Area《2-5》
「こんな、状態のいい場所があるものなんですね……」
空き家になっている工房の中を見渡しながら、リリーシアはつぶやいた。
ガルーダ工房が管理している空き工房のリストをもらったリリーシアは、ミコトとゼラとともに街中を歩きまわり、場所の選定をしていた。この工房は、そのうちでリリーシアの希望する条件に符合するものだった。
まず、居住スペースが十分あり、かつ建物が大きすぎないこと。
そして、あまり目立つ場所にないこと。
できるだけ補修のいらない、保存状態のいい物件であること。
もちろん、その全てが都合よく揃わない可能性もあるのでできるだけ希望に近いものを、と考えていたのだが。
「リビング、キッチン、個室が二階三階に三つずつ、それにお風呂もある……炉と作業場は十分な大きさですし、裏には庭まであるなんて……!」
「それで、価格はどのような感じです?」
「ええ、なんと十ヶ月分割可能で四万ブールです! いい感じじゃないですか?」
リリーシアが感激した様子で物件案内の紙を見せると、ミコトは少し呆れ顔になった。
「……あの、リリーシアさんは知っているかわかりませんが、分割可能とはいえ四万ブールをぽんと出せるような人は本当に極少数だと思うのですよ。ミコトたちは二級冒険者ですが、生活しながら二人で月四千ブールを払い続けるというのはかなり無理がある話ですから……」
ゼラも頷いて同意する。
「ミコトの言う通りじゃ。そもそも、わらわとミコトのような一介の冒険者では居住権を得られぬがな。――して、その様子じゃとリリーシア殿は四万ブールなど余裕、といったところなのかえ?」
「いえ、余裕というわけではないですが……今使える資金として五万ブール弱はありますから、大丈夫かと」
「くくく。なるほど、即金で支払ってしまえるというわけじゃな。……ガルーダ工房のような店舗スペースはないが、確かにここは拠点とするには相応しい物件じゃのう。リリーシア殿がここでよければ、今日のうちに契約するとよかろう」
リリーシアはもう一度工房内を見渡して、大きく頷いた。
「――ここに決めました。ガルーダさんにお話して、一括で支払ってしまいましょう!」
一度ガルーダ工房に戻り、四万ブールの代金を千ブール金貨四十枚で支払った。ガルーダの顔はわかりやすく驚いていたが、物件の詳細を見ると、「なるほど、おまえにはちょうど良さそうだな」と納得した顔で頷いていた。
――工房の立地は、王都一般居住区画南東地区。大きすぎず小さすぎない三階建ての古風な建物である。
再びその建物に戻ってきた三人は、真っ先に掃除をすることにした。空き家の間にもおおまかには掃除されていたようだが、屋内の埃っぽさは相当のものであった。
「師匠、ミコトは二階の個室を掃除して来ます」
「わかりました――って、その”師匠”というのは?」
二階に去ろうとしていたミコトを慌てて呼び戻す。
「あ、はい。さっきゼラと話し合いまして」
「うむ、今日から我々は工房の主と職員となる。リリーシア殿は師として相応しい呼び方をしたほうがよいかと思うてな。構わんか?」
師匠。他人から慕われる経験の少ないリリーシアには、それは小恥ずかしいながらもいい響きのように思えた。そういえばガルーダは親方と呼ばれていたようだし、鍛冶屋内には呼び名をつける文化があるのかもしれない。
「私が師たりえる人間なのかは自信はありませんが……。二人で決めたことでしたら、反対はしませんよ。それでは私も、二人をミコト、ゼラと呼ぶことにします」
「ありがとうございます、師匠。では掃除に行ってきますね」
「わらわは外と裏庭の草を処理してこようかのう」
「……では、私は溶鉱炉の点検と、作業場の掃除、ですね」
日常生活において、魔法というのは便利な道具として機能する。多くの冒険者が習得している初級魔術には、『戦闘用には頼りないが、日常生活で使えるととても便利な魔術』という分類のものが数多く存在する。
ライター程度の小さな火を起こす魔術、少量の水を生成する魔術、空気の流れを緩く操作する魔術……現代世界では機械技術で実現していた現象を、この世界では個人のほんのわずかな魔力の消費で発現することができる。
ちなみに、こういった初級魔術は攻撃性が低い代わりに、改変対象の定義が曖昧でも発動するという利点がある。世界を大きく改変しない分、その発動条件も緩いのである。
本当に便利なものだと感心しながら、作業場の気流を操作して埃を一箇所に集め、魔術で生み出した水流で石造りの床を水洗いする。こちらの世界を生きてきたミコトやゼラなら、もっと便利な魔術の利用法を知っているのかもしれない。
掃除があっという間に終わってしまったので、溶鉱炉の点検に取り掛かる。
炉自体は、鍛冶組合に設置されていたものと同じタイプの極めて一般的なものであった。
今すぐにも使用可能な保存状態だが、建材の耐久性にはあまり余裕がなさそうなので早いうちに全て交換してしまったほうがいいかもしれない。建材一つ一つを魔術で強化してから組み上げると、素材本来の三倍以上の強度を発揮するのだ。
「ひとまずは問題なし、という感じで。あと見ておくものは……これは錬金台、ですか。助かりますね」
錬金台とは、瓶立て、乳鉢、混合鍋などの錬金術に必要な道具がひとまとめにされたテーブル状の機材である。ゲーム内で見たものとデザインや配置は異なっているが、広いスペースを利用できる実用的なもののようだ。
荷物の中に詰めていた素材群を、併設された素材棚に移して整理する。全く使っていなかった数十本のポーション類も合わせて並べると、絵に描いたような錬金術士の作業スペースが出来上がった。
「師匠、ニ、三階の個室の掃除が終わりました。……それは、錬金術具? 師匠は鍛冶だけでなく錬金術も修めていたのです?」
「ええ、生産関連の分野は一通り習得しています。いろいろと素材や技術が応用できて効率がいいので、二人にも中級までは習得してもらおうかと思っています」
「それは魅力的です。ミコトは細かい作業のほうが得意なので」
「それならよかった。そういえば、ゼラが裏庭の掃除をしている頃でしょうか。手伝いに行ってみましょう」
裏庭に出てみると、ちょうど掃除が終わるところであった。地面に微かに作用する土属性魔術で、器用に草の束を根本から抜き出しているようだ。魔術は本人の器用さに左右されるところが大きいので、もしかするとゼラも細かい作業に向いているのかもしれない。
「お疲れ様です、ゼラ。草を除けてみると、意外に広い裏庭といった感じですね。軽い手合わせ程度なら問題なくできそうです」
十分な広さがあるので、運動する他にも錬金素材の植物を植えたりもできそうである。
それからしばらく細かい場所の掃除を兼ねて、買うものや作るもののリストを作成していく。
ベッドやタンス程度なら自作できる自信があるし、自分の家具製造技能でどれほどのものが作れるのか確認することもできるのでちょうどいい機会である。応用として、ゲームでは存在しなかった家具の類も作ってみることにする。
――二時間後。思いつく限りの作業を終えてリビングで休憩していたリリーシアのところに、慌てた様子のゼラが駆け込んでくる。
「し、師匠、あの便所の”あれ”は……なんじゃ!? 革命か……!」
その顔は、驚きと気持ちよさを混ぜあわせたような感じである。
「正常に動作したようですね。”あれ”は我が国……ではなく、故郷で一般的な形式の便座ですよ」
リリーシアが真っ先に手を付け、細部にこだわって作り上げた”それ”は、紛うことなき洋式便座であった。
王都ラツェンルールで一般的な便所というのは和式便座のような座り込むものが主流である。地下の下水道につながっているため、微かに異臭がしたりといった欠点も存在した。
そのことに不満を覚えていたリリーシアは、せめて自分の家くらいは快適にしよう、とこの世界の技術も駆使しつつ快適な洋式便座を製造した。
大型の魔力圧縮魔晶石から魔力を供給することで、便座の暖めとウォシュレット、さらに水洗と臭い遮断機能の実装に成功している。ウォシュレットは魔力を通して意思で調整できるので、モデルとなったものより高性能ともいえる。
費用対効果を考えるとあまり褒められた代物ではないが、一度設置してしまえば魔力圧縮魔晶石の魔力は自身の魔力で再充填できるため、長期使用にも堪える最高級の設備である。
「なにより、これを一度知ってしまうと他のものでは満足できなくなるんですよね」
「本当に、師匠は恐ろしい技術と知識を持っておる……。して、このあとの予定はなんであったかの」
「夕食を取りつつ、明日以降の計画を立てること、ですかね」
夕食の買い出しから戻ったミコトがトイレに驚く一幕もはさみつつ、夜は更けていく。
新工房の最初の日は平和に終わったのであった。
▼
(あまり作品の方向性を明示していなかったのですが、基本的には平和な日常を描けると楽しいなあと考えています。そのうち作品の説明も書き換えていこうと思います)




