Area《1-31》
その地下深くの広間には、リリーシアだけが残されていた。
玉座の前には、倒れた黒い杖が転がっている。
「生々しい、感覚……」
剣を持つ手に残る、肉を断つ感触。その構成要素のほとんどが魔素でできているモンスターのそれとは違い、初めて斬った生物の感覚は、しばらく忘れられそうになかった。
「……とはいえ。私はやるべきことをやらないといけませんね。何か……情報が見つかればいいのですが」
禍々しい杖を拾い、解析する。どうやらこれは、闇系統の魔術を増幅する機能が備わっている杖のようだ。他には使用者の精神を蝕む類の状態異常を与える呪いが複数かかっている。
特に《終末》と名乗る組織の手掛かりになりそうもなかったため、魔法抵抗力に任せて強引に解呪してから荷物にしまう。
その広間を探索していると、奥に一つの扉を見つけた。
注意しながら扉を開けると、隙間から漏れ出た臭気にリリーシアは鼻をふさぐ。
「……古い、血の臭い。しかしこの臭気の強さは……」
自分の周囲に清浄化の魔法を常駐させてから、部屋に入る。そこは、祭祀場とでも呼ぶべき空間になっていた。
中央に何かを祀るような祭壇があり、その台座には黒く光る水晶球のようなものが備え付けられている。
そして壁には、吊るされた男たちの死体が並べられていた。装備は残っていないが、服装から王城から派遣されていた警備兵だろうと推測する。リリーシアはその悲惨な光景に、口元を覆い、視線を逸らしてしまった。
「……この祭壇は、何をするためのものだったのでしょうか」
祭壇に歩み寄り、その台座の黒い水晶球を解析する。
「強い、魔法的な力を感じる……、そしてこのアイテムの能力は、……解析不能? 私の知識になく、推測もできないような未知のものということですか」
リリーシアの身につけた技能では、あくまでそれまでの経験上知っている知識や、その知識の組み合わせから推測できるもののみが解析できる。全くの未知ということは、ファンタジア内では存在しえない能力を備えた物ということになる。
「防御を無効化する古代魔術が存在していたのですから、手に取るのは危険でしょう。かといって放置していれば、後日辿り着いた冒険者たちが触れてしまいかねない……」
様々な可能性を考慮し、自分の取るべき行動を考える。
「……仕方ありません。リスクはありますが、この場で破壊するのが最良でしょう。――光系詠唱魔術、《十字光剣》!」
空中に現れた十字の光が、黒い水晶球に真上から降り、撃ち込まれる。
水晶球はそれ自体が魔法抵抗力を持っていたが、多少の減衰もしないまま光の剣は吸い込まれ、水晶球は完全に破壊された。
球の中に潜んだ邪悪な魔力が霧散していくのを感じつつ、リリーシアは静かに息をつく。
「これで、私ができることはすべて終わり……でしょうか。あとの捜索は冒険者たちにお任せしましょう」
地下の探索を終え、リリーシアが元の出入り口から地上に戻った時には既に日が昇り、街の喧騒が遠くに聞こえていた。
朝日の眩しさに目を細めつつ、細い路地を縫って宿屋へ戻る。
「おかえり、お嬢さん」
「おはよう、リリーシア。今夜は徹夜だったのかい?」
宿に入ると、カウンターの店主とメルランデが声をかけてくる。
「ええ、おはようございます。まあ、これもお仕事ということで。無事……終わりました」
あくびを漏らしつつ、席について差し出された朝食に手を付ける。こと魔法に関する精神力は人間とは思えないほどに高いのだが、眠気には勝てないものらしい。やはり自分はどこまでいっても人間種という枠から外れることはないのだろう、と少し安心する。
メルランデはその様子を珍しそうに眺めながら、
「あまり長い付き合いってわけでもないが、あんたがそこまで疲れた顔してるのを初めてみたよ。完璧超人ってわけじゃなかったんだね」
「メルさんは私をなんだと思ってるんですか……でも、確かに疲れてるみたいです。この後少し寝てから行動開始、ですね」
ごちそうさま、と店主に声をかけてから自分の部屋に入る。
装備や各種消耗品――思い返すと、結局ポーション類は一本も使っていなかった――の入った荷物を下ろすと、物理的にも精神的にも、肩の荷が降りたという安心感が眠気となって襲ってきた。
雑に服を脱ぎ捨て、リリーシアは下着のままベッドに潜り込んだ。
昼過ぎに起きたリリーシアは、王城のセレネの居室前にいた。部外者が王城に入れるか少し不安だったのだが、門兵を初めとしてすれ違う兵士は全員彼女を歓迎してくれていて、顔パス同然でここまで通されたのである。
ドアをノックしてから、
「リリーシア・ピルグリムです」
「……入りなさい」
豪奢なドアを開けて、中に入る。部屋には、上品な微笑を浮かべたセレネが立っていた。
「お久しぶり……でもないわね、リリーシア。来てくれて嬉しいわ。とりあえず掛けてちょうだい?」
「ええ、数日振りですね、セレネ」
リリーシアが掛けると、いつものように二人分の紅茶を淹れてテーブルに置くセレネ。
「ただ会いに来てくれたというのだけでも嬉しいのだけれど……何かあったのかしら?」
カップを傾けながら、セレネが尋ねる。
リリーシアはどう切り出そうかと考えてから、もう正直に全て話せばいいではないか、と思い直す。
「……はい。結論からいうと、昨日深夜、地下下水道にてニグル・ヘルヘイムを討ちましたので、その報告にと」
その言葉を聞いたセレネは、理解できない様子でたっぷり数秒ぽかんとしてしまった。
「ニグル・ヘルヘイムを……? 昨日? 掃討作戦は1週間後ということではなかったの?」
混乱している様子で聞くセレネに、落ち着くよう手振りで示しつつ口を開く。
「順に説明しますね。……城から帰ったあと、考えまして。敵の脅威を考えたとき、このまま一週間も手をこまねいていていいのか……、と」
ぞれからの経緯を、セレネの質問をはさみつつ説明するリリーシア。ニグル・ヘルヘイムの遺物である黒い二匹の蛇を象った杖も証拠として渡す。
「……というわけで、もうあの地下下水道には大きな危険はないと思われます。もちろん、地下に存在するという暗殺者や盗賊の組合については私は把握していませんが」
「……そんなことがあったのね。リリーシア……怪我はなかった?」
「大丈夫です、セレネ」
涼しい顔で答えたリリーシアを、今まで見た中で最大級の訝しそうな顔で見つめるセレネ。
「はあ……貴女が嘘ついてる時、なんとなくわかるようになってきたわ。荷物から鎧を出してみなさい」
これも十二日間の付き合いのなせる業だろうか。
少し苦々しい表情で、リリーシアは鎧を取り出す。修復はしていなかったので、まだあの古代魔法で貫通した穴が開いたままである。
「まったく、セレネには敵いません」
「……! それ、貫通してるじゃない! 身体は大丈夫なの!?」
身を乗り出して詰め寄るセレネに、苦笑いで答える。
「これは敵の魔術によるものです。貫通されましたが、私自身の負傷は魔法で回復できる程度でしたので、問題ありません」
「……そう、それならよかった」
それから細かい質問をして落ち着いたセレネは、姿勢を正してリリーシアに向き直り、深く頭を下げた。
「今回のこと、本当にありがとう。私のためにここまでしてくれたこと――感謝してもしきれません」
顔を上げたセレネは、少し心配そうな顔だった。
「でも……貴女が一人でいろいろと背負いこんでいる姿を思うと、私は心配してしまうのです」
「セレネ……」
「リリーシア、貴女は確かに類稀な力を持っています。でも、貴女は一人の人間なのです。背負い込みすぎていたら、いつか……壊れてしまうかもしれません」
「……はい」
「無理だけは、しないでくださいね」
その言葉に、しっかりと頷く。
セレネを心配させるようなことは極力控えるようにしよう、と心に刻みつつ。
帰り際、準備等もあるので旅に出るのはしばらく先にする予定だと話すと、セレネはとても喜んでくれた。
本当のところは、時々この笑顔を見たいがために長居をしているだけのような気もしている。
門から出たところで、両手を組んで大きく空へ伸ばす。
見上げた空は、彼女の気持ちを表すような快晴であった。
エリア1はひとまずここで区切りとなります。
青空を見上げるとED曲よりOP曲が流れてきそうな感じがしてきますね……!




