Area《2-1》
地下の掃討から一週間が経っていた。
本来予定されていた掃討作戦にも、リリーシアは部隊の一つを率いて参加した。
当然ながら敵の首領格は発見されず、地下の各所に残されたモンスター溜まりを掃討するだけの結果に終わった。
どこかに存在するといわれる暗殺組合や盗賊組合も発見できなかったが、巧妙に隠されているのだろうと推測されていたので、落胆は少ない。
ただし、冒険者組合でも把握していなかった深部まで調査を進められ、安全を確認できたという報告は王都の人々を安心させた。王都から少なくない報酬を出して冒険者を雇っただけの価値はあっただろう。
そんなあれこれを思い出しつつ、リリーシアはカウンターに肘をついてため息をついた。
時刻は昼過ぎ。宿屋『ウンディーネの泉』の一階は、昼間はコーヒー(に味が酷似している黒紫色の飲料で、名前は偶然か、カーヒというらしい)を出す喫茶店のような営業をしている。
リリーシアのぼうっとした様子を見ながら、店主はカップを拭きつつ小さく笑った。
「お嬢さんがこの都市に来てから、だいたい一ヶ月になるのかな」
「確かに、そのくらいですね。あったことを思い出す暇もないような密度でした」
「ははは、そうだろうな。……そういえば、『セレネ第二王女は《蒼》のリリーシアと浅からぬ仲にある』って噂を聞いたんだが、本当なのかい?」
その唐突な爆弾に、小さく吹き出してしまう。
「ど、どこからそんな噂を……」
「いや、このあいだ夜の営業の時に少し小耳に挟んでね。なんでも敬語を使わないほどの親密な関係で、結婚も期待されるほど、だとか――」
リリーシアは今度こそ本当にむせてしまった。
「け、けほ、あ、あの……さすがに噂は噂ということで、事実はその半分程度ですよ……」
それを聞いた店主は、むしろ驚いた顔を作った。
「へえ、こんな根も葉もなさそうな噂に一部でも真実があったとはね。王女様とはいつ仲良くなったんだい?」
「ええと、しばらくここにいなかった数日間、実は王城のほうでセレネ王女の警護にあたっていまして」
「ああ、そうだったのか。骸骨兵の大群の襲撃は危ういところで謎の魔術詠唱者に防がれた、と新聞にあったが……それも君だったのかな」
「ええ、まあ……そういうことになるみたいです。それでその噂ですけど、敬語を使わないのはセレネだけで、私は普段通りですので。まさか同性同士で結婚なんて……」
「”セレネ”、ねえ。まったく、お嬢さんにはいろいろと驚かされるねえ……」
しまった、と口を隠すリリーシアを見て、まあ聞かなかったことにしてやろう、と苦笑する店主。
そしてふと『結婚』という言葉に疑問に思って話を聞いてみると、同性同士の結婚というのはラツェンルール(正確にはバツェンブール王国全域)では許されているのだという。
さすがは自由の都市というべきか、この王都には少なくない数の同性婚カップルが存在するそうである。
とはいえ血を残さなければならない王族に同性婚が許されるのかは疑問ではあるが、たぶんこれ以上は気にしないほうがいいのだろう。
しばらく静かにコーヒーを味わっていると、メルランデが隣の席に滑り込んできた。
「メルさん。短剣、いかがでしたか?」
「ああ、外で少し慣らして来たんだけど、とても良かったよ。ありがとね」
そう言ってメルランデが取り出したのは、明るい緋色に染まった比較的幅広の小振りな短剣である。
約束を覚えていたリリーシアは、先日の地下の用事が済んでから早速短剣を打ち、今朝メルランデに渡していたのだった。
魔聖金を七、真白銀を三の割合で混ぜ、そこに聖・火属性の魔力を限界まで流し込んで作られている。
攻撃力等のバフは控えめに抑え、長く使えるよう耐久性と自動修復に重点を置いて強化してある。
そこに、夜道で便利な光系簡易魔法《光球》の魔法を仕込み、意識的にオンオフできる機能も追加した。魔法の発動には所有者の魔力か、柄に仕込んだ棒状魔晶石の魔力かを選ぶことができる。
言うなれば「魔法世界版・懐中電灯」といった風情だ。
「よかったです。攻撃能力の付与は控えめなので、あまり戦闘用としては過信しないでくださいね」
そう言うと、メルランデはなぜか胡散臭そうな目でこちらを見た。
「これで控えめ、ねえ。ここの鍛冶屋にも魔力で強化を施せる者は少なくないが、こんな派手に能力を凝縮した小物を作れる鍛冶屋なんていないってのに。耐久性が上がっているうえに非戦闘時には自動修復されて、ついでに外部魔力供給による《光球》までついてるって、どこ行っても買えるもんじゃないっての」
あまり他の鍛冶屋を覗いたことがないリリーシアは、曖昧に苦笑して流すしかない。
ちなみに、代金としてリリーシアが提示して受け取ったのは1000ブール。
武器の相場などわかるはずもなく組合の装備販売所等を参考にして値段を付けてみたのだが、メルランデには呆れ顔で「ほんとなら家一軒買えそうな短剣だが」と言われてしまった。
リリーシアは日本円にして約100万円という金額にも疑問を持っていたほどだ。短剣一本に対して家が建つ大金をもらうわけにもいかないので、この価格についてはリリーシアが押し通した。
「ところで、あと一ヶ月ほどで新年祭だが、リリーシアはどうするんだい?」
メルランデがふと思い出したように尋ねてくる。新年祭という言葉に聞き覚えはなかったので、
「新年祭……ですか? ……どういうお祭りかお聞きしても?」
そう聞き返すと、メルランデに驚かれてしまった。
「ああ、リリーシアは新年祭のことも知らなかったのか。よほど遠くから来たのかな」
「まあ……田舎者ですので」
こちらに来てから田舎者扱いされてばかりのような……と少し落ち込みつつ、リリーシアが答える。
その名前からすると新年を祝うお祭りなのだろうということは分かるのだが、ぶっちゃけた話、リリーシアには今が一年のうちどのあたりなのかすら分かっていなかったのである。
「じゃあ……お姉さんが説明してあげましょう。少し前に王都が発行したチラシもあることだし」
メルランデが荷物から取り出して差し出したチラシは、新年祭の開催を告知するものであった。
「正式名称、ラツェンルール新年祭。ただし、王都では単に新年祭と呼ばれているわね。
開催は二ヶ月後の追の月、最後の二週間から年明けを挟んで二週間の、計四週間。
期間が長いのは、これは単純に新年を祝うお祭りというだけでなく、周辺各地との交易を祝い、活性化させるお祭りを一緒にするためなの。
期間中は街道中のいたるところに屋台が出たり、遠くの地方からの名産品が買えたりするわ」
その説明を聞きつつ、チラシを読む。
つまり、新年を祝うついでに、年末年始で盛大に交易のお祭りをやってしまおう、と一緒になったのがこの新年祭というイベントらしい。毎年遠くから行商人が集結し、その様子はまさに混沌を体現したものになるらしい。
そして、外からの行商人を含む一般人は届け出をすれば王都内に屋台を構えていいことになっているらしい。その審査と税率もいつもより緩いそうで、普段から賑わっている都がさらに多くの屋台で溢れかえるというのもさもありなんといった感じである。
チラシにはその他に、屋台の大きさの規格や、諸々の事務手続きをする場所などが記されていた。
「なるほど。私は……どうしましょうか。屋台というのも興味はありますが、歩きまわるのも面白そうですね」
「ふうん、武器を作って並べとけば一つ財産が築けると思うんだがねえ。錬金術もやってるらしいじゃない?」
そう言われてリリーシアは、なるほど、と自身の剣に目をやりながら考える。
「お祭りで武器というのは売れるものなのでしょうか? 交易の主品目は特産の食品や素材の類かと思っていましたが」
「確かに主に取引されるのはそっち方面だね。でもこの街には本当に多種多様な人間が集まるものでね、造りのいい武器やポーション類を欲しがる冒険者も少なくないもんさ。そういえば……リリーシアってお金を使う当てはあるのかい?だいたいのことは自分でやってしまうから随分と安上がりな印象があるんだけど」
心底不思議そうに尋ねるメルランデ。
「一応、一つ考えてることがあって……せっかく居住許可を頂いたので、王都内に工房に使える家を建てようかと」
「なるほどね、それも《特級》の権利なんだっけ。って、建てるってことは……」
「ええ、土木建築系の技能も修得してますので」
リリーシアは自身の完全修得していた技能の《土木建築》を思い出しつつ答える。
ファンタジア内での土木建築技能はゲーム内に用意された安全領域に、個人の家やギルド拠点を建築するために使われる生産系技能である。
一軒建てるまでに大量の素材と時間を使う上に、技能を完全修得するまでに必要な軒数がそれなりに多いこともあって、完全修得しているプレイヤーはあまりいなかった記憶がある。
この技能には初級や上級等の区分けはないが、修得経験値が増えるごとに、建築時間短縮や内装のバリエーション増加といった特典がある。金属を精錬する炉を建設するオプションに関しては、経験値が折り返したあたりで修得していたはずだ。
「その若さでってのもなんかおかしい気はするけど、リリーシアに言っても今更かね……」
「いえ、まあ……それに建てるといっても、元から家が建っている土地を買って、改築する予定です。あまり派手にやると目立ってしまいそうですから」
あんたはある方面ではもう十分目立ってるよ、と目線で呆れられて居心地が悪い。多少の自覚はあるのだが、必要なことをやってきた結果なのでこれは仕方がないのだ、と自分に言い聞かせている。
「とりあえず、祭りについては武器と、各種ポーションの販売屋台ということで考えておこうと思います」
チラシによると屋台出店の申請の期限がわりと近かったため、これから役所区画に行って申請してこよう、と考えながらつぶやいた。




