Area《4-15》
バツェンブールの首都ラツェンルールに戻ってきてから一週間ほどが経った。
セレネとコルウェはバレンスでの後調整に追われているのか、王城に詰めている事が多いようだ。
ゼラとミコトは旅の前と同じように、鍛冶や錬金術の修練に励んでいる。
そしてリリーシアはといえば――
「どうですか? ラツェンルールの街は」
「……すごく、きれい。それに、みんな明るい顔、してる」
リリーシアが手をつなぐのはアマレ。ラツェンルールに戻ってからリリーシアたちも忙しくしていたため、アマレにようやく街の案内をしていたのであった。
「そうですね。バレンスも活気はありましたが、いつもどことなく暗いものを感じていましたし……」
「……わたしは、あっちのことはあまり覚えていないけど……ここは、いいところだと、思う」
「ええ。いいところです、ここは」
リリーシアは答えつつ、アマレの手をしっかりとつなぎ直す。
あまりバレンス国での生活をアマレから聞いたわけではないのだが、アマレはあまりあちらでのことを覚えていないようであった。
呪いの影響なのか、精神的に思い出したくない状態になっているのかはわからない。
とはいえ、あまり思い出したくないことも多いだろう。今アマレの心が安定しているのであれば、そのことを気にかける必要はないとリリーシアは考えていた。
「お昼時ですし、どこか店に――ああ、このあたりに、確か」
ある店を思い出したリリーシアは角を二、三曲がる。そこに現れたのは――
「……人、魚?」
「はい、《ウンディーネの泉》という宿屋です。ご飯が美味しい良いお店です」
アマレが見つけたのは宿屋にかかった人魚の絵を象った看板であった。
リリーシアが勝手知ったるといった足取りでアマレを連れて扉をくぐる。
「いらっしゃい――おや、きみは」
カウンターでグラスを磨いていた店主が驚いた様子でリリーシアに話しかける。自身の工房を持ってから全く顔を見せていなかったので、もう一年以上顔を見せていないことになる。
「お久しぶりです、マスター。ランチ、まだいただけますか?」
「ああ、ゆっくりしていってくれ、《蒼》のお嬢さん。テーブルはまだ客でいっぱいでな……お二人さん、カウンターでもいいかな。昼食を用意させる間に話を聞かせてくれないか」
「ええ、もちろん」
案内されるままにカウンターの席に着く。カウンターの椅子はアマレには高かったようなので、軽く持ち上げて椅子にのせてやる。
確かに店内のテーブル席は大入りの満員であった。まあ宿屋の一階のスペースというそれほど広くはないスペースではあるが、ウンディーネの泉の昼営業は順調なようであった。
「しかし久しぶりだね、リリーシア。噂は聞いてるよ。いろいろ聞きたいことはあるんだが――……その子はいったいどうしたんだい?」
店主と目線が合ったアマレが目を伏せる。店主の口調や物腰は優しいのだが、いかんせんダンディというジャンルに区分けされるタイプの中年男性に見られるととっさに避けてしまうようだ。
「あ、はい。この娘はアマレ=イルエスト。そのー……いろいろありまして、私が保護者になりました」
「保護者……なるほど……?」
マスターは少し首をひねったが、リリーシアのあまり触れてほしくなさそうな気配を察してうなずく。
やはり宿屋の店主兼バーのマスターともなると気配りはお手の物である。
「よろしく、アマレさん。私はこの店の主です。マスターとでも呼んでもらえると嬉しいな」
「……よろ、しく。アマレ、です。……マスターさん」
「うん、黒髪の美しいお嬢さんだ、よろしく。……女性に年齢を尋ねるのは失礼かもしれないが……おいくつかな?」
「…………、十四、歳。……たぶん」
リリーシアは驚きが顔に出ないようにしなければならなかった。
アマレの年齢はリリーシアも聞いていなかったのだが、最初の印象や発育度合い、身長などからずっと十歳あたりかと思っていたのであった。
多重に掛けられていた呪いや普段の扱いのせいでろくに栄養を摂れなかったのだろう。
これからはしっかり食べて、しっかり成長してもらおう。そう心に決めたリリーシアであった。
そのタイミングで、店員の男性が二人分のプレートを運んでくる。
パンと卵料理、肉料理を主に瑞々しい野菜もしっかり盛られた彩ゆたかなランチプレートである。
さっそく食べ始め、目を輝かせるアマレとリリーシア。はたから見ているとこのあたりの所作はとても良く似ている、とマスターは眺めつつ思う。
「そうかそうか、じゃあ学校に入ってもいい歳だね。リリーシア、中等部に入れてあげるのかい?」
聞き慣れない言葉に不思議な顔をするアマレ。
「えっと、そのあたりを近々アマレに話そうかと思ってたんですよね……。こちらに帰ってきてからあまり時間が取れなかったもので。その……たぶん私よりマスターのほうが詳しいと思いますので、よかったらアマレに学校がどういうところか説明していただいてもいいですか?」
「ふむ、そういうことであれば喜んで。アマレさん、学校というのは、生きていく上で必要な知識を学ぶ場所のことだよ。常識、学問、武術、魔法……などなど。同年代の子供達が集まって、切磋琢磨したり、仲良くつるんだり……私は冒険者時代の仲間とは学校で意気投合したのさ」
アマレは初めはどういう場所か想像するのが難しかったようだが、話を聞くうちに興味津々といった様子になっていた。
「中等部っていうのは、ここラツェンルール唯一にして国一番の学校、国立レルヘン学園の区分けの一つ。だいたい十二から十五歳の子たちが入る四年制の学部になる。その先は高等部だ」
リリーシアが、質問、と小さく手を上げる。
「入学するときの年齢って決まりはないんですか? 意外とまちまちなんですね」
「そうだね。レルヘンでは専門性の高い専攻に分かれているから、途中の学年から編入させるよりは年齢がバラけていても学業の進行度を揃えたいという理由だったかな」
「なるほど……アマレは、なにか質問はありますか?」
「えっと、……わたしくらいの子が、いっぱい、いるの?」
「ああ、そうだとも。あまり最近のことは知らないけど、だいたい一学年に三百人くらいはいるんじゃないかな。ラツェンルールの住人だけじゃなく、他所の街や村からもたくさん来ているからね」
「そん、なに……!」
アマレの目が輝く。今まで同年代の知り合いが一人もいなかった彼女には、魅力的に映ったようである。
過去のこともあるので人と関わるのがこわいのではないだろうかとリリーシアは危惧していたのだが、リリーシアたちと関わるうちにだんだんと心を開いていったようで、今では外界への興味がかなり大きくなっていたのであった。
「アマレさん、レルヘンに行ってみたいかい?」
「……はい!」
アマレは大きくうなずいた。
「……だそうだよ、リリーシア。通わせてやってもいいんじゃないかな」
「ええ、そうですね。私も賛成です。アマレがこれからやりたいことが見つかる助けになればいいな、と」
リリーシアが答えると、アマレが隣の席から抱きついてくる。
「……ありがとう、ママ!」
この宿屋で知らない者はほとんどいない特級冒険者リリーシアがママと呼ばれたことに、聞き耳を立てていた客たちがしずかにどよめいたのはまた別の話。




