Act05:天使の戦い
『湖面の三日月亭』、その部屋の一つ。
クラリッサさんから貰ったお金で部屋を取った僕は、アイと一緒に部屋のベッドにうつ伏せで倒れ込んでいた。
何と言うか、色々と疲れてしまったのだ。
「……もうちょっとまったり、旅をしているつもりだったんだけどな」
「何でこうなったんでしょうねぇ」
まあ、間違いなく僕が首を突っ込んでいった所為なのだけど、ああなってしまうと後に引けないというか。
クレイグさん達に協力していることについては、不満も何も無い。
乗りかかった船ではあるし、今更逃げるなんてこともしたくはないのだ。
知らん顔で『頑張って下さい』なんて言えるほど、僕は面の皮が厚いつもりは無い。
あの後、フリオールの街に戻ってきてから、まずクラリッサさんが負傷していたことで騒然となった。
例の仮面の男が現れたということで、クレイグさんとエルセリアは表情に出すほど悔しがり、怪我を負ったクラリッサさんも取り逃してしまったことを悔いている様子だった。
しかし、いつまでも気にしていても仕方ないと、お互いに状況を整理し始めてみれば、どんどんきな臭くなる始末である。
「ねえ、アイ……例の、フレッシュゴーレムの件だけど」
「確定とは言えませんけど、この街の領主が犯人である可能性は高いと思いますよ。結構な設備が必要ですし、それだけのお金とスペースを確保できる者の筆頭は、当然領主になるのです」
「だよねぇ……ホント、何でここまで大事になっているのか」
エルセリアによれば、フレッシュゴーレムは大戦期――所謂魔人族の人権戦争の時に良く用いられたものであったらしい。
人間の姿をしたゴーレムが人間に襲い掛かるなんて、悪趣味にも程があるだろう。
その悪辣さについてはエルセリアも不快感を感じていたのか、終始顔を顰めていたのが印象的だった。
……まあ、その応用技術である人造天使の体を持つ僕としては、頭ごなしに否定できるものでもないのだけれども。
「はぁ……二日目で、こんなにもやるべきことが積み重なるなんて。パンクしそうだよ」
「アイもびっくりなのです」
僕に至っては、転生して二日目でこれだから、余計に衝撃的だ。
もしも目覚めたのがアイリスだったら、一体どうなっていたのか。
まだ少女だった彼女のことを考えると、もしかしたらこの方が良かったのかもしれないけど。
ともあれ、やるべきことは山積みだ。
仮面の男の子と、フレッシュゴーレムのこと、クレイグさん達の事情のこと……僕自身の目的としても、エルセリアからの話はまだ聞けていない。
というか、それもどうやって説明すべきなのか、正直良く分からない所だ。
クレイグさんはコントラクターのギルドに出向いていた。
街の人が失踪していたりしないかどうか、そういった情報を集めていたらしい。
そろそろ戻ってきていると思うけど、果たしてどうなったのか。
クラリッサさんはダメージの治癒に専念している。
どうやら自分自身で傷を癒すことができるらしく、一晩もあれば完全回復するそうだ。
ただし、一度襲撃を受けた病院に戻るつもりは無かったらしく、エメラさんを連れて何とこの宿に移動してきている。
いざという時に、クレイグさんの力を借りるためだそうだ。
「ふぅ……よいしょっと」
「お? イリスちゃん、どうしたのですか?」
「うん。ちょっと、他のみんなと話をしようと思って」
何だかんだで、これまで落ち着ける時間はさっぱり無かった。
多少気になることもあるし、明日に影響が出ない程度なら、話をするのもいいと思う。
話をするなら――
>1.クレイグ
2.エルセリア
3.クラリッサ&エメラ
クレイグさんに、ギルドでのことを尋ねてみよう。
そういえば、コントラクターとしての登録を手伝ってもらう約束だったけど、それも後回しになってるし。
「よし、クレイグさんと話をしようか。今、部屋にいるのかな?」
「んー、あの魔人ならいると思いますけど、あの人はどうでしょうね?」
まあ、別に尋ねてみても問題は無いだろう。ああ、エッチなことをしている可能性もあるけど、その時は大人しく退散すればいいや。
頷きつつ部屋から出て、近くにあるクレイグさんの借りている部屋へと足を運ぼうとし――僕の耳に、何かをこすり付けるような、ぎゅっと言う音が届いた。
耳慣れないその音に首を傾げ、音の出所を探る。
「イリスちゃん? どうしたのです?」
「ん、いや、あんまり耳慣れない音が……外から?」
ゴムを擦り合わせるというか、体育館で上履きが立てるような音をちょっと低くした感じ。
まあ、そんな音は長らく聞いていなかったので、記憶もかなり曖昧だけど。
とりあえず、音の聞こえた外の様子を確認しようと、僕は近くにあった窓の外を覗き込む。
既に日は落ちて、宿から漏れる仄かな明かりに照らされた裏庭――そこに、一人の人影があった。
「あ……クレイグさん」
「おー、自己鍛錬中なのです。真面目ですね」
「だね。でも、ちょっと声かけづらいかな?」
上を脱ぎ、ひたすら集中して、一定の動作を繰り返している彼。
素人目でしかないけれど、彼の動きはとても洗練されているように思えた。
クレイグさんが放っているのは上段からの一閃だけど、降り始めから振り終わりまでが非常に速い。
強靭な筋力を持つ僕でさえ、同じようには行かないだろう。
――そんなことを考えていた時だった。ふと、動きを止めて顔を上げたクレイグさんと目が合ったのは。
「あ、気付かれちゃったか……」
「どうせ邪魔しちゃったんですから、話をしてはどうです?」
「うーん……まあ、そうだね。ちょっとお邪魔しようか」
アイの言葉に頷き、僕は窓を開けて外へと飛び出す。
この程度の高さなら、翼を展開するまでも無い。
身軽に着地した僕は、クレイグさんに対して頭を下げてから声を上げる。
「ごめんなさい、邪魔してしまって」
「いや、問題は無い。明日に疲れを残さん程度にするつもりだったからな。それで、例の話か?」
「あー、はい。それもありますけど……ちょっと、クレイグさんと話をしようと思って」
「俺と話とは、酔狂な奴だな」
苦笑したクレイグさんは、汲んでおいた水を頭から被った後に手ぬぐいで拭き、近くの気にかけてあったシャツを着始める。
そんな姿を眺めつつ、僕は声を上げていた。
「それで、ギルドの方はどうでしたか?」
「依頼は出ていなかった。ああ、不自然すぎるほどにな」
「不自然、なのです?」
「どんな時期であれ、行方不明者の捜索なんて依頼は必ずいくらかあるもんだ。特に、街のすぐ近くに森があるこの都市ではな」
アイと顔を見合わせ、僕は口を噤んでいた。
それは……確かに、そうだろう。
行方不明者の捜索は、達成も難しい依頼だろうし、中々消えることは無い筈だ。
だが、それが一つもないということは――
「握り潰されているのか、依頼者側をどうにかしているのか……深読みしすぎている可能性もあるが、否定はできん」
「……前者だと、ギルドもグルってことになりませんか?」
「だな。まあ、そちらの可能性は低いと考えていいだろう。少なくとも、ギルド自体が不正に協力するとは考えづらい。一部職員のみというなら兎も角な」
職員だけというなら、金を握らせれば動いてしまう可能性もあるだろう。
けれど、ギルド全体を巻き込むことは、それを行った側にも大きなリスクがある行為となってしまう。
流石にその可能性は低いだろうと、クレイグさんは考えているようだった。
「後はそうだな……奴隷商人のところで、表に高い奴隷が並べられていたな」
「それは、どういう?」
「売りやすい安い奴隷がいなくなってる、ってことだ。理由は、言わなくても分かるな?」
「……成程、そういうことですか」
確かに、フレッシュゴーレムの素材にしようとしているならば、後腐れなく使いやすい奴隷の方が効率がいいだろう。
「まあ、犯罪奴隷でない限りは使い捨てるような扱いは難しいだろうが……どの道、きな臭いことに変わりはないな」
「そうですね……絶対に、止めないと」
クレイグさんの言葉に頷き、僕は自分の掌を見つめる。
人造天使の肉体、この体が有している力は桁違いだ。
フレッシュゴーレムの製造、そして仮面の男……戦うには、この力が必要になる。
けれど、僕はまだまだ未熟だ。たとえスペックが高くても、それを動かすだけのソフトウェアが足りていない。
役に立つためには、もっと力をつけないといけないだろう。
「……あの、クレイグさん」
「ん、何だ?」
「クレイグさんは、いつもあんな訓練を?」
「ああ、そうだな。ずっと続けてるよ。少しずつでも、理想の一閃に近づくために」
「理想?」
少し参考に出来ないかと問いかけてみたけど、クレイグさんはどうにも自己評価が低い気がする。
レベルが違いすぎてさっぱり分からないけれども、クレイグさんは更に目指したい高みがあるようだ。
想像もつかず、アイと一緒に首を傾げていると、クレイグさんは苦笑しつつ続けてくれた。
「剣に限らず、あらゆる武術の理想だが……最短の道を通り、相手に辿り着くべきだ。故に武を志す者は、その道を理想として少しずつでもその領域へと近付こうとするのさ。こんな素振りですら中々出来ない未熟者が、実戦で行おうなど片腹痛いがな」
「最短の道のり、ですか」
「武器の動きだけじゃないぞ? 体捌きを含めた、一連の動作だ。全てを極められたならば、その一閃はあらゆる攻撃よりも速く敵の体へと到達する」
そう語るクレイグさんは、どこか楽しそうな、誇らしげな表情をしていた。
彼の胸の内にあるものは、憧れだろうか。
遥か遠い頂を見上げるように、クレイグさんは語っている。
その先にいる人は、一体誰なのだろうか。
「その果てにあるものは、下手な業などにも頼らず、全ての剣閃が必殺の一撃と化した剣だ。それを目指し、日夜努力しているだけだよ」
「成程……あの、僕も一応少しだけ槍を使えるんですけど、何かアドバイスってありますか」
「槍? 使っているところを見てないが……どの程度だ?」
「ええと……き、基本動作ぐらいなら」
比べるのもおこがましいようなレベル差に恐縮していると、クレイグさんはからからと笑いながら軽く頭を叩いてきた。
「誰でも最初は初心者なんだ、恥じる必要は無い。それで、アドバイスだったな? といっても、俺は槍を使えないし、一般的なことしか言えないが」
「あ、はい。それでも大丈夫です」
「なら、そうだな。さっき俺が言ったことを、参考にしてみるといい。どうすれば無駄がなくなるのか、どうすれば一直線に敵を貫けるのか。考えながら型をなぞり、武器を振るってみな」
成程、と僕は頷く。
あらゆる武に関連する話であるならば、槍にだって言えることだ。
尤も、それは遥か彼方の話であり、足を踏み出したばかりの僕はただなぞって動くことしか出来ないけれど。
「後は……ああいう木の上から紐かなんかで小さな標的を吊るして、それを正確に突けるように練習してみろ。それだけで、だいぶ変わってくると思うぞ」
「あ……はい、分かりました! ありがとうございます、先生」
「ははっ、柄じゃないな。俺はまだまだ未熟だよ……じゃ、俺は先に戻ってるぞ。練習するのもいいが、明日には響かない程度にな」
「はい、了解です」
頷きつつも、僕は練習する木満々だった。
人造天使の身体なら、素振り程度はいくらやっても疲れはしない。
睡眠も食事も必要としないこの体は、訓練をするのに最適であると言えた。
「よし! アイ、どこか悪い所があったら指摘してね」
「了解なのです。でも、ちゃんと休まないと駄目ですよ」
「あはは、分かってるよ」
まあ、無理しすぎるつもりもない。
僕は、僕に出来る限りのことをしよう。そう頷いて、僕はクレイグさんの助言の通りに訓練を開始していた。
* * * * *
――翌日。何だかんだで一晩中訓練していた僕は、エメラさんの部屋で朝食の席に合流し、みんなとの話し合いに参加していた。
その際、何か訳の分からない生き物を見るような目をエルセリアに向けられたけど、気にしないでおく。
「さて、状況は理解できていると思うが――この街のどこかで、フレッシュゴーレムの製造が行われている。そして、あの仮面野郎はフレッシュゴーレムを使役していた。つまり、奴は間違いなくこれに関与している」
「主導しているかどうかは分かりませんが、少なくともマスター権限で動かせる立場にはあります……つまり、フレッシュゴーレムの製造を探ることが、仮面の男に辿り着く近道です」
クレイグさんとエメラさんが主体となって始まった話し合いは、情報の再確認から始まった。
現在の状況は述べたとおり。何とかして、フレッシュゴーレムの製造を止めなければならない。
クレイグさん達の目的である仮面の男には、その仮定で出会える可能性が高いだろう。
「一応、再確認しておくが……仮面野郎を捕らえるのは第一目標だが、フレッシュゴーレムの製造も止めなければならない。それでいいな?」
「無論よ。第三武家として、放置するわけには行かないわ」
「僕も、そんな行動を許すわけには行きません」
「結構。ならば、フレッシュゴーレムの製造ライン破壊と、それに伴う仮面野郎の捜索が主な目的だ」
互いの意志を確認し、僕たちは頷く。
エルセリアですら不快感を露にするフレッシュゴーレムなのだ、そんなものを放置しておくわけには行かない。
僕は仮面の男に対するモチベーションは高くないけれど、関わっている以上看過するわけには行かないだろう。
「その上で、だ。製造場所と思われる所への侵入方法を相談したい」
「侵入?」
「クラリッサ、今回は正面から堂々と入るというわけには行かないんだろう?」
「……ええ、そうね。今回の行動はお忍びの面が強いもの」
「こちらも同じだ。お互い深くは詮索しないが……正面から捜査しますと言うわけにも行かない。故に、侵入する必要があるが――経路は二つ」
一つ、とクレイグさんは指を立てる。
その道は、まあ言うまでもないだろう。
「一つ目は、森で発見した通路。死体を運んでいたことから、確実に製造ラインに繋がっていると思われる。だが、万全の体勢を敷かれている可能性は高いだろうな」
森の中で、小屋の床下から見つけたあの通路。
あそこが目的に繋がっていることは間違いないけれど、気づかれてしまった以上は迎撃の用意をされている可能性が高い。
戦闘は必須となる侵入経路だろう。
「そしてもう一つ、地上からの侵入だ」
「我々ドライ・オークスの使用人の調査で、奴隷達が多く領主に購入されていることが判明しています。運び込まれた先が領主の館である事も確認済みです。恐らく、素材とされているでしょうが……これは、地上からも侵入可能であることを示しています」
「ふむ……ですが、正確な位置は分からないということですね?」
エルセリアが挟んだ言葉に、クレイグさんとエメラさんは同時に頷く。
確かに、製造ラインの正確な位置は分からない。
屋敷の中に潜入した後で、その場所を探る必要があるだろう。
「幸い、侵入には空を飛べる上に怪力のイリスがいる。夜闇に紛れれば進入は容易い。だが――」
「探すまでが難しい、と言うわけね」
「……申し訳ありません、お嬢様。私が動ければ、上手く調べられたのですが」
「無いもの強請りをしても仕方ないわ。出来ることから考えましょう」
ともあれ、とりあえずはこの二択になるだろう。
侵入する方法は――
1.地下通路から。
2.屋敷から。
>3.変装して潜り込ませる
4.穴を掘る
5.何らかの形で囮を作れれば、潜入も楽なんですが
「潜入して調査できればいいんですけど……」
僕の呟いた言葉に、クレイグさんは軽く頷きつつも嘆息を零していた。
「あらかじめ中の様子が掴めれば、メリットが大きいのは確かだ。だが、適任がこの状態だからな。それとも、お前がやってみるか?」
「え、あー……僕ですか?」
「まず、顔が知られすぎているクラリッサは論外だ。エルセリアはこんな見た目だから目立ちすぎる。アイはそれなりに適していると思うが、見つかったときのフォローが難しい」
「……見た目で言うなら、僕も十分目立つと思いますけど」
白い髪に金色の瞳、こんな姿の人間がいれば目だって仕方ないはずだ。
しかし、それは心得ていますとばかりに、横からエメラさんが口を挟んできた。
「カツラはこちらに用意してございます」
「……何故にカツラが」
「メイドですので」
いや、それは関係ないと思う。
聞いてみたところ、エメラさんは変装の特技を持っているらしく、その際に使うものらしい。
茶髪の、どこにでもいるような感じの髪色だ。目の色は変えられないけれど、これなら確かにある程度目立たなくなるはず。
でも、それだけで安心だと思えるほど、僕はおめでたい頭はしていなかった。
「でも、僕だけじゃどうしたらいいのか……」
「なら、俺も着いていくか? 一応、作戦ならあるぞ」
「作戦? 一体どんな?」
「ああ、それは――」
* * * * *
――領主の屋敷内。
一人の兵士に連れられた僕は、メイド服に身を包みながらすごすごと歩いていた。
屋敷の中の見取り図は、一応頭の中に入っている。
エメラさん達ドライ・オークスの使用人が情報屋から仕入れてきた情報で、かなり確かなものらしい。
一応、頭の中に叩き込んだそれと照らし合わせてみても、今の所間違いはないようであった。
まあ、だからと言って緊張しないわけではないんだけど。
「おい、そこの使用人。そんなところで何をやってる」
「――っ!」
唐突に声をかけられ、びくりと肩を竦ませる。
後方から声をかけてきたのは、僕の前にいる兵士と同じ鎧を纏った、巡回兵と思わしき人物だ。
思わずどう答えたものかと悩み――そんな僕が声を上げる前に、僕の前にいた兵士が返答していた。
「いや、交代の時間だったもんで。『休憩』に入ろうと思ってね」
「ほう? ……なるほど、良く見れば中々にいい器量の娘じゃないか」
「だろ? 掘り出しもんだよ。ま、そっちはお勤め頑張ってくれ」
「ちっ、言ってくれるな。だが、そっちに行ってどうするつもりだ? 宿舎は向こうだろう」
「いやなに、牢で奴隷に見せ付けながらってのも面白いと思ってな」
「……嫌な趣味だな、お前」
「あっはっは、よく言われるぜ。それじゃあ、行くぞ」
「は、はぃ……」
恨めしげな兵士の視線を受け止めながら、僕は連れられつつ歩き出す。
何というか、非常に嫌な気分だ。
周囲に人気が無いことを確認し、恨めしげな視線を目の前の兵士に向けながら、僕は小声で声を上げる。
「……大層な趣味ですね、クレイグさん」
「ああ、よく言われる」
「……エルセリアに同じことやってるんですか?」
「まだやったことはないぞ」
まだ、ということはその内やるつもりだということなのか。
この人、割とマトモそうなことを言ってはいるものの、実は結構ドSなんじゃなかろうか。
エルセリアを苛めるのも、割と楽しんでやっているような……うん、矛先にされても困るし、特に何も言わないでおこう。
エルセリアの尊い犠牲に感謝しつつ、僕はクレイグさんに続きながら屋敷の中を進む。
手に入れた見取り図の中に、地下室らしきものは無かった。
だが、構造的に地下室へ進む道を作ることが出来る場所は限られており、更にクレイグさんが兵士の鎧やらを調達する際に入り口の位置も確認している。
その為、僕たちはおおよそ迷うことも無く、地下牢へと続く階段を発見していた。
「当たりは引いたが……位置的に面倒なのは事実だな。どの入り口から入っても遠回りする必要がある」
「その辺も考えた作りなんですかね……どうします?」
「ま、プラン2で行けばいいだろう。アイにそう伝えておいてくれ」
「了解です」
地下への階段を下りながら、僕は外で控えているアイに作戦を伝える。
離れた場所からでも、僕たちは簡単な意思を伝え合うことが出来るのだ。
アイの了解の意思を感じ取りながら、僕はクレイグさんに続き、地下室への扉を潜る。
と――そこには当然、看守役である見張りの兵士が机に座って退屈そうにしていた。
そんな兵士に対し、クレイグさんは先ほどと同じ調子で声を上げる。
「よう、交代だぜ」
「あ? まだ時間じゃなかったと思うが……それにその娘は何だよ」
「いや、ここで楽しもうと思ってな。折角だから、看守役を交代してやろうって話だ。休憩時間が延びてよかったじゃねぇか」
「はぁ? ったく、妙なことを言いやがる野郎だな。だったら俺も混ぜろよ」
ねっとりと絡みつくような視線に晒され、思わず背筋に怖気が走るのを感じる。
そんな僕をクレイグさんは抱き寄せると、にやりとした笑みと共にこう告げていた。
「一人で苛めてやるのが好きなもんでね。悪いが、他を当たってくれ。次の時に同じことをやってみりゃいいだろ?」
「いやお前、流石に勢いが無きゃこんな所でおっぱじめねぇよ……分かった分かった。その代わり、きちんと仕事しろよな」
「ああ、了解だ。ごゆっくり」
「こっちの台詞だ、畜生め」
悪態を吐きながら去っていく兵士を見送り、僕は深々と嘆息する。
正直、この人に抱きかかえられている状況に身の危険を感じつつあるのだけど。
じっとりとした半眼でクレイグさんのことを見上げれば、彼は苦笑交じりに両手を上げ、僕のことを解放していた。
「悪かったよ。演技なんだから勘弁してくれ」
「割と冗談に聞こえなかったんですけど……」
「気のせいだ、気のせい。さてと――」
扉を出て行った兵士の気配は既に無い。どうやら、聞き耳を立てたりはしなかったようだ。
とりあえず安堵しつつ、僕は机の中から鍵を取り出し、牢に続く鉄格子の扉を開ける。
中に続くのは、いくつも立ち並ぶ暗い石造りの牢屋だ。
「……あの兵士たちは、この所業に納得してるんですかね」
「集められているのは犯罪奴隷……と、銘打たれているんだろうな。流石に、ここから先の警備は行っていないようだったし」
流石に、これより地下の警備は人ではなく、あのフレッシュゴーレムたちにやらせているのだろう。
厄介ではあるけど、避けては通れない相手だ。
「とりあえず、入り口を探すぞ。侵入はまだいいがな」
「了解です」
クレイグさんと共に、地下牢の中へと侵入する。
立ち並ぶ牢の中には、やはり何人もの人間が投獄されている状態だった。
皆、一様に元気が無い。食事などは与えていないのだろうか。
騒がれなかったのは都合がいいけれど、それでも見ていて気分のいいものじゃない。
「……早い所、何とかしないとですね」
「ああ。その為にも――」
牢屋の奥、壁にかけられた家紋らしき紋章の描かれた旗。
明らかにこの場には場違いなそれを捲り、クレイグさんはにやりと笑みを浮かべる。
「この先のものを、何とかしなくちゃな」
「はい……早い所合流しないと」
――そう、僕が呟いた時だった。
ふと、横手にあった壁から空気の流れを感じ取ったのは。
石造りの頑丈な壁、その先に空洞などあるはずが無い。
けれど、確かに意思の隙間から漏れ出した風は、周囲を覆って幕のようなものを作り出し――
「って、ちょっと!?」
『破ぁッ!』
唐突に突き出された拳によって、石造りの壁は粉々に粉砕されていた。
咄嗟に避けなければ、巻き込まれていたかもしれない。
間一髪クレイグさんに突っ込みながら回避し、壁の方へと視線を向ければ――そこには、無理やり壁をぶち抜いて現れたクラリッサさん達の姿があった。
「到着なのです……って、あああ! なにしてるんですか、そこな幼女に飽き足らずイリスちゃんにまで手を出すつもりなのですか!?」
「落ち着け、今吹っ飛ばされそうになって抱きとめただけだ」
アイの叫び声に、今自分がどのような体勢なのかを自覚する。
どうやら、勢いのままクレイグさんに抱きついているような姿勢だったらしい。
とりあえず彼から離れつつ、アイを宥めて状況を確認する。
「風の結界で、音が漏れるのを防いだの?」
「そうなのです。穴を掘り、華麗に潜入! アイは大活躍なのです!」
「私が言わなかったらそのままぶち抜いていたと思いますけど」
「そこ、余計なことを言わないのですよ!」
いつも通りのアイの様子に癒されつつ、僕はクラリッサさんへ視線を向ける。
珍しく沈黙していた彼女は――どうやら、周囲の状況に憤りを感じている様子だった。
「国が動けば正式に叩き潰せるでしょうけど……その前に、全力でぶん殴りたい所ね」
「全力はやめとけ、流石に死ぬぞ。それより、イリスの装備は?」
「はい、ここよ。不思議な鎧よね、妙に軽いし。それにこの槍……」
「あー、はい。ちょっと特別で……その辺は後にしてもらえると」
「ええ、分かってるわ。クレイグ、向こう向いてなさい」
「はいはい」
クレイグさんが視線を逸らしたのを確認し、僕は装備を装着し始める。
と言っても、メイド服を脱いで各種装備を身に着けるだけなのだが。
現在の僕の装備は、あの研究施設から持ち出したものも含めたフル装備となっている。
『神槍』と『戦天使の鎧』に加え、『魔法銀布の腕』という、肩から手の甲までを覆う袖のみの防具。
また、両手には『反転の篭手』というガントレットを装備し、足には『天馬の靴』を履いている。
今の価格で言うとどれほどの価値になるのか、正直考えたくもないレベルだ。
「よし、準備完了です」
「いいでしょう。それじゃあ、さっさと突撃と行きたいところだけど……イリス。貴方、前衛と後衛どちらで動くつもり?」
「お前はどちらも出来るんだったな。一応、両方とも人員は揃ってる。どちらでもいいぞ?」
クラリッサさんとクレイグさんの言葉に、僕は軽く黙考する。
この場合、前衛はクレイグさんとクラリッサさん、後衛はアイとエルセリアになるだろう。
正直、前衛だけでも何とかしてしまいそうな戦力ではあるけれど。
僕は――
1.前衛
>2.後衛
「とりあえず、魔法で援護します。アイたちの護衛も兼ねて」
「そうだな、その方がいいだろう。俺たちも安心できる」
「ええ。それなら、思い切り突っ込ませて貰うとしましょう」
闘志を滲ませ、二人は笑う。
その気配に背筋がぴりぴりするのを感じつつも、僕も槍を構えて頷いていた。
アイとエルセリアを護る、それが僕の仕事だ。
前衛の二人が心置きなく戦えるように、周囲の警戒をしながら魔法を使っていこう。
「さて……行くとするか」
「吶喊するわ、付いて来なさい!」
――勇ましく宣言し、まず最初に踏み込んだのはクラリッサさんだった。
旗を引き千切り、その奥にあった下り階段を何段も飛ばしながら飛び降りていく。
その後ろをクレイグさんが滑るように続き、最後にエルセリアを抱えた僕が飛行しながら追随する。
それなりに広い階段で助かったと思っておくべきか、飛ぶのにもそれほど困らず、比較的楽に彼らの後を付いて行くことができた。
時折折り返しながら更に深く進んで行き――
「――先手必勝!」
その最深部に立っていた人影を、クラリッサさんは一切の躊躇いなく蹴り飛ばしていた。
抵抗の暇すらなく吹き飛んだ人影はそのまま壁に叩き付けられ――何事も無かったかのように、立ち上がろうとする。
けれど、その時には既に、クレイグさんが肉薄していた。
「悪いが、そうなっちまった以上は潰させて貰う」
振るわれた刃は瞬時に赤熱し、体勢を立て直す途中だった人影――フレッシュゴーレムの首を刎ね飛ばす。
赤熱した炎の剣による傷は血を吹き出させることもなく、フレッシュゴーレムの身体は僅かな抵抗の余地すらなくその場に倒れていた。
「確かに、頭が弱点のようだな」
「人体の構造自体は変わりませんからね。脳味噌がなければ、身体は動かせませんよ」
床に降ろしたエルセリアは、クレイグさんの呟きに対し頭をとんとんと指で叩きながらそう返す。
頭が弱点か……弱点があるなら、潰すこともそう難しくはないだろう。
死を恐れず、自分の身も省みずに襲い掛かってくる敵は確かに脅威だけど、クレイグさん達からすればいい的でしかないようだ。
「結構降りてきたが……随分と深い場所にスペースを作ってるもんだな」
「理由は知りませんけど、随分と澱んでいますね……負の想念が、固まっていますよ」
「息苦しいのです……いったいどれだけ殺せば、ここまで澱むのですか」
「集中具合で言えば戦場並ですね。早めに処理しないと、おぞましい物を生み出しますよ」
「了解だ。それなら、とっとと行くとするか」
言いつつ、クレイグさんは正面にある扉を睨みつける。
既に準備は完了しているとばかりにクラリッサさんは拳同士を打ちつけ、獣のように獰猛な笑みを浮かべていた。
最早躊躇うような理由もない。僕たちは、互いに視線を合わせて頷き――クラリッサさんは、それを合図だと言わんばかりに、巨大な鉄製の扉へと向けてその拳を叩き込んでいた。
銅鑼を鳴らしたような音と共に、巨大な扉はひしゃげながら吹き飛んでいく。
そしてその影に隠れるかのように、クレイグさんはすぐさま部屋の中へと踏み込んでいた。
「敵影――!」
【――《戦闘用思考》――《魔力充填》――《鷹の目》――《魔法・天:光輪の縛鎖》――】
クラリッサさんが飛び込み、それに続くように僕も部屋の中へと入る。
そして同時に、周囲に見えている自分以外の人影に対し、僕は魔力に物を言わせて拘束魔法を発動していた。
今の僕は、殆ど攻撃魔法を使えない。無いわけではないのだが、人を一撃で倒しきれるような魔法は近接専用の《光の剣》だけだ。
弾丸を飛ばすような魔法もあるものの、これではフレッシュゴーレムを倒すことは不可能だろう。
だから、使うものは拘束魔法。魔力を過剰に込め、その強度を高めた光の鎖は、こちらに接近しようとしていたフレッシュゴーレムたちを悉く拘束する。
「ふむ。乱暴ですが、まあいいでしょう。未熟なのは仕方ないですしね」
「文句は働いてから言うのです幼女」
「貴方もですよ、妖精」
そして、僕の周りで軽口を飛ばしあう二人も、同時に魔法を展開する。
放たれるものは旋風のような風の刃の群れと、その間を駆ける黒い猟犬だった。
アイの放った風の刃が拘束されているゴーレムたちの首を切断し、討ち漏らしたものをエルセリアの猟犬が食いちぎる。
どうやら、召喚系統の海属性ではなく、魔法によって造り上げた擬似生物のようだ。
エルセリアの命令に従って動くそれは、込められた魔力の続く限り、或いは破壊されるまで動き続け、敵をその牙の餌食としていく。
一度の魔法で持続時間を長くしているのは、魔力を節約するためなのだろう。
「しかし……」
僕は、小さく呟く。周囲に広がっているのは、非常に広い空間だ。
訳の分からない器具や、無造作に立ち並ぶ寝台。
野戦病院か何かか、というような煩雑具合だけど、寝台の上に乗せられているのは切り刻まれた死体ばかりだ。
それらの片付けを行っていたと思わしきフレッシュゴーレムたちは、僕たちの姿を目視した瞬間、近くにあったものを引っ掴んで無言のまま襲い掛かってくる。
最初に見渡す限りを拘束して撃破したので距離的、数的には余裕があり、クレイグさん達も余裕で対処していたけど――
「キリがないですね……クレイグ、私が片付けますか?」
「いや、お前は温存しろ! 地下通路に配備された連中が向かってくるかも知れん!」
「成程、了解です」
魔力を滾らせようとしていたエルセリアは、そんなクレイグさんの言葉に対して残念そうに魔力を押さえ込んでいた。
僕たちにとって、エルセリアは紛れもない切り札だ。
彼女の魔法による一撃は、大量の敵すらも容易く粉砕するだろう。
だが、燃費の悪いエルセリアでは、そう何度も大規模な攻撃が放てるわけではない。
まだ、彼女の出番は先になるだろう。
「さあ、出てきなさい! グラッド・マルキウス伯爵! このクラリッサ・ドライ・オークスが貴方に裁きを下すわ!」
接近していたフレッシュゴーレムを文字通り叩き潰し、クラリッサさんは大声で宣言する。
グラッド・マルキウス伯爵――それが、この街の領主である人物の名前。
今回の事件の首謀者と思わしき人物その人であった。
いかなる理由でこのような行動を取っていたのかは不明。だが、この地下室の現状がある以上、言い訳などできるはずもない。
一応、理由に興味がないといえば嘘になるだろうけど、どちらにしろ胸糞悪い話にしかならないだろう。
と――殺気立ちながら周囲を見回しているクラリッサさんを尻目に、エルセリアが近くの寝台に近付いて顔を寄せていた。
「エルセリア? どうかしたの?」
「……この、手法。《傀儡師》と同じ……?」
「その名前、覚えがあるのです。貴方と同時期に活動していた魔人族でしたか、《冥星》さん?」
「……はい。人を材料としてしか見ていなかったあの外道。正直思い出したくもないですが、この手法や術式は奴と同じ……ですが、奴は確かに八つ裂きにされて魂も残らず消滅したはず……」
古の魔人族と同じ手法で作られたフレッシュゴーレム。
それがどうしてこの場にあるのか――順当に考えれば、何者かが技術を提供したということだろう。
それに該当するとすれば――
【――《鋭敏感覚》――】
――刹那、現れた気配を僕の鋭敏な背中の感覚が感じ取っていた。
距離は近い。だが、まだ反応が遅れたような距離じゃない。
僕は瞬時に振り返り、手に持った《神槍》で薙ぎ払っていた。
甲高い金属音が鳴り響き、一人の少女が――いや、少女の姿をしたゴーレムが、手にした剣を盾にするような姿勢で後方へと弾き飛ばされる。
……いや、どうやら自分から後ろへと向かって跳躍していたようだ。
事実、弾き飛ばされた彼女はひらりと空中で身をよじり、そのまま身軽に着地していたのだから。
「……これまでの奴とは、性能が違う?」
今の一撃は、防御ごと胴を真っ二つに出来る威力を込めていたつもりだ。
《神槍》の威力と僕の膂力ならば、それも可能なはずなのだから。
けれど、目の前の剣を持った少女は無傷。警戒し、僕は槍を構え直す。
その瞬間――この空間に、壮年の男の声が響き渡った。
「ようこそ、我が実験室へ。歓迎しよう、諸君」
目の前のフレッシュゴーレムからは視線を外さぬようにしながら、僕はその声の出所を探る。
どうやら、場所としては僕の反対側、クレイグさんたちの方で姿を現したようだ。
「君達のような、優秀な人材が来てくれたことに感謝する。どうかゆっくりと……素材となって行ってくれ――」
「――嫌だね」
【――《魔力充填》――《魔法・天:爆ぜる閃光》――】
僕は、瞬時に魔法を発動する。
いちいち口上に付き合ってやる義理もなければ、素材になってやる気も皆無だ。
僕の発動した魔法は、単なる目暗まし。翼から閃光を放つだけの単純な魔法。
けれど、一瞬でも不意をつけたのならば十分だ。
フレッシュゴーレムが人間と同じ機能を有していることは確認している。ならば、視界を奪われれば、後は音で感知するほかない。
地面を駆ければ気づかれるのなら――
【――《戦闘用思考》――《天馬の靴:虚空の足場》――《槍術》――《飛行》――】
――空中飛び上がって逆さまに足を着き、音を立てずに薙ぎ払ってやればいい。
僕は、閃光を放った直後に相手の頭上へと飛び上がり、空中に短時間だけ足場を作る『天馬の靴』の効果によって空中に上下逆さまに立ち、そこから槍で薙ぎ払っていた。
閃光を放っているのは僕の背中にある翼であり、眩しくは感じるけれども、僕の視界には敵の姿が捉えられている。
目を閉じ、周囲の音を探ろうとしているフレッシュゴーレムは――背中から叩きつけられた槍により、抵抗の間もなく弾き飛ばされていた。
「僕は、お前の都合もお前の理由も、聞く気なんてない。勝手なことを抜かさないで欲しいね」
片腕をもがれ、地面に何度も叩きつけられながら転がっていくフレッシュゴーレム。
しっかりちゃんとした地面に足を着いて攻撃していれば、恐らく上半身を吹き飛ばせたことだろう。
まだまだ、クレイグさんに言われた武の最初の一歩程度であることを自覚しつつ、僕は改めて槍を構える。
【――《戦闘用思考》――《魔力充填》――《神槍:天槍撃》――】
「――吹き飛べ」
告げて、槍を放つ。それは、僕が初めてこの槍を使った時に放った一撃。
あの時とは込める魔力の量が段違いに少ないけれど、それでもこの遺物の力は十分に発揮できる。
僕が投げ放った槍は壁に叩きつけられたフレッシュゴーレムへと一瞬で到達し――その壁ごと、相手の肉体を粉みじんに粉砕していた。
その余波に耐え切れず壁が崩落し、奥にあった部屋の様子が定かになる。
何やら巨大な穴のようなものが開いているそこが一体何なのか、それは分からないけど……少なくとも、気分のいい場所じゃないだろう。
「クレイグさん、クラリッサさん!」
「おっと、仕事させちまったな」
「ええ、こちらも働かないと」
改めて見てみれば、二人の前にもフレッシュゴーレムが一体ずつ。
きちんとした武器を持っている辺り、僕が先ほど戦ったものと同じ戦闘用なのだろう。
尤も――既に、その武器を持つ手はひしゃげ、或いは斬り飛ばされていたが。
「もう少し上等なものを用意しておくべきだったな」
炎を纏う剣を片手に、クレイグさんは駆ける。
そんな彼の周囲はやけに揺らぎ、その姿をはっきりと捉えることが出来ない。
この距離だと分かりづらいが、恐らくあれはクレイグさんの技法の一つなのだろう。
「《炎陣》――」
腕を斬られたフレッシュゴーレムが、なおも凄まじい速さでクレイグさんに襲い掛かる。
成程、確かに凄まじい動きだ。人間の限界を超えた動きによって放たれる攻撃は、例え武器がなくとも人体を破壊するのに十分な威力を発揮するだろう。
――だが、フレッシュゴーレムの攻撃は、真っ直ぐ駆けるだけのクレイグさんの体に掠りすらしなかった。
「――《陽炎・霞二段》」
それは、凄まじい熱量によって引き起こされた陽炎による回避術。
揺らぐ大気を身に纏い、その位置の認識をずらすという、彼ならではの戦闘術だった。
一度攻撃を避けてしまえば、後に残るのは隙だらけの体を晒す敵の姿のみ。
翻った一閃は、フレッシュゴーレムの頭頂から股下までを、真っ二つに焼き斬る。
両側に倒れるその肉体の向こう側、壁際に立っていた男性へと向け、クレイグさんは一切の油断なく剣を構え直していた。
「流石ね、速いこと速いこと」
そんなクレイグさんの戦闘を脇目で観察しながら、クラリッサさんは片手間にフレッシュゴーレムの相手をしていた。
振り下ろされる剣を、彼女は左腕の手甲で受け止め――その手が、一瞬だけぶれる。
その瞬間、剣を持っていたフレッシュゴーレムの手が、ぐちゃりと折れ曲がっていた。
何をしているのかはさっぱりだけど、大まかな予想は立てられる。
おそらくはカウンターの一種だろう。相手の攻撃に合わせて威力を徹し、攻撃してきた相手そのものを破壊する。
残る腕で殴りかかれば、その腕が。蹴りを放てば、その足が。まるで冗談のように、フレッシュゴーレムは自壊していく。
「さて、伯爵」
片足のみが残り地面に倒れたゴーレムへ、クラリッサさんは踵を叩き付ける。
瞬間、凄まじい衝撃と共に轟音が走り、ゴーレムの肉体を地面ごと粉砕していた。
「先ほど、素材になれだのと面白い発言が聞こえたのだけど……それは、私に言ったのかしら? 第三武家たる、この私に」
「ああ、無論だとも。私は、こんな所で終わるわけには行かぬのでね」
「ふぅん、余裕ね。まだ、こんな木偶の坊を用意しているのかしら」
拳を握り、自然体で構え、クラリッサさんは問いかける。
対する伯爵は――白髪の混じる髭面を歪め、こう言い放っていた。
「無論だとも。君たちは実に強いが――」
瞬間、気配が溢れる。
戦闘の間に回りこんでいたのか、僕たちの後ろ側にまで、いくつもの気配が現れ始める。
耳に届く金属音は、鎧や剣の類だろうか。どうやら、先ほど相手にしたものと同じ戦闘用のフレッシュゴーレムらしい。
……流石に、数が多い。一体どれだけの人間を犠牲にして、これらを作ったというのだろうか。
「――五十体の戦闘用ゴーレムを相手にしては、出来ることなどあるまい」
「ああ、何だ。その程度ですか」
姿を現すゴーレムたち――それに護られた伯爵の言葉を遮るように声を上げたのは、これまで沈黙を保っていたエルセリアだった。
三角帽の端を掴んで呟く彼女は、いかにもつまらないと言いたげな口調で声を上げる。
「私はその三倍を想定していたのですけど、無駄になりましたね」
「は――」
その言葉に、伯爵は絶句したように口を開け――次の瞬間、エルセリアから溢れ出した膨大な魔力に顔色を失っていた。
周囲の景色すら歪める、圧倒的な闇の魔力。冥属性の魔法は、その燃費の悪さに呼応するかのように、強大な威力を誇っている。
そして、その達人たるエルセリアの魔法は――軍勢をたった一人で壊滅させる領域にまで至る。
「見ているだけで胸糞悪いので……塵も残さず、消え去りなさい」
ぱちんと、エルセリアは指を鳴らす。
その瞬間、この空間の地面全体が、漆黒に染まっていた。
「《チェインマジック》――拘束し、喰らい尽くせ」
エルセリアが発動したのは、二種の魔法を混合したもの。
地面を闇で覆い、それに触れたものを拘束する魔法と、漆黒の牙が相手を喰らいつくす攻撃魔法。
その組み合わせは、黒い地面が敵へと向かって喰らいつく光景となって顕現した。
逃げ場などない。この空間全体が、彼女の魔法によって支配されている。
フレッシュゴーレムは悲鳴を上げることもない。ただ、その本能に従って牙から逃れようともがき――ただの一体として逃れること叶わぬまま、闇の中に消えていった。
「な、な……っ!?」
「さて、これで片付いたわね」
呆然と目を見開く伯爵を尻目に、クラリッサさんは満足そうに頷く。
一応エルセリアの魔法に驚いている様子ではあったものの、あまり深くは気にしない性質のようだ。
軽く拳を打ち鳴らせたクラリッサさんは、そのままつかつかと伯爵のほうへ近づいていく。
「伯爵。まさか、言い逃れはしないわね。護るべき民を傷つけ、殺め続けた罪人」
「ま、待て! これは必要な研究だったのだ! 古の兵器を蘇えらせ、国を護るために――」
「知らないわ」
喚く伯爵の言葉の中に、若干気になる言葉はあったものの――クラリッサさんを止める言葉は、僕にはなかった。
口調こそ淡々としているが、彼女の背中から、燃え滾るような怒りが伝わってくる。
クラリッサさんは怒っている。何よりも、その誇りを傷つけるような敵を目前にしたがために。
「貴様らが、貴様ら武家がそうだからだ! 個人の武勇に頼るような仕組みなど……ッ!」
「知らないと言っているでしょう。最初から、貴方と私の間に理解し合える点などない。それが何故だか分からない?」
じりじりと後退しようとする伯爵に詰め寄りながら、クラリッサさんは声を上げる。
揺ぎ無い誇りを、形にするかのように。
「我等は武家。我等は国の剣にして盾。我等は何よりも速く敵に喰らいつき、護るべき民を背にして戦う者。民なくして武家は在らず。民なくして国は在らず。故にその身は、常に誇り高く在れ。それが私たちの誓い。この国を守護する者としての在り方よ。民を傷つけた貴方に、護国を語る資格などない」
「極力奴隷を使った! 必要最小限の犠牲のみで――」
「知らないと、言っているッ!」
なおも喚こうとした伯爵に、クラリッサさんの拳は容赦なく叩きつけられていた。
避ける暇もなく顔面を打ち抜かれた伯爵は大きく後方へと吹き飛び、ごろごろと地面を転がって倒れる。
その様を見つめ、クレイグさんは剣を降ろしながら呆れた様子で声を上げた。
「少し加減しすぎじゃぁないのか?」
「気絶してもらっては困るわ。あの仮面のことを吐いて貰わなきゃ」
どうやら、派手に吹っ飛んだだけで、あまり大きなダメージは与えていないらしい。
事実、伯爵はのた打ち回りながら痛みに耐えるように呻き声を上げている。
まあ、ここにきた本来の目的は、仮面の男に関する情報を探ることなのだし、伯爵にはいろいろと話してもらわないと。
そう思いながら視線を上げ――
「いやはや、何ともつまらない結果になってしまったな」
『――――ッ!?』
いつの間にか、伯爵の傍に黒衣の男が立っていた。
カソックのような服装と、顔面全体を覆う、歪んだ笑みの白い仮面。
直感的に理解する。この男こそが、クレイグさん達が捜し求めていた相手なのだと。
「レ、レムール……助けに、来てくれたのか……!」
「ん……ああ、君にはそう名乗っていたのだったね。助けにとは、また奇妙なことを……私に君を助ける義理などあるわけがないだろう?」
「なッ!? わ、私は貴様の協力者だぞ!? 私がいなくなれば――」
「あれだけの技術提供をしたというのに、作ったものはコピーだけ。これだけの数を作りながら出来の悪い戦闘人形が精一杯とは、笑わせてくれるものだ。時間の無駄、というものだよ。実に無駄だ、人生の浪費に過ぎん――」
――刹那、二人の人影が駆けた。
炎を纏う刃を構えるクレイグさんと、魔力を集束させた拳を握るクラリッサさん。
その動きに、一切の妥協はない。可能な限りの威力と殺意を込め、二人の攻撃は両側から叩きつけられる。
強大な破壊力が吹き荒れ――二人の攻撃は、出現した不可視の盾によって受け止められていた。
しかし二人は動揺することなく追撃を加えようと構え、その刹那。
「武家の諸君。君達の気持ちは分からないでもないが、少し大人しくしていたまえ」
仮面の男はぱちんと指を鳴らし、二人を後方へと弾き飛ばしていた。
凄まじい勢いで吹き飛んできたクラリッサさんを何とか受け止め、その衝撃に少しだけ後ずさる。
クレイグさんは何とか空中で姿勢を立て直したようだったけど、僕は二人があっさりと一蹴されたその様子に、思わず絶句していた。
二人は強い。僕では足元にも及ばないほどに。そんな二人が全力で放った攻撃を、あの仮面の男は片手間に往なしてしまったのだ。
「く……ありがとうイリス、下がってなさい」
「く、クラリッサさん! あいつは――」
「放置する訳には行かないのよ!」
「――大人しくしておくようにと言ったはずだがね。まあいい、そう言って聞くようならば武家などはやっていないだろうからね……ふむ、ならばこうするとしよう」
「が……ッ!?」
言って、仮面の男は伯爵の首を掴んで持ち上げる。
肥えた、かなり重い体重を持っているであろう彼の体を軽々と片手で持ち上げた男は、伯爵の体をそのまま後方へと放り投げていた。
伯爵の身体はまるでボールでも放り投げたかのように弧を描き――後方にあった巨大な穴の中へと、絶叫と共に落ちていく。
仮面の男はそれを見送ることもなく、僕達の方へと向き直ると、その手に何かを掲げて見せた。
紫色の結晶体。凄まじい魔力を持つそれに、顔色を変えたのはエルセリアだった。
「それは!? 私の……ッ!」
「久しいな、《冥星》殿。ここで一つ、ゲームと行こうではないか。君達がこれを片付けることが出来たなら。君達の質問に答えよう――その状態で倒せたら、の話だがね」
そう言い放ち、仮面の男は手の中の結晶体を後方へと放り投げる。
それは伯爵の後を追うように飛ぶと、穴の中へと落下し――爆発的な魔力を、周囲に撒き散らしていた。
物理的な風圧すら伴って吹き荒れる魔力に、僕たちは思わず顔をガードする。
そんな風圧の真っ只中で、不思議と通る声を響かせる男は、両腕を広げ芝居がかった調子で声を上げていた。
「グラッド伯爵、君は実に役立たずだったが……これだけの澱んだ怨嗟を生み出したことは評価しよう。最期に華々しく暴れるがいい」
――ゆっくりと、何かが持ち上がる。
仮面の男の向こう側で、穴の中から現れたそれは――巨大な、左腕。
「ッ……なに、あれ!?」
この風圧の中でさえその姿を視認できる僕の視力は、出現したおぞましい存在に思わずそう声を上げていた。
あれは腕だ。確かに腕の形をしている――無数の崩れた肉塊が、絡み合うようにして形を成した物体だ。
考えたくもないことだけど、恐らくあの穴は、廃棄した死体を捨てておく場所だったんだろう。
一体どんな魔法を使ったのかは知らないが、あの男はそれらを素材としてあの巨人を造り上げたのだ。
――腐肉と怨嗟で固められた、醜悪な巨人を。
『ォォォオオオオオオオ…………!』
響く声は、どこか伯爵の声に似ている。
ゆっくりと体を持ち上げ、現れたその顔は、ひたすらにぐちゃぐちゃな肉塊によって形作られていた。
血臭と腐臭に塗れた音を発しながら、巨人はべちゃべちゃと音を立てて姿を現していく。
その姿を見据え、クレイグさんは焦りの滲む声を上げていた。
「く……ッ、エルセリア!」
「無理です、あれを破壊しきれるだけの魔力は……!」
先ほど大技を放ってしまったエルセリアでは、あの巨人を倒すだけの魔法を使えない。
クレイグさんは対人戦に優れているけれど、あれだけの巨大な巨人を相手にするには適していない。
クラリッサさんも、おおよそは同じだろう。
「逃げるのも一つの選択肢だ。尤も――この巨人は自壊しきるまで目に入るものを全て破壊し続けるがね」
そういえばクラリッサさんが引けなくなるのを知って、仮面の男はそう宣言する。
どちらにしろ、逃がすつもりなどないのだろう。
圧倒的に有利な立場に立ち、僕たちを見下して告げている。
「イリス、アイ、逃げなさい。ここは私が引き受ける。早く逃げて、街の人たちを避難させなさい!」
「俺も残る。エルセリア、イリスたちを頼む」
「クレイグ! 貴方にあれを倒せるわけがないでしょう!」
「あれはお前の力だろう、エルセリア! 俺は約束した、必ず取り戻してやると……それを違えるつもりはない!」
決死の覚悟で、クレイグさん達は立つ。
ああ、そうだろう。この人達ならきっとそうする。
あの男の目的は一体何なのか。こうして、クレイグさん達を始末すること?
そんなことは――
『ォォォオオオオオオッ!!』
「イリス、早――きゃっ!?」
「イリス、何を!?」
巨人が腕を振り上げる。それを見上げ、全力を持って迎撃しようと構えたクレイグさん達の襟首を、僕は思い切り引っ張って後方へ投げ飛ばしていた。
巨人の拳が迫る。肉が絡み合った、おぞましいそれを。
拳の中に、恐怖に歪んだ子供の顔を見つけて――
「――認めない」
【――《天翼:戦闘起動》――《光輪:魔力集束》――《神槍:魔力制御》――】
――僕は、全ての力を解放していた。
背には三対の翼、頭上に輝く光輪、そしてそれらを制御する白い槍。
使うのは、防御を司る二対目の翼。僕の体を抱えるように覆った翼は、眩く輝く白い光と共に、強大なる防壁を展開していた。
【――《天翼:絶対防御》――】
衝撃と魔力が吹き荒れ――けれど、僕の盾は小揺るぎもしない。
背後に庇った皆には衝撃一つ伝えることなく、僕は巨人の攻撃を受け止めていた。
「その、翼は……!」
「イリスちゃん……貴方、まさか!?」
仮面の男と、エルセリアの驚愕の声。
ああ、驚くだろう。この二人は、僕の正体が何なのか理解できたのだ。
「人造天使・終期型、イリス――」
【――《戦闘用思考》――《魔力充填》――《神槍:天閃》――】
「――敵を、撃滅します」
極限まで魔力を集束させた槍を振るう。
瞬間、眩く閃いた白い輝きが刃となって放たれ、巨人の右腕を消し飛ばしていた。
『ゴ、ォォァァァアアア――――』
苦悶なのか、怒りなのか。その叫びの意味など分からない。
だが、少なくとも理解できる。こんなものは、この世界にあっちゃいけない。
――故に、全力でこれを消し飛ばす。
「塵一つ……残さない!」
宣言し、僕は飛び上がる。
周囲の魔力を集め回転を続ける《光輪》が、その魔力をひたすらに《天翼》へと押し込んでいくため、僕の翼はそれ自体が眩い光を放ち始める。
光の尾を引きながら、僕は巨人の頭上まで到達し――可能な限りの魔力を、《神槍》へと集束させた。
【――《神槍:天槍撃》――】
「貫け、《天槍撃》ィッ!!」
全力。ただの一つも、加減などない全霊の投擲。
放った槍は閃光と化し、その頭上に埋まっていた伯爵の、絶望の表情を貫いて――醜悪なる巨人の全身を、白い閃光で包み込んでいた。
【Act05:天使の戦い――End】
NAME:イリス
種族:人造天使(古代兵器)
クラス:「遺物使い(レリックユーザー)」
属性:天
STR:8(固定)
CON:8(固定)
AGI:6(固定)
INT:7(固定)
LUK:4(固定)
装備
『天翼』
背中に展開される三対の翼。上から順に攻撃、防御、移動を司る。
普段は三対目の翼のみを展開するが、戦闘時には全ての翼を解放する。
『光輪』
頭部に展開される光のラインで形作られた輪。
周囲の魔力素を収集し、翼に溜め込む性質を有している。
『神槍』
普段は翼に収納されている槍。溜め込んだ魔力を解放し、操るための制御棒。
投げ放つと、直進した後に翼の中に転送される。
特徴
《人造天使》
古の時代に兵器として作られた人造天使の体を有している。
【遺物兵装に干渉、制御することが可能。】
《異界転生者》
異なる世界にて命を落とし、生まれ変わった存在。
【兵器としての思想に囚われない。】
使用可能スキル
《槍術》Lv.2/10
槍を扱える。戦いの中で基本動作を活かすことができる。
《魔法:天》Lv.1/10
天属性の魔法を扱える。とりあえず基本的な魔法を使用可能。
《飛行》
三枚目の翼の力によって飛行することが可能。
時間制限などは特にない。
《魔力充填》
物体に魔力を込める。魔導器なら動作させることが可能。
魔力を込めると言う動作を習熟しており、特に意識せずに使用することが可能。
《共鳴》
契約しているサポートフェアリー『アイ』と、一部の意識を共有することが可能。
互いがどこにいるのかを把握でき、ある程度の魔力を共有する。
《戦闘用思考》
人造天使としての戦術的な思考パターンを有している。
緊急時でも冷静に状況を判断することが可能。
《鷹の目》
遥か彼方を見通すことが出来る視力を有している。
高い高度を飛行中でも、距離次第で地上の様子を把握することが可能。
《鋭敏感覚》new!
非常に鋭敏な感覚を有している。
ある程度の距離までは、近づいてくる気配などを察知することが可能。
称号
《上位有翼種》
翼を隠せる存在は希少な有翼種であるとされており、とりあえずそう誤魔化している。