Area《1-15》
次の日の朝、リリーシアはどろりとした意識で目を覚ました。
昨夜、メルに付き合わされて遅くまで酒を飲んでいたはずなのだが、そこでの記憶がほとんど残っていないし、自分がどうやって自室のベッドに戻ったのかすら不明である。自分が醜態を晒していなければいいが、と考えながら、状態異常回復の魔法を練り上げた。
頭から頭痛や倦怠感が薄れていく。なんとなく上位の状態異常回復魔法を発動してみたが、二日酔い等の気分の悪さも状態異常扱いだったらしい。もしかしたら風邪や病気などにも効果があるのかもしれない。
今日は……確か冒険者組合に行く予定にしていたはずだ。どのような手続きが必要なのかわからないが、冒険者として登録できれば生活費も稼ぎやすくなるだろう。
ぼんやりと考えながら、濡らした布で体を拭く。最初のうちは自分の身体でありながら他人の身体を動かしているような感覚だったのだが、だいぶこの身体にも慣れてきたような気がする。
着替えを終え、食堂で朝食をとってから外へ出る。時刻は午前7時で、多少肌寒い。悠の月というのが1年のうちのどこにあたるのかわからないが、体感としては秋ごろのような感覚である。
「空気が澄んでいて、空が綺麗……ここでは大気汚染とか、公害なんてものとは無縁なのでしょうね」
現実において、そもそも全く外に出ない生活をしていたリリーシアには実感は薄いが、住んでいた都市では毎日のように光化学スモッグ警報が出され、マスクなしには外出できない状態であった。それを思うと、この世界のなんと美しいことか。
「こんなに美しい世界なら、俺もひきこもりなんかには……おっと」
いつのまにか昔を思い出して地が出てしまったらしい。苦笑いしながらフードをかぶり直す。
早朝の街の様子を楽しみながら歩いていると、記憶通り大通りに面した冒険者組合が見えてくる。ゲームで培った記憶力は案外役に立っているようだ。
建物は赤黒いレンガで造られているようで、その大きさも相まって非常に重厚感がある。
まだ早い時間にもかかわらず、組合の建物には多くの人間が出入りしていた。人種は様々だが、一様に武器や防具を装備しているところを見ると、仕事を探しに来た冒険者といったところだろうか。
その集団に混ざって組合の扉を開ける。
中に入ると、そこには混沌が広がっていた。
中の構造は役所を大きくしたような印象で、手前に広い空間が広がっていて、その奥に各種受付を設置して職員が対応している。
ただ、その広間には大量の冒険者が行き交い、活気があるというのが生易しい表現に思えるような状況である。
人の間を縫って、リリーシアは登録者の受付にたどり着いた。
「ええと、冒険者の登録をしたいんですが」
そう言うと、担当者は笑顔で紙とペンを差し出した。書けるところをできるだけ埋めてくれ、ということだそうだ。
一緒に渡された規約書を読むと、
・この冒険者組合は国の管理下であり、他の国の冒険者組合とは別物である。冒険者という身分も同様に国単位で別者で、規約も変わってくる。
・この国の国民でなくてもバツェンブール国冒険者資格を取得可能である。
・冒険者資格を持つ者は、冒険者組合の全ての施設を等しく利用可能である。
・冒険者は、依頼の達成状況等に応じて、6級から1級までの階級でわけられている。
などが書かれていた。全体を流し見した限りでは、この組織は国の運営ではあるのだが、その身を縛り付けるようなことはしない方針らしい。
そしてその登録に使う紙を見て、リリーシアは現実世界の履歴書を思い出していた。――リリーシアには履歴書を書いた経験はなかったが。
基本情報を書き込み、紙の最後に規約に同意する旨をサインして、リリーシアは受付に紙を提出した。
「ありがとうございます、お名前は……リリーシア・ピルグリムさん、と。……ん? しょ、少々お待ち下さい」
履歴書を読んでいた担当者がそう断って奥に入っていってしまう。
何か不味いことでも書いてしまっただろうか……とリリーシアが困惑していると、数分して担当者が戻ってくる。
「ええ、と……手続きの途中で申し訳ないのですが、当組合の長がリリーシアさんに会いたいと言っているのですが……お時間大丈夫ですか?」
「へ? え、ええ、私は大丈夫ですが」
この世界の常識がわかっていないためあまり確証は持てないが、この都市に入ってから問題は起こしていないはずである。
何も問題はない、自信を持てリリーシア、と自身に言い聞かせて担当者に案内されて奥へ入っていく。
通されたのは、会議室と思われる一室であった。そこには既に、二人の人間が座っていた。
一人は、長い白髪と同色の髭をたくわえた老人。額の中央に一本の短い角が備わっている。眼光は鋭く、その姿は歴戦の兵士を思わせる。
もう一人は、金の髪の美しい女性。ダリア村のアリアの金髪よりも、さらに艶があり、輝きの強い金の髪である。顔立ちは整っており、こちらを見て優しく微笑んでいる。
白髪の老人が口を開く。
「よく来てくれた。儂はこの冒険者組合長のゴルド・マックナーク。定期興行、見ておったよ。素晴らしかった」
それに続いて、金髪の女性が挨拶をする。
「私はバツェンブール第二王女、セレネ・バツェンブールです。お会いできて光栄ですわ、リリーシア様」
王女。王女というと、王位継承権を持つという意味のあの王女でいいのだろうか。組合長に加えて、この国の最重要人物の一人が首を揃えて何の用だというのだろうか。
事情が全くわからず混乱しているリリーシアは、担当者に勧められた椅子にひとまず座ることにする。
「あの……正直どのような用事で呼ばれたのか全く検討がついていないのですが」
訳がわからないので、もう開き直って正直に聞いてみることにした。
「うむ、こちらとしても突然すまないと思っている。いろいろ疑問はあるだろうが、要件を儂から伝えようと思う」
「よろしくお願いします」
二人からは敵意は感じられない。どうやら国を挙げてのお叱りというわけではないらしい。安心したリリーシアは、腰を落ち着けて話を待った。
「まずは、この都市の問題から説明せねばならん。この都市――いや、この国は、昔から大きな問題を抱えている。外見ではそうとは見えないが、暗部にはびこる闇は、あまりに根深い」
「大きな問題……ですか」
「ああ。それは主に、地下下水道に潜んでおる。盗賊組合・暗殺組合からなるならず者の集団、そしてそれらに属しないが、この国に不利益をもたらす者たち。奴らの暗躍には冒険者組合も長い年月手を焼いているのだ」
この都市には大昔の遺産らしい下水道が通っていることは聞いていたが、裏社会の人間が組織だって潜伏できるほどの空間が存在することは初耳だった。
今までも巌しい顔で話していたゴルドだったが、その顔をさらに苦々しくし、言葉を続けた。
「……つい先日、定期的に下水道の浅い回廊を巡回していた兵士が巡回から戻ってこない事件があった。そして昨日、その兵士の生首と一緒に、王城に一通の手紙が届いた」
眉をひそめるリリーシア。
「内容はこうだ。『次の満月の夜、セレネ第二王女殿下を迎えに参上する』と。……手紙は兵士の血で書かれていた」
「……次の満月は、何日後なのですか」
「12日後だ。そこでリリーシア殿に頼みたいことというのが、」
そのゴルドの言葉を遮るようにセレネが勢い良く立ち上がり、リリーシアに頭を下げる。
「私の、護衛をお願いしたいのです!」




