Area《2-6》
リリーシアはベッドに潜りながら、安心からため息を吐いた。
取り急ぎ初日に自作したのは、トイレ・ベッド・風呂の三種。
トイレは先に書いたように、快適な生活環境のために必須だと考えたため。ベッドも同様である。
そして風呂は、リリーシアが大衆浴場に行く危険性について思い至ったためだ。ミコトやゼラのこともそうだが、不特定多数の女性の裸体を見て平気な顔を保てるほどリリーシアの精神は強固にできていない。最近は自分の性別についてあまり違和感を覚えなくなってきたが、流石に風呂となると話は別である。
そういうわけで、風呂に関しては初日にしっかりと整備されている(元からあったものとはほぼ別物になる程度には)。思い返せば、一人でゆっくりと入れる風呂はこの世界にきてから初めてだったので、随分長く湯船に浸っていた。中級錬金術関係の初めのほうに入浴剤や洗剤の知識があったような気がするので、そういったものの錬成に挑戦していくのもいいだろう。
「ひとまずは、明日以降。――のんびりと行きましょう」
次の日の朝。三人は初級錬金術を修得すべく、作業場に集まっていた。
リリーシアは錬金術関連技能の他に、《先導者:生産》の技能を設定している。ゲームであるファンタジア内では、この技能は自分より生産系技能レベルの低いパーティメンバーの取得経験値を増加させるものだった。効果があるのかは不明だが、試してみたほうが早いだろうということでこうして実践することにした。
「それでは、今日作る低品質初級治癒ポーションについて説明します。低品質初級治癒ポーションとは、初級のポーション類の中でも最も薬学に近い――つまり、錬金術としての技術を使わないものになります。
材料は、ミドリアマクサと低濃度錬金溶液ですね。この低濃度錬金溶液は蒸留水と魔晶石粉末の混合物ということで用意しやすいので、今回はそこから作っていきます」
ここまで説明して言葉を切ると、ミコトが手を挙げる。
「技術を使わない、というのは……材料をただ混ぜるだけなのです?」
「言ってしまえば、だいたいはそういうことですね。ただ、最後の工程で治癒系の魔力を込めますが、その分量や波長が均質かどうかでポーションの品質に差がでますので、注意が必要です」
二人が理解したことを確認し、実際の作業に入る。作業と言ってもこれは本当に簡単なもので、鍋に入れた低濃度錬金溶液を緩く温めながら、乾燥粉末にしたミドリアマクサを入れていくだけである。
二人とも草をすり潰す行程を丁寧に行ったことが功を奏し、鍋の中の液体は綺麗な薄黄緑色に発色している。
「いい感じですね。では最後の工程に移りましょう。自身が最も安定して使える治癒魔術を魔力に込め、鍋に流します。この時、魔力は均質に、細く長く流していくのが重要です。この工程を丁寧に行えば、中品質初級治癒ポーションの効果量に届くほどですので、出来る限り丁寧に」
ゆっくりと、二人の体内の魔力が練り上げられていくのを感じ取る。ミコトは光属性の初級治癒魔術、ゼラは火属性の初級治癒魔術のようだ。治癒魔術は属性毎に開発されているが、初級魔術程度の効果に差異はまったくないので問題はない。
「――手応え、ありました」
「こちらも、じゃな。師匠、どうじゃろうか」
二人の鍋の中の液体は、微かな光を灯した美しい薄黄緑色に染まっていた。
「ええ、どちらも申し分ない出来かと思います。あとは用意したポーション瓶に分けて、完成ですね」
それぞれ、鍋の中身を試験管のような細長い透明の瓶に詰める。今回用意した素材で、予定通り五本ずつの低品質初級治癒ポーションが出来上がった。
「まずミコトのポーションは、『百五十秒から百六十秒で、使用者のHPを全体値の七から八パーセント回復』。ゼラのものは、『百四十秒から百六十秒で、使用者のHPを全体値の六から八パーセント回復』。それぞれ性能にブレはありますが、初めてのポーション制作としては大成功といっていいでしょう」
リリーシアの評価を聞いて、笑顔で手を合わせるミコトとゼラ。実際のところ、まっさらの初心者が作ったポーションより効能のブレは小さいほうなので、二人の魔力操作の腕はなかなかのものと言える。
「初めてということで、数回は失敗するかもしれないと思っていたのですが……杞憂だったようですね。もっと先のものを実践したほうが経験値にもなるでしょうし、利益にも繋がるかもしれません」
「ミコトたちが作ったポーション、売ってもいいのです? 初心者なのに」
「ふむ、この工房の利益を考えるなら、売り物は全て師匠が作ったほうがよさそうにも思えるが」
そう言われたリリーシアは、腕を組んで軽く考える。
「私の作ったポーションは……いささかこの街の常識に合っていないのではないかと思いまして。あまり目をつけられたくないですから……」
答えながら、以前作った中級魔力ポーションをポーション棚から二本取り出し、二人に渡す。
「これは……中級の魔力ポーションかや。しかし、なるほど。品質としては上の上、という感じの魔力量じゃな。まずこのあたりでは売っておらんだろう」
「ミコトの分析技能はあまり正確には読み取れませんが……。ミコトたちが少数持っている低品質中級魔力ポーションの、およそ二倍以上の効力……ですか。確かにこれが組合の売り場に並んでいたら、確実に”浮く”です」
「やっぱりそうですか……。ということで、冒険者組合の道具販売所に委託する分はミコトとゼラに頼みます。おそらく、鍛冶もしながら二ヶ月もしないうちに中級に入れるかと思いますよ」
二人の作ったポーションをひとまずポーション棚に並べつつ頷くリリーシア。錬金術具店で見た商品とくらべても遜色ない品質なので、一本2ブール前後で取引できるのではないかと思われる。リリーシアの感覚では『ちょっと高級な栄養ドリンク剤』という認識である(実際には冒険者の命綱でもあるのだが)。
ミコトとゼラに中品質治癒ポーション作りを教えつつ、一般的な冒険者のことについて尋ねる。各種ポーションを買っていくのはほとんどが冒険者であるので、その実態を把握しておけば需要もつかめるかと考えたのだ。
まず冒険者といってもその実態は様々なようで、どこかの都市に長期間留まって仕事をこなす者もいれば、様々な場所をめぐって仕事をしたり、未知の遺跡や素材を発見しようという者たちもいる。
出自も人種も活動内容も多種多様な者たちだが、生産職と冒険者業を両立しようという者は極少数らしい。生産という技能は、実用的なものになるまで往々にして長い年月が掛かるものだ。何かと兼業しているような時間を取れない、というのが非常に大きいようだ。
その冒険者たちの平均的な収入と照らしあわせたとき、2ブール前後という低品質初級治癒ポーションの価格は実際あまり高額ではないようだ。駆け出しの冒険者が10本単位で買い込んで、仕事の度に結構な頻度で使用するらしい。
これが中級になると値段が大幅に変わってくるため事情が違うようだ。リリーシアは知らなかったのだが、中級治癒ポーションには大きな怪我や切り飛ばされた腕や脚がつながってしまうほどの効果があるらしい。治癒魔法の使い手がいなかったり、行動不能になってしまった状況下では非常に頼りになる。そういった理由で、効果な中級治癒ポーションにも一定の需要はあり、多くの冒険者が保険として一本から数本荷物に仕込んでいるらしい。
上級以上のポーションは出回っていないのかと聞くと、そもそも売っているところを見たことがない、と返ってきた。
存在自体は確認されているらしいのだが、それらは全て古代の遺跡等からの発掘品らしい。少なくともこの街に錬成できる人物はいないだろうということだそうだ。
この世界での上級ポーションであることの定義は、『中級以下のポーションとは全く組成が異なり、格段に効能が強いもの』である。そのため、ひとくちに中級といってもその効果にはピンからキリまで存在する。ファンタジア内ではポーション名の後ろに+1から+10までの数値でその品質が表記されていたが、この世界では単に低・中・高の品質表示で表すらしい。高品質の中級治癒ポーションがあれば致命的な負傷が治ってしまうとあれば、上級ポーションの需要も供給もないというのもうなずける話である。
リリーシアは一般的な上級治癒ポーションの材料を思い浮かべてみる。
まず、ワイバーンの血。これは文字通り各種ワイバーンから採れる血液である。保有する魔力量もさることながら、そのままの状態では強力な毒性を持つ。
そして、ガルドラの実。これは高地の聖域(聖域になっている山など)にのみ自生する果実である。聖属性の治癒魔法をこの果実に込めてワイバーンの血液に混ぜ合わせることで、その強力な毒性を反転させ治癒薬として機能させる。
あとは、そのほとんどが液体化した魔晶石である高濃度の錬金溶液にこれらの材料を投入する。これで最低品質の上級治癒ポーションは完成だが、その後様々な素材を加える事で、様々な特性に特化させた上級治癒ポーションが完成する。
「確かにあれは、まず基本的な素材が揃わないでしょうね……と、話をしている間にできましたね。瓶に詰めてみてください」
二人が詰めた瓶の中は、黄緑色に微発光している。見た目には問題はない。
「……なるほど。低品質治癒ポーションを作った時より、効能のブレが大きくなっているようですね。これはおそらく技能習熟度によるものだと思いますので、これから実践を重ねることで改善されていくはずです」
「わかりました。あの、昼までまだ時間がありますが、それまでどうするです?」
自身の作った中品質治癒ポーションを検分しながら、ミコトが尋ねる。
「そうですね……お二人には昼まではこのまま中品質初級治癒ポーションを作ってもらって、私は冒険者組合と鍛冶組合に行ってこようと思います」
「こちらは構わぬが、師匠はどのような用事なのかえ」
「冒険者組合のほうへは、販売所の中にこの工房の販売スペースを作ってもらおうかと思いまして。こうしてお二人が作ったポーションの現物もあることですし。鍛冶組合へは、単純に素材倉庫から素材の引き出しですね。こちらへ持ってきたほうが便利ですので」
なるほど、と頷くゼラ。それに対してミコトは何か気付いた様子で、
「師匠、この工房にも名前を付けたほうがいいと思います。申請の時にも必要だと思うのです」
「うむ、こうして本格的に稼働しておるのだ、師匠、一つ名前をつけようぞ」
なるほど、と頷いたリリーシアは考えこんだ。
「名前付けるのって、少し苦手なんですよね……では、リリーシア・ピルグリムから安直に、『ピルグリム工房』にしましょう。わかりやすいです」
「……まあ、鍛冶系の工房は安直な名前は多いしのう。ガルーダのところもそうであったし、いいと思うぞ」
「わかりやすさは、たしかに。いいと思います」
ミコトとゼラの控えめな肯定を得たので、これでいい、と自分を納得させるリリーシア。ここにきて、自分の剣に名前を付けるのを忘れていたことにも気付いたが、些細な問題だと脇に除けることにする。
「それでは、出てきますので。回数を重ねられそうであれば棚の素材は全て使ってしまっても構いませんよ」
二人に見送られながら、リリーシアは組合へと向かった。
そろそろキャラ紹介ページも更新していきたい次第。
ちなみに初級ポーションについて。
効果が完了するまでに百五十秒前後掛かるのに対してクールタイムは他と共通の六十秒ですが、その効果は二重に作用できません。
前の治癒ポーションの効果が残っているときに新しい治癒ポーションを飲むと、効果時間が重複している間は強い効果を持つポーションの効果が優先的に発揮されます。
ちゃんと効果時間を把握していないと、大幅に損をする可能性があるということですね。




