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茜さす国

作者: 赤沢佳明

 平城京の跡地みたいなところに住んでるわたしが言うのもなんやけど、もうここらで話しとかんといかん、思うんや。実は、天皇家は、もともと豊の国を都としてた、いうこと。


 額田王ぬかたのおおきみはんが、まあ、主人公みたいなもんで、あと、天武天皇が次で天智天皇が次の次くらいの話や。けど、それぞれの親やら子ーの話もあるよってしっかり聞いとってな。ま、なんか今までの歴史が嘘や、言う本が色々出とるけど、これがホンマや。


 昔な、筑前に胸形徳善という海賊がおってん。その徳善な、度々新羅に渡って、魚、海草などの海の幸のほか、下人を何人もつれて新羅の王に献上して、変わりに、絹や金、鉄の武器などをもらってっててん。ま、ぎょうさん儲けはってた言う事や。それでな、王室にも出入りするようになるやろ。そんならあれやで、酒、女、たらふくやっとて、面白可笑しゅう巧い事言うてるからな、じきに王女と仲睦まじくなって、で、王女はんを孕ませよってん。

 

 王は困るわな。そりゃそうやろ、王には都合ええ後継者が王女より他におらんかってんから、追い出すにも人知れぬところに住まわせる訳にもいかしませんがな。

 それで仕方ないけど、徳善に言うたんや「なんで、ちゃんと避妊せんかったんや! しゃあない、生まれるまで倭国に置いてくれ、子が生まれたことは他言無用や、赤子はあんたがが育てるんやで」と、こういうことやな。


 徳善も、仕方ないがな。言う通りにまず王女を倭国に連れてきてな、ま、そのとき、えろうええ馬具も持ってきたけどな、王女ようのやで。で、やや子が産まれると、王女を新羅に返したってん。そやないと商売あがったりやからしゃーない。けどもや、王女は徳善を好きやってんな。その後新羅で初の女王となるけども、もう会えぬ徳善を慕うて、みずからを善徳と名乗ってんで。


 それからはや、徳善は、その子を豊の国の額田部ぬかたべという養育職の大鏡という者に託しました。その場所は、大坂山いう山を越えれば都や。なになに部いうのは、なになに師、みたいな感じかな。で、子はすくすくと育ち蓮の葉の白さのようなえらいな美しい艶やかな娘に育って、額田王と呼ばれはってんで。

 父親の大鏡は今でも福岡県の田川市にある大鏡神社にいうところで祭られてますで。


 ・・・・・・・・・・


 ちょっと話は遡るけど、時は推古天皇の時代に、阿毎・多利思北孤、(あま・たりしひこ)なる人物がおってたの知ってるか。有名なのあるやろ、「日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す」いう文章、それを随に送った人や。これは実に評判悪かってな、なんちゅうても、こっちの国は日が昇る国、あんたのとこは日が沈む国みたいな意味やさかい、ムカっときはりよったで。ま、置いといて、とにかく自分が王や言うてんな。推古天皇がいはるのにな。けども、これもおいとくわ。


 ちなみに推古天皇は、和風諡号しごう豊御食炊屋姫尊とよみけかしきやひめのみことと言います、長い名前で覚えられんけど、豊だけお気に留め置いてな。ついでやけども、後の天皇、これ天智天皇のお母さんやけど、皇極天皇いうひとがおって、その人の和風諡号は天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)と言いまして、どちらも、豊、がつくねん。

 いかに豊の国が、天皇と縁があるかわかるやろ。


 では、日出る処、とは何処や考えたらええのやろ。そう書いているからには、まずは太陽が海から昇る様子が見えるところやな。つまり、筑前や筑後でも飛鳥や摂津でもあるはずがないということや。しかも、日沈む方向が分かりやすい土地でないとあかん、いうことになるから、その場所は豊の国、すなわち今の豊前や豊後がぴったりや、度々航海のため筑前に行っていると考えますと道理も通るがな。


 ・・・・・・・・・・

 その阿毎あま海人あまののどちらが当て字かはわからんけども、漢字に意味はあまりないと思うで。これが大切なんやけど、じつはな、阿毎・多利思北孤が大海人皇子、後の天武天皇の父親やったんやがな。賢い、あま、の子ー言う意味や。

 この多利思北孤は、仏教が好きよって、蘇我馬子と伴に、大陸から仏教もんばっかり取り寄せてはった。自分で本も書かはったり、修行しはったり、ま、日本初の高僧みたいなもんやな。

 一般には、馬子の孫の入鹿が、多利思北孤の長男の山背大兄皇子を殺したなどと言われてるけども、そそんなことあらへん。それは日本書紀の編纂者の空言で、事実ではございません。その編集者は藤原一族よって、いいように事実を変えられてるのや。


  それでな、その多利思北孤にもたいそう奥さんがいはってんけど、50歳前にして若い奥さんもろて見入ってしもうて、その奥さんばっかりになったよって、ヤバいで。徳、いうところに住んではってんけど、その地で、歳いった奥さんから毒殺されしもた。それ、末っ子の大海人皇子が産まれてすぐにやってん。

 昔は、その地名にちなんで苗字をつけることが多かったよって、後に聖徳太子と呼ばれるのは、徳、という名の地で亡くなったからや。ここはな、今でいうと、新興住宅地みたいなもんで、豊の国の北のほうが開けてきた場所やな。場所は今で言うと北九州市小倉南区徳吉だの徳力いうところや。

聖徳の聖はひじり、坊さんの事やな、そういう意味やと思うわ。


 ・・・・・・・・・・


 で、大きくなった大海人皇子は、見た事のない親を尊敬してて、まず外交はせなあかんけど、仏教も取り入れなあかん。よって胸形徳善のところへ度々出向いて親しくしててん。大海人皇子いうたら父親は学者肌やけど、剣術やら忍術やらの使い手でもあるし、仏法もきちんとしとるでがっちりしたひとやったで。

 とにかく徳善の縁もあってか額田王ぬかたのおおきみとは早くから顔見知りで、お互いを気に入ってな、若気の至りで結婚したい、言うけど、実は新羅の王の娘やろ。徳善としては簡単には結婚させられへん。けども二人は好きおうとった、いうか、額田王は権力がありそうなひとが好きよって、結局、反対を押し切って結婚してん。けども徳善はそれを許さず、自分の娘の尼子娘を強引に大海人皇子に嫁がせます。早くして額田の姫王には女の子が、尼子娘には男の子が生まれます。


 さて、長峡川ながお川河口の難波津、今で言う福岡県の行橋やけども、そこがそもそも天皇が住んではるとこで、都やった訳や。旦那の天皇が亡くなったよって、奥さんの皇極天皇の時代になったのを幸いに、息子がエラいことしてくれはった。645年に乙巳の変と言いうて、天皇の息子の中大兄皇子が中臣鎌足らと組んで時の政治の中心人物である蘇我の入鹿たちを天皇の目の前で殺したってん。理由は、<入鹿が山背の大兄皇子を殺すことによって、聖者の家を滅ぼし、天皇家を傾けようとした>、とのことやて。身に憶えの無い入鹿は無実を主張しますが、もうあかんかった。これこそがこの二人の狙いやってんな。これで、聖の仲間も蘇我氏も目立つ所は押さえたからな。けども、まだ大海人皇子がおるで。

 

 こここで一息入れよか。そもそも、馬子、蝦夷、入鹿などは蔑称で、聖徳太子の幼名、厩戸皇子さえも蔑称やろ。なんで皇太子が馬屋で生まれなあかんのや。これは、中臣鎌足らの子孫が勝手につけた名前やで、意地悪いわ。ま、逆に、いかにこの二つの家系、すなわち阿海家と蘇我一族を怖れ嫌っていたかが分かるわな。


 ・・・・・・・・・・

  

 それで、さすがに目の前で、無実やー、言うてる人を息子が、バサッと切ったところを見たからには、皇極天皇はんは息子がなにをしているのかが分ったんやな。すぐに天皇を退き弟に任せます。けども、その弟は孝謙天皇言うんやけど、まったく役立たずの上に早死にしてしまいよったで、皇極はんが再び天皇となり斉明天皇と変えたのや。


 ・・・・・・・・・・


 ここからが、本番やで。この中大兄皇子が領地の蒲生、これも北九州市にあるけども、そこに行って薬草探しよった時や、側を流れる紫川の川原にたいそう美しい女性が立っているのを目にしました。さっき出てきた額田王ぬかたのおおきみさんです。もう、お子さんもいてたときですのやけど、ま、その時中大兄皇子はんは、えろう、愛想よう笑顔で声かけよったらしいわ。けども、額田王さんは、ほとんそ知らんぷり、しはった。そりゃそやがな。すでに大海人皇子の妻となっておった訳やし、子ーもおってんから、軽々しゅうはできへん。仮にそんなんやったら、強そうで権限もお金も持ってる旦那はんに嫌われて、尼子娘なんかにみな取って行かれてまうからな。 ちなみに早速、恋文をもらってんけど、額田王ぬかたのおおきみが返したのはなんともそっけないものやった。


 (あかね)さす、紫野(むらさきの)行き、標野(しめの)行き、野守(のもり)は見ずや、君が(そで)振る


 意味は、その領地内で大海人皇子が手を大きく振っているので、<領地の番人に見られては不味いでしょう、領地の持ち主が嫉妬してあとで面倒になりますから>と言うものやったらしいわ。


 けれども、よく差出人見ると、これ、皇子やないか。最近、悪い奴やっつけよった、てこの人やわ。ええ顔しよか。と、思うたんやな。


 ・・・・・・・・・・


 中大兄皇子はある計画があってん。まず、逃げてきてた百済の王子・豐璋ほうしょうを百済に戻すのを見送るだけだから、と、母の斉明天皇を誘い出す訳や。朝倉宮まで連れてくるのが皇子の役目。あとは中臣鎌足の出番や。

 まず、鬼火焚くんやな。すると、なんか、呪われてるいう感じになるやろ。それ、何日か繰り返したら、もうあかん、て思うようになる、いうか、そういう風に誘導しといて首でも締めたったら、祟り、てなるやろ。そこで皇子が、表では泣きながら、母の為に、とか言って、太宰府の横にお寺建てて、ちゃっかり自らが天皇となり天智と名乗ります。

 それからが大仕事。兼ねてからの狙い通り、滅びた百済再興に兵を出すぞー、言うて、結局、太宰府周辺の筑紫軍だけの軍勢で仕掛けた戦さは、予想通り唐・新羅軍に白村江はくすくえで大敗するわな。そしたら、まだ勢力があった太宰府いうか筑紫王朝は終わりや。事実、勝った唐が太宰府に占領地の監視機関である都督府をおき、筑紫の君の薩夜馬は唐に人質として取られる。狙い通りやな。

 それを見計らって、琵琶湖近くの近江まで、逃げてしまいます。

 

 とこらが、ここで、驚く事に、あの額田王が、わたしも連れて行って、みたいに言うて、付いてくる訳やな。

  

 これ、裏があってな、徳善が大海人との結婚に反対した訳を聞いとったからや。

 「お前の母親は、新羅の女王であるぞ。ゆめゆめ、僧侶みたいな奴の息子で、これもまた僧侶みたいなのと結婚せずに、この国の王子を惑わして結婚にもっていかんかい」

 という内容や。これ、そのときは大海人とベッタリやったから耳を傾けなんだけど、まさに皇子のほうから、言い寄ってきたわけやから、ここは勝負にでなあかん、思うたんやろ。


 いまの大鏡神社と今で言う田川市の香春岳の壱の岳と参の岳を見ると、ちょうど正三角形になってる。また、壱、弐、参の岳で、輪みたいになってるからここが本当の三輪山なんや。おまけに田川市にも奈良いうところあるし、今みたいに建物なかったら、香春岳よう見える年。奈良県にあるのはあとから名前だけ移してるんやで。それが証拠に、三輪山は、三つの山でできてる、いう記録があるのに、奈良県の三輪山は、一つや、これどう見てもおかしいやろ。


 君待つと、我が恋ひをれば、我が宿の、すだれ動かし、秋の風吹く


 こういうて額田王は、遅ればせながら中大兄皇子に返事を書いたわけや。


意味は、あなたを恋しく慕っていると秋の風が吹いてきます。

いうことやな。ま、待ってます、来てねー。言うとるんや。


 えげつないわなー、夫も子どももおるのになー。

 ちなみに、その子は十市皇女いうて、のちに弘文天皇の妃になるんやけど、その弘文天皇の父親が天智天皇やから、複雑やわ。


 兎に角、これがきっかけで、上手く取り入ったんや。


 それからが、また凄い。

 

 「あのー、あなたのお母様って、凄く怖い顔してるから、一緒に住むことができないわ」

 とか、

 「あなたが王になったら、母である新羅の善徳女王を有利な交渉ができるようにしてあげるわよ」

 とか、

 「実は、わたしは新羅の女王の娘です。できれば邪魔な百済の息の根を止めて欲しいのです」

 とか言うてた訳や。


 それ考えると、皇子が母の死に至らしめ、百済を助ける振りして、逆に根絶を早め、それまで遊びたいから皇位に付かなかったのに、わざわざついた謎が解けるやろ。百済の再興など、始めから無理なのは分かっていたいうことや。


 そんで、ついに豊の地を離れる時は、鏡王のところで歌を詠みます。


 三輪山を、しかも隠すか、雲だにも、心あらなも、隠さうべしや


意味は、見納めになる三輪山を、雲さん、隠さんといて

言う感じかな。


 ま、そんなで、行ってしもうた訳や。


 もひひとつ道中で詠うた歌は、


熟田津(にきたつ)に、(ふな)乗りせむと、月待てば、(しほ)もかなひぬ、今は()()でな


これ、愛媛県松山。一般には近畿から九州に向かう時の歌と言われてます。それ、逆です、天皇追って、近江に向かう時の歌、がホンマ!


  その後は、まあ分かるわな。大海人皇子も当然近江に向こうて、行って、で、にっくき天皇に仕返しして、自らが王になった、ということや。付け加えとくけど、天智と天武が兄弟言うのはデタラメやで。あまりに天武天皇が偉うなったよって、なんとか天皇家に組み入れざるを得なかった、いうのが真相。これも藤原氏の陰謀や。藤原氏いうても、実質、天武天皇の正妻の愛人の藤原不比等やけどな。

 で、まあ、額田王は、二人の天皇を相手に都合ようやっていくんやけど、その話は、またの機会にしよかな。 


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[良い点] 興味のある時代。古代史小説は黒岩重吾以外に読んだことないので新鮮! [気になる点] 関西弁に馴染みがないので読みにくいです。標準語読みたいです!
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