっている。


 正直なところ、リリーシアは当初『料理』という行為を避けていた。

 技能スキルとしての料理技能は完全修得マスターしているため、リリーシア自身の知識として膨大な量のレシピと技術は身についている。しかし、現実世界のプレイヤー新海竜は料理の経験がないどころか半固形合成栄養食で全ての食事を済ませていた。その内外のギャップがあまりに激しく、自分に料理ができるのかどうか非常に懐疑的だったのだ。

 ただ、一度料理を経験してみるとそれは非常に楽しいものであった。今まで食べたこともないような料理を自ら作り出し味わう快感に、完全にハマってしまっていた。

 ちなみに、ゲームであるファンタジア内にはファンタジー的な食事の他に、現実世界の和食や洋食も数多く実装されていた。そのため知識には存在するのだが、この世界では見つからない食材も多いため再現困難なものも多いという状態である。


「今日のこの匂いは――トマトのパスタですか?」

「はい、軽いサラダとパスタです。もうすぐですのでテーブルで待っていてくださいです」

 実はこの世界に来てから、現実世界の固有名詞やことわざが他人に通じないパターンを何度か経験しているのだが、料理に関してはその齟齬があまり生じていない。パスタもこの世界には存在するようだ。なぜ口頭言語が日本語なのかは不明だが、今のところは問題なく意思疎通を行えているので問題ないか、と考えている。魔法の存在する異世界で細かいことを気にしていてもキリがないのである。

「む、師匠、帰っておったか」

「ゼラ、ただいまかえりました」

 奥の作業場から出てきたゼラに返す。その手には二本のポーション瓶が握られている。

「ちょうどよかった。昼食までの時間に師匠にこれを見てもらおうと思うてな」

 リリーシアはその黄緑色に発光するポーション瓶を受け取る。

「これは――中級治癒ポーション+3ですか! ついに成功したのですね。変な副次効果も残留していませんし、非常にいい出来です」

「うむ、+1のものは七割程度成功していたのだが、今日やっと+3の錬成に成功したのじゃよ。ミコトは数日前に成功していたからわらわも負けておれんしな」

 中級治癒ポーション+3とは、つまるところ低品質中級治癒ポーションのことである。この世界は低・中・高の三段階でざっぱに分けていたようだが、やはり効果に幅があるものはある程度細かく分けたほうがいいだろうということで中級の指導に入った段階で+0から+10での等級分けを導入した。

 細かく分かれていたほうが難易度を判別しやすいということで、この区分はミコトやゼラにも好評である。

 冒険者組合で委託販売しているポーションにも『中品質初級治癒ポーション(+6)』のように等級を書いて売り出しているが、この世界に存在しなかった概念がどの程度受け入れられているかは未知数である。


 結局、三週間前後の修練でミコトとゼラの二人は初級錬金術を完全修得マスターしてしまった。現在は中級の修練度上げに勤しんでいる。錬金術士自体の少なさと各種中級ポーションの高級品具合を見ていると、これは明らかに異例の修得スピードである。リリーシアが修得している《先導者スキルリーダー:生産》の効果はそこまで劇的に経験値を後押しする技能ではなかったはずなので、あくまで二人に秘められた才能が開花したということなのだろうと考えている。


「調子よく進んでいくのもいいですが、焦りすぎてはいけませんよ」

 苦笑をしながらリリーシアがポーション瓶を返すと、ゼラは満足の笑みを浮かべたまま、

「ま、鍛冶のほうはまだまだじゃからな。付与魔術のほうも要修練じゃし、何事も調子よくとはいくまいのう」


「昼食、できましたです」

 そんな話をしているとミコトが昼食を運んでくる。

「今日は、市場で見つけたトマトと魚介のパスタです」

 ミコトが席についたのを確認し、三人で「いただきます」を唱和して食べ始める。元々は全員別の宗派の食前の祈りを捧げていたのだが、締りが悪いので師匠たるリリーシアに合わせる形となっている。

「とてもおいしいですね。鷹の爪がバランスよく効いています。……そういえば、この都市では香辛料も普通に手に入るんですね」

「香辛料……? ええと、数十年前はこの国ではかなり高価だったと聞いています。どこかとの輸入ルートを確立したとか自力で増やすようになっただとか」

 リリーシアのイメージでは中世ヨーロッパ的な世界は香辛料が金と等価でうんぬん、というイメージがあったのだがこの世界は文化も違えば事情も違ったらしい。なんにせよ、様々なものが手に入りやすいこの都市は非常に生活しやすくて助かっている。


「香辛料……なるほど……カレーを作ることもできるかも……? と、それはおいといて。新年祭のことなんですが」

「うむ、あと一週間といったところか。どうした?」

「ええ、そろそろ屋台の出店内容を決めて、本格的な生産に乗り出そうかと思いまして」

「確かにそうしたほうがよい頃合いか。それで、どうする予定なのじゃ?」

 リリーシアは屋台の割当スペースを思い出しながら、

「基本は、私が作った武器を数点と、お二人の中級ポーション各種を並べておこうかと考えていたのですが」

「ふむ、まあ妥当なところじゃな。何か問題でもあるのかや」

 ゼラの疑問にリリーシアは腕を組んで考えつつ。

「……正直、なんか地味じゃないですか? 絵面というか、雰囲気というか」

「地味……です? 工房の屋台というのはそういうものでは……」

「師匠の言いたいことはわからんでもないがのう。……とすると、何か珍しい料理でも売ってみればどうじゃ」

 食べ物を売る屋台も多いしな、とゼラが補足する。

「なるほど、その手もありましたね。このあたりでは見かけないものを作れば確かに――それで行きましょう! 屋台でできそうな品目を考えてみます」


 昼食と軽い話し合いを終えリリーシアがコーヒーを片手にゆっくりしていると、不意に呼び鈴が鳴った。

「特に来客の予定はなかったはずですが――」

 そうつぶやきながら扉を開けると、

「お久しぶり、リリーシア」

 そこには、いたずらっぽい笑顔のセレネが立っていた。


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