Area《1-11》
剣を振るうリリーシアの調子は非常に良かった。
対戦者が見せる動きの兆候、視線の向き、重心のぶれから次の攻撃が予測され、完璧に回避することができているのである。
実際には、これはリリーシアが試合前に交換しておいたサブ技能《見切り》《軽業》の2つが大きく働いているのだが、それ以上に、その情報を瞬時に処理し、行動に反映させるだけの集中力が、今日の彼女にはあった。
この日、リリーシアが装備した技能は、
・メイン技能:《最上級聖騎士:水》
・サブ技能:《見切り》《軽業》《致命回避》《自然回復力上昇》《手加減》
という構成になっている。
《見切り》・《軽業》は相手の行動を見切って、確実に回避するための組み合わせとしてファンタジア内でも鉄板とされてきた技能構成である。彼女は修得していないが、忍者系技能は見切りと軽業を内包していたりもする。
その他のスキルは読んで字のごとく、相手や自分の致命打を避ける技能である。意識できる範囲では自分で調整できるが、とっさの時にその調整ができるとも限らない。たとえ勝っても相手に大怪我を負わせては寝起きが悪いリリーシアは、最後のセーフティラインを技能に任せることにした。
控室で闘技場の歓声を聞きつつ、リリーシアは技能について思考を深く潜らせていた。
今日の構成はこれでいい。途中で変えないのが公平だろう、と自分自身で決めていた。
問題は、この世界に技能が存在するのか、ということだ。
ここまで、街でも、宿屋でも、この闘技場でも技能という単語を耳にしてはいない。しかし、それだけで技能が存在しないと考えるのは早計だろう。その考えに至ったリリーシアは、本当なら控室の参加者に聞いてみたいところなのだが、控室の空気は殺伐としていて他の人間に声を掛けるのもはばかられるような空間なのである。あとで冒険者組合にでも行って、冒険者か、相談所にでも聞いてみるのが早いのだろうか。
その後の試合にも全く魔法を使わず勝利し、リリーシアは準決勝に進んでいた。
『さあ準決勝第一試合、そのフードの下にまだ隠し玉を持っているのか――剣士リリーシア・ピルグリム!』
確かに隠し事ではあるのだが、フードの下から秘密兵器が出てきたりはしない。少し首をかしげながら、リリーシアは小さく会釈をした。
『そして対するは言わずと知れた《毒の芸術家》――ベアティグリ・ミミグリ!』
そう呼ばれた対面の痩身の男が、細い腕を上げて応える。濃い紫系の髪をした目の細い二枚目といった風貌で、腰には細剣を左右に差している。
毒――それは吸引させたり、血液に混入させたりして対象を状態異常に陥れるものの総称である。
天然物では、茸類は食べると強力な状態異常を引き起こすものが少なくないし、唾液が毒になっていて捕食に利用している生物も多い。
そして、人間によってそれらの成分を抜き取って調合されたり、錬金術で錬成されたりして出来た毒物は、基礎能力値が低いものには抵抗が難しく、厄介で凶悪な得物となる。
この闘技場では毒物の使用は解禁されている。
客席には専用の魔術詠唱者が結界を張って、被害が広がらないようにしているらしい。
目の前の相手が使うのはどの種の毒なのか、そしてどのような手段で仕掛けてくるのか。
そこまで考えた時、開始のカウントが開始される。
『――始め!』
その瞬間、ベアティグリの腕が振るわれ、小振りな瓶が4つ投擲される。
液体の入った瓶は地面に到達する前に割れ、そこから白い煙が急速に膨らんでいく!
「――爆薬と毒薬を合成したのですね!」
さながら煙玉といったところか。ファンタジア内では実装されていなかった方法に驚くリリーシア。その煙に触れないよう後ろに跳んで距離を取る。
毒の厄介なところは、液体でも気体でも、その効果が見た目から判別できないところだ。
ただし、遅効性の毒では短い時間の試合では効果が薄いため(ファンタジア内では即死するような毒は見つかっていない)、麻痺か睡眠あたりなのではないかと当たりをつける。
しかし、この毒煙の狙いは、毒の拡散に留まるものではなかった。
(これは……煙幕!)
リリーシアがその真の目的に気付いた時には既に遅く、ベアティグリがリリーシアの真横、右側面から細剣を抜き放ち飛び出してくる!
今まで見た参加者の中で最も速い細剣の刺突に、リリーシアは寸前で剣を滑りこませ、弾くことに成功する。
高く響く金属音。
弾かれたことにも表情を変えず、一瞬でベアティグリが飛び込み、キスのできそうなほどに顔を接近させ――
「――っ!」
直感に従って頭を横に振るリリーシア。先程まで頭があった場所を、ベアティグリが口から吐き出した極小の針が貫いていった。
そのまま身体を流れさせ、側転に近い動きで距離を取り直す。
再び対峙したベアティグリの顔には、素直な驚きがあった。
「最初の奴は煙幕で眠り、その後二人は刺突、前の試合は口毒針で麻痺らせたんだが、あんたの速さには勝てる気がしないな。わかった、降参だ」
構えを解いて、両手をヒラヒラと振るベアティグリ。
それを見た審判が、試合終了の鐘を鳴らす。観衆の声援が謎の新参者たるリリーシアに注がれている。
「……いいのですか? まだ一度剣を打ち合っただけですが」
ベアティグリの刺突は間違いなく本物だった。それを不審に思ったリリーシアが問うと、
「いやいや、俺は怪我しにきたわけじゃないんでね。敵わない相手にはやられないうちに降参しとくもんさ。俺はミミグリ錬金術具店の宣伝をしにきただけだからな」
リリーシアの疑問に、ベアティグリ・ミミグリはマントを脱いで、背中側を彼女に見せる。そこには、『麻痺も眠りもおまかせあれ、冒険の前にはミミグリ錬金術具店へ!』と染め上げてある。
声も出ないリリーシアに、ベアティグリは片手を振って、マントをはばたかせながら入場口へ戻っていった。




