Area《1-14》
『《蒼》のリリーシア、定期闘技興行完勝』
闘技場からの帰りの彼女は、そう大見出しに書かれた号外を渋い顔で読んでいた。記事では彼女の試合の戦いぶりについて詳細に(かつかなり膨らませて)語られ、最終試合では、悪の魔王を氷神の如き冷徹さで完璧に打ち倒した、などというふうに書かれている。加えて、その紙面には表彰の時の写真までつけられていた。
ちなみに号外の印刷された媒体は紙。完全な白ではないが、薄い茶色や灰色の混ざった白黒印刷のチラシといった風情である。魔法の存在するこの世界の文明がどのような変遷を経ているのかわからないが、少なくとも製紙技術はかなり高い水準にあるらしい。そういえば、数日おきに発行されているらしい新聞が宿のカウンターに置いてあったような記憶がある。
写真はどうやって撮ったのだろうか。カメラが存在するのか、もしくはそれに相当する魔術具があるのかもしれない。
……そんなことを現実逃避気味に考えていると、隣のメルが苦笑いで声をかけてくる。
「それにしてもすごい盛られようね。ま、私も今まで見た中で五指に入る完全勝利だったのは認めるけど」
「そんな、他人事みたいに……」
はあ…と深い溜息をついてフードを目深にかぶり直す。記事の写真は白黒だったが観客たちにはしっかりと見られていたし、明日の朝にはどんな噂が広まっているかわかったものではない。
「私にゃ他人事だしねー。あ、でも他人事でもないかな?」
そう言ってメルが自身のバッグを叩くと、ジャリジャリと硬貨の擦れる音が聞こえる。
「……そのお金、もしかして」
「その通り、今日はリリーシアにがっつり一点賭けしてたのさ! いやー勝ってくれて良かった! めでたい!」
そう完全に開き直られると、リリーシアにはもう突っ込む気力も湧いてこない。
がっくりと肩を落としていると、メルが笑いを収めてつぶやく。
「でも、決勝戦は本当に棄権して欲しいと思っていたんだよ。お嬢さんがあそこまで強いとは知らなかったからね」
しみじみと遠くに目をやるメルランデは、試合の光景を思い返していたのだろうか。
リリーシアも同じように空を見上げ、
「これで私も当面の資金は手に入りましたし。メルさんの懐も暖まったんですから、もういいんじゃないですか? その話は」
努めて明るくリリーシアが言うと、メルもほっと安心した様子だった。
「リリーシア、優勝おめでとう」
ウンディーネの泉に戻ると、カウンターの店主が真っ先に祝いの言葉をかけてくれる。
宿の受付兼食堂は、完全に酒場の様相を呈していた。ゆっくり時間をかけて帰ってきたので、一階は既に酒場としての営業時間に入っていたのだろう。それにしてもこの騒ぎは、昼の営業時間からは想像もできない喧騒具合だ。
テーブル席で酒を飲んでいた一般客や冒険者連中も、次々とリリーシアに寄ってきて、赤ら顔で祝福してくれる。
「会場で見てたよ! いやあすごかったな」「朝ここで見かけた時にはあれほどの使い手とはわからなかったぜ」「フリーだったらうちのパーティに来てくれよ!」「馬鹿、これほどの人がフリーなわけねえだろうが」「俺を弟子にしてくれ!」「結婚してくだすぎゅべっ」
最後に何かを口走った男が誰かに潰されたのは気のせいにしておこう。
冒険者の群れから抜け出し、カウンター席のメルの隣に座ると、店主がそっと赤い液体の入ったコップを置いてくれる。
「もし酒がダメだったら言ってくれ。それとまあ、今日出してる酒は俺のおごりだ。あいつらのも含めてな」
「……いいんですか?」
わいわいとしながら酒を急速に消費していく彼らを見ながら、少し心配そうに尋ねる。
「めでたいときに気前よく放出するために貯金はしておくものだ。いわばこれは俺の趣味、ってことだ」
「普段の店内を見ていると、あまりお祭り騒ぎが好きそうにはみえませんでしたが」
「いやいや、昼はあれでいいと思っているけど、夜はいつもそれなりに騒がしい空間なのだよ、ここは。どちらも私の好きな時間だよ」
照れくさそうに応えて、コップを拭きに戻る店主。
ちびちびと赤い酒――中身は魔法世界的なものではなく、普通のワインだった――を飲んでいると、先にコップを傾けていたメルが小声で問う。
「で、結局いくらもらったんだっけ?」
「え、優勝賞金のことですか? 確か……1万ブール丁度だったと思います」
そう聞いたメルの目はたかってやろうとかいうものではなかったため、小声で正直に答える。定期興行の賞金は時期によってまちまちで、参加者数や景気にも左右される。今回は比較的多いほうだ、というのは賞金の袋を渡してくれた係員の言葉だ。
そして、1万ブールとは、つまり1000万カブールである。日本とは物価が大きく異なるために単純計算はできないが、日本円にして1000万円というのはなかなかに大きな額のように聞こえる。
「ふむ、確かに話通り、一般人なら半年遊んで暮らしても十二分ってわけだ……あくまで一般人なら、だけど」
「一般人なら、というのは?」
「まず、リリーシアは一応冒険者じゃん? そして、お嬢さんはつい最近田舎から出てきたばかりで、マトモな鎧も武器も買わなきゃならない。その他の冒険に必要な消耗品も揃えて……となると、その優勝賞金、ぶっちゃけいつまで持つかわかんないよ?」
メルは愉快そうにしているが、茶化している雰囲気はない。ということは、その言葉はほぼそのまま信用できると思われる。
「冒険者って……お金がかかるんですね」
しみじみと漏らしたリリーシアに、よっぱらったメルはからからと笑う。
その様子を見て微笑んでいた店主が、茹でた腸詰め肉の乗った皿を差し出しながら口を開く。
「その代わり、リターンも大きいのさ。それが冒険者という職業だからね」
その言葉を聞きながら、リリーシアは自分の中で、冒険者というものに対する期待が徐々に膨らんでいるのを感じた。
明日は、冒険者組合に顔を出してみようかな。
ほどよく酒に酔った頭で、ぼんやりと考えた。




