Area《1-23》
「これで……契約は終了。お別れなのね、リリーシア」
満了の旨を示す書類にサインをしながら、セレネはつぶやいた。
満月の夜を過ぎた日の昼間。場所はセレネの居室である。リリーシアの荷物はもうまとめてある(といってもほとんど着の身着のままではあるが)。
「私とセレネでは身分が大きく違いますが……またお会いできることを楽しみにしていますよ」
思えば、この12日間で本当に親しくなったものだ。リリーシアもしみじみと返す。
「私、貴女と知り合うことができて、本当によかったわ。貴女は本当に強くて……ううん、そんなことじゃなくて。私の、初めての友達だから」
「……ありがとうございます」
サインを書き、判を押した書類に目をおろして、セレネは口を開いた。
「我が国の騎士隊に推薦するという父の話は……」
「……ええ、辞退させいただきました。私は……まだこの世界のことをまるで知らないものですから。地下下水道掃討作戦に加わって、その後は旅をする予定です」
地下下水道の調査・掃討は、一般の参加者も冒険者組合経由で募ってから一週間後に行うことになったそうだ。リリーシアもこの後組合に行って志願するつもりであった。
「そう……。わかった。貴女が強く決めたことを絶対に譲らないのは、この12日間で私も知っているもの」
「それにしては、セレネは多くの”ワガママ”を私に通したものだと思いますが」
そう返すと、セレネはおかしそうに笑ってから書類をリリーシアに渡し、椅子から立ち上がってリリーシアの前に立つ。
「リリーシア――また、私を守りに来てくれますか」
「ええ、セレネ。いつかまた……必ず」
別れの抱擁は、とても優しく感じられた。
依頼が満了したら組合に来てくれ、と連絡を受けていたリリーシアは冒険者組合に来ていた。
以前訪れたときよりも、自身の装備は見違えるほど更新されている。
王城で使っていた服と装備を報酬のひとつとして譲り受けたのだが、そのままでは王城の騎士隊と間違われるということで、大幅な改修が加えられている。ところどころに金属のパーツや布を足したりして、元の白く高貴な印象は損なわれないまま、別物として認識できる風貌にしてもらったのである。ヘルムは視界が悪くなるため辞退し、蒼色の髪を完全に外に晒す格好である。
「セレネからも、慣れたほうがいいって言われたし、ね」
組合の扉を開ける。中は相変わらず人間や亜人種で溢れ、奥の受付が見えないほどの混雑ぶりだ。
また人の海をかき分けなければならないのか……とリリーシアが踏み出すと、その先からざわつきとともに少しずつ人垣が割れていく。
「……なんでしょう。自分がちらちらと見られているような気がしますが、たぶん自意識過剰というやつでしょう」
なんとなく居心地の悪さを感じつつ受付の前に出る。
「すみません、リリーシアという者なんですが、組合長に」
「はい! リリーシア様ですね、組合長は奥でお待ちです、こちらへどうぞ!」
こちらの言葉をさえぎるような勢いで係員が立ち上がる。緊張しているような感じもするが、なんなのだろうか……。
「リリーシア様がいらっしゃいました」
「入ってくれ」
場所は以前組合長やセレネと知り合った会議室だ。中からの返事を受けて扉を開けると、今回は組合長が一人で座っていた。
「掛けてくれ、リリーシア殿。いくつか話がある」
頷いて荷物を置き、椅子に腰掛ける。
「まずは、今回の依頼についてだが――本当によくやってくれた。感謝の言葉もない」
そう言って、組合長は深く頭を下げた。額の一本角がテーブルに刺さってしまいそうな角度である。
「ありがとうございます。まさか、あれほど大事になるとは私も予想外でしたが」
2万の骸骨兵とニグル・ヘルヘイムのことを思い出しつつ、しみじみとつぶやく。
「ああ。映像記録も含めた報告を受け取っている。おそらく地下下水道から何らかの手段で地表へ持ってきたのだろうが、あれほどの物量を用意していたとはな……。あれが街へも無差別に放たれていたらどうなっていたかと思うと悪寒がするな」
「狙いは完全にセレネ……王女殿下だけだったようですので、今回は事なきを得たということでしょう」
「次の襲撃を防止すべく地下下水道掃討作戦が組織されていることは聞いていると思うが、その話は後にしよう。ところで、今回の依頼の成功で、リリーシア・ピルグリムは《特級》の冒険者に指定されることとなった」
「特級……ですか?」
以前説明を見た時には5-1級で区分されていると書いてあったはずだが、と思い出しながらリリーシアが聞くと、
「王国にとって、特に困難な偉業を成し遂げた人物にのみ与えられる称号だ。儂がこの役職に就いてから80年近く経つが、君で2人目になるな」
80年勤めているとなると、この一本角の組合長はいったい何歳なのだろうか、と一瞬だけ気を逸らしそうになったがなんとか集中を保つ。
「……ありがとうございます」
「《特級》の冒険者には、この国では1級冒険者以上に大きな権利が認められている。大きなものではこの王都ラツェンルールへの居住権と、公式な称号の授与になる」
聞くと、国民でない者が王都への居住権を得るというのは非常に難しいことらしい。たしかに、素性のわからない冒険者に与える権利としてはかなり大きなものだ。
「それで、称号というと……?」
「うむ、偉業を称えるという意味も含めて、王家から称号を授与されるのだ。そして、君の場合は既に授与の証書がバツェンブール王家より届いている」
そう言って、巻物を差し出す組合長。上質な羊皮紙を使い、王家の封蝋が押されている。
受け取って封を開くと、そこには――
親愛なるリリーシア・ピルグリムへ。
今回の偉業を称え、貴女へ《蒼》の称号を授けます。
――セレネ・バツェンブール
優雅な筆跡で、そう記されていた。
長くなったため、1-24に分割しています。




