Area《1-10》
闘技場へ向かう道の途中で、リリーシアはあることに気が付いた。
「……受付の時間がはっきり決まっていましたけど、どうやって時間を知るのでしょう?」
メルに聞いてみると、驚きと呆れを足して2で割わらないような顔で教えてくれた。
「時計……知らないの?」
そう言ってメルが左腕を掲げてみせる。彼女の腕には革のベルトが巻かれていて、その一部に金属の薄い筐体が取り付けられている。そして文字板が収まっているはずの場所には、12本のスリット。
「それが……時計? ……ああっ! 確かその12本のスリットが入った筐体、宿にも置いてありました! てっきり装飾のようなものかと……」
とんでもない田舎者を見るような目で見てくるメルに言い訳をしつつ、盛大に驚くリリーシア。この世界ではこの形を以って「時計」というらしい。
12本のスリットにはそれぞれ時を司る緑の魔晶石が入っていて、金属板に描かれた設定式に従って左から1時間で一本が青くなり、12時間経つと全てが青くなって、緑に戻る。そういう仕掛けになっているらしい。
魔晶石というのは、それ自身が魔力を持つ、石と魔力の中間のような性質を示す物質である。外灯の明かりに使われたり、調理器具を加熱したりといった用途が一般的らしい。そのうちの一種類に時を司る性質のものがあるらしい。
「時計というものは知っていたのに見たことがなかった……? リリーシアは面白いお嬢さんだね」
この世界の常識を知らないことで、いつか取り返しの付かない墓穴を掘りかねない。どうにかしてこの世界の常識を身につけよう。リリーシアはそう心に刻んだ。
午前11時。闘技場に着いたリリーシアは登録希望者の列に並んでいた。メルはというと、闘技場に着くやいなや「じゃああとは頑張って、お姉さんは賭博者特有の会合があるからさ!」と言って颯爽と姿を消してしまった。よくわからないが、今のうちに賭博仲間と情報交換をしにいくという意味なのだろうか。
試合では、全員が自前の装備を持ち込んで使う。リリーシアは軽い革鎧に鉄の剣と盾という最低限の装備だが、他の参加者はだいたいがそれなりの装備を整えているようだし、装備自慢の参加者になると立派に輝く全身鎧を着込んでいる者もいる。
そしてここへ来るまでの間に、リリーシアはフードのついたマントのようなものを購入していた。フルプレートと比べるとどうかはわからないが、蒼の長い髪は少々目立ちすぎるためであった。
髪を隠したまま、リリーシアは参加登録を済ませる。そのまま待機室に移動し、トーナメントの順番が決まり次第順に試合に呼ばれる、ということらしい。
待機室に移動してしばらく待っていると、大きな壁の一面にトーナメント表が光になって浮かび上がる。手前に置いたプロジェクターのような筐体から、光系統の魔法で投射しているのだろう。
リリーシアの試合は、第一試合であった。
係員に呼ばれ、入場口に入る。その通路を抜けると、円形の巨大な空間が広がっていた。絵に描いたような闘技場だ、とリリーシアは周囲を見回しながら思った。戦闘場が直径50mほどの円形で、その周囲に壁があり、その上には階段状になった観客席。週一の定期興行でも、観客席は大入り満員のようである。
『さあ皆様、悠の月第二週の定期興行がこれより開催されます! 第一試合の対戦者は――』
実況・解説席として設けられた席から男性の声が魔力拡声器を通して場内に響き渡る。
『新規挑戦者、リリーシア・ピルグリム対、前々回準優勝、ルゴット・マッケイだー!』
周囲を囲む観客の歓声に呆然としていたリリーシアに対して、名前を呼ばれたルゴットは右手に持った両手剣を突き上げる。
ルゴットは、屈強な肉体に、急所のみを鉄の防具で防御するスタイルのようだ。
観衆が静まるのを待ってから、カウントが開始される。
『では両者尋常に――3,2,1――始め!』
リリーシアは相手の出方を見ようと半身で軽く構える。その構えをどう取ったのか、ルゴットはにやりと笑い、自身に簡単な速度補助魔法を発動。そして爆発するように一気に疾走、リリーシアとの間合いを一息で詰める。そして流れるような動作で高速の斬撃が繰り出される!
その速度と力を逃がすように盾で柔らかく逸らすリリーシア。
「――、今のを防ぐか、ならば!」
斬撃を盾で受け流したリリーシアに、下からの豪速の切り上げ、を途中で緩めフェイントとした蹴りが襲う。
取った、とルゴットが確信するタイミングで蹴りがリリーシアの腹に吸い込まれ、
「……見えてますよ」
リリーシアの姿が掻き消える。ハッと直感に従って後ろに振り返りつつ大きく距離を取ろうと跳ぶルゴット。
その視界の先にリリーシアはおらず、
「その直感は当たりです。が、外れですね」
跳んだルゴットのさらに後ろに回りこんでいたリリーシアは、彼の後頭部を盾で強く殴打し、意識を刈り取った。
倒れて起きてこないルゴットの首筋に剣を当て、審判の判断を仰ぐ。
唖然としていた審判は、ハッと現実に戻ったような顔で決着の鐘を鳴らした――
魔法の実力を測るつもりだったリリーシアは、結局一度も魔法を使わず、その目的を完全に忘れて試合を楽しんでしまっていた。




